「ごめんなさい」
 母は涙を出しながら、私に謝った。思えばそれは初めてのことだった。
 だけど私は、そんな母を罵倒した。
「どうして、もっと早くに教えてくれなかったんですかっ」
 わかってる、もっとはやくに教えてもらったとしても私は決してそれを信じなかったこと。わかってる、もっとはやくに教えてもらった

としてもきっと私は何もできなかったこと。
 でも、罵倒せずにはいられなかった。何かに怒らなければ、気がすまなかった。
 今まで母を罵倒する、そんなことなんてただの一度もそんなことをしなかった――いや、しようとしら思わなかったのに、私は母を罵倒

していた。母は、私に文句ひとつ言うことなく――私の言葉を聞いていた。
 私の9歳のときの、クリスマス・イブの出来事だった。


#9 クリスマス・イブ




 目が覚めた。
 また、あの時の夢をみた。10歳の時から毎年この時期になると必ず見る夢だ。もう、27年にもなる。
 ――夢、そう、夢だ。
 狐から少年に姿を変えた、狐が、昔傷ついて動けなかった自分を助けてくれた少女に、会いにくる。
 そんな夢物語の果てに起こった出来事の夢。そんな夢を毎年私はみていた。
 この夢をみると、あの子のことを少しの間、よく思い出し、そしてまた日常にもどっていく。
 ここ数年はそれで終わりだった。そのことが少し哀しくもあったけど、その事を受け入れられるくらいには、今の私は年を重ねていた。
 ――ただ、今年は特別だった。そのことがとてつもなく、哀しかった。

 
 下に降りると、夫である祐一がいた。彼もまた、私と同じような夢物語を体験し、そして帰ってきた人だ。
 それが縁で付き合い始め、そして今があった。私は今、9歳の娘と祐一と三人で暮らしていた。
 台所の壁に掛かっている時計をみると時刻はまだ6時だった。祐一はいつもより早起きだった。私と同じく昨日眠れなかったのだろうか


 そんなことを思いながら、私はいつものように彼に挨拶する。
「おはよう、祐一」
「おはよう、美汐」
 無理に明るくした表情で、祐一は挨拶したが、きっと私も同じようなものだったと思う。
「琴美は、まだ、寝ていますか?」
「ああ、ぐっすりだ――もう一人も」
「……そうですか」
 それからしばらく、二人の間を静寂が支配した。
 何を話せばいいのかお互いわからないのだ。
 ――その静寂を、破ったのは祐一だった。
「……間違い、ないよな?」
 何が、とは言わなかったがそれだけで十分だった。
「間違い、ないでしょう。祐一もそうおもっているでしょう?」
「まぁ、な」
 そういって、祐一は頭をかいた。
「大体断っておきますが、私も真琴で二人目なんですよ?そんなに詳しいわけではないです。祐一はあの子で二人目なわけですけど、気づ

いたんでしょう?」
「……ああ」 
 祐一はそういって深いため息をついた。
 私もまた、ため息をついた。
 まさか、娘が――狐から人間に姿を変えた少女を連れてくるなんて――思いもしなかったから。





 琴美は、友達があまりいなかった。どちらかというと、みんなと遊ぶより一人で遊ぶことが好きな女の子だった。
「変なところ、お前に似たな」
 そんなことを言う祐一に、
「祐一も北川さん以外の男友達なんてみたことがありませんが?」
 そういうと、祐一はぐぅの音も出なかった。
 それ以外は、成績もよく、スポーツもそこそこ出来、親のいうことはちゃんと聞いてくれるいい子な小学3年生だった。
 そんな琴美が昨日、いつもは門限である5時30分には家に帰ってくるのに、6時になっても娘が帰ってこなかった。
 何か、事故にあっていないと良いのだけれど。と思っていたそのときだった。
 琴美が『この子、記憶がないんだって、一晩の間だけでも、とめるわけにはいかないかな』そういって一人の女の子を連れてきたのは。
 その子を見たとき瞬間的に私たちはわかってしまった。間違いなく。そう、間違いなく。狐が人間に変化した女の子だと。
 私たちは、娘に戸惑いながらも「いいよ」といった、戸惑ってそうとしかその場ではいえなかった。
 ――そのとき、娘の顔がぱっと輝いた。
 その姿に胸を痛めながらも、それから四人一緒にご飯を食べて、琴美は女の子と一緒にお風呂に入った。
 娘は本当に楽しそうだった。



『小さな営みの中、また新しい命が生まれ、育まれて……そしてまた、人の温もりに憧れる子が出てくるんでしょうか……でもそれは仕方がないですね。あの子たちの性分ですから』
 遠い過去、私が祐一にそういったことを思い出す。
 彼らは、本当に悪い子たちじゃないことはよくわかっている。
 彼らに罪はない。それはわかっているし、あの頃からその考えは変わっていない。
 だけど――。恨まずにはいられない。何かを。
 9歳のとき、私は何度、あの子が帰ってくることを望んだだろう。祐一もまた、何度、真琴が帰ってくることを望んだだろう。
 だけど、奇跡は起こらなかった。彼らは決して、帰ってはこなかった。
 かわりにあったのは私が9歳のときにあの子と出会い、クリスマス・イブに別れて。私の娘である琴美もまた、同じような時期に狐から姿を変えた少女に出会うなんていう、ありがたくもない符号だけだった。もしこれを奇跡というのなら、奇跡はなんて残酷なものだろうか。
「なんの冗談ですか?なんで琴美も、私と同じ9歳のときにこんな経験をしなければならないのですか?」
 思わずそう声に漏らしていた。
「まだ、早すぎます……受け入れるには重過ぎます、私もそうでしたから」
「……9歳のときだったのか」
「……はい。そういえば、まだこのことは話していませんでしたね」
「そういえばそうだったな、なんかあまり聞いていいような感じもしたし」
「……そう、でしたね。でもよかったら聞いてくれませんか?」
「美汐が話したいのなら、聞くよ」
「だったら話しましょうか」
 今の私たちにはきっと、必要なことだろうから。そんな事を考えながら私はにっこりと微笑んで「私は9歳の、時でした――」と話し始めた。


「私は9歳の誕生日の日、12月6日に私はあの子と出会いました。昨日の琴美みたいに恐る恐る両親にお願いしたのを覚えています。両

親に事情を話すと、母親はすぐに了解してくれました。そのとき心底ほっとしたのを覚えています。もっとも父親がすぐには了解してくれ

ませんでした。『悪い虫と美汐を同じ屋根の下におけるか〜』っていって怒っていました……結局、最後には父親の了解は得られましたが


「……男の子だったのか」
「ええ。これが私が今まで話さなかった理由の一つです」
 おどけるように、私はいった。
「……俺は別にそんな心の狭い人間じゃないんだけどな」
「……当時の私はそれなりに必死だったんですよ」
 そういって自嘲的に微笑んだ。
「それからしばらく、あの子と本当に楽しい日々を過ごしました。一緒になって雪合戦したり、かまくらを作ったり、遊園地に行ったり。……そこから先は真琴のときと同じです。満足に箸がつかえなくなって。歩けなくなって。だんだんあの子が人間らしい行動ができなくなっていきました。私が『病院につれていこう』そう、母に言ったときでした。母はいいました『この病気は医者には治せない。この病気は狐が人間に姿をかえた、その代償におこる病気だから』って」
 そこで私は一息ついた。
「……」
 祐一は不思議そうな顔をして聞いていた、なぜ、私の母親が、そのことをしっているのか、それを疑問に思っているような顔だった。
「始め、母が何をいっているのかわかりませんでした。『狐が人間に姿をかえる』そんなこと、起こるはずがないと思いました。でも、母は言いました。信じられないのは無理はないけど、これは事実だと。そしてその子と昔ちゃんとあっていると。そういわれ、私は始めて一匹の狐を昔助けたことを思い出しました。そしてどこか、その狐とあの子が雰囲気が似ている、と直感的に思いました。私は聞きました。

『どうしてそんなこと知っているんですか?』って」
「……まさか」
「そう、その、まさかです。母もまた昔出会っていたんです。当時の母は何もしらず、別れのときを迎えたといっていました。そして、母はあの子とあったとき、すぐに狐が姿を変えたと気づいたといっていました。そして母はいいました。「もうすぐ、消える」と。私は目の前がまっくらになってそして――」
「どうしたんだ?」
「……どうしたと、思います?」
 私の顔をみた一瞬、祐一の顔がこわばった。かなり怖い顔をしているらしい。
 私は気にせず、話を続ける。
「私は始めて、母を罵倒しました。何度も、何度も、ないている、母に向かって――。どうして今まで教えてくれなかったのかと。私が母を罵倒したのは後にも先にもこれ一回でした、だけど。そのときの私は、今思い出しても、ひどいものでした」
 声をあらげているのが自分でもわかった。
「……もういい」
 祐一のその言葉を無視して、私は続ける。
「私はっ、母がどういう気持ちで告げたかなんて何も考えずっ、ただっただっ、何かを攻めないとやっていけなくてっ、母は多分、もしはじめから、それを知っていたら、苦しみが倍増しただろうから、母は多分教えなくてっ」
 何をいっているのか半分自分でもわからなかった。
「もういいっ」
 そういって祐一は私を抱きしめた。


 しばらくして、ようやく落ち着いた。
「すみません、年甲斐もなく取り乱してしまって」
「いい、気にするな、おばさんくさいのは昔からだから、年甲斐がないことはない」
「あ、それは酷いです」
 祐一の冗談をちょっとありがたく思いながら私は言った。
「……私たち、きっとうらまれるんでしょうね、このままだと」
 あのときの私と同じように恨むことになるんだろう、と思う。まだ、それを受け入れられるほど大人ではないのだから。 
 そもそも琴美がここにあの女の子をつれてきた来た時点でそれは決定している。あの子をどこか施設にあずける、といったら当然恨むだろうし、さけようのない、別れのときはどうしても恨むことになるだろう。…だけど前者ならその量は少ないかもしれない。いや、少ないだろう。
 だとしたら――。そういう回答もあるのかもしれない。
「奇跡でも起こらない限り、今のままだと恨まれるだろうな」
 ポツリと祐一はそんなことをいった。
「奇跡なんて、起こりません。私も、祐一もそうだったではないですか」
「三度目の正直っていうぞ、美汐は今回で3回目だ。奇跡だって起こるかもしれない」
「二度あることは三度ある、ともいいますよ?やっぱり施設に預けて――」
「そうかもしれない、けど」
 そこで祐一は一息つく。
「ただ、俺はハッピーエンドを見てみたいんだ、琴美に恨まれることになっても」
「親、失格ですよ」
「ああ、失格だ、だけどこれは無知とはいえ、琴美が選んだ道でもあるんだ。辛いとおもってもと俺は思う、だったら俺は琴美の望むまま

してやりたい。ただ、そう思う」
 確かにそうするのが一番かもしれない。娘が選んだことはなるべくまもってやりたい、そうおもうのはいい回答かもしれない。
「だけどそれは勝手なんじゃないですか?」
 ――でも、それは勝手すぎる。
「本当に勝手です」
 もう一度、私はそういった。正しいかもしれないがそれは勝手だ。
「ああ、とても勝手だ」
 そう祐一はいった。ふと時計を見ると時になっていた。
 そろそろ娘が起きる時間だとおもっていると階段を二人でくだってくる音がした。


「メリークリスマスッ」
 そういって娘は挨拶した。
「朝はおはようです、琴美、顔洗ってらっしゃい」
「は〜い」
 そう返事をすると女の子の手を連れて洗面台に向かった。もう一人の女の子と一緒に微笑みながら。
 私たちはこれからのことをいろいろ思いながら、娘の9回目の、クリスマス・イブを迎えた。
 
 私たちは、ハッピーエンドを迎える、ただ、それだけを祈った。



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 菜の花畑に4人の家族が遊んでいた。どうやらピクニックで遊びに来たらしい
「琴美、いっしょにご飯食べよう」
「みゆもこっちにきて」
「「はーーい」」
 4人そろって、笑いあっていた。そんな光景が私の目の前に広がっていた。
 それは、夢か現か幻か――。
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