目の前には『鬼』がいた……





――僕らの昨日が見ていた未来は――





 高校三年の冬。卒業を控えた俺たち三年は、やがて来る新しい戦地に想いを馳せながらも、まだ配属の決まっていない者を横目にちょっぴりの優越感に浸りながら、卒業式までに残された日々をただノンビリと過ごしていた。
 はずなのに……

「なんの用だ、北川?」
「いや、相沢に相談事があってだな……って、なんだ、その訝しげな目は?」
「用が有るなら学校でも良かっただろ? 何でわざわざ日曜日なんかにウチに来るんだ?」

 春眠ならぬ、冬眠暁を覚えずとはよく言ったもので、冬、特にこの街は雪が積もるぐらいの気候だからな。布団から這いずり上がってくるのはそれなりの業を断ち切らないといけない。…………主に眠気と眠気と眠気だな。

「いや、どうしても男二人で話さなければいけない話題だったからな」

 学校なんかでは誰が話に割り込んでくるかわからない、と北川は言った。事実平日なら休み時間に何の因果か同じクラスになった香里と名雪。昼休みともなるとそれに栞に真琴、ついでにあゆといったちびっこ後輩三人衆がクラスに乱入してくる始末である。で、あるからこの北川の弁は正しいのであるが……

「おまえ、こんな所で油を売ってる場合じゃないだろ?」
「いや、まて! 相沢、みなまで言わなくても分かる…がっ! そんなことは目が霞む位のイベントが明日に控えているだろっ!?」
「…………コミケか?」
「ちがうわっ!」
「ん〜〜、ならコミケか?」
「それ一緒じゃ、ボケェ!!」

 うわっ、こいつ口悪ぃな。

「そっか、弟でもできたか?」
「チッガウヨ!」

 ……なぜカイヤ?

「なら妹だな」
「…………違うよ」
「何で、其処でしょんぼるんだよ」

 そこまで妹という甘美な『響き』が欲しいのか?

「で、回りくどいカラミはいいから一体なんなんだよ?」
「あんたが絡んできたんでしょーが!!」
「や、何言ってるか分からんな?」
「……あんた、嫌ぃ。」

 バキィッ!! 北川の脳を揺らすように顎へのショートフック。

「早く用件は言わないと殴るかもよ……北川?」
「殴ってから言うなよっ! って、なんか俺殴られるような事言ったか?」
「…………いや、なんとなく、ということにしておこうか」
「なにその適当なあてつけっ!」
「いいから……な、わかるだろ?」

 もう一度拳を握って北川を睨む。
 俺は眠たいんだよ…………ほんとだよ?

「明日は二月十四日だ」
「まぁ、今日は十三日だからな」
「つまり明日は一年に一度しかないあの日だよな?」
「今日も一年に一度しかないけどな」
「男、いや漢なら街に待った日だよな?」
「いや、オレは今日のこの日曜日を心待ちにしてたけどな」
「あんた揚げ足とりすぎっ!!」
「いや、さっさと用件を言って欲しいだけなんだが?」

 まぁ、何を言いたいかは分かってるけどな。つまり明日はバレンタインだ。女の子が男の子にチョコをあげてもいい日。なら別の日には上げたりもらったりしたらダメなんかいっ! とか突っ込みたくなるお菓子屋とケーキ屋の陰謀で創られた日だ。

「明日はバレンタインデーだろ?」
「ああ……知ってるが?」
「…………相沢」
「ん、なんだ?」
「ちょっとトイレで泣いて来てもいいか?」

 と、それまで床に座っていた北川(ちなみに俺はベッドの上だが)が腰を上げた。

「便器は汚すなよ? 後、泣き終わったらそのまま帰ってもいいぞ?」
「…………ニコッ」

 と、立ち上がり部屋を出て行こうとした北川は、ドアに手をかけると同時に俺を見て微笑み、そして……

「チキショ〜! チキショー!! チクショーーーッ!!!」

 と、叫びながら部屋を飛び去っていった。いったいあいつは何をしに俺の家まで来たんだろうか?
 とまぁ、考えても分からないので、とりあえず俺は暖かい誘惑に誘われるようにそのまま布団にもぐりこんだ。





 ――三十分後――





 ドタドタドタドタッ……
 そんな擬音が廊下に響き渡り、その音で俺は夢の世界の入り口付近から現代世界へと意識が戻った。

「祐一君、祐一君、祐一君っ!!」

 その擬音は俺の名前を発しながら俺の部屋の前でその擬音を止め、同時にバンッ! と、ドアを開けてそのまま俺のほうに突進してきた。
 …ヒラリッ
 バンッッッ!!

「あー…………一応言っておくが、俺が悪いわけじゃないぞ?」

 いきなり目前に迫ってきた物体を、俺は仰向けの状態でしかも半意識のまま、避けて見せたのだった。そのおかげで俺に突進してきた物体は、目標が突然失ったと同時に目標である俺の後ろにある壁にそのまま激突したのである。

「うぐぅ〜〜。祐一君がまた避けた〜〜」
「いや、俺が悪いわけじゃないからな?」
「だって祐一君を呼びに来たんだから仕方ないよっ!」
「おまえはソナー付き魚雷かっ!?」

 そう、人を見つけるたび見つけるたび突撃されてはかなわない。しかも同じ家に住んでいるのだからその心中を察して欲しいものだぞ。
 ……と、こいつが水瀬あゆ、旧姓『月宮』。俺のいとこ、水瀬名雪と結婚してその姓を変えることになった女性。因みに名雪も女なので日本ではこの関係が認められておらず、日々世間の「あの子無いわね〜。ほら、あの子よ、水瀬さんの無い方の……」という辛辣な発言に怯えているらしい。

「全然関係ないこと話さないでよっ!」
「うおぅ、俺の独り言を聞いてたのか!?」
「もの凄くしゃべってたよ! ボクは名雪さんとは姉妹なんだよ! 勝手に、その結婚したことにしないでくれるかなっ!?」

 流石に立ち直りの速さは、もう手馴れたものといった感じですぐに俺に喰いかかって来るあゆ。

「いや、最後のほうは割と真実だったと思うぞ?」
「うぐっ」

 あゆは図星をつかれたのか、さっきまでの勢いは一瞬にして霧散し、なんともいえない表情をする。

「あ、あと一年もすれば名雪さんみたいになるもん!」
「や、それ有り得ないから」
「うぐぅ……」

「で、でも、栞ちゃんや真琴ちゃんには勝ってるもん、絶対!」
「ククク……」
「なに祐一君? いきなり変な笑い声出して?」
「いや、だってな〜」

 あゆの言ってる言葉、まったく同じだからな。その二人と……
 水瀬真琴、通称真琴。あゆと同じく桃園の誓いにおいて名雪と義兄弟となった、俺の一年後輩。同時期にあゆと姉妹になり学年も一緒だったことで、どちらが姉でどちらが妹なのかを言い争っていたが結果はいわずともながで、あゆの抵抗むなしく真琴が次女となった。だがあゆも心底納得しているわけではなく、せめてもの抵抗か、呼び名を真琴ちゃんとしていることで一応その面目を保っているわけである。
 ちなみに真琴のあゆに対する呼び名は『あゆ』なので、面目はほぼ無くあゆの自己満足レベルで終わっているのだが、本人には内緒である。
 そしてもう一人の美坂栞、別名エルダーシスター。これも俺の一つ後輩であゆたちとは同学年。一年の時は重い病で休みがちだったが、一年前辺りから病状が良くなり、今では普通に学校に通えるようになるまで回復した、が……。出席日数が足りなくて留年決定だったはずなのになぜか二年に進級しているかなり謎な経歴の持ち主でもある。栞の姉であり俺のクラスメートでもある元・生徒会長の香里は「奇跡かもね」となぜか余裕の口調で言い放っていたが……
 これも補足であるが、栞が二年の夏休みに入る前辺りに、ある男子生徒から一緒に下校しようと誘われた所「一緒に帰って友達とかに噂されると恥ずかしいし…」と発言し、立ち去ったことにより二年男子生徒から「しおりちゃん」「しおり様」と、呼ばれるようになったらしい。
 さらに付け加えると、以前栞から「お姉ちゃんは、私に家ではお姉様と言いなさいと怒るんですよ?」と帰路の途中に半笑いで愚痴られたことがある。その次の日帰る時までもの凄く元気だった栞は、なぜか欠席しており香里に栞の事を聞くと「鬼籍かもね……」と、冷たく言い放たれたことがあった。
 これにあゆも含めた三人は、先にも言ったとおり昼休みになると俺のクラスまで来て、香里・名雪・北川達と昼食をするものだから「三姉妹」とクラスでは言われている。

「ボクはあるもん!」
「いや、ないから……」

 俺の言葉に何かを感じたのか、先手を打ったつもりかそんな事を堂々と宣言するあゆ。ああ、つまりなんだ。俺のクラスでは「三姉妹」と言われているが、それは表向きであって男子生徒の中では「NAINAI十○歳」とか「ぺチャパイ三姉妹」とか言われていることもあり、曰く、あの胸はきっと風の抵抗を受けないから風のように三位一体攻撃できるんだぞ、とかあの無いのががいいんだよな〜、とか、下馬評の方では決して悪くなかったりする。俺としては複雑な気分ではあるが……

「うぐぅ……祐一君を絶対いつか見返してやるもん!!」
「まぁ……あの四人の中で最下位で無い事を祈っているよ、あゆ君?」
「うぐぅ〜〜」

 と、あゆは立っているのが疲れたのか、そのまま俺のベッドの上にへたり込む。まぁ、絶対いつかなんて良くわからない言葉を使っている時点で望み薄だとは思うがな、と俺は心の中で……ん? なんか違和感があるな? なんだろう、俺なんか忘れてるかな?
 何が違和感なのか、と考え始めた瞬間、脳裏に『そいつ』の顔が浮かび上がってきた。『そいつ』は俺の脳裏の中であるにもかかわらず、鋭く俺の事を睨み「どうせ相沢さんは私の事を真琴の傍にいつもコバンザメのように付いている、年の割りにおばさんくさい後輩としか思っていないんでしょうね……」といっているようだった。
 …………いや、わすれてたわけじゃないんだよ? 毎日昼休みに飯食ってるんだしな。ほら、北川『達』って言う所に入ってるよね?

「?? 祐一君。誰に語りかけてるの?」
「えっ!? いや、この部屋には俺とあゆしかいないぞ、うん」

 聞き方にとったらえらくピンクな発言だが

「ふぅん、まぁ祐一君は祐一君だからね」

 さも興味なさそうな発言をなさるあゆ。と、言うか微妙に小馬鹿にされているような気もするが気のせいだろうか?

「で?」
「ん? な〜に祐一君」
「だから、俺の安眠を妨害しに来ただけなのか、こんちきしょー」
「あっ!!!」

 俺の言葉に、ようやく何か思い出したらしい仕草をするあゆ。

「祐一くん出たんだよ〜〜」

 と、さっきまでとは打って変わって怯えた声で、何かを懇願するような顔をする。

「出たって、何が? 黒い悪魔か?」
「違うよ。お化けだよ……」
「……はぁ?」

 こんな冬の昼間に出るお化けとはなんて見当ハズレもいい所だな。と俺は思った。

「だからお化けだよ、ヨヨヨッ…って泣き声が聞こえて来るんだよ」
「ヨヨヨッ……って、またずいぶん変な声で泣くお化けもいたもんだな? バクザン先生もびっくりだな」
「それがさっきからずっと聞こえてきて、ボクもう怖くて怖くて……」
「突っ込んで欲しかったんだが……」
「え?」
「いや、なんでもない」

 あゆにそんなスキルを要求することは酷というものでしょう……って、何だこの口調は? 天野の思念でも取り憑いたか? 

「で、その変な鳴き声はどこから聞こえて来るんだ?」
「えっとね……多分、トイレだと思うんだけど」

 既に動物や虫扱いする俺を無視してあゆが示した場所は、なんてことは無い普通の場所だった。

「…………それ、本当に鳴き声か?」

 あまり考えたくない事ではあるが、誰かが唸っている可能性もあるわけだし、って家にいるのって俺以外女性名わけで、そんなところを想像するのはいろいろやばい訳で……

「絶対だよ、ヨヨヨって、三十分ぐらい前からずっと聞こえてきたんだよ」
「いや、確かに、でも……」

 そんな唸り方は無いだろうが、もし、万が一、トイレに入っているのが秋子さんとかで、うっかりドアを開けてしまったものなら………………

「わが人生に、一片の悔いなし!!」
「祐一くん?」

 いきなり右手を掲げて仁王立ちになった俺を、訳が分からないといった表情で見つめるあゆ。

「いや、気にしないでくれ……」
「でも、なんかすごく充実しきった顔をしていた様に見えたけど……」
「おしっ! ゴーストバスターと行くぞ、あゆ!」

 俺の心の高鳴りを気取られないように、さっと立ち上がりそう言い放つ。

「で、でも祐一くん。お化けだよ、お化け!」
「大丈夫だ、あゆ。俺の心の小宇宙は萌え…燃え滾っているからな!」
「な、なんだかよく分からないけど、任せたよ祐一くん」
「おうっ、任されたぞ、あゆ」

 俺はそういうや否やダッシュで、トイレに向かっていった。






『ヨヨヨッ……』
「…………」
『おろ〜おろ〜』
「……」

 トイレの中から何か聞こえる。トイレの前に立ち尽くす俺の耳から確かに聞こえてくるのは良くわからない言葉の羅列。

「こ、これが、大人の女性の呻き声……なのか」

 ゴクリッ……生唾を飲み込む。あゆからのお化け退治という大義名分があるのだから、もし中にいるのがお化けでなくても言い逃れはできる。そう、これはお化け退治なんだ。中にいるのはお化け、中にいるのはお化け。だから俺は恐怖で生唾を飲んだんだ。
 …………ホントだよ? ぜ、絶対そういうハプニングとかそんなの期待してないんだからねっ! 今の俺絶対クールだぞ。クールだろ、俺? クール!Cool!COOLッ!!!

「相沢祐一、逝きます!!」

 ガチャッ!!



「……相沢?」
「…………Σ(゚д゚;)」
「やっぱり俺のことが心配で探してくれたんだな! 心の友……よ?」
「……プルプルプルプル」
「あの…………相沢さん?」
「クールがホットになっちまったぜ……」

 ドシャーーーーーーーーーン!!!!
 ドンガラガッシャーン!!!
 ボキボキベチャーーーッ!!!!!


 トイレから救出された北川はこのときの出来事を後にこう語った。








 目の前には『鬼』がいた……と。





――僕らの昨日が見ていた未来は――




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