運命に選ばれる特別な人間とはなんだろう。そのまま、何にも選ばれない人間のほうが幸せなのではないか?
 そのまま日常に埋もれて、非日常を夢見る瞬間がなんと幸せか。
 私が舞台にあがる必要などない。スポットライトなんて浴びたくない。ただのエキストラのままでいようと思った。これ以上私の心の傷が、光で焦点を当てられ抉られないように。
 オーディションの電話など、するわけがない。
 いつの間にか、カレンダーをめくる習慣が戻っていた。
 その数日の間、私は毎日怖くて震えた。
 これでいいのか?
 そう思っていたときに私は、駅前で電話ボックスを見つけた。
 ――本当は、もっと話をしたかった。同じ苦しみを共有できる人が欲しかった。
 相沢さんの姿が思い浮かんだ。
 自分で関係を切っておいて、なんという虫のいい話しだろう。
 気付いたら、私は電話のダイヤルを押していた。
 怖くなったらいつでも切れる。あの時のように一方的に、自分勝手に関係を切ってしまえばいい。
 声を聞くだけ。それだけの気持ちで、私は電話をしていた。
 最後の番号を押すところで、私は受話器を下ろす。
 それを何回も繰り返す。
 プッシュ音のたびに、心臓の鼓動が高鳴る。
 ――神様、私は弱い人間です。
 私は運命から逃れることはできなかった。因果律が奏でる哀しい調べが、流れようとしているのに。
 何度目かのダイヤルで、とうとう私は最後の番号まで押し切った。

 久々にあった相沢さんは、心労でやつれていた。
 この街の御伽噺を聞かせた後で、私は代わりに真実を証言した。
 あの子は昔話のとおりの忌むべき存在ではないことを、他の誰かに知ってほしかった。無実の罪を着せられた丘の狐たちを、着せた私たちが代弁して。
 その後、あの少女と会った。
「こうしたら、落ち着くんです」
 そうして、娘を抱いた。
 母になりそこねた私は――本当におこがましい話しだが――その時幸せを感じた。



 それから後のことを記そう。
 あの子と違って少し長く生きたからか、一度目の熱を乗り切った少女だったが、やはり冬を乗り越えることはできなかった。
 凍てつく寒風は、あの子たちの命を急速に削っていくものだったのだ。
 それから何度も相沢さんと会って話をした。怖がりの私は、まだ全てを打ち明けられないが、それでもこれからゆっくりと語っていこうと思う。
 それが、一族の末裔である私の償いであり義務なのだから。
 術を施したことで、結果的に私たちは、あの少女を命の終わりに追いやってしまった。相沢さんがそれを知ったら恨むだろうか。
 最近、私は相沢さんが父に似ていると思うようになった。
 正確には、似始めてきたのかもしれない。
 お父さん……。
 あの日から、私たちの表情はお互い凍り付いて変わっていなかった。同じ表情の皮という仮面を被りつづける親子だった。
 だがかつて父も、相沢さんと、そして私と同じ事をしたではないか。
 だってあの時、父は……。
 あの子に向けた、あの父の表情。
 父の言葉がよぎる。沈黙する父の背中が、無言でその想いを語る。
 今なら、父の心境が分かる。その哀しみが。
 同じく一族の血と、運命に逆らえない人間として。
 それでも精一杯に抗って。
 その瞬間だった。
 あの時の悪鬼のごとき姿をした父の姿が、私の中で元の優しい父に戻っていった。
 私は思う。
 少しでも父の想いを汲み取ろう。帰ってたら、久しぶりに話をしよう。

 今日も、私が隠していた秘密の一つを相沢さんに語った。
「私はずっと学校を休んでいたんです。いつまで休んでいたか、覚えてないんですよ」
「そうなのか」
「だから、ひょっとしたら私はあなたの年上かもしれませんよ?」
「へ?」
 私は歩いていってしまう。
「お前……一体何歳なんだ?」
「さぁ、年下かもしれませんし、同い年かもしれませんし、年上かもしれませんよ?」
 ちょっとしたレトリック(冗談)だ。
 そして振り返り言った。
「さ、いきましょうか。相沢”くん”」
 口を開ける相沢さんを見て、私は思わず笑ってしまった。
 私のイメージとか、その他いろいろなものをぶち壊しにした気もするが。

 春の風は、人を大胆にさせるのだろう。
 新しい世界の空気が、心地よかった。
 私は一呼吸して、その空気を吸った。
 街に立ち込める桜の初々しい芳香を嗅ぎながら、私はいままで話していなかった話題を持ち出した。

<終>
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