・・・カリカリカリ・・・

コクッ

コクッ

・・・すー・・・すー・・・・


「・・・・・・・・・・・」


ポカッ


「・・・いったーーい・・・もぅ、祐一、何するの〜」

「お前が勉強中に寝るからだ」

「だって、もう9時だよ?お風呂入って歯磨いておやすみなさいの時間だよ〜・・・」

「お前は一体どこの小学生だよ・・・」


祐一が呆れた様に溜息をつく。
だってしょうがない。
眠たいものは眠たいんだもの。


「だいたいお前に寝られたら俺は一体誰にこの音楽記号みたいな記号の意味を教わればいいんだよ?」

「うー、それは授業をちゃんと聞いてない祐一が悪い」

「お前、あの授業のときぐ〜すか寝てなかったか?」

「・・・香里みたいな出来た友達を持たない祐一が悪い」


ポカッ


「いたっ、もう祐一、すぐ手を出す癖直したほうがいいよ・・」

「いや、今のはかなりの確率で情状酌量を狙えると思うぞ」


まったく祐一の言うことは分からない。
だからクラスの中でも変人の部類に入る北川君に「お前変な奴だな」なんて言われちゃうんだよ。

机につっぷして上目遣い(横目使い?)で祐一を見る。
祐一はどうやら数Uの問題集と格闘してるみたいだ。
左手で器用にシャーペンを回しながら、うんうんうなっていた。
やっぱり、祐一といるとどんな場所でも優しい空気になる。
たとえ、やたら沢山ある目覚まし時計とけろぴーぐらいしかいないような部屋でも。
わたしは祐一といる時の、この空気が好きだった。
とっても、とっても、好きだったんだ。


「ねぇ、祐一」

「なんだよ、花子」

「うー、わたしそんな名前じゃない・・・」

「・・・なんだよ名雪」


相変わらず教科書とにらめっこしながらぶっきらぼうに返事をする祐一。
まったく、いつもわたしの話をちゃんと聞いてくれないんだから。
もっと文句を言ってやりたかったけど、なんとなく思いついてしまった質問があるから我慢することにした。
祐一と視線を合わせないまま、聞いてみた。


「祐一、前から一回だけ聞いてみたかったんだけど、いい?」

「いや、いいけど・・・なんだよ?」

「あのね、祐一、なんでこの町に来ようと思ったの?」

「ん?なんだよ急に」

「なんとなく」


別に深い意味があったわけじゃない。
でも祐一がこの町に来ると聞いてから、ずっと胸の内にくすぶっていた問いだった。
手紙を書いても返事も来ない。
わたしのこと、この町のことなんてとっくの昔に忘れられたと思ってたのに。


「だって、この町に来なくたって、前にいたところで一人暮らしとか、おばさん達についていって海外とか、
色んな選択肢があったじゃない?どうしてこの町に来ようって思ったの?」

「まぁ一人暮らしは親に止められてたからな。だからといってこの年で海外なんて行きたくなかったし。
俺、英語苦手だからむこう行ったらえらく苦労しそうだしな」

「うーん、確かに祐一は苦労しそうだね」

「だろ?それに・・・?」

「それに?」


祐一が何か考えるように天井を見る。
いつもと変わらないわたしの部屋。
ふいに、祐一が思い切ったように言葉を押し出した。


「それに俺、この町に行くって決めた時、なんだかすごく落ち着いたんだ。探してたパズルのピースがやっと
見つかってぴったりはまった、みたいな」






わたしはこの時の祐一の言葉がよく分からなかった。
別にわたしとの再会を喜んでる風でもなかったし(ちょっと寂しかったけど)
祐一自身もわかってないような顔してた。
祐一の失くしたパズルのピースって一体何だったんだろう。
今にして思えば、それは「月宮あゆ」のことだったんじゃないだろうか。
夢の中で祐一は、彼女にだけは違った顔を見せる。
わたしの時とも、他の誰とも違った顔。
祐一が持つ、わたしの知らない顔。
そんな顔を見せてもらえる彼女がちょっとだけ憎らしく、うらやましくもあった。

しかし、よくよく考えてみると「あゆ」という少女には謎が多い。
どこに住んでいるか、学校はどこなのか、両親はいるのか。
彼女の個人的な情報は全く知ることができない。
もともと夢の中だけの存在とはいっても、その夢の中でさえ彼女の存在感は希薄だった。
屈託なく笑う彼女のその無邪気な笑顔を思い浮かべる。
背中についている羽そのままに、彼女は天使なのかもしれない。
祐一にとっての。
あるいは、わたしにとっての。

一月のある日。
そう、わたしが祐一にビー玉を買ってもらった日のことだ。
あの日のことは、よく覚えている。
腕時計の電池が切れて、電池を交換してもらいに時計屋さんに行った。
わたしが、また新しい目覚まし時計を買っているのを見て祐一はしきりに文句を言っていた。
その日が夢の舞台となった日。
夢の中のわたしは「彼女」と出会っていた。
当然、現実のわたしにはそんな記憶はない。
あゆちゃん。
夢の中のわたしは彼女のことをそう呼んでいた。
かわりに「なゆちゃん」と呼ばれたがっていたみたいだけど、それはかなわなかった。
・・・確かに、あゆちゃんのような可愛い子から、なゆちゃんって呼ばれるのってちょっといいかも。
夢って変なところで辻褄があってるものなんだなぁ、と少しだけ感心した。

結局そのままあゆちゃんを家に泊めることになってしまって。
わたしは一体何がしたいんだろう。
恋敵に塩を送るような真似して。
でも。
もしこんなことが実際にあったとしたら、きっとわたしも同じことをしたんだろうなぁ。
あゆちゃんはお風呂から上がると「わたし」と一緒に部屋の中に入っていった。
どんな話をするんだろう。
興味はあったが、きっとわたしのことだから10分と持たずに寝てしまうかもしれない。

一度、あゆちゃんが取り乱したことがあった。
お母さんが風邪をひいて寝込んだ時。
どうやらあゆちゃんは、自分のお母さんとだぶらせているらしかった。


『お母さんは・・・いなくなっちゃったんだ』


祐一の昔の記憶を見たときのあゆちゃんの言葉。
夢の中ではその時の祐一が考えたこと、夢に見たことなどをたまに感じることがある。
あゆちゃんのお母さんは、きっと病気で・・・
この世界に一人で取り残された彼女の孤独を思うと、身震いがする。
同時にそれでも前向きに生きているその姿が眩しくもあった。


『祐一君・・・目の前で大切な人を失ったこと・・・ある?』


あゆちゃんを送って駅まで歩いた時のこと。
あゆちゃんが祐一に、目に涙を溢れさせて、噛み締めるように言った言葉。
それを聞いた瞬間、祐一の中にあるイメージが浮かび上がったのを感じた。
赤い空、赤い雲、赤い雪、そして・・・
全てが赤く染まった世界。
そのイメージはまだぼんやりしていて、わたしにはよく見えない。
でも、以前よりはずっと鮮明だ。
祐一の中で一度壊れたものが、ゆっくりと作り直されていくような。
そんな気がした。







祐一とあゆちゃんは日を追うごとにどんどん近づいていく。
そして夢の中で追うことが出来る祐一の日常も次第にあゆちゃんとのことで埋め尽くされるようになった。
まるでそれ以外の世界を、意識的に遮断しているようだった。
夢は終わりに近づいている。
なぜかそう感じた。

わたしの現実は、今やこの不思議な夢に侵食されていた。
どちらが現実で、どちらが夢なのか。
そんなことはもうどうでもいい気がした。
今のわたしに出来ること、今のわたしがするべきこと・・・
それは、この夢の終わりを見届けることだと思った。

もしかしたらわたしは逃げているのかもしれない。
二人見詰め合っているようで、それでいて何かから必死に目をそらしている、夢の中のあの二人のように。
わたしは一体何から逃げているのだろう。
祐一のいない、この現実から?
祐一を拒絶した、この現実から?
そうだとしても、きっとそんなことは長くは続かない。
どれだけ目を逸らしたって。
どれだけ顔を背けたって。
誰も現実からは逃げられないんだ。
自分が自分として生きていくためには。
わかっている。
わかっているんだ。
だけど。



季節は変わり、桜の咲くような暖かさがようやくこの町に訪れた頃。
長い長い春休みは終わろうとしていた。



不意に電話が鳴った。



祐一の部屋でまどろんでいたわたしは、そのけたたましい音で現実に引き戻された。
慌てて階段を下り、受話器を取った。
カチャ


「もしもし?」

「もしもし、水瀬さんのお宅ですか?」

「はい、そうですが・・・」


次の瞬間、わたしの時間が止まった。



「相沢祐一さんが、発見されました」







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