辺りは暗い。蝉の声。短い命を謳歌する命の叫びが後押しする。
止まるなと。走れと。最後まで駆け抜けろと。星明かりを頼りに、月明かりを目印に。

夜、只っ広い広場を走り抜ける。手には少しの荷物を。奮える心を相棒に。終わりゆく夏を追い掛けて相沢祐一は走り抜ける。
大丈夫。此処まででミスはない。詰めの手順も誤らない。下ごしらえは完璧で、調理の手順もパーフェクト。だったら後は食らうだけ。
流れる汗も拭わずに、荒れる呼吸も整えず、邪魔するものは蹴散らした。


そして──目の前には一つの扉。


ようやく深く呼吸(いき)をする。辺りを窺い様子をみる。一秒、二秒、三秒……どうやら無事に辿り着いたらしい。
険しい道程だった(主観的に)、困難な道程だった(主観的に)。
だからこそ、その瞬間は至福であるべきだ。

さぁ、最後の仕上げに取りかかろう。
TPOに則って、最適な衣装を身に纏おう。僅かな荷物をブチ撒けよう。ここまで来れば余計な物はもういらない。
弾む鼓動はそのままに、最後の扉に手をかける。
慎重に……躊躇わず……



キィィ……



蝶番が音を立て、開け放たれた扉の先の、開けた視界の先には水を湛えた一面の──


「────おわぁ!? 誰だッ!?」
「────っっ!?!?」

誰も居ないと思ってた。そんな先入観があったから、驚きは半端なものじゃすまなかった。
思考は止まり、動きも止まる。蝉だけが、命を駆けて鳴いていた。
そんな空白から思考が戻ってきて一番最初に認識したものは、フェンスを越えて逃げようとするシルエット。

「……っ! おい、ちょっと待てっ!!」

ご都合的に設置されていた街灯がその姿を照らしていたから、それの正体が判明した。

「だから待てって言ってるだろ! ……北川っ!!」

名前を呼ばれて驚いたそれが、無様に地面に落下した。




8月31日午後9時32分。
具体的な時刻を表すとそんな時間。つまりは、夏休みが残り2時間28分で終わりを告げるということだ。
高校最後の夏休み。水瀬家で、食後のまったりとした空気を楽しんで、眠りについて終わりになるはずだった時間。
少しだけ、心が疼いた。
いいのか?と誰かが聞いた。
その問いは焦燥をもたらして、逸る心が暴走した。
誰にも言わず家を出た。
最後の夏を謳歌しよう。あの、命を鳴いている蝉のように。
心に浮かんだ行き先は華音高等学校グランド脇────プールと呼ばれる場所だった。




「いや、しかし相沢だとは思わなかったぞ」
「俺だって、誰かが居るとは思わなかったさ」

適当に準備体操。

「しかし幾ら気が合うつったって、こんな時にまで同じ事考えなくても良いんじゃないか?」
「まったくだ」

柔軟は止めずに同意する。どうやら、この頭にアンテナを生やした親友とは、遺伝子レベルで根幹が似通っているらしい。

「やっぱりあれか北川、課題はまだ……」
「……お前もか相沢」

どこまで似ているのだろうかと考えて、少しだけ腹が立ってそれは行動になって現れた。端的に言えば、蹴落とした。そして自分も飛び込んで──
二つの水音が辺りに響いた。


ジャポンッ!!


奇妙な浮遊感。絡みつく水の温度が気持ちいい。水面から顔を出して笑う。高らかに鳴く蝉に負けないように。
誰かの文句も無視をして、ただ負けないように笑い続けた。






夏休みは長かった。



暑さにみんなでダレていた。
どうにかしようと意見を出し合い、どうにもならずに百花屋で涼んでいた。

海に行こうと誰かが言った。
水着と女と男と西瓜。いつもよりもテンション高く、あれがきっとアバンチュール。
そして、新しい出会いと寂寥の別れ。掠めたキスに心奪われた。

美坂チームの四人旅。
2泊3日で足を延ばし、今年こそ決める、と親友が言った。心の底から応援できた。
偶然と恣意とが錯綜し過ぎ去った3日間。
言えなかった。後日、そう言った親友と浴びるほどに酒を飲んだ。
そしてもう一組。7年間しまい続けた思いの丈を語れなかったと、親友の胸を借りて少女が泣いた。

夏祭り。
金魚すくいと剣士とお嬢。
浴衣姿に目を奪われて、空に一輪大花が咲いた。
救われた金魚はきっとまだ、アパートの一室で泳いでる。



まだまだ思い出はたくさんあった。残り僅かな時間じゃ語り尽くせぬほどに。
平凡な一日の、風鈴に、団扇に、ところてんに、アイスコーヒーに。通り過ぎた全てのものにエピソードがもれなくあった。


そして、夏休みは終わる。
容赦なく、後、1時間と25分をもって完全に。









不意に北川と目があった。
この夏を、共に過ごした親友と。


「なぁ相沢、お前何か勘違いしてないか?」


たぶんきっと、俺の顔には寂しさとか諦めとか、懐かしさとかそんなもののブレンドが浮かんでいたんだろう。
それはきっと、大人になるに連れて覚えた苦笑だったのだろう。
でもそんなものは、所詮大人になりきれない馬鹿なガキが身につけた半端なものだから。

「蝉はうっせーし、こんな夜中に泳げるほどまだ暑いんだぜ?」

そいつの一言で完全に消え去って、残ったのはやっぱり半端なガキだった。
北川は、ようやくわかったのか? って顔で笑ってた。
俺はきっと、そんなこと知ってたさ。って顔で笑ってた。
だから後は予定調和なやり取りが続くんだ。

「帰るか?」

そんなわけがない。

「終わりか?」

そんなわけがない。



「馬鹿言え。夏はまだまだ続くんだ!」



そう、カーテンコールにはまだ早い。夏休みなんて下らない大人の都合に境界線は引かせない。この、五月蠅いほどの蝉が声を涸らして鳴き続ける限り、きっと夏は終わらない!
冬に流れたのが壮大なオーケストラなら、今この場にふさわしいのは身を焦がすようなロックン・ロール!
満員御礼観客総立ちアンコールは何度でも!
きっとこいつと一緒なら、何でも出来ると思えるから! そう思える親友がいるから!




さぁ、もう一度始めよう。




あの暑くて熱くて最高に最高な毎日を──





「全開で行くぜ!! 出遅れるなよ!」
「誰に言ってるんだよ? お前こそ途中で降りるなんてのはナシだぜ!」
「休みに寝ぼけた連中も巻き込んで!」
「俺らが夏の舞台を飾るんだ!」
「決めの言葉は?」 
「決まってる!」


両手を挙げて空に向かって高らかに!
水面に弾けた飛沫がビートを刻むその中で!
さぁ!叫ぼう!!




「「Come on Rock’n’Roll !! 」」




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