「お母さん、次Dポイントだよ〜」
「オッケー」
妙に間延びした娘の声に呼応するようにステアリングをきり、スロットルを踏み込む秋子。
その途端に祐一たちの乗る車は、エクゾーストパイプから真っ黒な煙を吐き出し、巨大なタイヤでわだちを刻んでいく。
道なき道を突き進み、揺れる車内は阿鼻叫喚。ついさっきまでは明るい歌い声が響いていたのがウソのようだ。
このとき祐一は、ジェットコースターが過剰なまでに安全に配慮された乗り物である事を思い知った。
(一体俺は、こんなところでなにをしているんだ……?)
人生が終わりを迎えるころ、今までの出来事が走馬灯のように見える事があると言う。
ふと、祐一はこれまでの出来事を思い返していた。
「温泉に行きましょう」
水瀬家の年末の予定は、家長となる秋子のこの一言で決まった。
「うわぁ、温泉なんてひさしぶりだね」
と、娘の名雪が真っ先に賛同し。
「いいですね、温泉」
と、居候の祐一も賛同した。
「あう、温泉?」
「楽しみだね」
そして、新たに家族となった真琴とあゆも同意した。
「じゃあ、早速みんなに……」
「あら、祐一さん」
みんなに連絡を取ろうと受話器を持ち上げた祐一を、背後から抱きしめるようにして押し止める秋子。右肩越しに感じる甘い息遣いと、背中に感じる温もりが妙に心地いい。
「せっかくの家族水入らずですよ?」
秋子の囁きが、甘美な響きとなって祐一の耳朶を打つ。
あの冬に色々あり、今はこうしてあゆと真琴が水瀬家の家族となっている。七年眠り続けたあゆ。元がキツネの真琴。他の人とは少し違う特殊な事情を持つ二人と、家族の親睦を深めたい、というのが秋子の狙いなのだ。
「ね……祐一さん……」
「はい……」
耳元で甘くとろけるような秋子の声を聞いてしまっては、祐一に抗う術は残されていないのであった。
旅行の日程は年末年始にかけた、十二月三十一日から一月一日までの一泊二日に決まった。
秋子にしてみればもう少し長く逗留してじっくり湯治をしたいところであるが、学校の終業式に名雪の誕生日、クリスマスイブにクリスマス、大掃除に忘年会が続き、年が明けてからも新年会に初詣、真琴の誕生日にあゆの誕生日とイベントが目白押しでは長居も出来ないのが現状で、旅行それ自体はかなりの強行軍となってしまうのだった。
「みんな、準備は出来た?」
「うん」
「おっけーよぅ」
水瀬家の玄関先で響く名雪の声に、大きくうなずく二人。こうしてると本当の家族みたいだな、と祐一はしみじみと思う。
事故に遭った秋子を病院に見舞いに行ったときに、となりの病室にいたあゆ。それから家に帰った後、玄関の前で途方にくれていた真琴。もう会えないかもしれないと思っていた二人との再会に、祐一は名雪と一緒に涙して喜んだものだ。
それまで二人きりだった家が、一気ににぎやかになったのはいうまでも無いだろう。
今回の温泉旅行は秋子の発案によるものだが、祐一としてはそういう事を抜きにして、秋子や名雪にはくつろいでもらいたいとも考えている。祐一が水瀬家に居候する事になってから、随分と色々迷惑をかけてきたからだ。
特に名雪はのほほんとした笑顔の影で、相当気を使ってきた事だろう。
朝が弱くて寝ぼすけなのに、他の人のために一生懸命になる名雪。ここ最近は部活も引退しているのでそれなりに負担も減っているのだが、家族が増えた事で気苦労も増えているせいか睡眠時間はそれほど変わっていない。
しかも秋子が入院しているときは母親に代わって家事をやり、祐一にお弁当まで作ってくれる。そんな名雪のために祐一がしてやれる事は、朝起こしてあげる事ぐらいしかなかった。
恋人がそれでいいのかと思う事もある祐一ではあるが、やはり名雪が持つ秋子直伝の世話好きの血がそうさせてしまうのだろう。
ふと気がつくと、祐一もあゆや真琴と一緒になって秋子や名雪の優しさに甘えてしまう事もあるくらいなのだ。
「あ、祐一も準備できた?」
「ああ」
ぶっきらぼうに答えつつ、祐一は荷物の詰まったバッグをあげてみせる。男の荷物なんてシンプルなもので、着替えにタオルが入っているくらいだ。ちなみに、その大きさは普通の肩掛けのサイズである。
ところが、名雪たちの足元には四つのキャスターがついた立派なバッグが置かれている。色違いで揃えたと思われる四つのバッグは、まるでこれから海外旅行にでも行くみたいだ。
「なあ、名雪……」
「なに?」
名雪は小首を傾げて、下から祐一を見上げるような感じで聞き返してくる。その姿に可愛いなと思いつつも、なるべく顔に出さないようにして祐一は口を開いた。
「今から行く温泉って?」
「あ、うん。今からお母さんが車を持ってくるって」
だとすると、車でいける場所なのだろう。
「それでなんでそんなに荷物がいるんだ?」
「女の子は、色々あるんだよ」
「そうだよ、祐一くん」
「あう〜、失礼よぅ」
流石にこれ以上訊くとセクハラになりそうだ。
前日にふったばかりの雪が積もるいつもの道。今日は日が射しているせいか、いつもより暖かく感じるようだが、日中の最高気温は氷点下。
そんな中で戯れる少女たちの姿に、祐一はついつい目を細めてしまう。
(なんだか娘が二人いるみたいだな……)
やっぱり将来名雪と所帯持ったときには、子供は二人くらい欲しいな。出来れば男の子と女の子で。
「なんてな、はは……」
「どうしたの? 祐一くん」
ついつい妄想にふけってしまった祐一の顔を、あゆが心配するように覗き込んでいる。その優しさと憐れみをあわせたような慈愛に満ちた瞳に見つめられると、祐一も乾いた笑いを浮かべるしか出来ない。
「あ、来たみたいだよ」
軽く背伸びをして、大きく手を振った名雪の視線の先で、爆音と共に停止した一台の車。フロント部分に燦然と輝く、円を中心から三等分にした形のエムブレム。全身をオリーブドラブで塗装された巨大なトラックに、祐一は思わず言葉を失ってしまう。
「こいつは……ウニモグ?」
「うぐぅ、知ってるの? 祐一くん」
その威風堂々たる巨体に圧倒されているのか、祐一の腕にすがりつくようにしてあゆが訊いてくる。
「正式名称はダイムラー・クライスラー・メルセデス・ベンツ・ユニヴァーサル・モーター・グレート……通称ウニモグだ。日本語に直訳すると、多目的動力装置というところだな。軍、民間を問わずに広く使われている特殊車両で、各種アタッチメントを取り付ける事であらゆる用途に使用できる……」
「うぐぅ?」
祐一の乾いた声に、うめき声を上げるあゆ。その声音には、祐一がなにを言っているのかさっぱり、という困惑の色が含まれている。
おびえまくった真琴が名雪の腕にすがりつく前で、ゆっくりと開いた左側のドアから颯爽と降り立ったのは水瀬秋子。
「お待たせしました」
さっとサングラスをはずし、にっこり微笑むその笑顔は確かにいつもの秋子さん。しかし、普段の彼女のイメージからすると、どう見ても車の方がミスマッチだ。
「あの、秋子さん?」
「はい、なんですか? 祐一さん」
「もしかして、その車で行くんですか?」
「そうですよ」
いつもどおりに左の頬に手を当て、たおやかな微笑を浮かべる秋子。
「でも、その車って……」
車のサイドに書かれた『■■自■■』というロゴに祐一は頭を抱える。
「企業秘密です」
その笑顔に、軍事機密の間違いなんじゃないかと思う祐一。だが、不思議とその言葉が祐一の口から発せられる事は無かった。
「エアコンのついている車が、これしか借りられなかったんですよ」
祐一的には異常な出来事に感じられるのだが、秋子の口調はどこにお買い物に行こうか迷う主婦そのものだ。その証拠に名雪は、この車を見てもまったく動じていない。
「祐一くん、どうしたの?」
「早く乗りなさいよぅ」
ふと気がつくと、あゆと真琴はすでに車に乗り込んでいた。
「ああ、今いく」
祐一は車によじ登るようにして、右側のドアから助手席に座る。運転席が普通の車と比べて高い位置にあるせいか、この場所からだと結構見晴らしがいい。前席がわりと立派でクッションの具合も申し分ないのだが、ウォークスルーになった後席がベンチのようになっているのが気にかかるところではある。
それに荷物はさらに後ろのカーゴルームで、厳重にネットをかぶせてしっかりと壁に固定されている。
ひょっとしたらこの車は兵員輸送車なのではないだろうかと嫌な予感が祐一の中をよぎるが、誰もその事を気にしているような様子は無い。
「はい、みんな。準備はいいですか?」
「はぁ〜い」
秋子の呼びかけに、後席に座る三人が元気に返事を返す。名雪を真ん中にして右にあゆ、左に真琴が座っており、その姿はまるで小学校の遠足を引率する新米教師というところだ。
「それじゃあ、出発」
真っ黒な煙を盛大に吐き出し、水瀬家一行を乗せたウニモグはゆっくりと走り出すのだった。
それからの行程は順調に進み、途中でトイレ休憩などを挟みながらウニモグは山道へと入っていく。ハンドルを握ると人格が変わると言うのはよく聞く話ではあるが、秋子にその様子が無かったので祐一は内心胸をなでおろしていた。もっとも、ウニモグは最高速でも時速百kmぐらいしかでないのだが。
秋子が言うには、この峠道を抜けた先に今回逗留する予定の温泉宿があるのだそうだ。
前にも行った事があるのか、そこはいいところなんだよ〜、という名雪の話にあゆと真琴が瞳を輝かせており、どうやら二人ともよほど楽しみのようである。
「名雪さん、イチゴ味のポッキーだよ」
「あ〜ん」
「名雪〜、こっちはイチゴのチョコレートよぅ」
「あ〜ん」
左右から差し出されるお菓子に名雪が舌鼓を打ったり。
「ゆう〜や〜け〜 こ〜や〜け〜の〜 あ〜かと〜ん〜ぼ〜♪」
あゆと真琴が歌を歌ったりと、車内はかなりにぎやかな様子だ。
「は〜〜る〜の〜 う〜ら〜ら〜の〜 す〜みだ〜が〜わ〜♪」
「あ〜かり〜を〜 つ〜け〜ま〜しょ ぼ〜んぼ〜り〜に〜♪」
「それはいいが、なんで水戸黄門の節で歌うんだ?」
二人は色々歌を歌うのだが、なぜかみんな水戸黄門の節なのだ。
「ぼう〜〜や〜 よ〜い〜こ〜だ〜 ね〜んね〜し〜な〜♪」
「なんでもいいんかいっ!」
祐一のつっこみももっともなものであるが、基本的に七五調の歌詩なら大抵のものはこの節で歌えるらしい。
それはともかくとして、いい旅行になりそうだな、と祐一が思ったそんな矢先。
「参りましたね……」
行く手でがけ崩れがおきたらしく、車は渋滞に巻き込まれてしまうのだった。
「明日の朝には復旧できるそうですけど、今日中には無理だそうですよ」
車を降りて、ちょっとひとっ走りして状況を確認してきた祐一が、簡潔に説明する。
「温泉、行けないの?」
「あう〜、残念」
途端に涙目になるあゆ、重い息を吐く真琴。車内にはあきらめムードが漂ってしまう。
「仕方ないだろ」
なんと慰めていいのかわからず、祐一もかける言葉が見つからない。
「仕方ありませんね、迂回路を探しましょう。祐一さん、地図を」
「あ、はい」
祐一が取り出そうとしたロードマップを、秋子は片手で制する。
「それじゃありません。そこの……そうそれです」
秋子の指示で祐一が取り出した地図には、なにやら線がびっしりと書きこまれている。それが等高線であると気がつくのに、祐一は結構な時間を必要とした。
「ふ〜ん……」
普段の柔和な瞳が、一転して地図を睨みつける秋子。
「ここと……ここと……」
なにかを呟きつつ、厳しい表情で地図に印を付けていく。
「なにをしてるんですか?」
「ええ、北側の斜面は植物の生育状態が悪いので、地盤が安定していないんですよ。それに、こんな風に等高線の間隔が狭いところは崖になっていて通れませんし……」
「……秋子さん?」
なんとなく不穏な空気を感じて声をかけるのだが、秋子は真剣な様子でなにかを呟いたままだ。
「ここと……これでよし」
ようやく印を付け終えたのか、顔をあげた秋子はにっこりと微笑んだ。
「すみません祐一さん。名雪、ナビに入ってくれる?」
「うん」
事態が飲み込めないまま、名雪と席を代わる祐一。
「ここに印がついてるでしょ? このポイントの二〇〇メートル手前まで来たら教えて欲しいのよ」
「うん、わかったよ」
「それじゃあ、行きますよ」
再び眠りから目を覚ましたウニモグは道を外れ、道路わきの斜面に猛然と突っ込んでいく。
「あ、秋子さんっ!」
ぶつかる、と思った次の瞬間。重いエクゾーストノートを響かせて、斜面を駆け上がっていくウニモグ。
「うそや」
目の前のウインドシールドいっぱいに、青空が広がる。文字通りのヒルクライムに、言葉を失う祐一。
ちなみに、ウニモグはパートタイム4WDで二輪駆動と四輪駆動の切り替えが出来、基本の八段変速と低速ギア、超低速ギアの組み合わせで前進だけでも二十段変速を可能としている。また、それだけでは無くバックギアの代わりにつけられた逆転機によって、後進でも八段の変速を可能としているのだ。ある意味、三本のシフトレバーは伊達ではないのである
それらのギアを組み合わせる事で、ウニモグは四十五度くらいの斜面なら楽々駆け上がる事が出来、そればかりかオプションの装着によって水上走行も可能なように、エクゾーストパイプも屋根の上に設置されているのだ。おおよそ地上を走る事では他の車両には真似できないような万能振りを発揮し、唯一この車で出来ないのは空を飛ぶ事ぐらいだろう。
一気に斜面を登りきった後は、そのまま林の中を突き進むウニモグ。こうして祐一たちのスリルドライブがはじまるのだった。
「40R! 30L! 50! Flat! Fpoint!」
「Year!」
別次元となった前席の様子に唖然とする祐一。いつの間にか二人は頭にインカムを付けており、息のあったコンビネーションを見せている。
その一方で祐一たちは、それほど速い速度ではないが、激しく揺れる車内で体を支えるのに必死だった。気分はフライパンの上のポップコーンか、シェイカーの中のカクテルと言う感じ。
「あう〜……」
「どうした? 真琴」
「きぼちわるいのよぅ……」
見ると真琴の顔は真っ青になっている。やはり元がキツネなだけに、乗り物には弱いのかもしれない。
「あゆ、お前は大丈夫か?」
「ボク? うん、ボク乗り物には強いみたいだから」
これが乗り物なんていうかわいらしい代物か、と思う祐一であるが、あゆが小さくガッツポーズをしてにっこりと微笑み返してくるので、なにも言えなくなってしまう。
「あう〜……」
そうこうしている間にも、真琴のリミットブレイクは刻一刻と迫ってくる。あわててエチケット袋を用意しようとする祐一ではあるが、こう揺れまくっている車内ではそれすらもおぼつかない。
「やむをえん」
祐一はすばやく真琴のシートベルトをはずすと、そのまま真琴の体をお姫様抱っこの要領で抱き上げた。
「あう?」
「こっち、あんまりクッション無いからな。俺が真琴のクッションになってやる」
「あう〜……」
いつもだったら絶対になにか言ってくるだろう真琴が、今はおとなしく祐一に抱っこされていた。流石に文句を言う気力もないのかもしれないが、先ほどまで真っ青だった真琴の顔色が次第に真っ赤になっていく。
「真琴ちゃん、いいなぁ……。祐一くん、ボクも抱っこ」
そう言ってあゆが祐一に抱きつこうとした次の瞬間、車がひときわ大きく揺れた。
「はい、到着ですよ。……あら?」
後席で折り重なるようにして目を回している三人に、目を細める秋子であった。
「うぐぅ、疲れた……」
「あうぅ、死ぬかと思った……」
温泉宿の若女将に案内された部屋にたどり着くなり、ぐだ〜、と背中合わせになって座り込んでしまうあゆと真琴。このときばかりは祐一も、二人の気持ちがわかるような気がした。
「わぁ〜、いい眺めだね〜」
「みんな、お茶がはいりましたよ」
そんななかでも相変わらず、マイペースな二人であった。
「あの〜、ところで秋子さん?」
「はい、なんですか? 祐一さん」
「借りているのはこの部屋だけなんですか?」
水瀬家御一行様、と書かれた部屋は八畳ほどの大きさがあり、そこに外がよく見えるサンルームが併設されたつくりとなっている。部屋にはバス、トイレのほかにも小さいキッチンがあり、簡単な料理くらいならここで作れそうだった。
「そうですけど、なにか?」
「あのですねぇ……秋子さん。俺、男なんですけど」
いつもと変わらぬ秋子の様子に、頭を抱える祐一。いくらなんでも、こう女の子に囲まれている状況は肩身が狭い。
「それなら心配いりませんよ。だって、祐一さんは私たちの家族なんですから」
できる事なら、こういう状況で聞きたくない台詞であった。
「ふい〜……」
満天の星空。月明かりのスポットライトを浴びながら、祐一は天然の岩風呂に浸かっていた。
この露天風呂は少し高い位置にあるらしく、その心地よさはまさに極楽極楽で、下界の様子は絶景かな絶景かなである。
あれからちょっとした騒動があり、その結果別に部屋を割り当てられた祐一は、夕食前にひとっ風呂浴びておこうとここにきていた。ここはなかなかに隠れた名湯であるらしく、沸かし返しではない天然の温泉が湧き出しているのだ。
しかも泉質が弱アルカリ性の含重曹弱食塩泉で、ここに入ると肩こり、腰痛、神経痛のほか、美肌効果と若返りの効能があるので、美人の湯としても有名だとパンフレットには書いてあった。確かに湯に触れると肌がぬるぬるするので、美容と健康にはよさそうだ。
(秋子さんが行きたがるわけだよな……)
祐一は大きな岩に背中を預け、大きく伸びをする。流石に家の風呂ではここまでの開放感は無い。
さて、そろそろ上がるか、と祐一が体を起こした丁度そのとき。
「わぁっ、大きなお風呂」
「すご〜い」
(あゆ、真琴?)
湯煙の彼方から響いてきた声に、咄嗟に岩陰に身を隠す祐一。混浴なら混浴であると明記して欲しかったが、こうなってしまってはもう後の祭りだ。しかし、出ていこうにも二人は一糸纏わぬ裸体であるため、それすらも難しい状況であった。
(お前ら、タオル巻くなりなんなりしろよ)
そう言ってやりたい祐一ではあるものの、逆にこんな機会はもう二度とないかもと思うと、ついつい息を潜めてしまう。
それはともかくとして、月明かりに照らされて光り輝いているかのような二人の裸身は、祐一の目にはとても美しいものであるように感じられた。
あゆより少しだけ背が高い真琴の手足はほっそりと伸びており、控えめではあるがつんと上を向いたバストには張りがあり、まったく垂れる様子が無い。そこからウェスト、ヒップへとなだらかなラインを描き、少女らしい瑞々しさにあふれている。
以前お風呂場でちらりと見ただけであるが、こうしてみるとまた違った感じがするものだ。
一方あゆはと言うと、丁度お椀を伏せたような形の良いバストが動くたびにふるふると揺れているのがわかる。彼女の場合は胸が小さい事を気にしているようであり、実際に真琴よりも小柄である分コンパクトであるものの、その双丘はかなりはっきりと自己主張していた。こういうのを美乳というんだろうな、と祐一は思う。
おまけにあゆは出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるという理想的な体形で、このあたりは流石メインヒロインというところだろう。
その姿を影から見守りつつ、祐一は。
『貧弱ゥ、貧弱ゥ!』
『Uguuuuuuuuu!』
と、いうやり取りが、もうあゆとは出来なくなってしまったんだな、と妙に感慨深い思いに浸ってしまうのだった。もしかすると、娘の成長を喜ぶ父親の心境というのは、こういうものなのかもしれない。
「あう〜っ!」
そんなこんなで祐一が二人の裸体に鼻の下を伸ばしていると、突然真琴が警戒の声を上げた。
「真琴ちゃん、どうしたの?」
「そこに誰かいるのよぅっ!」
(しまった、見つかったか)
「キィィィッ!」
真琴の声に驚いたのか、サルが逃げていった。
「サル……?」
「あ、そういえばパンフレットに書いてあったよ。温泉にはおさるさんも一緒に入る事があるって」
サルのおかげで命拾いをした祐一であるが、これで完全に出て行く機会を失ってしまったのも事実であった。
「ね……ねぇ、二人とも……」
するとそこに、おずおずという感じで声がかかる。
「やっぱりさ……水着とか、着ない……?」
真琴やあゆと同じく長い髪を頭の上で一つにまとめてタオルを巻き、大き目のタオルで体を覆った名雪が月明かりの下に立っていた。
「もう、名雪さんったら。ここにはボクたちしかいないんだよ?」
「そうよぅ、せっかくの温泉なのに、恥ずかしがってたらタンノウできないわよぅ」
「そうだけど……」
しかし、名雪の反応は鈍い。恥ずかしがっているというよりは、なにかをためらっているようだ。
「それっ!」
「わっわっ」
すばやく名雪が体に巻いていたタオルを剥ぎ取る真琴。
「うわぁ……」
「ふわぁ……」
(おお……)
月明かりの下であらわになった名雪の裸身に、物陰に隠れたままの祐一も合わせた三者三様のため息が漏れる。
大きすぎず、かといって小さすぎもしない、適度な大きさのバストはつんと上を向き、細くくびれたウェストと、そこからなだらかに続くヒップは陸上競技で鍛えられているせいか、ほとんど無駄のないラインを描き出している。
それは同性であるあゆと真琴に感心と嫉妬を同時に抱かせるくらいの見事さで、その名が示すとおりに染み一つない雪のように白い肌がすべてを際立たせていた。
手にぴったりと吸い付くのではないかと思うほどの質感を持つ肌は、月明かりを浴びて白磁の彫像のような輝きを放っており、美しさという点においてはあらゆる裸婦像を上回っているといっても過言ではないくらいだ。
あゆと真琴が、自分の体つきについてある種の劣等感を抱いている事は、名雪も知っている。だからこそのためらいだったのであるが、こうなってしまってはすべてが水の泡だった。
祐一がいるとは知らず、三人はそれぞれ思い思いの格好で湯に浸かっていた。おそらくは、温泉という普段とは異なる環境によってもたらされる開放感が、彼女たちを大胆にさせているのだろう。
真琴は頭を石壁に乗せ、両手両足をだら〜んと伸ばして半分湯に浮いているようなポーズで、おしとやかという言葉には程遠いが、彼女らしい元気さをアピールしていた。
仰向けに近い状態ながらも張りのあるバストは天を向いており、そのふくらみを誇示している。おまけに時折足を上げ下げするので、きわどいところが見えそうで見えなかったりするのだ。
あゆは湯船の底に座り、両足を伸ばした格好だ。両腕は自分の胸を抱きかかえるような格好で回しているが、それでも二つのふくらみははっきりとしていた。
なにも身に付けるもののない湯の中で、ほんのりと桜色に染まった双丘は普段とは違った魅力をあゆに付与しているようで、コンパクトながらもグラマラスという相反する要素を持った、なんともいえないエロティシズムがある。
「どうしたの?」
そんななかで名雪は、二人の視線を感じていた。
名雪は岩壁を背にし、湯船の底に座って両手両足を伸ばした格好だ。湯が透明なのでなにも隠すものがないとはいえ、なにが二人の視線を集めているのか名雪にはさっぱりわからない。
「大きなおっぱいって、お湯に浮くんだ……」
泳ぐような感じで近づいてきた真琴が、ポツリと呟くように口を開く。確かにお湯が揺れるのにあわせて、名雪の豊かなバストがほよんほよんと揺れている。
「わっ、そういうのはあんまり見るもんじゃないよ〜」
あわてて両手で自分の胸を抱きかかえるようにして隠す名雪。
「あ、ねえ名雪さん。お願いがあるんだけど、いいかな?」
「な……なに?」
「触ってみても……いいかな?」
あゆの視線は、名雪の豊かなふくらみに向けられている。真琴もまた同様だ。
「……ちょっとだけだよ?」
しばらくの間、う〜、と悩んでいた名雪であったが、二人のきらきらと輝く純朴な瞳の前には抗う術を持たず、そっと腕を解いた。
「うわぁ、柔らかい……」
「本当だぁ……」
あゆは左手で左のおっぱいを、真琴は右手で右のおっぱいを、それぞれふにふにと弄ぶ。祐一の手にはしっくりなじむ大きさではあるが、二人のもみじのように小さい手には少々余る代物のようだ。
「くすぐったいよ〜」
口ではそういうが、祐一とは違う繊細な二人のタッチに、名雪の背中にぞくぞくっとした感じが駆けぬけていく。
「ひゃうっ!」
突然二人が名雪の乳首を、ちうぅぅぅ、と吸い上げたせいか、思わず変な声を上げてしまう。
「やめっ……やぁっ!」
二人がかりで岩壁に押し付けられてしまい、どこにも逃げ場がないまま弄ばれる名雪。
「はむはむ……」
「あむあむ……」
あゆは乳首を口に含んだまま首で円を描くようにして吸いついており、真琴は前歯で乳首を甘噛みしながら、ざらついた舌で先端部分をちろちろとなめている。まったく異なる刺激を同時に与えられているせいか、あたりには名雪の嬌声が響き渡った。
(こりゃすげぇ……)
突然はじまった三人の痴態に、祐一の目は釘付けとなる。祐一としても名雪を助けてやりたいのは山々であるが、覗いていたのがばれると面倒なので、黙って見ているより他はない。それ以前の問題としてジュニアが臨戦態勢のままでは、出ていこうにも出ていけないのであるが。
「やん……あぁっ!」
ひときわ大きな声を上げて名雪の体が大きく跳ねた次の瞬間、ぐったりとなって岩壁にもたれかかった。
「やっぱり、出ないや」
「あう〜、こんなに大きいのに……」
残念。と真琴は落胆した様子だ。
「出ないって……なにが?」
「ミルク」
あまりにも無邪気な真琴の言葉に、二の句が告げなくなる名雪。
「だって、名雪さんは秋子さんのおっぱいを飲んで育ったんでしょ?」
あゆがなにを言いたいのかよくわからないが、とりあえず名雪はうなずいておいた。
「だから、名雪さんのおっぱいを飲めば、ボクたちもおっぱい大きくなるかなって思ったんだよ」
確かにミルクを飲めば胸が大きくなるといわれているが、それは迷信に過ぎない。毎晩ミルクを飲んでいるあゆたちの努力を無にするわけではないが、それが現実というものだ。
「だからって……赤ちゃんもいないのに、出るわけないよ〜」
「出るようにしましょうか?」
その声に振り向いたあゆたちは、一斉に息を飲んだ。
(信じられねぇ……)
月明かりに照らされた秋子の裸身に、祐一は思わず目を見張る。
(あれが高校生の娘がいるおばさんの体かよ……)
大きく形の良いバストには張りがあり、まったく垂れる様子が無い。そこから続くウェストやヒップのラインも抜群で、名雪たちに勝るとも劣らない瑞々しさにあふれていた。そしてなにより、秋子の全身からほとばしり出るような大人の女性の色香には、誰も太刀打ちできない。
「それにそんな事しても、大きくなるのは名雪のおっぱいですよ?」
「うぐぅ、でも……」
遅れて入ってきた秋子の、豊かなバストに呻くあゆ。とはいえ、彼女の場合は背が低いので小さめのサイズなのであるが、身長や胸囲などの比率で考えれば名雪よりも大きくなるのである。こういう表現もあれであるが、横幅で数字を出している真琴と、前後幅で数字を出しているあゆなのだ。
「そういえば私も、祐一さんには随分と大きくしてもらいましたね」
秋子がいとおしそうに右のおっぱいを撫でた次の瞬間、たぽーんと大きな音がして四つの水柱が上がる。
「お……お母さん?」
上ずった感じの名雪の声が響く。
「それにそのときは、名雪も一緒でしたし」
「うぐぅ、それって……」
「さんぴー、ってやつ?」
突然の爆弾発言であるが、祐一にはまったく身に覚えがない。こんな大事な事を覚えていないとは、まさに一生の不覚。
「あの時あんなに小さかった赤ん坊だったのが、今はこんなに大きくなっているなんて……。月日のたつのは早いものですね……」
再び、たぽーんと大きな音がして、四つの水柱が上がるのだった。
それから女性陣はお互いにお湯のかけっこをしたり、体の洗いっこをしたりして楽しいひと時を過ごしたのであるが、祐一がそれを見る事はなかった。
なぜなら、そのときすでに祐一は、すっかりのぼせていたからだ。
「祐一、大丈夫?」
「ああ、なんとかな……」
のぼせるまではいってるなんて、と名雪は呆れ顔だが、名雪の膝枕を堪能しているせいか、祐一の鼻の下は伸びきっていた。硬すぎず、柔らかすぎず、この絶妙な感触はまさに名雪ならではのものだ。
名雪はさっきから嬉しそうに祐一の頭を撫でている。子ども扱いされているようなのが気にかかる祐一ではあったが、とりあえずその心地よさに身を委ねていた。
「そう言えば、秋子さんたちは?」
「お母さんならあゆちゃんたちと一緒に温泉に行ってるよ」
「まだはいってるのか、あいつら……」
「ここの温泉って、美人の湯が多いんだよ」
秘湯だからね、という名雪の微笑みに、妙に納得する気持ちになる祐一。いつの世も、美しくなりたいという女性の願望は尽きぬものだからだ。
それこそ我慢大会のように、顔を真っ赤にしながら温泉にはいり続けるあゆと真琴を、微笑ましく見守っている秋子の姿を想像すると、ついつい祐一も笑みがこぼれてしまう。
しかし、そんなまったりとした時間は、唐突に終わりを告げる事となる。祐一の発した、腹の虫によって。
「……腹減ったな」
「あ、夕食なら支度は出来てるよ」
名雪の話では、となりの部屋に鍋が用意してあるらしい。じゃあ早速、と立ち上がった祐一の背後で、ばたん、という大きな音がする。
「なにをしてるんだ? おまえ……」
「ちょ……ちょっと足が……」
どうやら長い時間祐一に膝枕をしてあげていたせいか、足が痺れてしまったらしい。祐一は苦笑すると、名雪の体をそっとお姫様抱っこで抱え上げるのだった。
「ご馳走様」
「お粗末さまでした」
豊富な山の幸がたっぷりはいった味噌仕立ての山菜鍋は、名雪の鍋奉行もあってかかなり美味しかった。
「それじゃ、わたしはお部屋に帰るね?」
「ああ、お休み」
そう言って部屋を出ようとした名雪ではあったが。
「あれ?」
ドアノブをガチャガチャ動かしてみるが、まったく開く気配がない。
「どうした?」
「ドアが開かないんだよ」
「そうか……」
祐一は、おもむろに背後から名雪の体を抱きしめた。
「この部屋、家族風呂があるんだってさ……」
実のところ、先程露天風呂での痴態を見てからというもの、祐一はずっとお預けをくらったような気分になっていた。考えてみるとこうして名雪と二人っきりになるという状況はかなりひさしぶりな事であり、それに比例して恋人同士のスキンシップも御無沙汰になっているのが現状であった。
「いいだろ?」
その力強い抱擁と、耳元で囁くような祐一の声に、抗う術を持たない名雪であった。
「今、何時かな?」
情事の後のけだるさ。祐一の腕を枕にしながら問いかける名雪。普段は眠り姫とも呼ばれる彼女なれど、いつもと環境が異なるせいか、なかなか寝付けないでいるようだ。
もっとも、祐一が眠らせてくれない、というのもあるのかもしれないが。
「ん〜……日付が変わってるな……」
「そっか……」
名雪はゆっくりと身を起こすと、祐一に向かって居住まいを正す。一応名雪は浴衣を羽織ってはいるが、きちんと帯を締めていないので前ががら空きになっていた。それでも、きわどい部分はしっかり隠されているのではあったが。
「新年明けましておめでとう。今年もよろしくね、祐一」
「こちらこそ」
深々とお辞儀をする名雪に向かい、居住まいを正す祐一。こちらは全裸だが、下半身は布団の中に入っている。
「新年明けましておめでとう。今年もよろしくな、名雪」
そうしてお互いに新年の挨拶をかわすうちに、どちらからともなく笑い声が漏れる。
「なんだか変な感じだね」
「まったくだな」
そういいつつ、名雪の体を仰向けに横たえる祐一。
「祐一?」
「じゃあ早速、姫初めだ」
そして、朝までみっちり可愛がられる名雪であった。
「はい、みんな。忘れ物はないわね?」
「はぁ〜い」
「……はぁ〜い」
秋子の声に、旅館の玄関先に集まった一同の返事が唱和する。女性陣は一様に肌の色艶もよかったのだが、祐一だけが妙にやつれている様子だ。
(太陽が黄色いぜ……)
ある意味、自業自得である。
異様に増えた帰りの荷物。あゆが買った栞へのお土産と、真琴が買った美汐へのお土産。名雪が買った香里へのお土産と、祐一が買った舞と佐祐理へのお土産をウニモグに積み込んでいるとき、祐一はふと昨夜泊まった旅館を見上げた。
「どうしたの?」
「あ、いや……」
心配そうな表情で見つめる名雪に、なんでもないと答えつつ、口を開く祐一。
「また来たいな、って思って……」
「うん、そうだね」
それに同意するように、大きくうなずく名雪。
「また、みんなで来ようね」
「ああ、いや。そうじゃなくて……」
途端にしどろもどろになってしまう祐一の耳元に、口元にいたずらっ子のような微笑を浮かべて名雪はそっと囁いた。
「……今度は、二人っきりで来ようね……」
月日は流れて。
「と、言うわけで。お前の誕生日が十月十日なのには、そういう製作秘話が……」
「祐一、子供に変な事教えないでっ!」
感想
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