「ごめん。待たせた?」
「いや……俺も今来たところだから」

 付き合い始めて最初の日曜日、午前十時前。
 ちらほらと粉雪の舞い散る駅の時計台の前で、お約束のやりとりを交わすあたし達。
 待ち合わせの10分前に来たというのに、すでに北川君は待っていてくれた。
 彼は今来たと答えてくれたが、頭の上にうっすらと積もった雪が、そのやさしい嘘を物語っている。
 傘を差すほどでもない中途半端な天気が災いしたようだ。
 きっとあたしが何時に来てもその台詞を言ってくれるつもりだったのだろう。
 可愛いことをいってくれるではないか。
 あたしが苦笑しながら彼の頭の雪を払ってあげると、彼は真赤になりながら……

「み、美坂……今日も綺麗だな。その服装よく似合っているよ」
「そう? ありがとう」

 一生懸命にあたしを褒めてくれた。
 湧き上がる苦笑を必死に堪える。
 褒められた事よりも、顔面が真赤に茹で上がった北川君を見ている方が何となく照れる。
 まあ、しかし、そう言ってもらえるとあたしもオシャレをしてきた甲斐がある。
 彼の誠意に笑顔で答え、クルリと一回転した。
 北川君がおおっと歓声を上げる。
 本日のあたしは随分とオシャレさんである。
 髪型はいつもより時間をかけて内巻きにしてるいるし、お化粧も派手にならない程度には気合を入れてある。
 服装だってお気に入りのワンピースと、その上に羽織るコートはこの間買ったばかりのファー付きのシェイプダウンコート。ブーツは流行のベルトアクセントのロングブーツだ。
 自分のクールなイメージを崩さない程度に、精一杯今時の女の子である。
 もうすぐ大学生だ、このくらいのオシャレは必須だろう。
 なぜ、今日はこれほどまでに気合が入っているかと言うと……当然だ。
 新しく出来た彼氏と初デートなのである。
 交際を決めてしまった理由は勢いと栞達に対する対抗心だったわけだが、付き合うと決めたのは間違いなくあたしだ。
 あの日の夜は当然、自分の迂闊さを呪いながら猛反省したし、本当にこれでいいのかと悩みもした。
 しかし、今更交際宣言を撤回することはできないし、あれ程自分を好いてくれる北川君を失望させるのは申し訳ない。
 それに考えてみればあたしだって年頃の女の子である。恋愛に興味がないと言えば嘘になる。何事も経験なのである。
 周囲を見渡す限り、北川君以上に好感度の高い男子は見当たらないわけだし。
 ならば付き合ってみるのもいいかもしれないと思う。
 たとえそれが愛ではなくても、最初はこんなものでもいいではないか。そのうち愛が芽生えてくるかもしれない。
 こんな考えでは北川君には申し訳ないのかもしれないが、できるだけがっかりはさせないようにはしたい。
 これがあたしなりの責任の取り方でもある。
 こうなってしまった以上は楽しもうとも思う。

「じゃあ、映画を見に行こうか」
「お、おう」

 あたしは北川君を催促して歩き出す。
 しかし、何故か北川君は一瞬ついて来ようとして、すぐに立ち止まってしまった。
 たっぷり10秒は制止した後、あたしが首を傾げると同時に、これまたガチガチに固まりながら真赤な顔で頷いた。 

「い、行こうか……香里」
「…………ぷっ」
 
 そこまでして出て来たのがあたしの下の名前。
 我慢できず、思わず吹き出してしまうあたし。
 あたしを下の名前で呼ぶために、随分と頑張ってくれたのだろう。
 できるかぎり自然にしたかったのだろうが、こうまで緊張されると逆に不自然でしかない。
 この彼の余裕のなさは、なんだかくすぐったくて良いかもしれない。

「わわわ、笑うなよ」
「ごめんね。じゃ、行きましょうか……潤君」

 


 思いのほかデートは楽しかった。
 ファーストフードのお店で軽くお腹を満たしたあと、最初に向かったのは映画館。
 二人で見た映画は、ベタな恋愛モノだったが好きな俳優が出ていたし、ストーリーもそれなりに良作だった。
 実は映画好きなのか、北川君は鑑賞後に色々映画の製作秘話等を面白おかしく聞かせてくれたし、そのあたしの好きな俳優の過去の出演作の話で随分と盛り上がった。
 その後はあたしの趣味のウィンドウショッピングを満喫した。
 たいした物を買ったわけではなかったが、北川君はあれこれと無駄に時間を費やす女の買い物に根気良く付き合ってくれたし、ふたりでおしゃべりしながら歩くのも楽しかった。
 時間が経つにつれ北川君も多少余裕が出てきたのか、いつもの彼に戻ってきていたし。
 あたしが思っていた程は男女のお付き合いというのは、難しいものではなさそうだ。
 あと、正直に言うとあたしは自分が惚れるより、惚れられる恋愛の方が向いてると思う。
 何かと北川君が気を使ってくれるのは、嬉しいし気分がいい。
 あたしはあまり他人に気を使うのが好きではないから、逆の立場だったら辛いと思う。
 予想外の展開で始まった北川君とのお付き合いだが、これはこれでよかったのかもしれない。
 あたしが、そんな事を考えていた時だった。
 ちょっとしたトラブルが発生したのは。

「晩御飯を食べるところはもう決めてるんだ」
「へぇ、どんな所かしら?」
「それは着いてのお楽しみさ」

 北川君に連れられて来たのは駅からほんの少し離れた場所にある、オシャレなフレンチのレストラン。
 雑誌で見たことがあった。外観も店内も欧米風で、値段も手頃で若い女の子に人気があると書いてあったと思う。
 あたしも一度入ってみたいと思っていたお店だ。
 しかし、店内に入ることは出来なかった。
 理由は簡単。入り口に”本日臨時休業”の札が掛かっていたから。
 あたしはそれを見て少し残念に思った程度だったが、北川君の反応は違った。
 真っ青になって、店の前に立ち尽くしている。
 あたしが不思議に思い、しばらくその青い横顔を見つめていると、誰に言うでもなく呟く。

「そんな……ここまで計画通りにきたのに」
「…………ぷっ」

 それを聞いた瞬間、またも我慢できず、思わず吹き出してしまうあたし。
 おそらくはつい漏らしてしまった、北川君の本音。
 あたしはその一言で全てを察してしまった。
 本日のデートの内容が、随分とあたし好みに進行している理由。
 それはきっと北川君が、あたしを喜ばす為に一生懸命計画を立てて、その通りに進行してくれたからなのだ。
 映画だって、あたしの好きな俳優の話だってあまりに不自然に詳しかった。
 その辺も栞か名雪あたりにリサーチしていたのだろう。
 ウインドウショッピングだって、あたしが好きなのを聞いていたから、退屈なのを無理して付き合ってくれたのだろう。
 実際あたしは随分と楽しませてもらった。
 ここまでは本当に彼の予定通りだったはずだ。
 ……それなのに最後に用意していたレストランが臨時休業。
 本人には何の罪もないのだが、最後の最後で失敗。
 それが男前なのに三枚目キャラな北川君らしくて可笑しい。だからつい笑ってしまった。
 あたしの為に一生懸命デートのプランを考えている姿を想像すると大変微笑ましい。
 心底切なさそうにお店とあたしの顔を交互に見る北川君。
 きっとあたしが幻滅したりしないか心配しているのだろうな。
 こんなことぐらい気にするはずもないのに。
 しかし、彼のそんな困りきった仕草がなんとも可愛らしいではないか。 
 
「わわわわわ、笑うなよぉ」
「ごめん……それより」 

 あたしは不意打ちに北川君の手をぎゅっと握る。
 二人とも手袋をしていたから直に触れ合ったわけではないが、それでも北川君は真赤になった。
 本当に見てるこっちまで照れる。

「えっと、美坂?」
「……呼び名が戻ってるわよ。それよりあたしラーメン食べたくなったわ」
「ラ、ラーメン……そんなんでいいの?」
「十分よ、今日も寒いし。潤君のオススメのお店があったら連れてって」

 そういって手を引いて歩き出す。
 別に高校生のあたし達に分不相応なお店なんか必要ないのだ。
 お互い背伸びをする必要なんかない。
 それでもきっと楽しいのだから。




 

 潤君と付き合い始めて三週間ほど経過したある日。
 またも実家のリビングでソファーに腰掛けながら、あたしは夕食までの時間をくつろいでいた。
 相変わらず自分の正面のソファーで繰り広げられる、微妙にイライラする喜劇のようなもの。
 今回は北海道ではなく、九州の博多に住む親戚のおみやげだったが。

「祐一さん。あーんってして下さい」
「おいおい、栞……恥ずかしいって香里が見てるよ」
「そんな事言う人、嫌いです」
「仕方ないな……あーんって、辛子明太子丸ごと一個は厳しくないかっ」

 可愛い妹に”あーん”してもらっている馬鹿は今日も何故か我が家のリビングに存在する。
 また見せつけてくる。
 でも今回は舌打ちしたりしない。
 広い心でスルーしている……というより放置か。

「どうですか、祐一さん?」
「いやぁ、栞があーんで食べさせてくれるとおいしいな。かなり辛いけど」
「きゃっ、恥ずかしいですぅ! ではドンドンいきましょう」
「え……」

 理由は今日の栞のプレイが微妙にSっぽくて、辛子明太子の連続投入に苦しむ相沢君を見るのが楽しいからではない。
 前回と違い、別に気にならないから。
 長時間見ていても何故かイライラしたりもしない。
 だから相沢君が微妙に救いを求めるような視線を送ってきているのも無視。
 
「祐一さん。この食べ物の名前知っていますか?」
「だから博多の……辛子明太子だよな?」
「ふふっ……なんか、この食べ物って」
「ああ、口の中に無理やり何個も詰め込まれて腫れ上がってきた、俺の唇みたいだな……」

 などとほざいて一層苦しむ相沢君。
 今のはちょっと面白かったかも。なんか泣きそうだし。
 あたしがなかなかツッコミを入れないせいか、喜劇のようなもの割と長びいている。
 ひょっとして毎回ツッコミ待ちをしているのか?
 いつもは可愛い妹を独占される事に内心腹が立っていたが、こうやって冷静に見てると意外と面白い。
 二人のやりとりは本当によく出来たコントみたいに息が合っている。
 実にいいコンビで、お似合いである。
 しばらく見ていようかと思う。
 放置しておけば相沢くんが塩分の取りすぎで高血圧になって、そのうち死んでくれたりするかもしれないし。
 あたしが、脳卒中あたりで突然死する相沢君を想像してニヤリと笑うと、それに気がついた栞が声をかけてきた。 

「あ、お姉ちゃんごめんね。勝手に盛り上がって」
「別にかまわないけど。むしろ、もっと続けて欲しいわ」
「マジでもう止めてください」

 根性なしの相沢君が折れた。
 腫れ上がった口元を押さえプルプルと震えている。
 まあ、これくらいで許してやるか。
 ツッコミは入れてあげないけど。
 あたしが、やれやれと肩を竦めると相沢君が恨めそうに尋ねてきた。

「香里……なんだか機嫌が良さそうだな」
「そうかしら?」

 言われてみればそうかも知れない。
 最近割りと毎日が楽しい。充実感もある。精神的にもストレスを感じない。
 なぜだろうかと考えてみる。
 しかし、あたしが思いつくより早く栞が答えを出す。

「やっぱり、北川さんという彼氏ができたから?」
「……」
「毎日長電話してるし、休みの日は二人で出かけてるし仲いいよね」

 少々答えにくい質問が来たとは思う。以前のあたしなら否定したかもしれない。
 しかし、あたしは不思議に言い返そうとは思わなかった。
 なぜなら非常に納得してしまったからだ。
 最近自分でも思うが、割と機嫌がいい。
 そして、考えてみるとその理由となるものがそれしか思いつかなかった。
 潤君とお付き合いするのが楽しい。
 彼氏が出来たから毎日充実しているように感じるのだろうか。
 だから目の前で可愛い妹が馬鹿男とラブコメを演じても気にならなくなったのだろうか。
 自分も彼氏持ちになったから、余裕を持てるようになったのだろうか。
 もし、そうなら自分でも驚きだ。
 前向きな気持ちで始めた交際ではなかったのに。
 まあ、しかし、バカップル共の指摘を肯定するのも癪であるし、自分でもはっきりしない面もある。
 なんとか適当に話しを逸らしてしまおう。
 あたしの返答を待つ栞の顔を見つめながら、そんな事を考えていた時だった。
 突然携帯から鳴り響くメール着信音。
 この着信音を登録しているのはたった一人だけ。
 
「……げ」

 あまりのタイミングの良さにあたしは思わず、視線が合っていた栞から目を逸らす。
 それと同時に栞がにっこり微笑む。 
 直後自分の軽率さを後悔する。
 こんな分かりやすいリアクションを取らなければ、悟られずにすんだろうに。

「き・た・が・わ・さんから?」
「……そうね」

 今更誤魔化しても仕方ない。
 あたしは苦笑して、テーブルの上に置いておいた携帯を取る。
 バカップル共は一応気を利かせてくれたのか、こちらを見ないようにしてくれたのですぐに内容を確認。

『今度の木曜日デートしない? 連れて行きたい場所がある』

 あたしは思わず微笑む。
 次の木曜日、三月一日はあたしの誕生日だ。
 あたしの彼氏は何処に連れて行ってくれるのだろうか。
 あの恋愛ベタの照れ屋はどんなサプライズを用意してくれるつもりなのか。
 期待に胸を膨らませずにはいられない。
 その直後。

「じぃぃぃぃぃ」

 強い視線を感じて慌てて顔を上げる。
 そこにあったのは勝ち誇ったような笑いを浮かべるバカップル共。
 またもや湧き上がる激しい後悔の念。 
 一度視線を逸らしてくれたのは罠だったのか……
 姑息な!

「お姉ちゃん……嬉しそう」
「メール見ながら一人でニヤニヤしちゃってな」
  
 大失態である。
 あたしもちょっと、泣きそう。
 さすがに気の利いた言い訳も思いつかず、あたしは無言のまま頭を抱えるのだった。




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