くそぉ。なんで寒空の中、朝っぱらから走るんだ。本来ならもっと早くに家を出ているはずだ。
走りながらポケットまさぐる。携帯電話を取り出した。
デジタル画面に表示される時刻。あまりのヤバさに焦り始める。
隣を見る。俺こと相沢祐一と対照的な様子の従姉妹の水瀬名雪に軽い殺意を覚える。
こいつは性格がのんびりとしているところがあるが、食事に関しても同様だった。
俺だったら5分程度で済ます朝食を30分近くも掛けやがった。
俺が思案に耽っている最中、いきなり右側の頬にビンタをされた。いてぇよ。
今、それが出来る奴は一人しかいない。名雪を睨みつけた。
「走りながらわたしを見ないでよ。キモイから」
キモイと言うか、キモイと。
つーかな、大体、誰がこんな状況にしたと思ってるんだ。
あー、目ぇ逸らしますか。シカトですか。
そんなんだから体重が増えるんだよ。
「祐一っ、どうして知っているの」
知ってるもなにも、お前。脱衣所であんだけ泣き叫べばいやでも耳に入るぞ。
「そう‥‥じゃ、祐一。死んで」
笑顔の名雪から後は意識がぶっ飛んで覚えていない。
大幅に遅れてから教室に入る。既に1限は終わっていた。
「もっと痛めつければ良かったよ。手加減しすぎちゃった」
この野郎。この場合は女郎か。放送室でも使って全生徒に現在の名雪の体重と脂肪率を公表してやろ
うか。ついでに3サイズも言ったろ。
「祐一。そんなことしたら殺すだけじゃ済まさないよ
おう、出来るもんならやってみろ。祐一死すとも事実は死なず。
例え俺が死のうとも、周りが名雪への対応に困惑させられるなら本望だ。
俺の玉砕覚悟に珍しく苦虫を噛み潰したような表情。
ふっ、お前の考えなど読める。
今、この場で俺を殺すか。放送室を使用不可にさせるか。後、もう1つ。
一番目なら、甘いな名雪。殺される前に教室内にいる生徒にバラしてやる。全生徒に知れ渡らないこ
とは非常に残念だが悪事は千里を走るからな。どっちにしろ俺の勝ちだ。
名雪は何か閃いたのか余裕を取り戻す。楽しみだな、どれを選んだのか。
「わたしは祐一のとんでもない秘密を知ってるよ。祐一がバラすならわたしもバラすよ」
ほぉ、三番目の交渉できたか。見た目とは裏腹に賢いな。しかし、大抵のことならバラされても俺は
平気だ。
「祐一の部屋って結構あるよね、いかがわしい本」
なんだ、その程度か。期待外れだ。健全な高校生男子なら持っていて当然だ。むしろ持っていないほ
うが男として異常だ。
「ありきたりな場所には乱雑に隠しているけど、もう1ヵ所、異様に整理整頓されているのがあるよね
」
くっ、お前、まさか俺が集めた至高の数々を知っているというのか。
名雪のしてやったりという表情がこれほどまでに憎らしいと思ったことは未だかつてない。
「祐一があんなにもメイドさんが好きだとは思わなかったよ。しかも本以外にもDVDもあったし」
くくっ、名雪。近頃じゃ、テレビなどのメディアが取り上げたことでメイドは一般化しているんだ。
以前に比べて差別の度合いは低くなっている。加えて同士の数は増えている。現に今度の休みには北川
とあの聖地へ行く予定だ。
「も、もしかして、そのためにアルバイトやってたの」
当たり前だ。
「うわ‥真性の変態さんだよ」
なにを言うか。しかし、まあ交渉は決裂だな。ああ、皆の阿鼻叫喚が拝めて死ねるなんて俺はなんて
幸せ者だろうか。
「待って。なら祐一のコレクション、全部捨てるね」
ぬうぅっ。神をも恐れることをするというのか。こいつ、実は人間の皮を被った悪魔じゃないのか。
あれ無しでは俺は生きていけない。あれを失いことは俺の死以上を意味する。
‥‥ちっ、しようがない。天秤に掛ければどちらが重いかは明白だ。渋々だが条件を呑むしかないな
。
「交渉成立だね。良かったね、お互いとも」
差し出された左手。俺も左手を出して握手をした。
当然、お互いにこやかに笑っていたがどちらも表情の筋肉が引きつっていた。
4限目の授業が終わる。周りは潰れている奴らが半数はいた。珍しく、俺も起きていたほうだ。
しかし、名雪が起きているのはいかがなものか。こいつが朝に弱いのは低血圧だからか。
「ふぁあ。ん〜よく寝た」
後ろから声。振り向くと起きたばかりの級友、北川潤だった。両腕を伸ばした後、首を左右に振る。
骨の擦れる音がした。
しかし‥昼か。立ち上げると名雪に呼び止められる。
なんだよ。俺はさっさと飯を食いたいんだ。
「駄目だよ、祐一。これから祐一はわたしの監視下にいなきゃいけないんだから」
こいつ、まだ根に持ってやがるのか。もう言う気なんてねぇよ。
「そーれーでーも」
しつけぇな。今日は二人と食う日なんだよ。もうあの人達は三年だから午前で終わっちまうことが多
いんだ。
「‥なら、絶対に言わない」
言わねぇよ。めんでぇし。
「ほんと」
ああ、マジで。
「ほんとにほんと」
マジでだっつーの。
「‥‥分かったよ」
やっと納得してくれたか。ったく、めんでくせぇ野郎だな。
あー、ちゃっちゃと行かないとマズイな。
いつもの場所、屋上前の踊り場付近の階段に川澄舞と倉田佐祐理に出会う。そして驚愕する。
20分。たった20分で半分近く弁当箱から食い物が無くなっている。ありえねぇよ。
あまりのショックに両手を地面に付ける他ない、俺。食いすぎだ、舞。
「そんなことない」
いや、弁当箱見ろよ。どうみてもおかしいだろ。
あー、モロシカトですか。そうですか。
もういいや。佐祐理さん俺の分のハシありますか。
「ありませんよ」
‥‥へっ。ないんですか。というか今、何か隠しましたよね。それって割り箸じゃ‥‥。
「すいませんね。祐一さん用の忘れてきちゃいました」
いやー、佐祐理さん。ちょっと待ってくださいよ。
「せっかく舞と楽しく食事をしていたのに、いきなり来てハシないか、ですか。勘弁してくださいよ」
えっと、ひょっと嫌われてない。俺、要らない子ですか。あまりのことに打ちひしがれるしかなかっ
た。
佐祐理さんが軽く悲鳴を上げる。見ると頭に手刀が。舞の手だった。
「いじめちゃダメ」
ま‥舞。なんて良い奴なんだ。思わず涙が出そうだよ。ただな、舞。なんというか俺がのび太みたい
に思ってしまうのは気のせいかな。
「舞に叩かれた舞に叩かれた舞に叩かれた舞に叩かれた舞に叩かれた舞に叩かれた舞に叩かれた舞に叩
かれた舞に叩かれた舞に叩かれた舞に叩かれた舞に叩かれた舞に叩かれた舞に叩かれた舞に叩かれた‥
‥etc」
うわ、相当キてるよ。地面見ながら呟くのは止めてください。メチャ怖いですから。
「舞に嫌われた舞に嫌われた舞に嫌われた舞に嫌われた舞に嫌われた舞に嫌われた舞に嫌われた舞に嫌
われた舞に嫌われた舞に嫌われた舞に嫌われた舞に嫌われた舞に嫌われた舞に嫌われた舞に嫌われた‥
‥etc」
なんか悪化してね。つか、このままだとヤバくねぇか。というわけで舞さん、お願いします。佐祐理
さんを元気付けてくれ。
舞は頷くと佐祐理さんの頭に手を乗せる置く。優しく頭を撫でた。
「佐祐理、大丈夫。私は佐祐理のことが好きだから」
「ま‥舞」
感極まり抱きつく。うん、良い友情だな。でも佐祐理さん。百合は勘弁してくださいね。
学校が終わった後、久しぶりに北川とゲームセンターへ行った。
前に住んでいた所と違い、この町はどこか田舎っぽい。そのためか、たまにとんでもない代物に遭遇
する。インベーダーゲーム、スーパーマリオ‥‥etc。極めつけは手動のパチンコ台。購入した玉を一
回一回入れるあれは、なんつーか面白い。マジで。当たるとさらに最高。
時間をかけて大いに遊ぶ。レトロ系はぜひとも他の奴らにも伝えたい。
遊び終わった後は北川と別れ、今は家路へ向かっていた。
商店街。色々な店が並んでいる。都会じゃあ、大型商店が並んだことで下町の店が無くなっているっ
てのに頑張ってんな。
見ると屋台が一台。鯛焼き屋だった。よく見ると客が一人。あー、うん。あれだ、人違いだ。おそら
く知り合いに似ている人だな。
あの服装も流行のファッション誌に載っていたからマネしたんだろ。アムラーみたく。
無理やり納得してあっちを見ないようにガチでシカト。うん。今日は最低でも盗難事件が一件あるな
。俺には関係ないけど警察の皆さん頑張ってください。
「うぐぅ〜。そこの人」
だからこれは俺に対してじゃないよな。そう頭では思っていても過去の経験則から脇道へ逸れる。
「どいてどいて〜って、え」
マジで驚く声。てめぇ、俺にぶつかってほしいのかよ。
癇に障ったので進行先に脚を出す。
脚が当たる。支点、力点、作用点。てこの原理で盗人の身体が倒れる。このままでは一応可哀相なの
で支えてやった。
「た、助かったよ」
笑顔の表情。だが、世の中そんなに甘くはない。ポケットから携帯を取り出して番号を入力する。
「どこに電話してるの」
ん、警察。悪いことしている奴を発見したら警察に届けるのは国民の義務だからな。俺はその義務に
全うする。
表情が急速に青ざめる。必死に暴れているが無駄だ。首根っこを抑えちまえば大方大丈夫。少々手間
がかかったが無事に警察の人が連行して行った。うん、良いことしたな。
「この恨み、いつか晴らすからね――――っ」
遠ざかるパトカーから悲鳴が聞こえたのは気のせいだな。
改めて家路へ向かうため、足を動かす。
ああ、そういえば。あいつの名前、言ってなかったな。
まあ、いっか。
でも、なんつーか俺の周りって変な奴ばっかだな。これからもあいつらと一緒かよと思うと気が滅入
るよ。しかし‥‥こういう時、別の言い方があるような。なんだっけなぁ。
‥‥ああ、そうだ。憂鬱って言うんだ。
感想
home