昔はこの街が、今よりとても大きく感じた。
苦しい、痛い、涙が出そう
誰か、助けて……
ぐすっ、なんだかとっても怖い。でも私はこの場所を護らないと
長い時間、長い長い時間、ずっと待ち続けてきた
やりきれない夜が続いて、何度も月の明かりを見上げた
気が付けばいつもここにいた
まるで初めて会ったときのようにあの人が現れて、そして微笑みながら振り向くことを夢見て
今でも覚えている、静かな約束
横顔を、遠く離れて、私から去っていくあの人の後ろ姿
待っていなくちゃ
いつか来る邂逅のときまで
私は信じたい。望めば、必ず叶うと信じていたい
ねぇ、もう会うことはできないの?
あの人になら何でも話せた。秘密のことも
消えそうな思い出に、また涙が出てくる
大切なものはみんな、私の前から消えていく
弱い私は泣いてばかり。いつも一人で泣いていた
そんな子どものような私を、あなたは許してくれる?
だって、とても怖い
一人でいることは、とっても辛い
この麦畑へ、いつかあなたは来てくれるの?
ねぇ、はやく来て
はやく、はやく、はやく
そうすれば私は、あの頃に帰ることができる
楽しかった思い出に、微笑むことができる
この雪のように、全部を白く覆い尽くしてほしい
――あなたはどこへ行ってしまったの
お前は振り向いてくれない
長い、長い沈黙の向こうに、僕がひとり待っている
常夜灯の僅かな明りの中、ぎこちなく組み合わせた自分の手を見つめる僕がいる
病院で夜明けを待つ僕がいる
あの日、信じたものは全て消えてしまった
時計の速さに怯えながら、僕は全てを憎んだ
見守るだけのもどかしさに、僕は苛立ちを募らせた
7年も眠り続けるお前は何を考えているんだい、何処にいるんだい
夢を、見ているのかな
幸せな夢なのだとしたら、少し悲しいよ
僕はそこにいないんだからね
届かない、取り戻すことなどできない。お前が観ているのは夢の世界。僕はそこにいない
そんな父親は寂しいよ
お前が振り向くようで、思い出が胸を締め付ける
髪が香り、柔らかな頬をすり寄せて
もう一度お前を、この腕に抱き締めることができたら
いつもお前を感じているよ
ほら、消えない足音が駆け寄ってくる
僕の心に近づいてくる
お前がドアを開けて、駆け込んでくる
憎んでも、憎んでも
叫びたいほど寂しくなっても
絶望して、投げやりになって、全て投げ捨てて、自分自身を消し去りたくなると
いつも聞こえてくる……
その度に、優しさだけが心に積もる。雪のように僕の心へ積もるんだ
形あるのものが全てじゃない
――僕はまだ、あなたを見つめていたい
眠ることができなくて、あなたのいない部屋のドアをノックする
目にするのは空っぽの闇。綺麗すぎる部屋
初めから誰もいなかったみたい
でもあなたは確かにここにいた。この部屋に暮らしていた
その証拠を、名残を、面影を、忘れたくない姿を
あたしは暗闇の中で探し続けている
二人が並ぶ写真は、今も隣にいるようで愛しさがこみ上げてくる
忘れることも、離れることもできず
あたしはまだここにいる
なくしかけて、気が付けば目の前に
いつも感じていたあなた
好きだった。どんなに嘘をついても
どんなに嘘を付いても、あなたはあたしの妹なんだから。たった一人の妹なんだから
夜の公園に佇むあなたは、静かに、ふわふわと
音もなく舞い降りる雪の中に座っていて
まるで雪が降りてくるんじゃなく
なんだかあなたが、真っ直ぐに空へ向かっているようで
あたしは目を逸らした。失うことが怖くて目を閉ざした
そして、闇が訪れた
塗りつぶされた心の中、僅かに差し込む灯りは
あなたの安らかな微笑み。雪明かりに浮かんで見えるあなたの姿
ストールを纏い、凍える細い指先を息で暖めて
あたしに微笑みかけるあなたの瞳、いじらしい強がり
怖がることは何もないんだって抱き締めたあの時の
あの時の夢を、あたしたちはまだ果たしていないのよ……
戻れない夜を飛び越えてあなたに会いたい
――あたしは、いつまでだってあなたのお姉ちゃんなんだから
夢に出てくるあなたは、いつも歌をうたっています
無表情な瞳で、伏し目がちに
ただ見ていて欲しいだけなんだって、声をかけてくれるのを待っているんだって
あなたの歌声が今でも響いています
どれだけ時間が経てば忘れることができるんでしょう
見ちゃ駄目なんです、思い出しちゃ駄目なんです
もう誰も使うことなんてない水鉄砲は、捨てちゃえばいいんです
こんなアルバムも
こんなおもちゃも
全部燃やしてしまえば、あなたを忘れることができるでしょうか
いいえ、そんなことができないのはわかってるんです
独りぼっちは怖いです。まだ、手を振って笑顔で見送ることができません
手を繋いで歩いていける人がいないのは寂しいんです
机の落書きを見ると、いつも思い出します
遠い世界のことを話して聞かせたあの日
お父様には内緒で、夜が更けるのも構わないで、お行儀が悪いですけど二人でお布団に潜り込んで
暗闇の中へ小さな懐中電灯を照らして
お菓子を頬張りながら何度も頷いたあなたは
見たことのない光景に、目を輝かせていましたよね
ずっと一緒に話をしていたかったです。お菓子なんて、いつでも作ってあげられたんです
あなたが喜んでくれるなら、山のようなお菓子だって作れたはずなんです
今ならきっと、できるはずなんです
ですけど、もうあなたとは会えないんですよね。本当はわかっています
あなたの影があなたを離れて、あなたの足りない真っ白な街で
これからは独りで、でこぼこの道を歩いて行かなきゃならないんですよね
寂しくないって言えば、嘘になっちゃいますけど……
――あなたの思い出と一緒なら、頑張れそうですよ
15年も経ったのですね、こんなに広い家へ二人だけ取り残されて
あの子はもう高校生ですよ
あなたにみせてあげたい
上手くできたかは分かりませんけど、私は頑張ってきました
もしも、あなたが居たなら
もしも、あなたが語りかけるなら
そんなことを考えて、今日まで辿り着きました
卒業後は大学生になって、就職して、結婚して、私がお婆ちゃんになる日も遠くなさそうです
そんな心配をするのは、まだ早いでしょうか
でも、そろそろ……
あの子にあなたのことを話してみたいと思っています
少し照れますけど、あの頃の私たち二人のことを
いつかこの家を出ていくあの子のために
涙もろい人でしたよね、あなたは
窓を叩く霙が、赤ん坊を抱いたあなたの姿を思い起こさせます
大きな手のひら、たくましさ
あの時は、嬉しいのにどうしてあなたが泣くのか解りませんでした
あの子が生まれた同じ病院で、あの子の鼓動を聞きながら
冷たい雪が降る夜の庭を見ながら
あなたは、笑って私の前から去っていきました
涙もろいはずのあなたが、悲しいのに辛いのに、なぜ笑っていたのかその理由が解りませんでした
ですけど、今になってようやく解ったような気がします
あなたは本当に意地悪で酷い人です
そしてやっぱり強くて優しい人です
そんなあなたにはお線香よりも……はい、私の新作です
なんですかその顔は。私やあの子のことを忘れたりするのは許しませんからね
――わたしたちは、いつでもあなたの側にいますよ
もしかすると、この街に住む人間のその半分くらいが”あの子たち”なのかもしれません
そんなことは現実的ではないと仰りたいでしょう
でも、出会っているはずです
誰もが、あなたも
束の間の奇跡を目にしているはずです
今となっては、僅かな煌めきを感じているはずです
知っているでしょう
本当は、気付いているでしょう
それは辛いことなのかもしれません
災厄とか悲しみなのかもしれません
後悔や悔しさ、忘れたい過去なのかもしれません
だけど勇気や強さなのかもしれません
意志や願い、そうあってほしい希望なのかもしれません
あの子たちが私たちの心の中を走り回っているように
まだ私たちは、この街で走り回っていなくてはならないのでしょうね
小さな営みの中、また新しい命が生まれ、はぐくまれて
小さな営みの中、またひとつの命が消え、追憶に変わって
そしてまた、人のぬくもりに憧れる子が出てくるのでしょうか
そしてまた、あの子たちの姿を求める私たちは涙を流すのでしょうか
でもそれは仕方がないですね、あの子たちの性分ですから
それが私たちの性分なんですから
あの子たちの存在は、なにも特別ではありません
きっと私たちはみんな同じ夢の中にいるんです
はぐれても、踏み外しても、迷い込んでも、周りが真っ暗な闇だけに見えても
同じ夢の中でなら必ず見つけだせると思うんです
そこから始まる私たちがいるはずなんです
思い出せばいつも体が温かくなって
不安や恐怖よりも先に、勇気をだして彼方を見つめることができるのです
ええ、この街に住む人間のその半分くらいが、”あの子たち”なのかもしれません
そしてもう半分は……
信じていたり、想い続けていたり、いつも側に感じていたり
約束や託された希望、鮮やかなままの夢を護りつづけて
独りでは大きすぎるこの街になんとか踏みとどまっている私たちです
逃げるのではなく、忘れるのでもなく、恐れずに現実の一歩を踏み出す私たちです
――だから私たちは強くなり、きっと優しくなれる
たとえ今が消え去っても、崩れ落ちても、奪われても、なくしても。
瞳を閉じて見上げれば。
この街にまた、どんなに急いでもたどり着けない明日が来る。
遙か彼方に明かりが灯り、夜は明けて。
この街はまた動き出す。
いま、光を浴びて昨日のあなたが微笑む。
いま、時の中で愛しさが微笑む。
手と手を離さずに。
そんな不思議な力を、そうですね”奇跡”って
そう呼ぶのは、そんなに的はずれではないと私は思うんです
感想
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