温かい陽射し。

 季節は巡り、
 北国であるこの街では冬の名残雪が融け、
 淡いピンクの桜の花が咲き、
 やがて花は散り、濃い新緑の葉が萌えている。

 季節は夏。

 空には太陽が地上をぽかぽかと照らしている。

 


カラン、カラン、

 

 扉を開けると小気味良い鈴の音が耳に届き、すうっ、とクーラーの涼しい風に体が冷える。


「いらっしゃいませ。2名様ですね。お席の方へご案内します」
 
 店の制服を着た可愛らしいウエイトレスが笑みながら、店に入ってきた客をテーブルへ案内する。

「ご注文がお決まりになったらお呼びください」
 
 そういってウエイトレスは去ろうとしたが、客の一人に止められる。

「ああ、いいわ、注文なら決まっているから。コーヒー一杯と、イチゴサンデー一杯、お願いします」
 
 メニューを見ずに注文する客にウエイトレスは一瞬戸惑い、直ぐにその二人の客に見覚えがあることに気づく。
 きっと、常連客なのだろう。そう判断してウエイトレスは伝票に注文を書き、少々お待ち下さい。とやっぱり笑みながら去っていった。










「お待たせしました。コーヒーとイチゴサンデーです」
 
 そう言ってウエイトレスは手に持った銀のお盆に載せた二つの品を机の上に置く。

「ごゆっくりどうぞ」
 
 一度小さく礼をするとウエイトレスは新しい客の対応へと向って行った。

「あの娘、可愛い娘だね〜〜」
 
 ウエイトレスが去っていったほうを見ながら一人の客、水瀬名雪が呟く。

「確かに可愛いわね」
 
 もう一人の客、美坂香里も同意する。

(でも、まあ……)
 
 香里は目の前で美味しそうに頬を緩めながら甘そうなイチゴサンデーを頬張る親友、名雪を見る。

「名雪も十分可愛いわよ」
 
 そういって香里は微笑む。

「わ、香里、突然何言い出すの〜?」
 
 びっくりしたよ〜と全然びっくりした様子も無く名雪は笑う。

「私は全然可愛くないよ。それに香里の方が私より人気があるし……あ、そういえばこの前だって香里告白されてたよね?えと、確か名前は……」
 
「山下君の事?」

「あ、そうそう。山下君だよ。彼、野球部の期待のエースだし、格好良いし、結構狙っている娘多いんだよ〜〜」
 
 どうして振っちゃったの?と名雪は首をかしげながら訊ねる。

「別に、あんまり知らない人だったし、それに興味なかったから。……そんなこといったら名雪、アンタだって最近告白されてたでしょう?」
 
 香里は名雪の問いに興味なさそうに、どこか投げやりに答えると、何でフッたの?と仕返しとばかりに名雪に同じような事を訊ねる。

「えっと、私は……その……好きな人がいるから………」
 
 すると名雪はぼそぼそと小さな声で呟く。
 少しふせた顔は真っ赤になっており、目の前のイチゴサンデーにちょこんとのっかった真っ赤なイチゴのようだ。
 そんな名雪の様子を見て香里は呆れたような表情になる。

「何?名雪、アンタまだ愛しの従兄妹君にご執心なわけ?確か、相沢祐一だっけ?手紙を送っても返事来なかったんでしょう?もう名雪のこと忘れているんじゃないの?」
 
 香里は、七年間も同じ男にずっと一途に恋する少女に対しため息を吐く。
 
「そう…かな……?」
 
 名雪は消え入りそうな声で言う。 
 その顔は先程までの恥ずかしさから来る赤さはなく、悲哀をたたえている。
 その表情を見て香里は慌てて取り繕う。

「だ、大丈夫よ。さっきのは冗談だから。きっと、むこうも名雪のこと覚えているわよ」

「うん……そうだったら良いなぁ……」
 
 名雪のそのどこか深い愁いを帯びた表情に香里は閉口する。

「もう一度……会いたいな」
 
 香里はその言葉にも何も言えず、唯、コーヒーに口をつける。
 いつも名雪につき合わされ此処にきては飲んでいるので慣れているはずのコーヒーが、今日はいつもより少しだけ苦く感じた。
 コーヒーを半分ほど飲んでカップをソーサーにカチャリと置いたとき、はたとある事を思い出す。


「そうだ、名雪、今夜近所の神社で七夕祭りがあるんだけど…一緒に行かない?」

「七夕祭り?」

「そう、神社であるんだけど、大きな竹に願い事を書いた短冊をつるすの。出店も少しだけど出るみたいだし。どう?行かない?」
 
 香里の提案に名雪は、七夕…と呟き少し考えた後、

「うん、分かったよ。一緒に行こう」
 
 にっこり微笑んだ。

「そう、じゃあ決定ね。……じゃあ、神社に8時に集合。いいわね?」
 
 その名雪の笑顔を見て、香里からも自然と笑みが零れる。

「うん!!」

 たのしみだよ〜〜と先程までの表情は何処へやら、一転してにこにこ嬉しそうに笑う名雪の姿を見て、香里は店の大きなガラスから外を眺める。
 見上げた空は雲ひとつ無く、綺麗に夕焼けの茜色に染まっている。
 今夜は星が綺麗に見えそうね、と香里は小さく微笑んだ。








「わわっ、香里、いちごアメだよいちごアメ!!」
 
 時刻は8時を少し過ぎたくらい。約束通り名雪と香里の二人は、七夕祭りが催されている神社へと来ていた。
 祭りといってもそれほど大規模なものでなく、むしろ小規模といったほうがよいだろう。
 出店は2〜3件ほどしか出ていない。それに祭りにしては人も少ない。
 この神社はそれほど大きくもないし、大体がこの神社の近所の人々ぐらいしかこの祭りの存在を知らないのだ。事実、いま神社にいる人々は8割以上がこの神社周辺に住む人々だ。


「ん〜〜おいしいよ〜〜」
 
 名雪はいちごアメを嬉しそうに頬張っている。

「本当に名雪は苺好きねぇ……」
 
 香里は頬をだらしなく緩めて、赤い飴に包まれた真っ赤なイチゴを食べる名雪を見て苦笑する。

「うん、苺があったらご飯三杯はいけるよ〜〜」

「……」
 
 香里は苺をおかずにご飯を美味しそうに頬張る名雪を想像する。
 名雪の目の前には苺の一杯載った大きなざる。
 そして、名雪の持つ猫の絵のついた可愛らしい茶碗に盛られた真っ白なご飯の上にかけられた真っ赤な苺ジャム……
 ……考えるだけでも気味の悪い光景に、鳥肌が立った。



『え〜それでは先程お配りした短冊に願い事を書き、其処にある竹に括り付けてください。尚、九時ごろには、竹を立てかけますのでお早目にどうぞ。』
 
 中年の男が拡声器を使って周囲の人に呼びかける。
 すると、人々は何脚か用意されている長い机に向かい、配られた短冊に思い思いの願い事を書いていく。
 

(願い事……ね)
 
 香里はペンを片手に短冊を見つめながら考える。

(……)
 
 名雪の方を見てみると短冊に何やら書いている。
 その表情は真剣で、嬉しそうで、まるでその願い事がかなうことを信じているかのようだ。
 







 ―――その表情はまるで、奇跡というものを心から信じているかのようだ。



(奇跡……)
 
 香里は暫し名雪の顔を見ながら考えた後、小さく微笑み、短冊に向ってペンを走らせた。
 そして、手を止め、少しだけ考えるような素振りを見せた後、さっき書いた願い事の隣にもう一つ、『親友の願い事が叶いますように』と書いた。




「香里ー、お願い事何にしたの?」
 
 願い事を書いた短冊を竹に括り付けた後、境内の前の階段に座り男達が竹を運び、立てかけている様子を眺める。
 
「秘密よ」

「え〜」

「名雪こそ何書いたのよ?」

「えっと、秘密、だよ」
 
 顔を少し赤く染める名雪を横目で見ながら香里は、まあ予測はつくけどね、と呟いた。

「相沢祐一君でしょ」

 香里は悪戯っぽい笑みを浮かべながらますます顔を赤くする名雪を見る。

「わわっ、香里なんでわかるの?もしかして香里ってエスパーさん?」

「違うわよ、名雪が分かり易過ぎるの」

「う〜〜」

 香里は唸る名雪から、視線を前に戻す。
 ちょうど男達の手によって竹が立てかけられた。


 青々とした竹は色とりどりの願い事に彩られて輝き、星々に照らされ煌いている。
 夜の涼しい風がさわさわと笹の葉を鳴らす。その音が香里には奇跡が近付いてくる足音のように聞こえた。
 
「名雪の願い事、叶うといいわね」

「うん。香里の願いも叶うよ。きっと」

 香里と名雪は銀色の月が煌々と照らす大きな竹を見ながら話す。

「………そうね。叶うと、いいわね」

 名雪の言葉に一瞬眼を伏せるが、直ぐに元の表情に戻り、声を漏らした。

「……」

 名雪は無言で、香里をじっと見つめていた。





「楽しかったね〜〜」

 名雪はにこにこ顔で夜の道を歩く。

「そうね」

 香里も笑顔で答える。

 しかし、そこで会話は途切れ、その後暫く、静かにお互い何も話さず歩き続ける。
 そして香里の家の近くへと着いた。

「本当に送っていかなくて大丈夫なの?」

「うん、何かあったら走って逃げるから大丈夫だよ」

 走るのは得意だし、と名雪はにっこり笑う。

「まあ、名雪は陸上部の部長だしね」

「うん」

「それじゃあ、また明日ね」

「うん、じゃあね」

 名雪と別れの挨拶を交わし、香里は家へ向って歩き出す。

「あっ、香里」
 
 名雪が歩き出した香里を呼び止める。

「ん、何?」
 
 香里は立ち止まり、名雪の方へと振り返る。

「香里、何か困った事とか、悩み事があったら一人で考え込まないで私に相談しても良いからね?私じゃ頼りないかも知らないけど、誰かに話したら気が楽になるかも知らないし……それに香里が元気が無かったら私も何か元気でないし…だから、えっと」

「―――元気、出してね」

 そういって名雪は微笑み、それじゃあまた明日、と言って帰っていく。
 香里はその後姿を小さくなるまで見送った後、小さく笑った。

「全く、名雪には敵わないわね」

 香里は呟くと、空を見上げる。
 空には沢山の星たちが空一杯に広がり、天には星の川が流れている。
 
「―――ありがとう」
 
 香里はもう既に見えなくなった親友の背中に向って小さく、優しく微笑んだ。

「強く想い続けていればその想いはきっと届くものだから。……きっと会えるわよ。何せ7年も待ったんだものね」

 そして香里も踵を返し、ゆっくりと歩き出した。

 気の早い鈴虫たちの声に交じって、風にさわさわと流れる笹の葉の音が聞こえた気がした。

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