調子っぱずれなほど、晴れ渡った空。道の端には、まるで消えるのを拒んでいるかのような溶けかけた雪。もう後少し経てば、春がやってくるのだろう。
 そんなことを益体もなく考えていたあたしの脇を、まるでバカにしているような寒風が通り過ぎた。堪らず歩くのをやめ、着ているコートの裾を合わせた。そうして、風をやり過ごすと、ふとあたしは回りに視線を向けた。
 背の高いビルディング。派手な装飾が施された様々なお店。慌しく行きかう人々。たった一年足らずで、あたしの住んでいる街は様変わりしていた。
 ふと、あたしは、どこか小洒落た雰囲気のある街並みのある一角に、目が止まった。それは、なんてことは全国チェーンのコンビニエンスストアだった。
「あんなところに、コンビニなんてあったっけ?」
 疑問を口に出してみるけど、あたしの頭の中の景色とは重ならない。思えば、迫ってきた受験勉強に追われ、この辺りを歩くのも久々だった。そんなあたしが、街に出来るコンビニの一つや二つ知らなくても不思議はないのだろう。あたしの環境や思惑なんて、関係なく街は変化していっているのだから。それが少しだけ寂しくはあるけれど。
 あたしは、そんなセンチメンタルなことを考えてしまった自分に苦笑を漏らした。そういえば、そろそろ新しくノートを買わないといけなかったな。そのことを思い出したあたしは、止まっていた足をコンビニへと向けた。
 程なくしてコンビニの前につくと、ドアの前へ立つ。自動でドアが開くと同時に、どこか間の抜けた電子音が響いてきた。
「いらっしゃいませー」
 店員の営業スマイル満点の笑みを、横目で見ながらあたしは文具コーナーを目指す。その時、ふいに隣に視線を向けた、あたしの目にそれは写った。それはなんてことない冷凍ボックス。近づいて中を見てみると、様々なアイスが所狭しと敷き詰められていた。まだ寒いのに、アイスを買う人なんているのだろうか。あたしは、心の中でそう呟くと苦笑を漏らした。
 寒かろうが関係なく、アイスを食べる人はいるんだろう。そう思ったあたしの頭の中に、ある情景がフラッシュバックした。
 それは、去年の冬の事。
 楽しくて、嬉しくて──とても儚くて切ない、あたしとあの子の思い出だった。




スノーボールに込めて





「雪合戦しましょう。お姉ちゃん」
 栞は、リビングのソファに座っていたあたしの目を不安げに見つめながら、唐突にそう言って来た。あたしが、あまりに驚いて応えに窮していると、栞はふいっと視線を外して力なく笑った。
「ダメ……ですか?」
「あ……そんなことないけど、どうして急に?」
「だって雪、積もってます」
「そりゃ積もってるけど、あんたの体は──」
「わかってます」
 栞は、あたしの言葉を遮るように、少し声を張り上げた。それから、あたしの目をじっと見て、ふわっと、まるで花が咲くように笑った。
「でも、したいんです。お姉ちゃんと」
 その一言で、あたしは栞から目を離せなくなった。栞の目には、強い──強い決意があった。あたしは、鼻がツンっとするような感触を感じる。
 あたしは、栞の視線を外した。見つめていたら、とてもじゃないけど正気では要られそうになかた。あたしは、深く息を吸った後、吐く。妹の提案に呆れている姉が溜息をついたという風に、写ってればいいなっと思った。
「いいわよ。やりましょ」
「ホントですか!?」
 あたしの言葉を聞いた栞は、先ほどまで漂っていた憂いを打ち消すように嬉しげに叫んだ。そして、待ちきれないという風にあたしの手を掴むと、思いっきり引っ張った。
「早く行きましょう!」
「はいはい、わかったわよ」
 そんな栞に苦笑しながら、あたしは座っていたソファから立ち上がった。その様子を見た栞は、あたしから手を離すと「お姉ちゃん、早く早く!」と、まるで子供のようにはしゃぎながら玄関へと駆けていった。その背中を追っていきながら、あたしはふと先ほどまで栞と繋がっていた手を見つめた。栞、あんたの手、冷たすぎるわよ。
 涙が出てきそうになるのを堪えるために、あたしは手をギュッと、強く──爪が食い込むぐらい強く握った。





「えいっ」
「ちょ、ちょっと!」
 玄関に出たあたしを待っていたのは、先に外に出ていた栞による、奇襲攻撃だった。その攻撃をモロに食らったあたしは、少しだけ口の中に入ってしまった雪を吐き出す。
「あはは、油断大敵ですよー」
 奇襲が成功したことが嬉しいらしい栞は、あたしのことを指を刺しながら、けたけたと笑っていた。あたしは、それを無言で見つめながら、しゃがみ込むと雪をひとふさ掴んで、そのまま栞に投げつけた。ばしゃっと握っていない雪は、放射状に広がりながらも栞の顔に命中した。
「えうー、お姉ちゃん、ひどいです」涙目で栞は、恨みがましそうに言って来る。
「どっちがよ」あたしは、そんな栞をジト目で睨みつけた。
「……あはっ」
「……ぷ」
 しかし、しばらくして、どちらもなく笑い出した。
「あははは、お姉ちゃん。楽しいですね」
「まだまだ、これからよっ!」
 あたしは、そう言うと手元にあった雪を素早く固めると、大きく振りかぶった。栞は、そんなあたしを見て、きゃあきゃあ言いながら、あちこちへと駆け回った。
「こら、逃げるなっ」
「普通逃げますー」
 そんなことを言いながら、ちゃっかりあたしが投げた雪玉を、ちゃっかり避けた栞は急いでしゃがみ込むと、雪を固めてあたしに向けて投げてきた。
 それを避けながら、雪玉を作る。避けられた栞は、「あ」と驚きながら、慌てて次の雪玉製作に取り掛かる。
 楽しかった。こんなに楽しいのは久しぶりだった。栞の笑顔があって、一緒に笑っている。思えば、いつから栞の笑顔を見てなかったのだろう。弱さを理由にして、拒絶した日々。それが、なんと愚かなことだったのか、今ならわかる。
 幸せだったのに。大切だったのに。自分から、捨ててしまうところだった。
「明日、相沢君と会うのよね?」
 あたしは、雪玉を投げながら、大事なことを気づかせてくれたクラスメイトを思い浮かべた。
「はい、祐一さんとデートしてきます」
「気をつけなさいよ」雪玉を投げながら、あしたは言った。
「? 何にですか?」栞は、雪玉を避けると、不思議そうに尋ねてきた。
「男は……狼よ」
 その言葉を聞いた栞は、最初きょとんとしていたが、すぐに吹き出した。そして、本当に楽しそうに、ニパッと笑った。
「あははっ、はい、気をつけますね」
「うん、よろしい」
 あたしも、そう言いながら栞に笑顔を見せた。



 しばらく、そうして続いた雪合戦は、いつの間にか雪ダルマ製作へと移行していた。
「10Mぐらいの雪ダルマを作りましょうっ」
 栞は、若干興奮しながらそう言って、雪を転がしていく。そんな子供っぽいことを言った栞に苦笑しつつ、あたしは「それもいいかもね」と呟いた。そうして、黙々と二人、雪を転がしていく。
「ねぇ、栞」
 やがて、あたしはそう漏らした。栞は、雪を転がしながら(どうやら、かなり楽しいらしい)こちらを見ずに「なんですか?」と言った。
「ごめんね」
「え?」
 あたしの一言に、栞は手を止めると、弾かれたようにこちらを見た。あたしは、そんな栞の目を見つめながら、言う。これだけは、目を背けていいたくはなかった。
「ごめんね。辛い思いさせて、あたし、お姉ちゃんなのにごめんね」
 あたしは、一言一言、噛み締めるように言った。何故だか、栞の姿が歪んで見えた。ああ、そうかと、少しして自分が泣いていることに、漸く気づいた。
「……お姉ちゃん」
 栞の呟く声が、聞こえてくる。それが限界だった。あたしは、栞から視線を外すと服の裾で涙を拭う。けど、ダメだった。後から後から、溢れてきて無駄だった。だから、せめて泣き声だけは聞かれまいと、声を押し殺す。馬鹿馬鹿しいかもしれないけど、姉としての意地があった。
「お姉ちゃんって、結構泣き虫ですよね」
 栞の、そんな言葉が聞こえてくる。それは、どこかあたしを気遣う声色だった。まったく、この子は優しすぎる。そして、強すぎる。これじゃぁ、どっちが姉だかわからなかった。それが、少し可笑しくて、けれど少しだけ悔しくて、あたしは栞をジト目で睨みつけた。涙が、見られてしまうけど、もう構いやしなかった。
「わ、悪かったわね」
「わっ、お姉ちゃん凄い顔。折角の美人が台無しですよ」
 栞は、そんなことを言いながら、あたしの側まで寄ってくると持っていたハンカチで、そっと頬を拭ってくれた。それから、栞はあたしから視線を外し、何事か困っているかのように眉根を寄せた。しかし、直に明暗を思いつきました、というような笑顔になると、人差し指をピンっと立てて口元へと持っていく。
「んー、それじゃぁ、アイスクリーム100個です」
「……へ?」
 栞の言った言葉が、理解できなくてあたしは、素っ頓狂な声を上げた。栞は、そんなあたしを直も笑ったまま見つめる。
「アイスクリーム100個。それでお姉ちゃんのこと許しちゃいます」
 栞は、そう言うと、そっとあたしの頭を抱きしめてくれた。耳に、栞の体温と心臓の鼓動が聞こえてくる。あたしは、それを感じながら、「バカ」と呟いた。
「ちゃんと精算……させなさいよ」
「はい、もちろんです」
 あたしは、その声を聞きながら、そっと──そっと栞の体を抱きしめた。


※ ※



「我ながら、何をやってるんだろう?」
 あたしは、手に持っているコンビニの袋を見ながら、自宅の玄関前で溜息と共に呟いた。袋の中には、ノートと大量のアイスクリームが入っていた。何も、こんなに買うことはなかったと自分でも思うが気づけば、アイスを大量に買い物籠に入れてレジへと、持って行っていた。こんなに買ってもあたしじゃ、食べられないっていうのに。そうは思うが、もう買ってしまった物はどうしようもなかった。
「返品しに行くのも、億劫だしね」
 あたしは、そう一人ごちるとアイスの重みで手が痺れるのを感じながら、玄関のドアを開けた。
「ただいまー」
 荷物を玄関口で降ろしながら、あたしは大きな声で言った。すると、奥からドタドタという忙しない足音が聞こえてきた。その足音の人物は、程なくして玄関へとやってくると、あたしの姿を見て、にこりと笑った。
「お帰りなさい。お姉ちゃん」
 あたしは、その笑顔に釣られるように口元を緩めながら、目の前にいる少女に──栞に挨拶をした。
「ただいま、栞。起きてて大丈夫なの?」
 だが、我が妹は既にあたしの言葉なんて聞いてなくて、玄関口に置かれた袋を凝視していた。その目は、なんというか食いしん坊万歳って感じだった。
「お姉ちゃん。アイスです! 買って来てくれたんですか!?」
「あ、あんたには上げないわよ」
「えぅ、何でですか!?」
「病人に、冷たい物は毒だから」
「私、病人じゃないです。直りました!」
「はいはい、そういうのは全快してから言いましょうね」
 あたしは、栞の頭を軽く撫でながら、その横をコンビニの袋を持って通り過ぎる。
 栞は、あの冬。奇跡的に生還した。どういうわけかはわからないが、栞を苦しめていた病は、あの雪合戦をした次の日、生死の境を一度彷徨いはしたが、快方へと向かい始めていた。
「お姉ちゃんの、いじるわるー。けちんぼっ!」
「けちんぼって」
 あたしは、その栞のあまりに子供じみた言葉に吹き出した。
 
 だって、しょうがないじゃない。100個なんて、あんたなら3ヶ月もあれば、食べ終わっちゃうんだから。それじゃ、困るのよ。ちゃんとあたしが、精算するまで、あんたには生きていて貰わないといけないんだから。
 
 だから──ねぇ、栞。

 あたしは、未だ不貞腐れている栞のほうへと振り向くとにこりと、飛びっきりの笑顔を作って言葉を紡ぐ。

「早く、よくなりなさいよね。それで──」

 それで、また一緒に雪合戦をしましょう。

感想  home