「で?」
「いえ、だから、その明日はバレンタインですよね?」
「だから?」
「その、相沢さんと作戦会議を行いたいと思いまして……あ、これ菓子折りです」
スススッ……と、なにやら厳かに包まれた箱をその男は取り出し、俺の前に文字通り献上した。
俺はそれを一瞥した後、仕方なくといった顔で開けてみる。
パカッ…
「ほほぉ……これはこれは」
「どうでございましょうか、こんな上物滅多に手に入りませんぜ?」
「ソチも中々やりおるのぉ……」
そう言いながらすかさず蓋をしてそのままベッドの下に滑り込ませる。こういう危ない現場は手早く終わらせないと、見つかりでもしたら大変である。
「いえいえお代官様ほどではないですよ」
「グフフフ……こんなものを貰っては怒りも収まってしまうもうよのぉ……なぁ北川屋」
「ははぁーーー」
仰々しく敬う北川。
「ところで何でそんなに傷だらけなんだ、北川?」
「あんたがしたんでしょーーーが!!」
シップと包帯で白く塗装された北川はいつものように雄たけびを上げる。
ちなみに俺の部屋にいたあゆは、すごい物音がした、と恐る恐るトイレに来たもののなぜか顔や体を無駄に腫らした北川を見るなりクモノコを散らしたかのように自分の部屋まで逃げ帰ってしまった。
「で、バレンタインがどうしたんだ?」
「あ、ああ……明日が高校生最後のバレンタインだろ?」
「ん、そうだな?」
「去年もあまりチョコもらえなかったよな?」
北川の同意を求めるような疑問。
「まぁ、そうだな……そんなことに気を回している暇も余裕も無かったしな」
事実大変だったからな、あの頃は……
「で、ぶっちゃけなんだが……」
と、北川はそこで言葉を区切ると
「俺は美坂のチョコが欲しいんだよ!」
「あ、そう」
北川は思い切って宣言した。
相沢はひらりとかわした。
「いや、あの……相沢さん?」
「ん、なんだ?」
「俺、結構勇気振り絞って宣言したんですがねぇ……そこんところどうなんでしょう?」
「いや、北川が香里を好きなの知ってたし」
「なにーーーっ!」
何を今更な感じで驚くのだろうか?
「な、ならなんで俺の恋路が旨く行くように陰ながら応援してくれなかったんだよ〜!」
「いやぁ、人の恋路を邪魔する奴は……っていうだろ?」
「それ意味違うからっ!!!」
まぁ、事実栞とこの手の話をして、北川さんっていい人だとは思いますけど、お兄ちゃんとは呼びたくないですよね♪ とか言われてた事もあるんだよ。北川。
『♪』だぞ。『♪』。
「将を射んとすればまずは……って事で栞ちゃんとも福神漬けをいっぱい挙げたりして、仲良くしてるのになぁ」
「いや、それ戦略的にはいいかもしれないけどそれ間違った選択だから」
「ん? なんか言ったか、相沢?」
「なーーんも、せんよ」
「そ、そうか」
「しかもあれだぜ、去年の夏に家族で島まで旅行に行った際に、そこで買った指輪まで用意してあるんだぜ」
「は、なんじゃそりゃ?」
ジャーン、と、ポケットから二つの指輪を取り出す。それぞれの先にはなにやら宝石にしては歪な石が付いていた。
「あわせ石って言うらしいんだけどさ、この指輪を二人で買って、二人でつけると幸せになれるんだって御利益モンだぜ?」
「いや、既に一人で買ってるからダメじゃん、それ……」
「…………」
「……………」
「えーと、で、香里のチョコが欲しいと、そういうわけか」
「ま、まぁそういうことだ。今年もらえなかったら次は同窓会まで会えないからな」
いや、同窓会にチョコもって来る奴はあまりいないだろう。と、言うか、卒業式とか、卒業旅行は頭に無いのか?
「まー、香里は医大に進学だからな」
「相沢もだけどな」
「ああ……まぁな」
一年前に実感した自分の無力。そしてそれらを克服したくて叶えたくて選んだ道、医者。栞の病気だってまだ完治したわけじゃない。香里はもともと医者を目指すつもりだったから、俺は香里に頼み込んでその道におんぶしただけ……。あゆや栞や他の人たち、そんな人たちを守れる強さが欲しかったから。
「でも、相沢も去年美坂にはチョコを貰えなかったしな」
「ああ……そうだな」
その時期はちょうど香里にとってはとても大切な日々だったはずだから、仕方ないといえば仕方ないが。
「で、どうしたら貰えるかな、チョコ?」
「おまえなぁ……別に策を弄さなくても貰える時は貰える、貰えない時は貰えないもんだろ」
「かぁーーーっ、分かってない、分かってないよ相沢」
「なにが?」
「おまえの家は女性がいっぱいいるからそんな苦労はしないかもしれないけどな……」
「そんなってどんなだよ…」
「チョコを貰えなかった時の、だよ!」
ああ、なるほど。
「しかも、水瀬さんに、かわいらしい後輩二人もいて、それに水瀬のおばさんだって綺麗じゃないか。そんなにたくさんの人からチョコがもらえるんだぞ!」
「水瀬のおばさんって……ああ、秋子さんのことか」
「そんな恵まれた環境にいる奴にはロンリーな俺の気持ちなんて分かるだろうか? いや分かる訳ない!」
「え、でもおまえだって妹がいるだろ? だったらその子から貰えばいいじゃないのか?」
「どこの妹だよ!」
「えっ? だっておまえ妹がいるんじゃなかったっけ??」
「それ、どこの公式だよっ!?」
「あれ、確か十二人も妹がいるんじゃなかったっけ?」
「いるわけないだろ、そんにいっぱい!」
「しかも、全員北川のことが好きなんじゃなかったっけ?」
「…………それ、いいな」
「まぁ、全員チョー不細工なんだけどな」
「なんじゃ、そのサブキャラ的扱いはーーーー!!!!」
「や、だっておまえサブキャラじゃん」
ガーーーーーーン
「最初名前なかったじゃん」
ズーーーーーーーーーーーン
うわっ、マジで凹んでる。
「まぁ、香里も同種なんだけどな」
「よっしゃーーーー!!」
すごく凄くガッツポーズをとる北川。
まぁあえて同種といっておこう。香里に聞かれると殺されそうだから……
「でも、あれだろ。今年はくれるだろ、昼食メンバーからは全員」
「そうだよな、そうだよな!」
「そりゃあ、義理でもなんでもなかったら、おかしいだろ?」
「……でも、義理ですら貰えなかったらどうしよう」
「………………」
「…………」
ドヨ〜〜〜〜〜〜〜〜ン……
一つの部屋で男が二人もの凄く陰湿な空気を放つ。
「あ〜る晴れた、ひ〜る下がり」
「市場〜へつづ〜く道」
片方が不意に口ずさんだ『ドナドナ』が連鎖しようと仕掛けた瞬間
ガチャッ
「祐一〜、北川君〜、そろそろ昼ごはんだから、一緒に食べようよ〜」
ノックもせずに開いたドアから、一年ですっかり聞きなれた間延びしたいとこの声と顔が、ドアの隙間から覗かせてきた。
――僕らの昨日が見ていた未来は――
ガツガツガツ……
ムシャムシャムシャ…バクバクバクッ……ゴクンッ
「あぅ〜」
「あらあら」
秋子さん、あゆ、北川、俺と、なぜかうつ伏せで倒れている真琴の五人の食卓は俺と北川という肉スキー二人と一人の悲しい運命を負った一人の少女によって縦横無尽に荒らされていた。ちなみに今日の昼食はシチューとジンギスカンである。本来なら夕食レベルの献立ではあるが男二人にとってはそんなこと些細なことでしかないわけである。ちなみに名雪は既に食卓から抜けており、その名雪が消えた理由が俺たちの食欲をさらに掻き立てることになったのである。
六人で食卓に着いてしばらくのことである。
「いやー、やっぱり秋子さんの料理は最高ですよ」
「あらあら、祐一さん。そんなこと言っても何も出ませんよ?」
頬に手を当ててまんざらでもないような顔をする秋子さん。
「イヤー、水瀬さんのおばさんの料理初めて食べたけどおいしいっすね。相沢とか水瀬さん毎日こんな旨いもん食べてるのかよ」
「あらあら、北川さん。そんなこと言っても何も出ませんよ」
頬に手を当てたまま何かどす黒いオーラのようなものを放つ秋子さん。しかも声のトーン明らかに違うし……
「秋子さんお代わりー!」
「ああっ、真琴もー!」
あゆがシチューを平らげ次を要求するのさまに、まだシチューが残っているのもかかわらずお代わりを要求する真琴。これももう見慣れた風景の一つだ。
「(ニコニコニコニコニコ)」
そんな様子を温かく見守る名雪と秋子さん。これも見慣れた風景。今は秋子さんの目がどす黒いのはきっと気のせいだと思うことにしよう。
「お母さん。わたしこれから香里の家に遊びに行ってくるね」
「あら、何時ごろに帰ってくるの?」
「ん〜〜、香里がチョコレートの作り方を教えて欲しいって言ってただけだから、晩御飯までには帰ってくると思うよ」
ピタッ
持っていたスプーンと箸が止まる男二人。
「あらあら、そういえば明日はバレンタインですものね〜」
「そうなんだよ。やけに香里もはりきってたから明日たのしみだよね〜、ねっ祐一、北川君♪」
プルプルプルプルッ
持っているスプーンが震えだす男二人。
「あっ、もう行かないと約束の時間に間に合わないから、お母さんもう行くね」
「はいはい、気をつけて行ってらっしゃいね」
「大丈夫だよ♪ お母さんみたいにおっちょこちょいじゃないから〜」
そう言いながら名雪は食卓から外れて行った。
ピキーーーーーーーーーンッ!
ブルブルブルブルブルッ
持っているスプーンが大きく震えだす女二人と男一人。
「あゆちゃん、はいおかわり」
「あ、ありがとうございます。秋子さん」
「真琴は……あらあら、まだ残っているじゃないですか。ダメですよ残っているのにお代わりしては……」
「あ、あぅ〜〜〜……ゆ、ゆういち〜」
笑顔で席を立つ秋子さん。震えた身体で必死に何かを訴えるような目ですがり付いてくる真琴。ただ雑念を捨てこれから起きることに目をそむけようと必死にシチューに啜り付くあゆ。いまいち状況を把握していないバカ一人。そんな状況で俺が真琴に言える言葉は一言だけ……
「ジャスト十一時四十五分、デスノートに狂いなし!」
「あ〜〜〜〜う〜〜〜〜〜っ」
ハモリのような真琴の声が食卓に響いた……
カチャカチャ……
「祐一くん、今度は祐一くんのシチューくれないかな?」
「ん、ああいいけど、これあゆには合わないと思うぞ?」
「うぐぅ〜、そんなこと食べてみないと分からないもん」
「ああ、分かった分かった。ほれ」
と、言って俺のシチューをあゆに差し出す。
俺や北川の食べているシチューはビーフシチュー。あゆや真琴が食べていたのがクリームシチュー。ちなみに秋子さんや名雪もクリームシチュー。材料もスープもまったく違うものを一つの食卓に出す所が秋子さんの凄い所だと思う。
ズズズーッ
「ぅぐっ……」
「どうだ、あゆ?」
シチューを一つ啜っただけで顰めたんだから、答えは聞かなくても分かるんだが、ついつい苛めたくなってしまう。
「朱くないほうがおいしいね……」
「……そうか」
なんだろう、この胸からあふれ出す切ないっぽい解釈ができる感情は?
「まぁ、クリームの方はもうないし、これ以上食べたら太っちまうし、もうやめとけ」
「うぐぅ、そうだね。そうするよ」
そう、クリームシチューはもうない。コンロの上にかけられた鍋の大きさから見てゆうに十人前はあるだろうだったんだけどな……
その中身がどこに行ったかなどは全て闇の中、決して誰かが半強制的に食べさせられてその腹の中に入ったなどとは思うまい。
「なぁ、相沢?」
「真琴ちゃんってすげー食うんだな?」
「……おまえアホだろ」
――僕らの昨日が見ていた未来は――
「ラリホ〜ラリホ〜」
そんな上機嫌な言葉を発しながら北川は家に帰っていった。
全ては食卓の上で解決した。名雪からの香里のチョコ作りを聞くこととなった俺達は、既に勝者だった。
まぁ、俺は別にもらえなくてもいいんだけどね……ゴメンなさい、嘘です。やっぱ貰える物はみかんの皮でも欲しいです。
そんな確定勇者の気分も、美坂家からやつれた顔で帰ってきた名雪から
「祐一、ファイト、だよ」
と、なにやら不穏な発言をした辺りから暗雲が立ち込めてきた………
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