chapter 参 / ちょんぼり姫
生徒会準備室へ向かいがてら廊下をてくてく歩いていると、思いがけず後輩の天野美汐を発見した。
中学時代からの知り合いで、部活を共にした仲だ。幽霊部員という共通点まである。つまりあんまり親しくはない。が、彼女の交友関係からするとかなり上位にくるのではないだろうか。
ドアが半開きになっていたから気づいた。彼女は情報処理室の中でパソコンの前に座り、真剣な表情でなにか一心不乱に作業をしているところだった。彼女はパソコンに詳しかったろうか。むかし機械オンチと聞いた気がする。これは先天的に機械に嫌われる病気なのです、とまで言っていた記憶もある。嘘だと知ったのは高校に入ってから。報復は缶コーヒー一本。
俺が知り合った中で、人を必要としない孤高さのようなまったく別のものを身に纏った数少ない人間の一人が彼女だ。昔から思ってたけど、ものごとの捉え方が鋭すぎて、会話していてなかなかくつろげない。他人観察が趣味のような俺でさえそう感じたのだから、彼女のクラスメイトは推して知るべし。おそらくそういった理由から、彼女は常に孤独だった。
俺は彼女の過去を知らない。知ろうとも思わない。踏み込まない前提の雑談なら彼女はとても上手だった。
あのまま大人になってしまうのだろうか、と心配したことは何度もある。生来の気質が生真面目そうだから、きっと相手を見つけるのに苦労するだろう。お見合い結婚なんかに落ち着きそうなタイプだ、と勝手に思っている。
「それ、楽しい?」
「あ、北川さん」
音を立てないように忍び寄って後ろから覗き込むと、彼女は課題.txtを背景に、マインスイーパ(一人用)に精を出していた。前言撤回。あまり生真面目でもないかもしれない。
「ついさっき、中級で50秒を切れたんです」
「……楽しそうでなにより」
「昨日はソリティアで745点を出しました」
「時間あり?」
「時間なしの、一枚ずつで」
「一周もしないでクリアしたのかー」
「運とはいえ、なかなか嬉しいものです」
本当に楽しそうで何より。
俺もご一緒することにした。
「なにか用事があったのでは」
「いや、いつもなら生徒会室に行くんだけど、今日は俺、仲間はずれなんだ」
「さいですか」
「おう」
俺が行かなくても相沢なら勝手におっぱじめるだろう。もともと席を外すつもりだったので早いか遅いかの違いしかない。久瀬もあれで腹を割って話せる友人を俺しか持ってないから、ひょっとするとぶっちゃけまくるかもしれない。興味を持たれることは、誰だって心のどこかで求めているのだから。
「相沢さんはご一緒じゃないんですか」
「あれ、顔見知りだったのか」
「一応は」
「ほう」
それは興味ある。
興味はあるがここでは訊かない。
「このあいだ三人で駅前を歩いているのを見かけました」
「三人?」
「もう一人は久瀬先輩でした」
「あ、なるほど」
カラオケ大絶叫祭りの時か。
あれで憑き物が落ちたように元気になる久瀬はとてもいい生き方をしていると思った。
「あの三人が横になって歩いていると、なんだか近隣の女子高生にきゃいきゃい言われそうですね」
「そうでもないぞ」
というか、あなたも現役バリバリ女子高生でしょーが。
自分を枠の外に置いてものを眺める態度は相変わらずか。
「さて、せっかくだから勝負しようか」
「いいですよ」
ノリは良くなったらしい。以前は言いくるめるのにもう二言ほど必要だった。
「何賭ける?」
「無難にジュースで」
「よしきた」
「マインスイーパ上級でいいですか?」
「いいぞ」
「ではクリアタイムの勝負で。制限時間は……そうですね一時間くらいで」
とんとん拍子にルールが決まり、勝負が開始する。タイマーはそれぞれついているので、計測する必要はない。
マインスイーパ。
縦横に並んだ正方形のブロックの中から限られた地雷を発掘するゲームである。
地雷ではないブロックをクリックすると、周囲八方にいくつ地雷があるか、数が表示される。
最大8。角なら最大3が表示される。
ひたすら地雷を避け続け、最終的に地雷のみを残せばクリアとなる。
必要なのは、知能と運と慣れの3つ。
じっくり取り掛かれば、初心者でもクリアすることはできる。
そして慣れた奴でも、上級をクリアすることは難しい。
構造上どうしても運に頼る箇所が出てきてしまい、二分の一に打ち勝つ局面が必ず数回発生するためだ。
たとえばこれが三回出てきただけで、単純に計算して、ミスを考えなくてもクリア確率は12.5%。
一度地雷を踏むとアウトというところがミソである。
と、説明するとぐだぐだになるが、いざやってみるとルールや操作は単純で、しかしその道は奥深く、一時期はまった。
Windowsにくっついているので、誰しも一度はやってみたことがあるのではないだろうか。
「あー」
「てこずってますね」
「そっちこそ」
色々考えてるうちに、すでに3回ほど地雷を踏んだ。
見落としミスが1回、二分の一選択に2回やられた。
ある程度マスを空けないと出てこないが、二分の一選択場面に出くわしたら、真っ先にやっつけるべきである。
他を優先させてここを後回しにしても、どうせ最後には避けて通れない道だから。
まず挑んで失敗すれば、次の試合で新たなチャレンジに移れる。成功すればそのまま続けていけばいい。
「なんか、いま思ったんだけど」
「なんですか?」
思ったことが、ふと口をついて出た。
「いや、これって人間関係みたいだね、って」
「マインスイーパがですか?」
「そう」
「そうでしょうか」
「たとえば地雷を、相手に触れちゃいけない事柄だとする。天野にもある。もちろん俺にもある。マスを空けて出てくる数字は相手からもらった情報だとする。数字の大きさは重要度……どれくらい相手の本心、核心に近い情報かを意味する」
「はい」
「するとあら不思議、マインスイーパは、相手と親睦を深めていくゲームにはやがわりだ」
「……なんだかそう見えてきました」
「だろ?」
次々とマスを空ける。3、OK。3、OK。次は……7。って多いな!
「大きい数字に出くわすと、もうそこに触れにくいよな」
「……そうですね。その一帯は避けないと地雷を踏んでしまいますね」
「7や8が出たら、俺はラッキーだと思うんだ」
「なぜですか?」
「そこに触れずにすむから。紙一重で避けたからいいけれど、下手すれば、その人とはそこで終わってたんだから」
「それは確かに……」
8はもう完璧アウトだから除くとしても、7に挑んで成功させるには、どれだけの運が必要になるんだろう?
「……中級で1や2や3とか4と日々にらめっこしてるのが人間なんかなー、って思う」
天野は答えない。黙ってマウスを操作している。
俺も並んで操作する。あ、また踏んだ。
やり直す。今度は二回クリックしたら踏んだ。
これだから上級は。
無事に数字を出してマスを空けていける状態になる確率の方が低い。
「一時間は厳しいかもしれませんね」
「ところで、天野は間違いなく上級だと思うぞ」
「あ」
俺の一言で操作ミスし、天野は地雷を踏んだ。
俺も地雷を踏んだかも。
「……ひょっとして俺もアウト?」
「6、といったところですね」
「うひゃ。厳しいな!」
「北川さんらしくありません」
咎めるような口調だったが、表情はやらわかいままだった。
「ちょっと俺も思うところがありまして」
「はい」
「そろそろ大きい数字に挑まないと、とか、まあ色々さ」
「北川さんは、誰に対しても4以上の数字に挑まないタイプですよね」
「……今の、5くらい」
「なら余裕ですね」
天野はたくましかった。
たくましついでに訊いてみた。
「天野から見て、俺は何級だ?」
「そうですね……」
並居る地雷どもをカチカチしながら考える時間を与えると、五分くらい考えていた。
言葉が見つかったのか、ちょうど勝負が始まり一時間経過してから、こう言った。
「上級ではないですけど、?マークばかりで地雷の数も見えないタイプですね」
「俺ってそんなタイプなのかー」
「自分ではどう思うんです?」
「うーん……俺はな……ボンバーマン?」
「ぼんばあまん?」
「弟さんにでも聞いてみるとわかると思うぞ」
けらけら笑って席を立つ。鞄の中からお茶を取り出し、天野に渡す。
「これは」
「成長したかわいい後輩にご褒美だ」
頭をぽんぽんと叩くと、天野はわずかに身をよじったが、拒絶はしなかった。
いいことだ。
情報処理室を出ると、窓の外はもう真っ暗だった。
「人の成長を喜んでる場合か、俺!」
まず自分が成長しなくては。
二人はもう帰ったろうか。とりあえず生徒会室の方向へ足を向ける。
部屋に明かりがついているのを確認して、ドアに手をかけた瞬間だった。
「ムキャァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
「何事だああああああ!?」
中から久瀬の(と思われる)奇声が飛んできて、慌てて部屋に飛び込む。
両手で髪をかきむしって天空に向かって吼える漢がそこにいた。
「落ち着け、お前はもう受験終わったろうが! このやろう!」
「そんなことじゃない…………」
混乱ついでに八つ当たりしようとしたら冷静さを取り戻したようだった。
部屋には久瀬の姿しかない。久瀬の向かい側に湯呑みが置いてある。
「まだあたたかい……犯人はそう遠くに行ってないな?」
「頼むから追いかけるな。というか今日だけでいいから相沢とコンタクトを取るな」
「なんだなんだ」
「いや、ちょっとね……事件がね」
「まさか殴り合い……はしてないか」
「別に喧嘩したわけじゃない」
「なんだ」
なら安心だ。
絶対なさそうだけど、久瀬が相沢に論破されたのかと思った。
「久瀬、今日はもう帰るか?」
「ああ」
のろのろと鞄を手に取るその姿は明らかにエナジーが普段の半分以下だ。
何があったのかは明日にでも聞き出すことにしよう。
準備室を出て、久瀬が鍵をかける。
そして俺の方を向き、やっとこさ絞り出したような声でこう言った。
「なあ……一日5回って、多いかな?」
「多すぎ」
嘆くその顔はまるでムンクだ。
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