「うわっ! やっぱり寒いな」

 昼休みの学校の屋上。
 突然の北風に吹かれ……俺、北川潤は自分の体を抱え込むように抱きしめた。
 しかし、十二月のこの街の寒さは、そんなことで我慢できるような甘いものではない。
 ガタガタと寒さに震えながら、俺をこんな場所に連れて来た友人を睨みつける。

「こんなところで何の話だあるんだよ?」
「ああ、ごめんな。ここ寒いよな」
 
 愛想笑いを浮かべたのは、俺以上に寒さが苦手のはずの友人、相沢祐一。
 それを見て首を傾げる。
 何となく様子がおかしかった。
 めずらしく寒がってはいないのだが……
 今の相沢を見て湧き上がったのは、不満でも怒りでもなく……不安だった。
 どこか頼りない、弱々しいとでもいうべきか。
 友人の珍しい一面を見て、かける言葉が見つからず、しばらくの間無言で見つめてしまう。
 そんな俺に、相沢は申し訳なさそうな表情でポツリと呟いた。

「相談したいことがあるんだ」
「……」

 俺の知らない、初めてみる相沢の表情。
 そこにあるのはどのような感情なのだろうか?
 不安……それとも後悔か、恐怖だろうか。
 憎まれ口ばかりを叩きながらもいつも明るい相沢が一度も見せたことがない、様々な負の感情を前面に押し出した表情。
 ただどこまでも暗い友人の表情に、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
 意を決して問いかける。

「大切な話みたいだな」
「ああ」


相沢祐一最大の危機




 暖かい時期はお弁当を広げランチタイムと洒落込む生徒も多いこの屋上であるが、この時期になるとさすがに無人である。
 内緒話には最適な場所だ。
 それでも相沢は怯えたように周囲に他の人間がいないかを確認してから、ゆっくりと話し始めた。

「北川……俺は今どうしようもない事態に陥っている」
「一体どうしたんだよ?」
「大ピンチなんだ」

 俺に話し始めると同時に相沢が自分の体を強く抱きしめた。
 先程俺は寒さから身を守るために同じことをした。
 しかし、相沢が身を守ろうとしたのは寒さではなく……おそらくは奴自身から湧き出る恐怖感。
 それを感じた俺は事態の深刻さを一層深く思い知る。

「何でも言ってくれ……俺達親友だろ?」

 できるだけ優しく声を掛けてやる。
 今のは正真正銘の俺の本音である。
 こんな弱々しい相沢は見たことがなかったし、これ以上見ていたくもなかった。
 だから相沢が俺を頼ってくれなら、どんな協力も惜しまない。
 俺が出来ることならどんな事でもだ。
 それだけの友情という名の信頼関係が俺達にはある。
 俺のそんな思いが伝わったのだろうか……相沢は安心したように話し始めた。

「名雪に……名雪に……」
「水瀬がどうしたんだ」

 出てきたのは相沢の従姉妹でありクラスメイトであり、そして恋人である少女の名。
 俺にとってもクラスメイトであり、大切な友人でもある女の子。
 今日は普通に登校していたし、ちょっとした世間話をした時にも元気そうに見えたが……
 恋人である相沢しか知らない、何か恐ろしい事態が彼女の身に起こったのだろうか。
 俺は不安になり、相沢に詰め寄る。
 
「言ってくれ相沢!」

 思わず相沢の肩を強く掴み揺さぶってしまう。
 緊迫した俺の表情に、口ごもっていた相沢がついに口を開く。

「名雪に……」
「水瀬に?」

 しばしの沈黙。
 そして遠慮がちに語られる真相。

「……秘蔵のアダルトビデオが見つかってしまった」
「……」

 再び沈黙。
 今度は長い長い沈黙。
 ゆっくりと時間をかけて相沢の言葉を理解した俺は、掴んでいた奴の肩から手を離す。
 そして思いっきり右のコブシを握りしめ……

「知るかボケ!」
 
 力いっぱい奴の顔面に右ストレートを叩き込むのであった。
 真冬の屋上に鳴り響く派手な打撃音。

「ふざけんなよ相沢! いくらさわやか系の俺でも怒るときは怒るぞ!」
「待って! 待ってください北川さん!」

 無様に地面に転がる馬鹿を放置プレイしたまま立ち去ろうとしたする俺。
 その俺の脚にしがみ付いたのは、彼女に秘蔵のアダルトビデオを見つかってしまったという馬鹿丸出しの相沢祐一くんです。
 
「もし、今すぐこの屋上から飛び降りて自殺してくれるなら待ってもいい、二秒くらい」
「短っ! そんな冷たいこと言わないで相談に乗ってください!」
「すがりつくな! 馬鹿が感染する」
「馬鹿は空気感染も皮膚感染もしませんから! どうかお願いします! ジャニーズ系の! モテ顔ベビーフェイス北川さん!」

 盛大に溜息をつく。
 正直な話、ショボイ真相に引き気味の俺だったが相沢があまりにしつこい……というか情けないので仕方なく話を聞いてやる事にする。
 割とカッコつけである相沢がここまで必死になるくらいだから、本当に困ってはいるのだろう。
 理解はできないが……っていうかさせないで欲しいが、友達は友達だ。
 自分の人の良さに呆れながらも、このクソ寒い屋上にもう少々居座ることにした。
 ……ジャニーズ系って言われるのは実は嫌いではなかったりするし。

「で、何をそんなに困る事がある?」
「メチャクチャ怒ってるんだ……名雪が!」

 首を傾げる。
 俺だって水瀬とは同じ仲良しグループ(?)である『美坂組』の仲間である。
 しかし俺の知る彼女はアダルトビデオなんぞを見つけても、怒り狂うような人ではない。
 のんびり屋で優しい女の子で、そんなモノを発見しても自分が恥ずかしくなって見なかった事にしてしまうタイプだ。
 それにもう子供じゃないんだし、彼氏がそういうもの持っているのも理解してくれるように思えた。

「なんで怒ってるの?」
「ジャンルが……ジャンルがまずかった!」
「……何?」
「熟女モノ……」

 微妙なところである。
 熟女モノを女子高生の彼女に見つけられるのは、たしかに気まずい。
 でも予想していた程ではなかった。
 正直、話の流れ的にもっとハードなジャンルが出てくるのも覚悟していたので、たいしたことがないような気はする。
 しかし、次の相沢の言葉は……俺の予想を大きく上回るモノだった。

「設定はナイスバディの未亡人。実を言うとちょっと秋子さんに似ているんだ」
「うわ……」
 
 俺はおもわず相沢から目を逸らした。
 確かにそれはきつい、かなりきっつい。
 自分の彼氏が母親にそっくりの女優のアダルトビデオ持ってたら……そりゃさすがの水瀬もドン引きだわ。
 しかも、秋子さんは一緒に住んでるわけだし。
 相沢のあまりに哀れな暴露話は更に続く。

「実はその一件があった三日前の夜から名雪が一言も口を聞いてくれない! 家の中では完全無視だ!」 
「……きついなそれ」
「でも学校の中ではものすごく自然に振舞うんだ! まるで何事もないような笑顔で世間話振ってきたりするし……でも家に戻ったらまた無視されるんだ!」
「こわっ!」
 
 確かにそれはメチャクチャ怒ってるのかもしれない。
 あえて学校の中では自然なところがマジで怖い。
 どうりで周りが誰も気がつかないはずである。
 相沢の立場を自分に置き換えて想像しただけで、俺まで泣きそうだ。
 
「しかも名雪の奴、毎晩自分の部屋でカエルのぬいぐるみに話かけるんだ……耳を澄ませばギリギリ俺に聞こえるような声で」
「なんて?」
「……わたしもう笑えないよ……って、このフレーズばかりを深夜まで何度も繰り返すんだ!」
「もうやめて……俺の中での水瀬のイメージが壊れるから」

 っていうかもう大分壊れてきた。
 とりあえず、俺ももう笑えないよ……
 このまま教室に戻って俺は水瀬さんと今まで通りに仲良くできる自信がありませんよマジで。
 恋愛って人間を変える……俺が恋愛恐怖症になりそうなほど怖いんですけど。
 
「まだ……まだあるんだ……」
「だからやめて!」

 悲痛な声で続く相沢の話が聞こえないように、俺はあわてて両手で耳を塞ぐ。
 しかし、人間の聴力はそんな甘いモノではない。
 俺の耳に強引に入り込んでくる相沢の声。
 もはや耳から猛毒でも染み込むように恐怖しか感じない。
 
「今朝から秋子さんの様子が変なんだ」
「……」
「なんだか俺と目が合うと恥ずかしそうに目を逸らして……胸元とか腕で隠したりするんだ!」
「いやぁぁぁ! 微妙に警戒されてるぅぅぅ!」

 気まずい! すげぇ気まずい!
 もう俺ならあの家に居られないですそれ。
 秋子さんにどこまで知られてるか分からないし、確認することも絶対にできないからタチが悪い。
 相沢があそこまで動揺していたのも無理もない。
 話を聞いているだけでも、俺までこの屋上から飛び降りたくなってきたもの!

「俺はどうしたらいいんだ北川! もう受験も間近に控えているのに不安で夜もまともに眠る事ができない!」
 
 しかも夜は水瀬とカエルのぬいぐるみの会話も聞こえてくるしな……って、そりゃ寝れないわ。
 すがりつく相沢に何を言ってやる事も出来ずに、耳を押さえていた両手で今度は頭を抱えた。
 俺はこの追い詰められた親友に何をしてやれるのだろうか。
 ……ごめんなさい。無理です。何もしてあげれません。
 どんな協力も惜しまないとかって……

「すみません相沢さん! 自分調子に乗ってました!」
 
 悲痛な俺達の叫び声が屋上に響きわたる。 

「俺は……誰よりも名雪を愛しているというのにぃぃぃ!」
「相沢ぁぁぁ!」

 その時だった。

「……祐一」

 突然の聞きなれた女の子の声が聞こえたのは。
 あわてて声の方へ視線を向ける俺達。
 屋上の出入り口の前に、いつの間にか一人の少女が立っていた。
 相沢が震える声でその少女の名を呼ぶ。

「な、名雪!」

 名を呼ばれた水瀬は、その大きな瞳をウルウルと涙で潤ませながらしばらく無言で立ち尽くしていた。
 俺と相沢は抱き合うような姿勢で硬直しながら、そんな水瀬を見つめる。
 というより全く予想外の展開に俺達の思考は停止していたのだが。
 永遠のように長く感じた数瞬。
 最初に均衡を破ったのは……水瀬だった。
 
「今の話を聞かせてもらったよ」

 何も答えない……いや、答えられない相沢に向かって水瀬はポロポロと涙を流しながら叫んだ。

「疑ってごめんね! でも今の祐一の言葉を信じるよ……わたしを愛してるって言葉を!」
「名雪!」

 こちらに向かって駆けて来る水瀬。
 それを見て相沢がいきなり俺を突き飛ばし、同じように駆け出した。
 そして胸に飛び込んでくる愛しの彼女を抱きしめた。
 え、何? いまさらラブコメ?
 
「俺の方こそ心配かけてごめん。でも俺が一番愛してるのは……名雪だから」
「祐一!」

 そして無様に尻餅をついている俺の目の前で繰り広げられる、恋人たちの熱い抱擁。
 それは永遠のように長く長く続くのであった。
 俺はいきなりの急展開についていけず、とりあえず体育座りで呆然とそのラブコメを見つめていた。
 しかし、いつまでも見学しているのも悪いので、フラフラと立ち上がり立ち去ろうとする。
 その時だった。
 立ち上がった俺を横目で確認した相沢が声をかけてきたのは。

「北川……悪いけど先に戻ってくれ。今いいトコなんで、気を利かせてくれよ」

 などと面白い事を真顔でほざいてくれる我が友。
 状況についていけず混乱していた俺の頭が一瞬にして整理される。
 あまりの理不尽に対する怒りで。
 人を散々巻き込んでおいて、その言葉はないだろう。
 とりあえず俺は抱き合うバカップルの横を素直に素通りして出入り口に向かう。
 ドアを開け、屋上から立ち去る瞬間。
 振り向きもせず言っておいた。

「そうだ相沢……この間借りたビデオ明日返すよ」
「へ?」

 嘘である。
 ただあまりに納得がいかないから……一矢報いたくて、マヌケな声を上げる相沢に向かって大声で叫んだ。

「例の女子高生モノのビデオな!」
「なっ!」

 そのままバタンとドアを閉める。
 直後、聞こえてくる水瀬に対する相沢の大慌ての弁解の声。
 水瀬の声がまったく聞こえてこないのがいろいろ想像できて、ちょっと怖い。
 容赦なく俺は、トドメの一言を叫び立ち去る。

「美坂そっくりの女優が出てる……おまえの宝物な!」

 ドアの向こうから響く相沢の絶叫を聞きながら、俺は一人寂しく呟くのだった。
  
 俺だってラブコメしたいっつーの!

 ……やばい、泣きそう。





 
 
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