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あの森の中の学校での出来事から数日後、わたしは『月宮あゆ』の入院している病院にいた。
「お友達ですか?」と看護婦さんに聞かれたので「親友です」と言ったら、看護婦さんは少し不思議そうな
顔をしていたが、笑顔で病室に案内してくれた。
そして、わたしは初めて彼女の顔を見た。
夢の中の彼女の印象そのままの、安らかな寝顔だった。
最近の検査では、徐々に快方へ向かっているようだ、と看護婦さんも嬉しそうに教えてくれた。
窓を開けたら気持ちのいい春の風が吹き込んできた。
わたしはしばらく彼女の寝顔を見ていることにした。
あの日、結局返せなかった天使の人形を、今日やっと返すことができた。
あゆちゃんがいつか自分の本当のお願いを見つけるその時まで、あの人形はあゆちゃんのそばにあったほうがいい。
やっぱり、あの人形のお願いはあゆちゃんのために使われるべきものだろうから。
わたしはそっと彼女の手に天使の人形を握らせ、彼女の病室を後にした。
病院を出ると、もう太陽は傾いていた。
そこには、いつかと同じような夕焼け空が広がっていた。
お母さんが戻ってきて、祐一が戻ってきたら。
またきっとあの温かな生活が戻ってくる。
前と全く一緒の幸せではないかもしれないけど。
それはそれで構わないと思った。
あの夢を見ていた頃のことを思い出す。
優しくて、傷つきやすい少年が見ていた夢は優しく、そして厳しかった。
そこには彼と彼女の罪と幸せがあった。
それは形は違ってもわたしの中にあるものと同じだった。
そして誰の中にもあるものなんだろう。
自分だけが苦しいんだとか、自分だけが辛いんだとか、思ってしまう時がある。
そして、そんな醜い自分は消えてしまえばいいと、思ってしまう時がある。
今もその気持ちは消えていない。
いつかは癒される時は来るのだろうか。
それは数分後かもしれない。
明日かもしれない。
10年後かもしれない。
もしかしたら、ずっと癒されないままなのかもしれない。
例えそうだとしても、人はずっと眠ったままなんかでいられないはずなんだ。
人は思ってるよりもずっと強いものなんだから。
ね?
そうだよね、祐一?
夕焼け時には、ふと帰り道が分からなくなったような錯覚を覚える時がある。
自分が今どこにいるのか、わからなくなることがある。
けどわたしはしっかり家までの道を覚えている。
家までの道を覚えている限り、わたしはきっと大丈夫だと思った。
暗くなる前に帰らなくちゃ。
わたしは少し歩くスピードを上げた。
(終)
感想
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