リン、リンと小さな鐘の音が聞こえる。
 それは少しずつ大きくなり、やがて曲を奏でる。陽気で優しい歌がメロディーに混ざる。
 聞き慣れた歌だ。
 祐一の部屋のラジオから流れてくるそれは、何年も前に流行った定番のクリスマスソングだった。たとえ何年たっても、この時期に聞こえてくるクリスマスソングは全く色あせないのは何でだろう。
 12月24日。その未明、午前2時。クリスマスを明日に控えた夜にはピッタリの歌だなあと祐一は思う。キリスト教の聖書なんて読んだこともないが、誰もかれもが、どこかちょっとだけ浮かれているような気がするクリスマス直前。
 なのに何で俺は必死になって数学の問題集なんて解いていないといけないんだろうと同時に思う。
 受験生にクリスマスなんてハイカラなものはないらしい。冬休みが明ければセンター試験は目の前。普段から勉強をサボりがちな祐一にとって、今が本当に最後の追い込みの時期なのだ。それこそ寝る間も惜しいぐらいだ。
 ふと祐一は顔を上げ、参考書が大量に置かれたテーブルを挟んで向かい側にいる名雪へと目をやった。
 名雪は安らかな寝息をたて、毛布を背中に背負って完全に机に突っ伏している。かれこれ1時間以上はこの状態だった。まあ、無理もない。午前2時なんて名雪が活動していられる時間帯じゃないのだから。
 無理に付き合わなくてもいいのに。
 名雪は先月末、陸上の推薦入試で早々と県内の大学に合格が決まっていた。
 だから受験勉強などする必要はないのだが、「皆が頑張ってるのに、ひとりだけ楽していたら悪い」と、その後も学校の補講や模試を受け続けていた。
 家に帰ってからもこうして祐一の受験勉強に付き合ってくれている。それが祐一にはなんとも嬉しかった。
 ラジオから流れる歌が鳴り止むのを見計り、祐一は名雪の肩を揺すった。
「名雪。起きろー」
 名雪はムニャムニャと寝言をいい、ゆっくりと目を開けた。
「あ、祐一……」
 まだ半開きの目で辺りを見渡す。
「ごめん、私、寝てた?」
「んー。でも10分ぐらいかな。眠かったら自分の部屋に戻って寝てもいいぞ」
「ううん。もうちょっとだけ頑張るよ」
 そう言ってパンパンと頬を両手で叩き、真剣な顔で目の前の問題を解き始めた。
 本当に生真面目だなあ。
 サボりがちな相沢君とはお似合いね、とは香里の意見だった。
 まあ、その通りだよなと自分でも思う。
 こんなんだから周りからはノロケだとなんだと言われるのだろう。
 でも、コイツがいるから俺も頑張れる、なんて言ったらやっぱりくさいのだろうか。少なくとも絶対声には出せない台詞だ。
 名雪のほうに目をやると、ちょっと目が合った。
 名雪がうっすらと微笑む。
「なんだよ」
「なんでもないよー」
 名雪はますます顔を明るくした。
「ねえ、祐一。明日のクリスマスパーティーだけど、勉強の邪魔にならない?」
「ん? ああ。ちょっとぐらいなら問題ない」
 クリスマスパーティーといっても祐一と名雪と秋子さんの三人で、家で食事をしてケーキを食べるだけだ。とは言うものの、秋子さんが作るのだから、きっとすごいクリスマス料理が出てきそうだけど。
 さっきは「クリスマスなんてない」なんて思っていたが、実はプレゼントも用意していたりする。
 今年は名雪と付き合いだして初めてのクリスマスだ。普段は付合っていてもいなくても同じような生活を送っているが、こういう日ぐらいは大切にしたかった。
 プレゼントは色々考えたが、居候の身では、指輪なんて高価なものは残念ながら買うことはできない。
 そんなとき。何週間か前、名雪と商店街をウインドウショッピングをしながら歩いていたときに、服屋で「このマフラーかわいい」と言っていたのを祐一はしっかり覚えていた。
 赤と緑の、まさにクリスマスといった感じのマフラー。地味に祐一も気に入っていたが、ここは名雪に譲ってやろうじゃないかと、昨日、一人で商店街に行ったときに買っておいた。
 家まで持って帰ってバレるのは嫌なので、プレゼント用に包装するように頼み、明日の夕方に店まで取りに行くことになっている。
 受験生の悲しい性か、クリスマスイブでも当然のように学校で補習があるので、その帰りに商店街に向かえばちょうどいいだろう。唯一の問題は名雪をどう撒くかだが、香里辺りに頼めばどうにかしてくれるかもしれない。
 ラジオからは再びクリスマスソングが流れてきた。
 なんだかちょっとだけ明日を楽しみにしている自分に気づき、祐一は名雪に分からないように小さく笑った。
 それを見透かされたように、名雪が「楽しみだね」と声をかけてきた。
「……そうだな」
 そういえば、名雪も何かプレゼントを用意してくれているのだろうか。
 まあ、それは明日になれば分かることだ。
 祐一は意識を問題集に戻し、再び数学の計算に取り掛かった。



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