二人から四人へ。そんな写真が多くなったアルバムを見て、あたしは思う。
 誰だっただろうか。
 あたしに、そんな未来を与えた人は。




“プラネタリウムの夜”





 長く続いた冬は徐々に春の兆しを見せてはいるけど、まだまだ寒いものは寒い。白く染まった息を手に吹きかけて。薄い雲に覆われた空を睨んだり。
 または、駅前の広場を集合場所に選んだ奴を呪ったり。
 そんな想いが届いたのだろうか。喧騒に紛れて、自分を呼ぶ声。
 遅いわよ、と。少し息を弾ませて。ごめんごめん、とそれぞれが謝る。
「けど、俺が悪いんじゃないんだぜ? 名雪がな」
「そうそう。大学に出す書類、出し忘れてたんだよな」
「祐一が悪いんだよ。自分のだけ出して、締切黙ってるんだもん」
 頬を膨らませる名雪に、相沢君は相変わらず意地の悪そうな笑みを浮かべている。そんな二人を見て、北川君は笑いを堪えてる。
 いつも通りの、安心できる風景。あたしも同じように笑って、もしくはやれやれ、と肩を竦めて。
 そう、いつもならそんな感じで。あたしもこの中にいて、そして一緒に笑っている筈だった。
「北川君も教えてくれなかったし」
「相沢がいるから大丈夫だろうって思ったんだよ」
「奇遇だなぁ、北川。俺も北川がいるから大丈夫だって思ってたんだ」
 だけど、今はどこか疎外感を感じている。あたしだけが、ガラス越しの世界にいるような。遠のいた場所に、いくら手を伸ばしても届かない。みんなここにいるのに、あたしだけが取り残されている。
 雑踏が色を失う。喧騒が消えている。彼らの声が聞こえている。
 でも、届かない。
 あたしだけが、ひとり。

「うそつき」

 背中に温もりを感じて我に返る。振り返ると名雪がそこにいて、あたしに隠れるようにして相沢君たちを睨んでいる。
 まあ、いいか。と笑った。
 いつものように肩を竦めて、世界は色付き、喧騒を取り戻して。
 大丈夫だなんて、らしくもなく自分を励ました。

/

 別にそれほど深刻な話でもない。あまりにも子供じみた、皆が当たり前のように受け入れているものだ。
 卒業を前にして、あたしたちのそれぞれの進路が決まっていた。進学校であったため、同じように皆が皆進学を選び、それはいつも一緒にいたこの4人の間でも例外はなかった。
「香里。お前、進路希望どこにしたんだ……って、うぉ、後光が見える」
「バカ言わないの。で、相沢君たちは?」
「俺たちは地元の大学だよ」「うん。地元の」「……相沢の地元ってここじゃないだろ」「地元、だよ」
 それぞれが自分に合った進路を選んだ。そして、それが偶然重なった。ただそれだけのこと。
 だからあたしもその時は笑っていた。妙な迫力を伴って微笑む名雪に、怯える北川君。声を出して笑う相沢君と一緒になって。
 けれど。
 受験が進んで、同じ日に合格という知らせを貰って、同じ日に歓声をあげた彼らを見て。
 あたしだけが取り残されているような、そんな孤独を感じた。いつも一緒にいて、笑って、泣いて。けど、今は違う。あたしも喜んでいたけれど、でもみんなとは違う。
 スポットライトに包まれた彼らを見ながら、あたしはなんとなくそんなことを思っていた。
 きっと、それは寂しいって感覚だったのだと思う。

/

 少なくとも担任の石橋先生が、卒業パーティをしようなんて言い出す人だと思ってた教え子は一人もいなかったと思う。
 卒業式の夜、教室にジュースやお菓子を持ち込んで。そこが教室だというだけで、みんないつもよりもはしゃいでいる。特に。
「一番! 相沢祐一! 名雪のマネします!」
「わ、わたしそんなにいつも寝てないよー」
「というか、ラブラブなのはわかったからさー」「あてつけてんじゃねえぞー」「ていうか、水瀬さんって家でもそんなのなんかよ」「ち、ちがうよー」「いや、違わないぞ」「どっちが?」「無論、ラブラブの方だ!」「ゆ、ゆういち〜」
 笑い声が聞こえる。というより、本当に彼は転校生だったのか疑わしくなるけど、でもそんな彼がいたからこそ、あたしも今こうして笑っているんだと思う。
「二番! 斉藤! 今からガチで告白します!」
「おお、マジか斉藤」「漢だぜ斉藤!」「相手はー?」「三宅さん、ちょっと来てくれるかな」「え、え?」「三宅っちだったんだー」「お前、三宅は俺がーっ」
 本当に楽しい。けど、だからこそ辛かった。みんな、もうこれからは今みたいに会えなくなるのよって。きっと、みんなわかってる。だから、こんなに無理してでもはしゃいでるんだって、あたしも理解してる。
 けど、どうしてみんな我慢できるんだろう。
 そうやって、笑えていられるんだろう。
 自然とこみ上げてくるものがある。想いがある。でもそれをここで見せるのはあたしらしくないから、そんな姿は見せられないから。

「三宅、俺には奇跡は起こせないけど」
「ちょ、ちょっと待て。何で知ってんだよお前」
「水瀬さんに聞いた」「あ、私も知ってる」「俺も」
「名雪ーっ」「う、嬉しかったんだよ!」「お前って奴はっ! 転校初日といい、もうちょっと羞恥って奴を」
「でも、三宅の傍にいることはできる」「さ、斉藤君……」
「て、平然と続けてんじゃねえぞ斉藤ォーーーーーー!!」

 あたしは、そんな賑やかな教室をそっと後にした。

/

 外は思った以上に暗く、そして寒かった。先程までの暖かさが幻だったかのように。
 あたしは一度だけ振り返って。見上げて。そして、正門へとゆっくりと歩いた。いつも誰かが必ずそこにいた場所に。
 ゆっくりとその門を撫でる。そして小さく、今までずっと見守ってくれてありがとう、なんて柄にもなく。
 本当にただそれだけ言っただけなのに、涙がこみ上げてきた。ここで何か特別なことがあった訳でもないのに。何気ない日常が、どうしようもなく愛しくて。恋しくて。
「えっと、美坂」
 はっとして振り返ると、どこか呆けたように佇む北川君。急いで出てきたのか、吐く息が白い。目が合うと、少しばつが悪いように顔を背ける。横を向いて、そして空を見上げて。
「ほいよ」
 そして、そのまま顔を向けずに何かを差し出した。暖かくて見慣れた、よくある缶コーヒー。
「購買の前の自販って夜でもやってんのな」
 自分も持っていた缶のプルタブを上げ、ちびちびと飲んだ北川君はそう言うとにぃっと笑った。
 そんな北川君に倣って、あたしもプシュっと缶を開けた。

 北川君は何も聞いてはこなかった。でも、二、三度こちらを窺うように視線を。きっと、訊きたいことがあるんだろう。何が訊きたいのかは、もうわかっているのだけれど。
 幸い、影になっていたからか、涙もその通った跡も見られることはなかった。と思う。そう思いたい。
 少しだけ気まずかった。あたしも、北川君も。話すきっかけが見つからなくて、同じように缶を傾ける。しばらく、コーヒーを啜る音だけが聞こえていた。
 けど、コーヒーの中身にも終わりがあって。
 全部飲み終わった時になってようやく、あたしは口を開いた
「斉藤君ってどうなったの?」
「なんかうまくいっちゃったみたいでさ。キレて暴れる男子続出」
 というか、なんかラブラブオーラがさ。暑苦しくてさ。そう言って笑う北川君に、あたしは少しだけ肩を落とした。どうやら追いかけてきてくれた訳でもないみたい。
 じゃあ、次は俺の番な。と北川君。えっと、と口をごもらせて。
「さっきさ、泣いて――あ、いや」
 今のなしで、なんて慌てて言った後に深呼吸。何秒か待って、今度は落ち着いた声で。
「どうしてこんなとこにいるんだ?」
 美坂、ひとりでさ。と、そう彼らしくない、真剣な顔で訊いてきた。
「えっと」
 気圧されるように、顔を背ける。今度はあたしが。北川君はさっきとは違って、逸らすことなくこちらに顔を向けている。
「見たのよね? あたしが泣いてるとこ」
 北川君は首を凄い勢いで左右に振った。「みみ、見てないぞ!」なんてどもって。あまりにもバカバカしい、わかりやすい嘘。でも、そんな気遣いが少しだけ嬉しい。
 だから、ほんの少しだけ、自分らしくないところを見せてもいいかな、なんて思った。
「みんな寂しくないのかな。高校生活も、もう終わっちゃうのに」
 そう、呟くように小さく。けど、それは確かに彼に届いて。
 はぁという息遣いが聞こえる。彼がため息をついたのだ。
「別にもう会えなくなる訳じゃないだろ」
 俺も相沢も水瀬も、みんなここにいるし、と。
「でも、遠いわよ」
「ああ、それで美坂は――」
 何かを言いかけて、口篭った。何か馬鹿にされたような気がする。少しだけムカっときて「それで、何よ」と問いかける。
 ようやく向き合った彼の顔は笑顔だった。毒気を抜かれて、少しだけぼぅっとして。
「なあ、美坂」
「何よ」
「この後、予定ある?」
「別にないけど」
 そっか、と嬉しそうに笑って。
「じゃあ、一緒に行こうぜ」
 何処へ? と聞く暇もなかった。既に歩き出していた彼は振り返って、そして言った。

「プラネタリウムに」

/

 言われてみて、最初は気付かなかったけれど、この街にプラネタリウムなんて施設はない。
 けど、揺るぎなく前を行く彼を追いかけていると、あたしが知らないだけで、実はどこかにあったんじゃないかって気分になる。
 例え、街からどんどん離れて、街灯も消えて、人の姿がなくなっても。それでも、なんとなく彼を信じていいような気がした。彼の行く先にはプラネタリウムがあって、絶えず星が瞬いている。
 そして、本当にその場所はあった。建物も、椅子も、案内人もいないけれど、そこには本当にたくさんの星が浮かんでいて。
「案内人ならいるぞ」
 と自分を指差して北川君が言った。「あたしよりも詳しい?」「うっ、自信ない」
 そう、あたしたちは丘の上に立っている。見渡せば、まるで天の川のような街の灯り。その頭上には満天の星。
「えっと、名前はものみの丘プラネタリウムでいいのかしら」
 あたしがそう訊ねると、彼は大きく頷いて「ようこそ。我が街自慢のプラネタリウムに」なんて済ました顔で言った。

/

 寝転がると、本当に星がよく見えた。
「俺たちはさ、今同じプラネタリウムにいるんだ」
 隣りで、同じように寝転がった北川君はそう言って、続けた。
「例え離れていてもさ。夜になれば俺たちは同じ星を見てるんだ」
 まるで、一緒にプラネタリウムにいるみたいに。北川君が言った言葉。あたしは目を瞑って、それを胸にしまう。
 そして、心の中のアルバムを紐解く。
 そう言えば、そういう人の機微に、北川君はいつも敏感だった。落ち込んだ時、いつも励ましてくれた。楽しい時は一緒になって笑ってくれた。
 そして、思い出す。
「美坂チーム、なんて言い出したのも北川君だったものね」
「ん? なんか言ったか?」
「ううん。なんにも」
 星の海の下で、あたしは空を見上げてる。
 街灯も何もない。月明かりだけに照らされた、そんな場所。
 でも、すぐ傍に彼がいてくれることだけは、はっきりと感じた。






 すぐに慣れる。皆が皆、口を揃えて言った通り、一人から始まった大学生活は思いの外順調だった。
 友達もすぐにできたし、サークルの先輩もよくしてくれてる。つい数ヶ月前まで、一人になることに怯えていたのに。現金なものよね、と言うと、電話越しの相手は「まあ、そんなもんだろ」なんてすごく適当に応えた。
「そっちはどうなの?」
『変わらないよ、こっちは。相沢も変わらずバカだし、水瀬もよく寝てるし』
 バカなのは貴方もよね。と笑いながら言うと、彼は少しむっとしたように返した。バカなのは相沢だけだ。
 どうやら本当に何も変わってないらしい。知らない、新しい光景なのに、それでもすぐに想像がついてしまって。そして、そのこと自体に笑ったり。
 それに。
『けどまあ、よかったよ。美坂なら大丈夫だって思いながらも』
「あら、心配してくれてたの?」
『そりゃあな』
 北川君も変わっていない。あたしの中にいるそのままに、変わらずそこにいてくれている。
「なら、大丈夫。友達もいるし、こっちにも大分慣れたし、後は彼氏でもできればパーフェクト」
『え、いや、待て。それは困る』
「どうして?」

 世界は常に変わっていく。でも、確かに変わらないものもある。
 なんだかよくわからないことを口走ってる北川君もそう。受話器を持ったまま、窓際に腰掛けて、そんな北川君に思い切り笑って。
 そして――。

 あたしたちは今夜も、同じ空を見てる。
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