chapter 捌 / 俺たちは愛と呼ばない。





 軽はずみだった。
 まさかこんなことになるなんて思わなかった。認める。正直、舐めていた。
 名雪と香里が見たことのないような険しい表情で俺を見つめてくる。はいそっち、と北川にパスする。すぐに返された。
「あのね祐一、いくらわたしでもおこるよ」
「そうよ相沢君、これはちょっといただけないわね」
「勘弁してくれ」
 机に擦りつけるほど頭を下げるも、鬼二人を前にしては象の前のアリに等しい。つまり無力。無意味。
「だって、いちばん肝心なところが抜けてるんだよ」
「意識を取り戻した久瀬君が、どうやって倉田先輩を落としたのか。ここがミソっていうかここ以外は無駄っていうかここだけあればいいっていうか、とっとと言いなさいよチクショウ」
「本人から口止めされてるんだみょ〜」
「わかったから祐一はやく」
「普通に流された……」
「ショック受けてる暇があったら口を動かしたほうが身のためだと思うけど」
 この劣勢が覆ることはまずありえない。救世主がドアを開けて入ってきてくれることを祈るのみだが、あの調子だとあと二時間は喋りっぱなしだろう。放課後になった瞬間に電話しやがってあの色メガネ。早いとこ冷めてしまえばいいんだ。
「北川どう思う?」
 隣の伏兵を使役するも、ことさらにゆっくり耳をほじって、え、今なんかいいました? と表情で返してくる。馬鹿にしているとかそんなレベルじゃない。しかも女性陣のターゲットは完全に俺に絞られていて、援護なし。
「四面楚歌か……」
「それより仏の顔も三度って知ってる?」
 床を見ると、香里のシルエットにツノが生えているように見えた。本気で危ない。
「わかったわかった、わかりました。言うよ。ああ言うとも。言えばいいんだろう? おう?」
「逆ギレしてここまで迫力ないのも才能だよな」
「うるせえ役立たず」
「はっは」
 こんな時だけ突っ込んできやがって。
 というか、だ。ここまでして俺が久瀬に義理立てする必要もないよな? 会うたびに新しいのろけ話を仕入れてくる奴の話し相手になってる功績だってあるし、むしろここで言ったところで俺に対する恩赦がまだ余りあるくらいだ。
「じゃあ話す。ちゃんと言うけど一回だけだ。耳かっぽじって聞けよ二人とも」
「うん」
「もちろんよ」
「俺と北川の野菜果物拳によって轟沈した久瀬。部屋の外には舞が待っている。なぜか? 隣の部屋がまさに二人の生活空間だったからだ。そんなに高級なアパートじゃないから、あれだけ騒いでいた俺たちの声は筒抜けだ」
「まんまと久瀬君をはめたわけね」
「そう。そして舞だけじゃなく当然、部屋には佐祐理さんもいた。俺は舞に事情を説明して、北川が隣に久瀬を運んだ。佐祐理さんは部屋の真ん中に座っていた。たぶん泣いていたかもしれない。それはそうだ。北川が看病だけ頼んで出てきた」
「うんうん」
「まさか後は知らない、とか言わないわよね?」
「実際のところは知らないが二人にある程度は聞いたよ。目が覚めるとさっきと違う部屋で布団の中。そして隣には佐祐理さん。すべてを聞かれていたと気づいた久瀬の心境やいかに…………考えたくもない。まず、佐祐理さんが謝った。自分が悪かったんだと。久瀬が怒るのも無理はないと。そして久瀬も謝った。いえこちらこそ、いえいえこちらこそ、いえいえいえ、いえいえいえいえ……いえぃ! ヤッハー!!」
 ちょっとノっただけなのに殴られた。
「もともと真面目な二人だからな。ゆずり合いが一段落すると、きちんとお互い誠心誠意謝罪した。さあ、これでしがらみはなくなった。次にどっちがどう動くかだが…………まず久瀬だ。佐祐理さんをフった男のことを突っ込んだんだ。いきなり地雷踏みに行くあいつは絶対女慣れしてないよな。何人も付き合ってきたとは思えない……ところが功を奏すんだよこれが。もしかするとすべて計算づくなのか? ……まず、佐祐理さんがぽつぽつと話す。久瀬が相槌を打つ。そして久瀬が怒る。その男を社会的に抹殺してやるといきり立つ。佐祐理さんがなだめる。久瀬が鎮まる。久瀬に愚痴って胸のつかえが取れたのか、佐祐理さんがとうとう泣き出す。久瀬スパーク。ちゅどーん。以上だ」
「だから! その! スパークってなんなのよ!」
「祐一、わざと? わざとなの? 超極悪人だよ」
「こればっかりは打ち首になったって言わないからな!!」
 人間譲れない一線はあるものなのだ。
 特に男には引けない時がある!
 それが俺にとっての今だ!
「教えて、北川君」
「おう。あいつな、泣いている倉田さんを抱き締めて、押し倒して、唇を奪って、告白して、泣きながら唇を奪って、また告白して、抱き締めて、告白を奪って、唇して……を五周か十周くらい? したって言ってた」
 ぎゃーす!!
 伏兵寝返った!!
「ご、強引だね、久瀬くんって……」
「すごー……一回するだけでもかなりのポイントなのに、五周か十周って……しかもそれで倉田先輩が落ちたのよね」
 驚いてるのか興奮しているのか、二人とも顔が真っ赤になって身を乗り出してきている。
 何しろ普段のすかした久瀬しか知らないわけだから。なかなかクるものがあるらしい。
「そこで俺と相沢は、それを久瀬スパイラルと名付けた」
「世界の平和に役立ててもらいたいところだな」
 無理だろうけど。
「かっこいいね」
 いや名雪。本気か。
「久瀬君、あの顔でそんなにやる男だったなんて……もう試験の順位なんかどうでもよくなってきた」
 そして香里。本気か。
「あたしもうかうかしてられない…………北川君?」
「お、どした」
 って香里! 本気で本気か!! ここでするのか!
「ちょっと話あるから、屋上行って待ってて」
「わかったぞ」
 ひょいと立ち上がって生徒会準備室を歩いて出て行く。あいつもあいつですこしは察せよ。いや、あれで察してるのか? ……なるほど読めない男だ。
「香里、いうんだ?」
 名雪も知っていたらしい。
 相談されてるって言ってたな、そういえば。
「ちょっと喧嘩してくる」
「待て待てまてまて待て香里」
「何よ」
「おまえ何してくるつもりだ」
「ちょっと本気でぶつかってみたいの」
「いや、それはいい。いいことだと思う。でも喧嘩ってなんだ」
「口喧嘩。北川君強いんでしょ?」
「ああ……口の喧嘩か」
 実績は申し分ないし、旅先で久瀬を叱咤する姿も鬼気迫っていた。あれが北川の本気なんだろう。
 しかしわざわざ喧嘩を売ることもないんじゃないかとも思うが、ネタでもあるのか何なのか……香里もなにを考えてるのかわからない。
「先に帰ってていいわよ、長くなるかもしれないから」
「わかったそうする」
「香里、ふぁいと、だよっ」
「ありがと。行ってくるわ」
 香里も部屋を出て行った。
 残るは俺と名雪の二人だけ。久瀬が戻る様子もない。
「あ、そうだ祐一」
「なんだ?」
「はちみつくまさんって、なに?」
「ぎく」
 なんで知ってるんだ?
 犯人は二人しかいない。二人もいる。そりゃばれる。
「頭なでなでって、なに?」
「ぎくぎく」
 舞と俺が会話している時、野郎二人とも妙に味のある顔でこっちを見ていると思ったら……恩を仇で返しやがってからに。
 しかし、相手が悪かった。相手というか、味方か。
「カマかけるなら、もっと上手いことやらないとだめだな」
「うー……なんでばれるんだろ」
「お前ほど嘘がへたなやつはいないっての」
 おでこを指ではねてやると、涙目になった。ぬぐうついでにほっぺたもつねってやる。
「いふぁいよ〜」
「ああもう、愛いやつだな名雪は!」
 その気になってきそうだが、学校でナニするわけにはいかない。最後に頭をぺしぺし叩いて立ち上がる。
 名雪をやきもきさせてようと目論んで、おそらくさわりの部分しか伝えてないんだろう。「旅先 相沢 はちみつくまさん」「相沢 頭 なでなで」みたいに断片的な情報だけ教えた可能性も高い。俺がもう少し無用心だったらやぶへびってたかもしれない。ったく、手の込んだ嫌がらせをしてくる。
 勉強という雰囲気でもなくなったので、香里たちのその後の展開を予想しながら二人で帰った。





 その夜、北川から一件のメールが入った。
 結果から言うと、名雪も俺も予想を外した。

 …………屋上で香里に20分間ディープキスされたらしい。

 香里ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!
 口喧嘩って! お前は! お前というやつは!!
 本気のぶつかりあいってそういうことかよ!!

 名雪と二人で取り乱しているうちに、久瀬からもメールがきた。
 これも予想をはるかに超えた結果だった。

 …………いま電話終わったって。

 久瀬ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!
 もう日付変わるよ! 八時間!? 馬鹿!? お前というやつは!!
 通話料一体いくらかけてんだ! このブルジョワが!!

 また名雪と二人で取り乱す。
 ひとしきり取り乱して、落ち着いてみると、胸の内から妙な対抗心が湧き上がってくるのを感じた。
 俺だけかと思ったら名雪もだった。

「なんだか悔しいよ……」
「奇遇だな、俺もだ」
「祐一……その、」
「……限界に挑戦してみるか?」
「う、うん」
「うし。ストレッチしてくる」
「今夜は寝かせないよ……?」
「それ俺の台詞…………」


 翌日。
 おへそがまたやばいことになった。










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