chapter 伍 / 果てなき鈍行





 ガタンゴトン
 ガタンゴトン

「ヨーソロー」
「ヨーソロー」
「……」

 ガタンゴトン
 ガタンゴトン

「ジーク石橋!」
「ハイル石橋!」
「……僕の担任じゃないだろう」

 ガタンゴトン
 ガタンゴトン

「さっきからノリ悪いぞ、久瀬」
「まだ怒ってるのか」
「うるさいよ」
 むっつり声を作って二人に返す。ペットボトルを取り出して中身をひとくちふたくち。やはり長旅のお供はお茶に限る。
 窓の外を眺めるのにもそろそろ飽きてきた。どこまで行っても田舎か都会かしかない。バルタン星人とまでは言わないが、たまには心が躍るような光景が見えたっていいじゃないか。
 4人のボックス席。僕の向かいに相沢と潤が座っている。そろそろ雪が降ってもおかしくないこの時期にきて、潤はTシャツ一枚だ。相沢もさっきからずっと突っ込みたそうにしている。さらに言えば、潤も今か今かと待ち構えている。僕としては夜になって泣き言を洩らすまで放置したい気分ではある。
 限界がきたのか、相沢がとうとう言及した。
「北川おまえ寒くないのか?」
「はっは。長袖を着てると逆に寒いんだ。かっこつけてるやつほどかっこ悪く見えるようにな!」
「いやそのたとえは同意するがどこかおかしい。あと、お前はすこしはかっこつけろ」
「常に間が抜けた人間でありたい」
「お前は間抜けっていうより、間抜かしだろ」
 相沢がうまいことを言う。知り合って十年になるが、潤の話術には何度舌を巻かされたかわからない。ボーダーギリギリだったうちの高校を受験した潤が面接試験のしんがりをつとめたのだが、担当した当時の学年主任と面接後に引き続いてファミレスで三時間討論をかましたというのだから計り知れない。この話を潤から聞かされたときには話半分にも受け取らなかったが、転勤前にもう一方に確認を取ったところ、内密にしてくれと懇願された。僕の人生至上ベスト5には入る事件だった。
「そうだよ相沢。今は僕なんかよりも潤だろう」
「出発して半日たってるのにか?」
「くっ」
 それが何より信じられない。というより信じたくない。
 なんで僕らは平日の昼間から私服で、しかも泊り込む準備をして首都圏へ向かっているんだろう。
 それもこれも原因はこいつらにある。こいつらにしかない。僕は無罪だ。
「だいたい、なんなんだ? その手際のよさは」
「だから何度も言ってるだろう?」
「帰宅部部長と副部長を甘く見るなよ、と」
 ちょっとかっこいいと思ってしまった。直後に全力で首を振って否定する。
 教師を言いくるめるのは潤の仕事で、相沢が切符その他の手配を担当した。僕は何とでもなるが、二人とも高校生の身で往復の交通費も宿泊費も馬鹿にならないんじゃないか。そう主張してもまるで効果がなかった。この時期だと青春18切符もやっていないだろうと相沢に言えば、JR全線乗り放題切符(利用期間約二週間のレア切符)というこれまた便利なものを発見してくるし、宿はどうするんだと言えば地元の知り合いに頼んで無料で宿を提供してもらうという。そうこうしているうちに潤は教頭および石橋教諭、僕の担任、学年主任にそれぞれ直談判して公欠扱いを認定させた。
「もう一度だけ聞くが、表向きの目的は?」
「キャンパス見学」
「……裏は?」
 無言でサムズアップしてくる二人。
「帰る」
「まあ待て。どうせ早いか遅いかの違いだ」
「フラれるなら早いうちがいいって」
「だから! 急いては事を仕損じるって格言があるだろう! せっかく同じ大学に入学したんだから!」
 大声で反発すると、二人が急にしかめっ面をつくり向き合った。なにやらおっぱじめる気らしい。
「ぼく久瀬。小学校で佐祐理さんみた。佐祐理さん大好き」
「きゃーきゃー」
 口を半開きにした相沢が、聞いてるこっちが脱力する声で誰かの物真似を始めた。
 僕か? これ僕なのか?
「ぼく久瀬。佐祐理さん大好き。同じ中学はいる」
「きゃーきゃー」
「ぼく久瀬。佐祐理さん大好き。中学ではだめだった。だから同じ高校はいる」
「きゃーきゃー」
「ぼく久瀬。佐祐理さん大好き。高校でもだめだった。だから同じ大学はいる」
「きゃーきゃー」
「ぼく久瀬。佐祐理さん大好き。大学でもだめだった。だから同じ会社はいる」
「きゃーきゃー」
 真顔に戻ってこっちを向く。なんだこのインディアン。
 殴りたい。
「こんな調子で同じ墓にまで入れると思ってんのか?」
「断言しよう。おまえはこのままでは間違いなく、絶対、確実に、何の進展もないままキャンパスライフを終えると」
 もうこれ以上ないくらいボロクソだった。
 実際問題これまで成果が何もないので、反論しようにもできない。
「まあそう落ち込むなよ」
「落ち込んでたって何もいいことないぞ」
「自分で現実を突きつけておいて、なんなんだお前たちは」
「俺たちは久瀬を応援するぞ。ちゃんとアフターケアまで面倒みるって」
「大丈夫だ、生きてりゃなんとかなる」
「もっとポジティブな方向で応援してくれよ!」
 そろそろ周りのお客さんが気になり始める。目的地が近づくにつれて乗客も増えてきた。
 ため息なんかとっくに出尽くして、あとはげっぷくらいしか出るものがなかった。
 駅弁最高。






 駅弁最低。
「久瀬、生きてるかー」
「うう……なんとか」
 潤の声にやっと返事してみせ、壁にもたれかかりながら駅のトイレを後にする。腹の方はなんとか落ち着きを見せたが、体力を消耗しすぎた。
「くそ、JRの罠か……」
「いや、明らかにお前の自滅だぞ。子どもじゃないんだから」
「まさか主要都市に回るたびに駅弁食って腹を壊すやつがいるとは思わなんだ」
 冷静に分析していないで肩くらいかしてほしい。と思っていたら意外にも相沢が買って出た。
 遠慮なく寄りかかってホームの階段を上がる。大きな駅に限ってトイレの場所が改札付近なのは、本気で何とかして欲しい。
「推薦入試でも一度行ってるんだろ? その時は大丈夫だったのか」
「新幹線で一本だったから、寝てたら着いた」
「このブルジョワが」
「何とでも言え」
「手離すぞ」
「ごめんなさい」
 食べたものはすべて上から下から出し尽くしてしまったので抵抗する力もない。ひょっとすると風邪か食中毒かもしれない。
 ちょうど電車が到着したところだったので、そのまま乗り込む。朝夕は混んでいるんだろうけど、昼過ぎはガラガラだった。
「この線であと一時間乗りっぱなしで到着だな」
「そりゃ助かる」
「ほんとに大丈夫か?」
「だいぶ楽になったよ」
 自分でも情けないが、出発してからの緊張感ボルテージの上がり方は半端ではない。多少でも紛らわそうと食事に集中したら、集中しすぎてしまった。こういうポカを普通にするから北川から馬鹿って言われるのか。そうえいばこないだ相沢にも言われた。
 いくら二人が入念に準備したとはいえ、もちろん主役の僕が頑なに拒否すればこの話はなかったことになった。ぶちぶち文句を垂れながらもこうしてついてきたのは、恥ずかしい話だが、二人の言うことに一理も二理もあるし、それより何より心強かったからだ。教師陣をどうだまくらかしたのかはわからないが、二人は地元の大学を受験する。卒業してしまえば、二度とこういうチャンスはめぐってこないんじゃないだろうか。プレッシャーには耐性がある方だと自分で思ったいた。でも、こと彼女になると全然だ。それを教えてくれのが他でもない潤と、相沢だった。
 潤とは付き合いが長いが、相沢はそうではない。贅沢を承知で言わせてもらうのなら、もう何年か早く出会いたかった。
 性格の不一致ぶりはまさに紙一重なので、ひょっとすると敵だったかもしれないが。




 目的の駅へ到着した。大学最寄の駅からみっつほど離れたところで、相沢の実家からもそう遠くない。なんでも知り合いがアパートの空き部屋を用意してくれたそうだ。僕にそういうツテはない。正直に羨ましいと思う。
「よし、回復したぞ」
「ほどほどにしとけよ、ほんと」
 ホームに降り立ち、屈伸運動をして体を伸ばす。問題ないことを確認して、三人で並んで階段を降りていく。
 舗装された地下道を歩いていると、ちょうど学校帰りらしい地元の高校生の集団とすれ違った。時間を確認すると3時過ぎ。なるほど、帰宅部の生徒はこれくらいが普通なのか。
 などと他人事のように観察していたら、その中の一団に改札付近で潤が声をかけられた。
「あのう、高校生ですよね?」
「もちろん。といってもさぼりじゃないぞ」
「えー、じゃあなんですか?」
「お勉強」
「私服なのに?」
「まあねー」
 どうでもいいがその軽いキャラはなんだ。童貞のくせに、この似非スケコマシが。
 当然のように僕と相沢は避難する。どうやらかち合ってしまったらしく、同じ制服の女子がどんどん流れてきた。なるほど、女子高か。
 薄っぺらい笑顔でやり取りしている潤を見るのは色々な意味で忍びないので視線をうろうろさせていると、券売機と壁の隙間に何かが転がっているのを見つけた。
「100円以上だったら俺にくれると嬉しい」
「これでもか?」
「……いらね」
 拾い上げたものを相沢に見せると一瞬で興味を失った。逆に僕はまじまじと見つめる。
 それは拳より一回りほど小さくて細長い、薄汚れた人型うさぎのぬいぐるみだった。左手にペンを持って構え、いかにもひょうきん者らしい丸い目を見開いて、右手の親指を立てている。ふざけたデザインだな、などと相沢はやはりお気に召さないようだ。
「おい、今度は拾い食いか? 次は腹痛じゃすまないぞ?」
「失礼極まりないな君は」
 ぬいぐるみは青くさかった。間違いなく草のにおいだった。雑草をすり潰して練りこんだんじゃないかというくらいはっきりと香った。
 単刀直入に言って、こうだ。
「よし、気に入った」
「信じられない……」
「本気で信じられないって顔をするなよ!」
 潤を見ると、取り巻く女の子の数は倍ほどになっていた。
 相沢とアイコンタクトを取る。巻き込まれる前に逃げ出そう。異議なし。あのウンコ野郎には後ほどメールでも。オーケー。いざ出発。
 ……と思ったら追ってきた。
「あ、行くみたいだから。それじゃね」
「えー」
 あれだけの多勢を一言ですぱっと切り捨て。いや、それが正しいのかもしれないが。明らかに話を強引に切り上げて別れているのに、この自然さはなんなんだろう。これが都会の風ってやつか? ナウいのか?
「ふー、疲れた疲れた。一年生だったよ。たった二コ違うだけであのパワーはなんだろうな」
「北川……おまえすごいな」
「そうでもないぞ。半分以上はお前らのことを訊いてきたから」
「それでもうまくあしらったんだろ?」
「うまいかどうかわからないけど、適当こいた。相沢は二浪一留の童顔高校生とかな。はっはっは」
 相沢の見事な右フックが炸裂した。
 帰宅部もなかなか侮れない。








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