ちらちらと空から白い物が降り急ぎ。
 町中にその色を染みこませるかのように辺りを染めていく。
 そこに太陽という名の紅がさらなる色を与え。
 白い景観は紅と混じりピンク色になる。
 ……という事は流石にない。
 太陽はやはりこの世界では絶対な物らしく、全てを等しく紅く染めているのだから。
「とか言うと詩人っぽくないか?」
「そうですか? 途中変な表現がありましたけど」
「手厳しいな」
「これでも読書家ですから」
 そんな姿を一度も見た事がないわけだが。
「祐一さんが知らないところで読んでるんですよ」
「なんだ? 恋人に隠し事か? 酷いな、栞」
「わ、なんか変な言いがかりをつけられてる気がします」
 いや、まんま言いがかりではあるんだけれども。
「だいたい、祐一さんの前じゃ落ち着いて本なんか読んでられないです」
 そりゃ、酷い。
「俺がいるとお前の邪魔しかしないみたいだな」
「ちょっと、だけですけど、してます」
 あっさりと肯定されてしまう。
 ちょっと、からかうような笑顔ではあったが。
「たとえば見たいテレビを前にしてとか、今にも溶けそうな美味しそうなアイスが目の前にして悠長に本を読めますか?」
「んー、テレビやアイスにそこまで固執した事無いから」
「そういう揚げ足取りとか嫌いです」
 あっさりと嫌われてしまった。
 まぁ、いつもの事だ
「まぁ、でもつまり俺はお前にとってのテレビやアイス程度の価値はあるって事か」
「それ以上ですから、やっかいなんですけどね」
「やっかいもの扱いしないでくれ」
「じゃ、大切な物として扱いましょう」
 そう言うと栞は両腕を開いて構える。
「どうぞ、ハグしてください」
「嫌だ」
「抱きしめてくれても良いです」
「意味が同じだ」
「らぶらぶですから抱きしめたいんです」
 祐一さんは違うんですか、となんか拗ねたような眼で聞かれる。
「そういうのを口に出すのは男の流儀に反する」
「それって男の人の誤魔化しの常套句だと思いますけど」
「男は態度で示すものだ」
「いま、態度で拒否されましたが」
 確かに。
「じゃあ、態度で示してやろう」
「本当ですかっ」
 そう言うと嬉しそうに腕を開く栞。
 俺はそれを華麗に無視するとさっさと歩き出す。
「嫌いですかっ? 私の事、嫌いなんですかっ?」
「知ってる癖に聞くなよ」
「あはは、そうですね」
 そういうと栞はちょこちょこと走りよってきて俺に並ぶ。
 半年前だったらそれだけで心配してしまっていた行為もいつの間にか気にはならない。
 少なくともそれだけの時は一緒に過ごしたという事だろう。
「それにしても寒いな」
「十二月ですからね」
「なんで昼間でも氷が張ってるんだ……」
「北国ですから」
「そんな日にどうして外にでなけりゃならない」
「12月24日ですから」
 どれも単純な理由らしい。
 単純すぎて涙が出そうだった。
「家族パーティーでもして室内で過ごすとかで良いじゃないか」
「それじゃ、祐一さんと一緒に過ごせないです」
「なんだ、それじゃ俺が他人みたいじゃないか」
「他人じゃなくて恋人ですよ」
「知ってる」
 ちょっと意味もなく拗ねてみただけだ。
「でも、俺も混ぜてくれれば良いじゃないか」
「つまり、祐一さんも家族の一員になるってことですか?」
 いや、そこまで言ってない。
「プロポーズって初めてされました」
「いや、そこまで言ってないから」
 こんな情けないプロポーズなんて死んでも嫌だ。
「意地悪ですね」
「俺が意地悪をしなかった女の子はいない」
「それ、もの凄く自慢にならないです」
 否定出来ない。
 別にする気もないが。
「まぁ、デートはいいとして外でする必要は無いじゃないか」
「せっかく、雪が降ってるんですよ?」
「いや、だからこそ外でしない方向で」
「もー、情緒ってものがないんですかっ」
 なんか怒られた。
 でも、雪国で雪を見て情緒を感じろなんて無理な気がする。
 見慣れてるから。
「だいたい雪降るのって珍しいんですよ?」
「昨日降ってたのはなんだ? アイスクリームか?」
「そうだったら素敵ですけど、そういう意味じゃないです」
「じゃ、なんだよ」
「この町で、クリスマスイブに雪が降ったのって10年ぶりなんですよ」
「へぇ……」
「だからちょっと奇跡みたいですね」
「なんか随分と安っぽいな」
「起こらない事が起こる事を奇跡と呼ばずとしてなんと呼びますか?」
「起こらないって程でもないだろ、降るか降らないかの半々の確率だ」
「いえ、今日の降水確率は90%でした」
「むしろ起こるじゃないかっ」
 奇跡とは程遠かった。
「気分の問題ですよ」
「そうか、なら気分を十分楽しんだろうから家に帰ろうぜ」
「恋人との甘い一時を十分やそこらで打ちきろうとしないでください」
 少し怒ったように栞が言う
「大体、祐一さんはこの町中に降り注ぐ奇跡を目の当たりにしてなんとも思わないんですか?」
「奇跡が俺の肩やら頭に降り積もって寒い」
「極悪人です」
 酷い言われようだった。
「大体、デートっていうなら、歩く以外の目的を決めてくれ」
「祐一さんと幸せな一時を過ごしたいです」
 とても良い目的だった。
「せめて、俺にも目的を与えてくれ」
「私を幸せにしてください」
 素晴らしい殺し文句だった。
「お前、口が上手いな」
「祐一さんに鍛えられましたから」
 微妙にやぶ蛇だった。
「ともかく、なにかしないか?」
「そうですね、じゃ、私にプレゼントを買うとかどうでしょうか?」
「誰が?」
 あえて聞く。
「私が他の男の人からプレゼント貰っても良いんですか?」
「別にいい」
「わ、ものすごく愛のない発言です」
 栞がわざとらしく驚く。
「私の事愛してないんですか?」
 しかもどこかで聞いた事のあるような台詞を言う。
 本人がそれを言ってちょっと満足そうなのが微妙に悔しい。
 まぁ、仕方ないので一言付け足す事にする
「サンタクロース相手に間違いは起こらないだろう?」
「分かりませんよ? サンタさんだって所詮は一人の男です」
 いや、サンタさんに男を求めるな。
「だいたい祐一さんはサンタさんなんておかしいと思わないんですか?」
「なんで?」
 あんな夢一杯のじいさんを?
「子供の寝室に真夜中にこっそり忍び込んでくる変態ですよ」
 クリスマスイブ最大の善人がものすごい言われようだった。
「大体、プレゼントをこっそり置いていくとか訳が分からないです」
「いや、それがサンタさんの存在意義だろう」
 奪ってやるなよアイデンティティーを。
「いえ、あれは絶対子供達に良いおじさんだと印象を植え付けようとする策略に決まっています」
「ものすごく尖った物の見方だと思うが」
「誘拐犯だって飴とかおもちゃを無償で差し出す時代ですよ。サンタさんだって例外じゃ無いはずです」
 もはや完全に極悪人だった。
「でも、流石に誘拐犯と一緒にするのは言い過ぎじゃないか?」
「そんな事無いです。なんの為にあんなに大きい白い袋をもってると思ってるんですか?」
 プレゼントを入れるためだ。
「あの中に油断した子供を詰めて攫って行くんです。25日には毎年行方不明になった子供のニュースで溢れかえってます」
 初めて聞く話だった。
「というかなんでそんなにサンタを嫌うんだ?」
「一度も来てくれた事無いですから」
「ものすごく分かりやすい理由だな……」
 分かり易すぎて涙が出そうだ。
「というわけで私にプレゼントをしてください」
「いや、今の話と関係ないじゃないか」
「恋人はサンタクロースって言うじゃないですか」
「俺は極悪人かよっ」
 栞の中で俺のイメージがどうなっているのかものすごく気になる。
「でも、本当になにも用意とかしてないんですか?」
「もちろんだとも」
「そんなに力強く肯定しないでください」
「というかそこまで言うからにはなにか欲しい物でもあるのか?」
「今は祐一さんの愛が欲しいです」
「はいはい、愛してる愛してる」
「心にもない事言わないでください」
 いや、一応本心なんだが。
 もしかして信用無いのだろうか?
 それとも……。
「もしかしてちょっと怒ってるのか?」
「いえ、特には」
「本当に?」
「はい」
「本当にお前の事好きだぞ」
「知ってます」
 そして唇に人差し指を当てると意地悪そうに言う。
「今みたいにちょっと拗ねてる祐一さんを見たかっただけです」
 小悪魔の笑み。
「……趣味悪いな」
「祐一さんの趣味が移ったんです」
 いつも意地悪されてますからと言葉を続けられる。
「はぁ、どうしてそんな栞になってしまったんだ」
「死ななかったからじゃないですか?」
 あっさり言うには恐ろしすぎる言葉。
 特に栞の場合は。
「今もこうして何事もなく祐一さんと一緒にいられるからだと思います」
 そう言って栞は足を止める。
「絶望して絶望して絶望して死ぬしかなかった私に祐一さんがあらわれてあっさりと奇跡を与えてくれたからだと思います」
「別に俺は何もしてないだろう」
 奇跡なんて俺には起こせないし。
「そんな事はないですよ」
 栞はそう言って笑う。
「祐一さんは奇跡ってなんだと思いますか?」
「あり得ない事が起こる事だろ?」
「そうですね。たとえば死ぬ事が決まっていた私がなんの問題もなく今生きている事とかですね」
 それは……
 それは違う……
「それは違うだろ。確かにお前は死ぬかも知れないと言う可能性が高かったけど」
 そう言って一瞬あの頃に想いを馳せる。
 確かにあの時は絶望的な状況に見えたけど、今思うと……いや、あの時すらも全くの可能性が無かったとはとうてい思えない。
 というか、
「百回同じ事が起こってもお前なら百回とも生きてるような気がする」
 だからこの少女が死ぬかもしれないという危うさを感じた事は幾度もあった。
 だが、この少女が死ぬと思った事は一度もない。
「私は今でも百回同じ事が起こったら百回とも死んでたんじゃないかという気がしてます」
 そう言って栞は笑う。
「だから祐一さんこそが奇跡なんです」
 ただ、いつもの華やかな笑みではない。
「私が助かったのは色んな人が私を助けようと頑張ってくれたからです」
 世界中の全てを愛するような笑みだ。
「でも、奇跡ってのはきっとそういう物じゃないんですよ」
「じゃあ、奇跡ってなんだんだ?」
「どうにもならない不幸を、どうしようもない幸せに変えてしまう事です」
 ただ、じっと俺を見つめ笑って笑って笑う。
「永遠に変わるはずがない不幸が次の瞬間にあり得ないはずの最高の幸せに変わっていたら奇跡ですよね?」
「確かに……奇跡かもな」
「なら、祐一さんは奇跡です」
「そっか……」
 なら良い。
 俺が奇跡でも。
 たった一人の人間が奇跡なんて、この無駄に降り注ぐ大量の雪を一つ一つ奇跡だという事に等しい。
 本当に安っぽい事この上ないが、でも、栞のためなら俺ぐらいの存在でも奇跡であっても良い。
「というわけで私は今大変不幸なので奇跡を起こしてください」
「いや、良い話にオチを付けるなよ」
「関西人ですから」
「バレバレの嘘をつくな」
「そんなノリの悪い人、嫌いです」
 そんな事を言って、この台詞って関西人ぽいですよねと栞は笑って歩き出す。
 俺はそんな栞の後ろを歩きながら不意に行動に移す。
 優しく包み込むように、
「わ、祐一さん何してるんですか」
「お前を抱きしめてるんじゃないか」
「そんな恥ずかしい事、町中でしちゃだめです」
「さっき、お前がして欲しいって言ったんだろう」
「揚げ足取らないでください」
「俺はお前いわくサンタクロースらしいから女の子を見ると抱きしめたくなるんだ」
「それじゃ、極悪人です」
「じゃあ、満足するまで愛してると耳元で囁いてやろう」
「余計恥ずかしいです」
「そうか? 幸せだろう?」
「もぅ……」
 ほんの、ほんの少しだけ困った顔をにじませて
「すごく幸せです……」
 栞はとてもとても嬉しそうに笑った。
 どうやら、今日もこの少女には安っぽい奇跡が舞い降りているらしい。
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