終わりの時



 先週の金曜日は楽しいことが立て続けにあった。

 外でご飯を食べるのも新鮮な気分だったし、一家の集合写真も記念に残るだろう。
 何より花火を家の中では無く、ちゃんと庭でやったから、きれいな花火を落ち着いて楽しむ事ができた。


 でも祐一は先週の土曜日以来。あの娘に付っきりで、立て続けに2回も学校を休んでいる。
 確かにお母さん一人じゃ、あの娘の世話も大変だけど、祐一は教室に居る間はうわのそらで授業にも付いて行けてないみたいだし、祐一が留年しないか心配になってしまう。

 月曜日の朝、教室に着くや否や
「2度も相方より名雪が先に着くなんて怪現象は、何が原因?」
と訝しげに香里が聞いてきた。

 わたしは、
「祐一は具合が悪いんだって」
とその場は誤魔化した。

 先週の金曜までは、いつもわたしより先に、あの娘と一緒に家を出ていたけど、先週の土曜からは、2人とも休みっぱなしだ。
 確かに香里の言う通り怪現象だ。

 もしかしたら、金曜日にその兆候が表れていたのかもしれない。
 でも、そのことは家で祐一に聞けば分かるだろう。
 だから、いつも通りの授業と休み時間を過ごして、昼休みにみんなと一緒にお昼ご飯を食べた。


 しばらくしてから、教室にわたしを尋ねて来た一年生の女の子が、祐一が中庭で待っていると告げた。

 中庭には、祐一とあの娘がいた。

 わたしは、驚いてしまったので、
「あれ、どうしたの」
という言葉しか出てこなかった。

 祐一は暢気に
「いや、なんでもない、遊びにきたんだ、ふたりで」
と返してきた。

 まだ祐一の真意は分からなかったけど、思わず、
「学校休んでおいて? 呆れた」
という言葉が飛び出す。

「いや、礼を言いたかったんだ、お前に」

「礼? そんな物言われる覚えは無いけど」
とは言ったものの、土曜からの様子のこともあり、わたしの胸中に不安がよぎった。

「いや、やっぱり遊びにきたんだ」
 不安が表情に出てしまったせいだろうか。祐一が取り繕うようなことを言う。


 どういう事態かが次第に把握できた気がする。でも、胸中に拡がり始めた不安を抑えて、
「そう、休み時間だからそんなに時間無いけど何する?」
わたしはあの娘に話しかけたけど、返事は無かった。

 昼休みの時間があまり残っていないから、この辺に沢山ある雪を集めて雪だるまを一緒に作ることにした。

「真琴、一緒に雪だるまを作ろ」
と呼びかける。
 あの娘はコクリとうなずく。
 近くにあった棒切れで、雪だるまの絵を描いて見せた。
「こんな感じに雪を丸めるの、炭とかが無いから今日作るのはのっぺらぼうの雪だるまだけどね」
「…?」
今の説明がどんな意味かは、判らないようだった。

 あの娘は目の前の雪を見て呆然と立ちすくしていた。
 わたしは、あの娘に
「こうやって、雪を丸めるの」
と作り方を教えた。
「真琴もやってみて」
とあの娘にも雪玉を作ってもらった。

 わたしとあの娘の共同作業で二つの小さな雪球ができた。
「じゃ乗っけるよ」
とわたしの作った雪玉とあの娘が作った雪玉を重ねる。

 時間が無いから小さな雪だるましか作れなかったけど、それでも、あの娘は満足そうだった。
「じゃあね、ばいばい」
「おぅ、ありがとな」
「うん」

 そして、あの娘は、雪だるまを大事そうに抱えて祐一と一緒に出ていった。


 校舎に戻ると、中庭への出入口の所に、わたしを呼びにきた女の子が居た。
「もしかして、祐一の知り合い?」
と尋ねてみた。
「はい」
「もしかして、真琴とも知り合い?」
と尋ねてみた。
「はい、真琴とは友達になりました」
「まだここに居るってことは私に用があるの?」
「はい」
「水瀬さんにも伝えておいた方がよいと思いましたので」
「何を?」
「今日で真琴は、はじめから居なかったように消えます」
「えー、やっぱりそうなの?」
「はい」
 祐一が学校に現れたときから何か、もやもやした不安を感じていたけど、やはりそのことだった。

 それだったら、祐一も言ってくれればよかったのに。
 先生には親類が危篤だからという理由で早退して一緒に行ったのに。
 でも、二人とも出て行った後だから、探しようが無い。

「あの子への思いが強いほど別れのときのつらさが強くなります、相沢さんとは約束しましたけど、水瀬さん御一家も強くあってください」
 と、女の子は言った。
「うん、おかあさんにも伝えておくよ」
 おかあさんは、あの娘のことを自分の娘のように可愛がっていた。ショックは相当なものだろう。

 予鈴が鳴った、もう教室へ戻らなければいけない時間だ。
「ありがとう」
と一年生の女の子に礼を言って、教室への帰途についた。

 遠くない時期に居なくなることが運命付けられた娘だけど、いざ居なくなるというときにはそばに居たい。
 無理かもしれないけど、わたしが家に戻るまでは消えないで居て欲しい。

 午後は授業に集中して、あの娘のことを考えないようにするつもりが、帰ったらあの娘がまだいるかどうか、気になって居眠りを全くしていない。
 だけど、授業の内容が頭に入らない。
 普段とは全く違う行動をしているからだろうか。何だか周りのクラスメート達もわたしのことが気に懸かっているみたい。


 今日は部活がある日、だけど、香里と北川君から部活を休んだ方がいいんじゃないかと言われた。
 表情や仕草に負の感情が出てしまっていたようだ。

「でも部長だから、説明できない理由で部活を休むわけにはいかないよ」
と言って部活をするために部室へいった。

 妖狐が消えてしまうと言っても誰も信じてくれないだろう。
 それこそ説明できない理由だ。

 だけど、今はまだ、負の感情で満たされているみっともない顔を、多くの部員たちには見せられない。
 今日の練習メニューは、臨時に閉門60分前まで全員でグランドの周囲で持久走をすることにした。
 これなら、活動中に互いに顔を見せ合うこともないし、短距離走やジャンプ、投擲の練習をしている部員達にも、持久走をして普段使っている筋肉を休ませることと、持久力アップのトレーニングになる。

 ちなみに、去年の学園祭で、天文部が新発見した彗星について展示していたけれど、夜間でも活動する部の人たちは、先生たちが帰った後でも活動できるように旧校舎にある教職員用出入口や屋上出入口など色々な鍵を貸して貰っているらしい。

 でも、そうでない部の生徒は顧問の先生に許可を得て、顧問の先生に最後の戸締りをしてもらわないと通常の閉門時間までに帰らなくてはいけない。
 ただ、それでは顧問の先生の帰る時間も遅くなるので、そうそう簡単には言い出せない。
 時々もっと練習したいときもあるけど、活動時間に制限があることが、今のわたしにとっては救いだった。早く家に帰って、負の感情を全て放出してしまいたかったから。


 家に帰ると、祐一もお母さんも、妙にすっきりした様な顔だった。
 ご飯も当然のように3人分しか用意されていない、並びもあの娘が来る前のままだった。

 『あの娘の分は無いの?』と聞こうとしてしまったけど、やはりもう消えてしまったのだろう。
 2人とも、負の感情を全て放出して、あの娘との楽しかった日々の想い出だけが残っているのだろうか。
 それとも、あの娘の子狐時代を知っているから妖狐に成長して、祐一に会いに来たこと自体を夭逝しなかった証しとして、大往生だったとでも考えることにしているのだろうか?
 それはよく判らない。
 わたしよりも、もっとつらい思いをしているはずの2人の前で、その事を話題にすることは憚られるように思えたのでやめておいた。

 そんなわたしの態度に気づいたのか、おかあさんが
「真琴はもう帰るべき所へ帰ったわよ」
と言った。

 おかあさんは真琴が消えたことを知っていて、それでも普段と殆ど変わりなく家事をこなしていて…
 とても強いんだということを改めて思い知った。

 わたしは
「そうなんだ」
と極力、負の感情が表に出ない様に素っ気の無い返事をした。

 わたしはまだ心の中にある負の感情を放出してしまいたかった。
 だから、早々に晩御飯を済ませてお風呂に行った。
 お風呂場なら泣いても大丈夫だと思うから。


 お湯に浸かって、まだ残っているもうあの娘には会えないという感情の塊をゆっくりと溶きほぐす。
 しばらくの間、流れる涙を抑えることが出来なかった。

 でも、涙が枯れる頃には、あの娘との生活の楽しかったことを思い出して、顔がほころんでしまう。
 確かにはじめは、悪戯ばかりして祐一には迷惑だったかもしれないけど、あの娘が帰ってこなくて、祐一が探して連れ帰った晩からは、一家で楽しく過ごせるようになった。
 お互いにいがみ合っていても仕方が無いことが、二人とも分かって和解したのだろう。

 ただ、家の環境に馴染んで来た様に見え出した頃から、あの娘の異変が始まっていたのかもしれない。
 まるで、急速にアルツハイマー病が進んでゆくように、これまで通りのことができなくなって行った。
 祐一があの娘の秘密を明かしてくれなかったら、病院に連れて行くべきだと思っただろう。

 でも、祐一が秘密を明かしてくれたから、金曜日の夜を楽しく過ごせた。


 お風呂から上がって着替えを済ませて廊下に出ると、丁度祐一が居た。
「おっ名雪、目が真っ赤だぞ」
と、悪趣味な突込みを入れてくる。

 わたしは、
「そんな事より、あの娘をちゃんと最期まで見送ってあげたの?」
と言い返した。

「ああ、ものみの丘で結婚式を挙げてから消えるまで、ずっとものみの丘に一緒に居たぞ」
「結婚式って…、わたしには、意味不明だよ」
「真琴の好きな漫画の台詞だよ、『結婚しよう』ってな。それで結婚式を挙げたって訳さ」
「ふーん」

 何より、祐一を探して会うために一命を捨ててでも人間に化けたのだから、『夫』である祐一に看取られてこの世界から去ることができた事は、あの娘にとって本望だっただろう。

「凄く短い夫婦生活だったけどな」
「そうだね、でも、わたしにあんなこと言ってたけど祐一は泣かなかったの?」
「あんなこと?」
「目が真っ赤だって言ったよね」
「ああ、そのことな」

 祐一は言葉を選ぶように答えた。
「うーん、そりゃ俺だって、自分の膝の上からいきなり『嫁さん』が消えたんだからな。一人で膝を抱えて泣いたよ、気が済むまでな」
「やっぱり、祐一も泣いたんだ」
「でも、だだっ広いものみの丘で一人で膝を抱えて泣いていると、なんか馬鹿らしいことしてるなと思えるようになったんだよ」
「ふーん、何で?」
「怪我をしていたあいつを拾ってやらなかったら、どうなったと思う」

 どんなに穏やかに見えても自然界は弱肉強食の世界だ。
 他の肉食動物に食べられるか、餌が摂れなくてそのまま死んでしまっただろう。

「他の動物の餌か、子狐の白骨死体?」
「ああ」

「それに、消えることが分かっているのに、女の子に化けた理由が、助けてやって本来の住処まで帰してやった、俺に復讐するためっていうんだから呆れかえるよな」
「そうなんだ」
「女の子に化けたら化けたで、狐だったことも、消える運命にあることも忘れて、それから俺にまとわりついてきて、結果的にあいつと出遭ったものみの丘で結婚式をして、最期を看取ってやった」

 祐一はそこまで言うと言葉を切った。

 祐一は少し間を置いてから俯き加減に言ったので、表情は良く判らなかったけど、
「あいつは、あの丘の狐の中じゃ相当な年寄りなんだよな。俺に最期を看取らせようという、あいつの思惑に見事に嵌められちまったように思えてきたから、泣くのが馬鹿らしく思えたってわけだよ」
と言った。

 もしかしたら祐一は、最期の時を思い出したのかもしれない。
 でも、涙は落とさなかった。

 わたしは、
「そうだね、あの娘の想い通りになったみたいだね」
と相槌を打った。


「そういえば祐一、今日わたしを迎えに来た女の子とはどういう関係なの」
「ああ、天野のことか、妖狐の事を色々と教えてもらったんだ」
「ふーん、じゃ何かお礼をしなきゃね」
「そうだな」

「それから、あの娘にも」
「何のお礼だ?」
「あの娘が居たお陰で、楽しく過ごせたでしょ」
「俺が被った被害はどうしてくれるんだ?」
「こんど百花屋で何かおごるからそれで許してくれる?」
と祐一の顔を覗き込むように言った。
「そこまで言うなら仕方ないな」
 祐一は、半分呆れ顔で言った。

 わたしは真顔になって言った。
「冬の普段の生活は雪に囲まれて、お母さんと二人だけだから、家ですることといったら、たまに屋根の雪下ろしをするくらいしかないし、それも楽しい事じゃないからね、祐一が来なくなってからは楽しみも無くなっちゃたし」
「なるほど、雪国の暮らしは大変だな」
「うん、大変だよ、だから祐一と真琴が居て楽しく過ごせたからお礼がしたいんだよ」
「お礼ねー…」

 祐一は何か大変なことでも考えているらしい。


「春になったら、天野さんと一緒にうちの一家で、ものみの丘に肉まん食べに行こうよ」
 やっぱり、祐一と出遭って、祐一に看取られた最期の地で好物を食べることが、あの娘への最大の供養になるのではないかと思う。
「そうだな、とりあえず俺はOKだ」
「ありがと、祐一、天野さんにもよろしくね」
「ああ」


 眠りに着く前、ふと妖狐の伝説を思い出した。

 伝説では、妖狐の現れた村に災いをもたらすことになっているけど、多分それは悪戯のことではなくて、居なくなった後の喪失感が激しかったからかもしれない。
 今日の午後は授業に集中してあの娘のことを考えないようにしていたけど、授業の内容は何も覚えていない。
 こんなことでは、昔の人は普段の生活や、仕事に支障が出たことは容易に想像できる。
 特に、昔の農耕を営む家庭でそんなことが起きれば、年貢米がとれなくて、とんでもないことになっただろう。
 昔の環境では一人で十分に喪失感を癒せる、プライベートな場が無かったのかもしれない。

 でも、今の環境であれば一人で喪失感を癒す事もできる。
 だから、今の時代では感情を巧くコントロールすれば、妖狐は災いをもたらさない存在だと思う。
 特に、あの娘が居たときの生活は、これまで経験したことの無い賑やかさをもたらしてくれた。
 あの娘はわたしに他人並みの家庭生活を与えてくれた、一冬限りの福の神だったのかもしれない。

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