フライング・クリスマスプレゼント



 列車のドアが開く。列車の中にあった暖かい空気が逃げ冷たい風が入り込んでくる。冷たい、だけど澄んだ空気を彼女は一杯吸い込む。彼女は外へ一歩踏み出す。ちょうど昼ごろだったからか周りに人はまばらだった。雪におおわれた白い町並み。数ヶ月ぶりのこの町は、変わらず彼女を迎えてくれた。手袋を持ってくるべきだったかなと頭の片隅で思いながら、手をぎゅっと握る。身を刺すような厳しい寒さ。普段暖かい町で暮らす彼女にとってはしばらく体感しなかった寒さであるけれど、その寒さが懐かしくもある。なぜなら彼女はこの町で生まれ、育ってきたのだから。
 彼女は改札を通り、駅の外へ出る。駅前の様子も初めて彼女がこの町を出た数年前からほとんど変わっていない。駅の前を行き交う人たち。おいしいケーキ屋さん。待ち合わせの目印となる大きな時計。全てが彼女の遠い記憶を揺り動かす風景の欠片だった。
 そして彼女がある人を待っていたベンチには子供が座っていた。寒さに耐えるように顔をうつむかして。彼女にとってその子供は自分自身の思い出を呼び起こす大きな欠片だった。その子供の姿は昔の自分を思い出させる。来ない人を待ち続けた自分自身を。
 彼女は子供のそばに歩み寄って、子供の目線に合うようにしゃがむ。けど、子供は彼女に気づかないようだった。年は七歳くらいだろうか。その年頃の子供らしく、短く髪は切りそろえられている。フードが付いたコートを着ていて、覗き込むことで初めて顔が見え、男の子だということが分かる。今は目に涙をためているけれど、普段はやんちゃな男の子なのかもしれないと彼女は思った。
「だいじょうぶ?」
 男の子は一瞬体を震わせ、恐る恐る、ゆっくりと彼女の方を見る。
「……ひくっ、お姉ちゃん、だれ……?」
 突然見知らぬ人に、声をかけられた男の子は少し彼女から身を遠ざける。
「えっとね、ちょっとお節介なお姉さんかな。お母さんかお父さんは一緒じゃないの?」
「……いなくなっちゃった」
「えっ……?」
「サンタさんに、えぐっ、ついてってたら……いなくなちゃって……」
「あっ……」
 この季節、どこの町・人々もクリスマスで彩られる。この駅前にも定番のクリスマスの音楽が流れていた。小さなこの町でもサンタさんやトナカイさんに扮した人がいるのだろう。このくらいの子供なら、夢中でついていってしまっても仕方ないだろう。両親は心配して、男の子を捜しているだろうと彼女は考えた。当然彼女は、このあたりの地理は把握している。数ヶ月でそうそう変化することは考えにくい。
「じゃあ、お姉さんと一緒にお母さんとお父さんを捜そうか」
「え……?」
「お父さんとお母さんもきっと君のこと、心配しているはずだよ。大丈夫、すぐ会えるからね」
「でも……」
 この状況で初めて会った彼女にたいして不安を抱いているのか、男の子は目に涙をためたまま、不安げにうつむいたままだ。
「……そうだ。君、甘いもの好きかな?」
 彼女の質問に少しとまどいを見せながらも、男の子は答えを返さなかった。それを気にせず彼女は、地面に置いておいた大きなバックからなにかを探している。やがて目的のものを取り出す。それは彼女の両手より少し大きい白い箱だった。
「これ、私が作ったんだよ。ちょうどよかったよ、これ持っていて」
 男の子の前でその箱を開ける。中にあるのは大きなシュークリームが八つ。彼女はそのうちの一つを男の子に差し出した。
「はい、どうぞ」
 男の子は彼女を見て、おそるおそる手を出す。
「……くれるの?」
「うん、お姉さんからのちょっと早めのクリスマスプレゼントだよ」
「……あ、りがと」
 男の子はゆっくりとシュークリームをかじる。味を、確かめるように少しずつ口を動かしている。
「しょっぱい……」
「あはは、それは君の涙の味だよ、きっと」
「……でも、甘くておいしい」
 ほんの少し、初めて男の子は笑顔を見せる。彼女はそれに気づき、内心でほっとした。やっぱりクリスマス――正確にはクリスマスより少し前だけど、子供が寂しい思いでいるのは彼女にとって忍びなかった。
 彼女は水筒のふたを開け、その水筒のふたに紅茶を注ぐ。
「君、紅茶飲めた?」
「……飲んだことない」
「暖かいから、ちょっと飲んでみる?」
 男の子は彼女から紅茶を受け取り、ほんの少しだけ飲んでみた。
「……あったかい」
「うん、やっぱり寒いときにはあったかいものがあるとほっとするよね」
 暖かい紅茶が男の子の不安を、幾分やわらげてくれたのかもしれない。彼は初めて落ち着いて彼女を見た。一目で、優しそうな人だということが子供からみて分かる。普段彼女を見たら、警戒するようなことはなかったような気がする。
「……ありがとう」
「どういたしまして。男の子がいつまでも泣いてちゃいけないぞ」
 彼女は優しく男の子の頭をなでた。
「よしっ」
 男の子の隣に座っていた彼女は立ち上がり、再び男の子の目線に合わせる。
「改めて、お父さん達を捜しにいこうか」
「……うん」
 男の子はそれにゆっくりとうなずいた。

「お姉ちゃん、すごい」
「ま、まあこれくらいなら何とかなるよ。私大人だから」
 彼女はバックを肩に担ぎながら、男の子を肩車していた。本当は結構肩が痛くて、そう長く肩車できそうになかったけれど、男の子に、気を使わせないためそれを表に出さず頑張っていた。昔よりは随分力がついたけれど、本来彼女は女性と比べてもそう力があるわけではないのだ。彼女は駅からほど近くの交番に向かっていた。親が迷子を捜すとしたとき、一番立ち寄りそうな場所だと判断したからだ。
「でもお父さんより低い」
「それはしょうがないかな……ごめんね、お姉ちゃん背低いから」
「だけど遠くまで見える」
 これなら男の子は両親を見つけやすいし、両親も男の子を見つけやすい。彼女の予想だけど、男の子が両親とはぐれたのはそう遠い場所ではないだろうと思っていた。すぐ見つかるのではないかと彼女は思う。
「お父さんにはよく肩車してもらうの?」
「うんと……高い高いとか」
「そっか、いいご両親なんだね」
「シュークリームは作れないけど」
「あはは、でも毎日ご飯つくってくれてるんだよね」
「うん」
 両親の話をすると、男の子は笑顔になる。幸せな子供なんだなあと彼女は感じた。その思いがまた彼女の遠い思い出を呼び起こす。優しかったお父さんとお母さん。料理を教えてもらうことを約束したこと。クリスマスの思い出もそのなかにたしかにあった。けれど、それは本当に遠い記憶だった。
「お父さんだっ」
「えっ?」
 彼女の上にいる男の子がにわかに動き出す。あらぬ方向へ指差しながらそちらへ行こうとする男の子に、あやうく彼女はバランスを崩しそうになった。
「わわっ……っとと」
 なんとか立て直し、男の子が指差す方向を見る。こちらへ駆ける、おっとりしてそうな男の人が彼女にも分かった。

 男の子の両親に何度もお礼を言われ、なんだが返って悪い気がした彼女はついそこそこに引き上げ、再び駅前に戻ってきた。少し痛む肩を半分無視しながら、さっきまでのベンチに座る。
「また遅刻かな。まったく先行っちゃうよ……」
 ちらちらと雪が舞うなか、ひとりベンチで彼女は待つことにした。待つことは嫌いじゃないけど、回数が多いと思わず文句も出てきてしまう。それに今回は彼女にとっての凱旋だというのに。一応電話で伝えてはいるけど、自分自身の口からも早く伝えたい。けれど、さっそく自分の夢を欠片を垣間見れたような気がして、心は温かかった。ふと、雪が途切れる。彼女は顔を上げた。
「遅刻だよ、祐一君」
 そこにいたのは彼女の待ち人――相沢祐一の姿。いつも待たされているのに、その姿を見ただけでなんとなくしょうがないなあと思って、次にうれしくなってしまう。
「悪い、急に仕事が入ってな」
 彼はあんまり悪びれもせず答える。けど息が上がっていることは彼女にはお見通しだった。
「それじゃあしょうがないね。祐一君の仕事ってそういうものだし」
 祐一は教師をしている。急に生徒に関連した仕事だって入ってくる。それを後回しにするわけにはいかないことは彼女は分かっていた。
「それでどうする? 疲れただろうし秋子さんの家に行くか?」
「そうだね。目的はちょうどその通り道にあるから」
「結局、場所は教えてくれなかったしなおまえ」
「見てのお楽しみだよ……とはいってもまだこれからだけど」
 彼女はこの町に来たときは必ず、祐一の叔母である水瀬秋子の家に泊まることになっていた。秋子は本来他人であるはずの彼女を、血のつながった子のように思ってくれている。早くに両親を失った彼女も、秋子を母のように思っていた。
 祐一が彼女のバックを持ち、水瀬家への道を歩き始める。そうして五分ほど。大きな道沿い。そこにあったのは整地された空き地。
「ここに建つのか?」
「うん、そうだよ」
「なかなかいいところだな。けっこう人がきそうじゃないか」
「場所がいいだけで人が来るわけじゃないけどね」
「しかし……おまえが菓子職人になるなんて。昔のおまえからは考えられないな」
「人は成長するものだよ」
 その空き地には彼女の店が建つ予定だ。ごく小さなお菓子屋。すでに資金もある。
「いやいや、よく頑張ったもんだなって感心しているんだよ」
「珍しいね、祐一君が人を褒めるなんて」
「なにを言う。教師は褒めるときはしっかり褒め、怒るときはしっかり怒らなきゃいけないんだ」
「それはそうだね」
 祐一の言葉についおかしくなってしまう。彼女は空き地に少し近づいた。
「どうだ、自信のほどは?」
「少し不安はあったけど……ついさっき、勇気付けられたかな?」
「ほう?」
「お客さん、第一号さんに」
 昔の自分のように、寂しい思いをしていた子供。そんな子供を助けることができたことが彼女にはうれしかった。子供の頃祐一がくれた、たい焼きのように自分のお菓子が泣いている子供を、暖かい気持ちにできたこと。
「私が少し早い、クリスマスプレゼントを貰っちゃったかもしれないね」
「そっか。あとでゆっくり聞かせてくれよな」
「うん、分かったよ」

 いつの頃からか、彼女――あゆが自分のことを私と呼び、口癖を言わなくなった。けれど、祐一にとって、彼女の本質は変わってないと思った。
「それでね、祐一君。みんなのお土産にシュークリーム作ってきたけど、子供にあげちゃったから祐一君の分ないんだ」
「……そうなのか?」
「冗談だよ。余分に作ってきたから」
 祐一は苦笑する。いつの間にか手強くなったなあと。どうやって仕返ししようかと考えながら、祐一はあゆの隣に並び、再び水瀬家へ歩き始める。どこからか、クリスマスソングがかすかに流れていた。
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