「くそ。あの時グーを出していれば…」

ムシムシして生暖かい風が吹く夏の夜の、時刻にして8時半、
草木が眠るには早いが、知り合いのイチゴ好き少女なら眠っているだろう時間に、
オレはぶつくさと呟きながら、懐中電灯を持って進む。

何故、懐中電灯を?
それは、ここが灯りの全く無い墓地だからさ。

断わっとくが、オレに夜中、墓場で運動会する趣味は無い。

ただ、相沢のやつが提案した、「石橋クラス 納涼肝試し大会」に乗ったのが、全ての間違いだった。
あの野郎、リアリティを重視するから。夜に下見に行けとか抜かしやがって。

勿論オレは抵抗したが、結局、その後のジャンケンに負けて押し切られ、
オレは夜中にこうして人気のない墓場を練り歩いている訳だ。

そんな事を考えるうちに、
ようやく最後のチェックポイントに着いたオレは、
朽ちかけた小屋を前に、やれやれと息をつく。

「…よし、特に問題は無いな、と。じゃ、帰るか」

簡単に小屋の中を見て回ってから、オレは外に出て、












フワッ…









……今、何か白い物がオレの前を横切ったような。


「き、気のせいだ、よな……」

ハハハ、と乾いた笑いを浮かべ、オレはゆっくりと歩き始めた。
動きがぎこちないのと、じっとり滲んできた汗はご愛嬌だ。

「気のせい、気のせい」

早く帰って風呂に入ろう。
そんで何も考えずに寝るんだ。











「何してるんですか?」


「うわぎゃあああぁぁぁぁ!!!!」



叫んだ

叫びましたよ

夜中の墓地で、後ろから声かけられて、叫ばないやつがいるか!




「だ、だ、誰だ! 名を名乗れ!」

思わず、時代劇口調で後ろを振り返ったオレの目に飛び込んできたのは、
顔を腫れ上がらせた、死に装束に三角巾の女。


ではなく、何故かこの暑いのにストールを羽織って、
涙目でこちらを睨んでいるショートカットの少女だった。
オレの叫び声にビックリしたのか、尻餅さえついている。

あれ? 改めて見ると、この子何処かで見たような気が……。


「ひ、酷いです、ちょっと声掛けただけなのに」

少女はそう言って、プウと頬を膨らませた。
オレは、そこでようやく我に帰り、彼女に謝罪する。

「あ、ああ、ごめんね」
「いきなり叫ばれて、こっちは心臓止まりましたよ!」

少女は怒っているようだが、
見かけが子供っぽいのでなんだか微笑ましい。

「あ、何笑ってるんですか」

気付かれてしまった。

「いや、えーと、所で、君はこんな所で何やってんの?」

とりあえず、話題を変えるオレ。
少女はあっさりと笑顔で答える。

「遊んでたんですよ」
「一人で? こんな場所で?」
「はいっ」

少女はこれでもか、と言う笑顔で、


「だって私、幽霊ですから」



……は?

一瞬思考が停止する。


「ああ…。えーと。そうなんだ」
「そうなんですよ」
「ハハハハハ」
「あはははは」

軽く笑いあうオレ達。

「じゃ、オレもう帰るから」
「信じてませんね」

少女がちょっと怖い目で睨んできた。
オレは、もう一度彼女の全身を眺めてみる。

「暑くないの?」
「霊ですから」

そう言って、いきなり、
少女がオレの手を握ってきた。

「うわっ!!」

オレは慌ててその手を振り払う。
その手は冷たいなんてもんじゃない。

氷のように、ほとんど温もりがなかった。


「これで、分かりました?」
「ひ、冷え性だね」

内心の動揺を抑えつつ、オレは軽口を返す。

「むぅ、強情ですねぇ」

少女は、ちょっと困ったように首をかしげると、
フワッと、軽やかに高く飛び上がって、
飛び上がって…、そのまま落ちてこない。

そりゃそうだ、少女は何もない空中に浮いていたんだから。


「今度こそ分かってくれましたよね?」

微笑む少女に、オレは引きつった笑みを返すしかなかった。





「へぇ、肝試しですかぁ。面白そうですね」

少女は、どことなくウキウキしながら、アイスを口に含んで言う。
幽霊少女が食べたいとか言ったので、オレが買って来たものだ。

その時、逃げなかったのかって?
買いに行く前、

「ちゃんと買って来てくれないと、呪っちゃいますよ♪」
って、ぶっとい釘刺されたんだよ。


そんな気持ちを知ってか知らずか、
少女は満足げに、アイスを次から次へと口へ運んでいく。

「あぁ、アイスを死んでからも食べられるなんて幸せです」
「そりゃ良かったね……」

実体が無いのに、食った物はどこに行くんだろ?
と、素朴な疑問を覚えるオレ。

「ありがとうございます。おかげで生き返りました」
「あ、あぁ、いや別にいいけどさ」

食べ終わり、少女はオレの方を向いて手を合わせた。
霊とは言え、可愛い女の子に喜ばれれば、それは嬉しい。
つくづく男って単純だと思う。
と、そこで、オレはあることに気付いた。

「あ、オレは北川潤っていうんだけど、君の名前は?」
「え、私の名前ですか?……秘密です♪」
「秘密?」
「そう言うのって、ミステリアスでドラマみたいだと思いません?」
「…まあ、いいけど、
 で、どうして君は、こんな所で彷徨ってんの?」
「そんな言い方する人嫌いです!」

少女は、目を吊り上がらせてこっちを睨んだ後、
コホンと咳払いする。

「ま、いいです。私はちょっと心残りがあって、
 それを最後にやっておきたくて、ここにいるんですよ」
「心残りって?」
「アイスを、お腹一杯食べたくて」
「………」
「じょ、冗談ですよ。そんな心底呆れたような目で見ないで下さい」
「ハァ…、で、何が心残りだって?」

オレの言葉に、少女はちょっと陰を感じさせる顔で、

「思い出を…作りたいんです」

そう、答えた。

「思い出…って、でも、君はもう…」
「分かってますよ」

少女は、哀しさを押し隠すように笑う。

「私は、もうこの世の人間じゃありません。
 多分、お盆が終わる頃には…もう…」
「お盆って、後4日しかないじゃないか」
「そうですね」
「たった4日じゃ思い出なんて…」

少女は、軽く首を振る。

「そんな事ありませんよ。思い出に時間は関係無いです」
 それに、…死ぬ前には…作れませんでしたから」
「………」

限られた時間で、それでも、その中で思い出を作りたい。
彼女は、どんな想いでここにいるんだろう。
それは、普通の日常を生きているオレには、
決して分からない想いなのかも知れない。

そんな事を考えていると、
目の前の少女が、ちょっと悪戯めいた顔でオレを指差した。

「それに、手伝ってくれる人もいますし」
「……は?」

オレは、呆けたみたいな声を出す。

「と言うわけで、今から遊びに行きましょう」
「オレと!?」
「他にいないじゃないですか」
「いや、オレは」
「さて、まずはどこに行きましょうか」
「聞けよ!」
「行ってくれないと……」

オレはその時、微笑む少女の後ろにコウモリ羽と、
虫歯菌みたいな尻尾を、確かに見た。

「とり憑いちゃいますよ♪」


この後、オレは朝方までゲームセンターやら、公園やらに引っ張り回される羽目となる。









「………4時か」

ボンヤリする頭で時計を見ながら、
オレは布団からノソノソと這い出た。
季節は夏だが、さすがに日が傾き始めてる。

「昨日帰ったの…5時半だもんなぁ」

しかも、今日もお誘いがあるんだよ
なんか、既にとり憑かれてないか、オレ?



プルルルルルルルと、
鳴り出した電話の音に思考を中断し、受話器を手に取る。

「はい?」
「あぁ。俺だ」
「なんだ、相沢か?」
「おう、寂しげに夏を過ごす青少年を慰めてやろうと思ってな」
「忙しいから切るぞ」
「チッ、ノリが悪いぞ北川」
「こっちは疲れてるんだよ。で、用件は?」

受話器から聞こえてくる友人の声は、
明らかにこっちの反応を楽しんでる感じだ。
普段ならいいが、徹夜明けにはちょっと苛つく。

「あぁ、昨日、下見行ったんだろ、どんな感じだった?」
「あ、ああ。それか」

オレは、深呼吸して動揺を押し隠す。

「悪くないぞ、足場もしっかりしてるし、
 ルートも一本道で分かり易い」
「そうか、じゃあ決行は明後日な。
 あ、それから、明日は準備があるから俺んちに集合だ」
「あ、ちょっと、待ってくれ」

オレは、唾を飲んでから、一つ気に掛かった事を切り出した。

「美坂は…、来るのか…?」
「………」

電話口の空気が重くなる。





この前の冬。

いつも通りの日々、そんな日常が続くと思ってた、
そんなある日に、いつになく真剣な石橋が、
美坂の妹が病気で亡くなったことを、HRで伝えた。

美坂は、妹が死んだ日からしばらく学校に顔を見せなくなり、
葬儀の時にも会えなかった。
そして、学校に来るようになってからも、

美坂は、もう以前の美坂ではなくなっていた。


誰とも話さず、関わらず、自分の殻に篭りきる。

オレも水瀬も相沢も、そんな美坂を励まし、叱咤し、
美坂が立ち直ってくれると信じて、色々と手を尽くした。

でも…、

結局、美坂は戻らなかった。





「……一応誘った」

長い沈黙の後、ポツリと一言だけ言葉が届く。

「……そうか、分かった」

オレは受話器を置いて、窓の外を眺めた。

さっきまで晴れていた空は、雲に覆われ、
その陽光を押し隠している。夕立が降るのかもしれない

「……美坂」

誰に言う訳でもなく、オレはその名前を口にしていた。








「遅いです」
「あぁ、ゴメン。いつに行けばいいのか分からなくて」

とりあえず、最初に会った8時ごろに来たものの、
お墓に腰掛けながら、少女は既にそこで待っていた。

「女の子待たせるなんて、マナー違反ですよ」
「アイス買ってきたんだけど…」
「北川さん、大好きです」

……なんだかなぁ


カップアイスを一つペロリと平らげてから、
少女は、ニコニコしながら立ち上がる。

「さて、今日はどこ行きましょう」
「どこって言っても、昨日この町の大体の所は回っちゃったし」
「えぇ! 北川さん。何も考えてないんですか!」
「…オレが考えるべきなのか?」
「そうです、デートは男の子が率先してサポートするべきです」

拳を握り締めて、力説する少女。

「デートって、いつからそんな…」
「昨日からです、可愛い女の子と男の子が一緒に遊ぶのが、
 デートでなくて何だと言うんですか」
「自分で可愛い言うなよ」
「そんなツッコミする人嫌いです!」
「あ、アイスがもう一個あった」
「今のは冗談です」

……本当に幽霊か、この子?
何と言うか、アグレッシブすぎるぞ。

まぁ、死んでから抑えていたモノが溢れたと言う可能性もあるか。
いや、元からかなぁ…、

「どうしたんですか?」

いつの間にか、新しいアイスを口に運んでる少女が、
こっちをキョトンと見てた。

「あ、えっと、ちょっと肝試しのことを考えてた」
「昨日言ってたやつですね」
「明後日ここでやるから」
「うわー、楽しみです」

屈託なく笑う少女、
こういう顔を見てると、本当に可愛い子だと思うのだが、

「幽霊が参加しちゃ、まずいだろ」
「えー、なんでですかぁ」
「お仲間が寄って来ちゃうかも」
「酷いです! 北川さん!」

少女がプゥと顔を膨らませて、こっちを睨む。
うーん、怒らせちゃったか。どうしよう。

「あ、そうだ。君が好きな事って何?」
「え、私の好きな事ですか?」
「あぁ、今日はそれに付き合うよ」
「本当ですか! じゃあ、ちょっと持ってきて欲しい物があるんですけど」

数十分後、オレは少女に言われたとおり、
スケッチブックと色鉛筆セットを持って、墓地に戻った。
どうやら彼女は生前、絵を書く事が得意(本人談)だったらしい。
しかし、そこで問題が一つ発生した。

「ここじゃ、暗くてよく見えないな」
「そうですねぇ、それに雰囲気も暗いですし」

まぁ、墓地だから
そりゃ、明るくはないだろう

「あ、いい事思いつきました。
 私、行ってみたい場所があるんです」

ぽんと手を打ち、少女は微笑んだ。



「ここって?」
「はい、学校です」

一体どこに連れて行かれるのかと思ったが、
着いた先は、意外にもオレが通う学校だった。

「こんな所でいいの?」
「まあ、いいじゃないですか、中を案内して下さい」
「ああ、それ位別にいいけど」
「それじゃ、学校探検にGOですー」

オレは校門を乗り越えて中に入ると、
少女も、フワフワ浮いてついて来て、
相変わらずのハイテンションで嬉しそうに叫んだ。


夜の学校は薄暗く、どこか不気味な雰囲気が満ち満ちている。
その中を、オレの足音だけが響く。

「うわー、怖いですねー、お化けでも出てきそうです」
「君、わざと言ってるだろ」
「あ、ばれました?」

舌を出しながら、少女は、オレの目の前をふわりとかすめた。
オレはそのまま一つ一つ部屋を回りながら、学校を案内する。

「ここは、学食ですか?」
「そうだよ。オレの友達の女子はここのAランチしか頼まない」
「へー、そんなに美味しいんですか」
「いや、デザートのイチゴが目当てなんだ」
「デザート目当てで、ランチ決める人なんているわけ無いですよー」
「ハハハ…」


「ここが、オレの教室」
「あ、教科書が全部入ってます」
「そりゃ…まあ、学生の心意気だよ」
「ただの不精でしょう」
「失礼だな。オレの友達もそうだぞ」
「北川さんの友達だからですね」
「そんな事言う人、嫌いです!」
「真似しないで下さいッ!」


「んで、次は、と」
「あれ? ここの窓ガラス、やけに新しいですね」
「あぁ、なんか、今年卒業した不良生徒が割ったらしい」
「えぅ、怖いです」
「不良より、幽霊の方が怖いと思うけど」
「北川さん、怒りますよ、そして祟りますよ」


最後に、オレ達は最上階の扉を開けて屋上に出た。
月の明かりとぼんやりした蛍光灯の光で、うっすらと辺りが見える。

「うわー、綺麗ですねー」

感極まったように町の明かりを見下ろす少女。
その姿は、本当に年相応の女の子のもので、
とても、後少しで消えてしまうように見えない。

「……なぁ、絵書くんだろ?」
「あ、そうですね。この光景ならモデルにピッタリです」

少女はオレから、スケッチブックと色鉛筆を受け取ると、
すぐに、サラサラと鉛筆を走らせ始める。
オレはそれを、どこか複雑な気持ちで眺めていた。



そして、数十分後、

「出来ました」
「どれどれ……」


……ナニコレ?


それが、オレが絵を見た時の感想だった。
多分、薄暗い所為だと思い直し、蛍光灯の近くに絵を持って見直す。

「……」

よく見えた分、さっきより悪化したような気がする。

「ど、どうですか?」
「何て言うか…、独創的な絵だね…」

どこかで聞いたようなフレーズでオレは言葉を返す。
少女はというと、いかん、明らかに不満げである。
上手く誤魔化さないと。

「……それって下手ってことですか?」
「い、いや。見事なモダンアートだ」
「へー、そう見えるんですかぁ…」

素敵に怖い笑顔を見せる彼女。
オレのフォローは、怒りの炎にガソリンぶちまけるのと同義だったらしい。





「全く酷いです。北川さんは」
「だから、ゴメンって」
「あ、動かないで下さい」

まだちょっと怒ってる少女が、ビシッと色鉛筆を突きつける。
幸いにも、オレはとり憑かれることなく、絵のモデルを条件に許してもらえた。
うぅ…、しかしもう1時間にもなるんだが。

「ねぇ…、この体勢きついんだけど」
「ダメです。悪いと思ってるなら動かないで下さい」
「うぇ〜」

愚痴を言いながらも、オレの気分はそれほど嫌ではなかった。
目の前の少女の顔は真剣そのものだが、
同時に生き生きとして(幽霊にこの例えはおかしいが)
とても楽しそうだったからだ。

そして再び、筆が止まる。


「出来ました」
「…どれどれ」

やや緊張して、オレはそっと覗いてみる。
するとそこには、白と黄色と青で描かれた『梨』があった。
多分、黄色いのは髪、青は服で、白が肌なのだろうけど、
そこにあったのはどう見ても細長い梨だった。
オレのチャームポイントの癖毛が、ヘタにしか見えない

「………」
「どうですか? さっきよりは自信作なんですけど」


酷え
酷えよ 君
一時間以上待って
出てきたのが梨じゃ、あまりにオレが報われないっす


「オレの青春を返せーッ」
「わ、いきなりどうしたんですか、北川さん」
「オレの貴重な時間を返せーッ」
「え、えぅ…。北川さん、目が血走って怖いです」
「オレはお前を狩る者だぁ!!」
「きゃー!」

箒を手に取り、オレは少女を追う。
こうして、夜の墓場ならぬ夜の学校で、
オレと幽霊少女の運動会が始まったのであった。




「はー、北川さん、結構足速いんですねー」
「ゼー…ゼー…」

数分後、汗だくで倒れ伏すオレの頭上で、
少女が感心したように呟いた。

ああ、途中で薄々は気付いてたさ
体力に限りが無い幽霊相手じゃ、追っかけたって勝ち目無いって事くらい

「大丈夫ですか?」
「……ひ、卑怯者ぉ。空飛ぶなんて反則だ…」
「あはは、まあ、いいじゃないですか。
 学校で鬼ごっことか、面白かったですよ」

少女はオレの抗議等どこ吹く風で、窓を開け、
外から顔を出した。

「でも、懐かしいですね。この学校も…」
「…懐かしい?」
「私もここの生徒だったんですよ」
「…じゃあ、何でわざわざ」
「一日しか来れなかったんです…」
「一日?」
「はい」

少女は、そう言って学校を仰ぐ。

「入学式の日に倒れて、それっきり緊急入院しちゃったから」
「………」

オレは、言いながら、少女のその小さな肩が、
微かに震えているのに気付いた。

「たった一日。それが私の、
 ……最初で、最後の高校生活でした」
「……」

夏だと言うのに、窓から冷たい風が吹いた。
風は一瞬だけオレの頬をなで、そのまま夜の校舎内を通って消える。
まるで、何も起こらなかったかのように。


「……他にやりたい事は?」
「え?」

オレは立ち上がり、少女に手を差し出す。

「オレは君の気の済むまで、どんな事にも付き合うよ。
 だから、早く行こうぜ。時間が勿体無いだろ」
「北川さん……」

少女は、軽く目をこすって、
元気よく頷いた。

「ハイッ」










カナカナカナ……

「うぅ。もう夕方か」

オレはセミの音に耳を傾けながら、身体を軽く捻って起き上がった。
こんな生活してる物だから、昼夜が逆転しつつある。
夏休み中なのが救いか。
そこで、オレはハッと気付いた。

「あ、やばい。相沢ん家に行かないと」

オレは素早く着替えを済ませ、慌てて相沢…、
正確には水瀬の家まで駆け出した。




「遅いぞ、北川」

全速力で相沢の家に着いたオレは、
ノートを丸めた相沢に、チョップの洗礼を受けた。
まあ、今回はオレが悪いので素直に謝っておく。

「悪い。ちょっと寝過ごした」
「駄目だよ北川君。休みだからって、いつまでもダラダラ眠ってちゃ」

この世で最も眠ってる時間の長い高校生筆頭の水瀬に言われて、
オレはちょっとショックを受けた。

「あれ? 北川君が固まっちゃった」
「名雪…、お前、気付いてないのか?」
「??」
「やれやれ、ほら、北川いつまで石になってんだ。ネタを決めるぞ」
「お、おう」

相沢の言うネタとは、
要するに、脅かす為の道具の事だ。
各自がそれぞれ、作ってくる事になってるらしい。

「なぁ」
「ん?」
「…やっぱり、美坂は来ないのか」
「………」

この場にいない時点で、分かってはいた。
それでも、オレは確かめずにはいられなかった。
だが、それは相沢の頷きによって確定される。

「…やっぱり…辛いよね」
「……そうだな」

二人の呟きを聞いて、オレの心にふと陰が落ちた。


「……オレ達じゃ無理なのかもな」

自嘲気味に呟いたオレに、相沢が眉を跳ね上げる。

「おい、何言ってんだ。今、一番辛いのはあいつだぞ。
 そんな時、俺達が側にいてやらなくてどうするんだ!」
「ゆ、祐一…、止めなよ…」
「香里が元の様になるまで、俺達が励まして助けてやろうって、
 あの葬式の日に決めただろうが!」

相沢が激昂する。
オレは相沢に、軽く首を振って答えた。

「オレだって助けてやりたいよ…、
 でも、あいつは、その助けを拒んでるだろうが!」
「ッ!!」

そう、美坂はもうずっと、オレ達と話をしようとしない。
妹が死んでからずっと…、

相沢はそれ以上言い返さず、ただ黙ってオレの事を見つめる。
少しの沈黙の後、オレは気まずそうに謝った。

「…悪い、言い過ぎた」
「いや、俺も…すまない」

ホッと、後ろで水瀬の溜息が聞こえる。

「よかった…2人とも仲直りしてくれて」
「何言ってんだ名雪、
 俺達はいつもゴールデンコンビと呼ばれてるんだぜ」
「うん、でも本当に良かったよ」

水瀬は少し、儚く微笑む。

「…これ以上、離れ離れになっちゃうなんて辛いよ」

…そう言えば、水瀬も家族を失いかけたんだよな。
だから、余計に一人の辛さが分かるのかもしれない。

「…心配すんな。名雪。香里だったら絶対立ち直れるさ」
「うん、きっとそうだよね。だから、北川君もふぁいと、だよ」
「……」

この2人は、
美坂の事を、本当に親身になって心配してくれている。

それは、些細な事だけど、
オレは、それがたまらなく嬉しくて、
この2人と友達になれて、本当に良かったと思って、

そっと目を逸らして、潤んだ瞳を隠した。







「いよいよ明日ですかー、楽しみです」
「浮かれてるなー」
「はい、だって私、肝試しとか初めてですから」

少女は、ふわりと浮かんでお墓に腰かける。

「そういう事やらなかったの?」
「私、病気がちだったから、あまり無理できなくて」
「そっか…」

少し悲しげな目をした彼女に、オレは軽く質問をしたことを後悔した。

「ゴメンな、変な事聞いて」
「いえ、いいんですよ」
「うん…」

黙り込んだオレの前に、
少女は、ストンと下りてきて笑いかける。

「北川さんは、優しいですね」
「え? オレが?」
「こんな突拍子もない状況なのに、全然立ち入った事を聞かずに、
 ただ私に付き合ってくれてるからですよ」
「いや、オレは…」
「分かってます」

そう言って、微笑む少女。

「北川さんは、私に遠慮して、何も聞かないでくれてるんだって、
 でも、ずっとそれだと、ちょっと寂しいです」
「オレは……」

一拍の間を置き、少女は真剣な眼差しでオレを見つめる。

「…私の話、聞いてくれますか?」

少し考えた後、オレは黙って頷いた。
少女は、それを見て語りだす。

「私、子供の頃から体が弱くて、
 それでいつも、お父さんやお母さん、お姉ちゃんに迷惑ばかり掛けてました」
「……」
「それでも何とか高校まできて、ようやく体も安定してきて、
 これからは普通の生活が出来るんだ。皆に心配掛けなくてもいいんだ。
 そう、思ってました」

少女は、淡々と話し続ける。
口調とは裏腹に、泣きそうな表情だ。
正直、オレは聞くのが辛い。

でも、そんな訳には行かない。
一番辛いのは語っている彼女本人なんだから。


「でも…、この前言った通り、入学式の日に私は血を吐いて倒れ、
 緊急入院する事になっちゃいました。それで、分かったんです。
 私は、やっぱり、もうすぐ死んじゃうんだ、って」

その言葉で辺りが静まり返った。
虫の音すら聞こえない、本当の静寂。

耳が痛くなる程の静けさが、しばらく続いた後
少女はまた口を開いた。


「それで……、私は…自殺しようと、
 カ、カッターで…、手首を…!」
「な……!」

オレは思わず、声を発していた。

正直、オレはこの小さな少女が背負ってる物を軽く見ていた。
もしかしたら、オレがこの子の支えになってやれるんじゃないかと思って、
そうしたら、美坂の事もきっと助けられるんじゃないかと思って。

だが、この子の苦しみは、あまりに重くて、あまりに深くて、
とても、オレが支えきれるような物じゃなかった。

オレには……この子の苦しみを救ってやる事ができるのか?
出来る訳が無い……

美坂一人でさえ、救えないって言うのに!

オレは自分の無力さを知り、楽観していた自分の馬鹿さ加減を呪った。


「でも、結局出来ませんでした…、
 もうすぐ、死んじゃうって分かってたのに…
 もしかしたら奇跡が…、そう、奇跡が起こるんじゃないかって」

『奇跡』なんて……そんな簡単に起こる訳が無い

頭のどこか冷めた部分で、オレは誰かが言った言葉を思い出す。
あれは、誰が言ったものか……。


「でも…、起きないから奇跡って言うんですよね…」

「……え?」



その瞬間、顔を上げたオレの眼に、
儚く笑う少女の顔が、

「彼女」の姿と重なって、




オレは戦慄した。






冬……教室……HR……葬儀、
そして、美坂…。


頭の中で忘れかけていた事柄が、一つに繋がっていく。

「まさ、か……」
「どうしたんですか。北川さん」

そうだ、前から思ってた。この子の雰囲気が誰かに似てると。
そして、オレは確かに会ったことがある。
あの冬の日、雪が降る中行われた葬式で、
黒枠のモノクロ写真の中で笑う『彼女』に。



「まさか、君は…美坂栞なのか」

その途端、彼女の顔が染まる。
疑念ではなく、驚愕の色へと。

「栞ちゃん。本当に美坂香里の妹の栞ちゃんなのか!」
「……えうっ」

突然、大声をあげたオレに栞ちゃんは、
怯んだように、後ずさる。

「ちょっと待っててくれ。すぐに、君のお姉さん連れてくるから」
「えっ…?」

オレは、今までの陰鬱な気分なんかふっ飛んでいた、

妹が死んで、ただ孤独でいることを望んだ美坂。
オレ達では救えなかった。
だけど、栞ちゃんなら、当事者であり、家族である栞ちゃんなら、
きっと、美坂を救える。
そして美坂もきっと、栞ちゃんを……

そう考えて、オレは携帯を手に取って、


「やめてください!」
「えっ」

突然、その手を栞ちゃんに叩かれ、
オレは携帯を落としてしまった。

「え…、栞、ちゃん…?」
「ごめんなさい! でも…」

栞ちゃんは、哀しそうに首を横に振った。

「私…、お姉ちゃんには会いたくないです」


訳が分からなかった。
美坂を拒絶するような栞ちゃんの態度に、
疑念だけが頭を巡る。

「どうして…」

ようやく、それだけが言葉になる。
栞ちゃんは、思い悩むような素振りを見せていたが、
やがて、決然とオレに言った。

「…私のお姉ちゃん、美坂香里は、生前私の存在自体を拒絶したからです」
「何だって!」
「お姉ちゃんは、私が誕生日まで生きられないと知ってから、
 病室にも来なくなり、私の事を無視するようになりました」
「美坂が、そんな事を…?」

栞ちゃんの話は、オレにはとても信じられなかった。
美坂は、いつも凛としていて、何事にも動じず、
それでも、きちんと気を配れる優しさを持った人間。
それがオレの美坂に対するイメージだったから。


「だから、ごめんなさい…、北川さん…」

それだけ言って、栞ちゃんはそのまま姿を消した。
文字通り、煙のように。
後には、為す術もなくオレ一人が残された。

オレには、ただその場に立ちすくむしか出来なかった。









一夜が明けて、
自宅に戻ったオレは、ベッドに寝転びながら考えていた。

栞ちゃんの言った事、
俺の知ってる美坂の姿、

その二つが、グルグルと頭の中でループし続ける。
苛立ち紛れに、ベッドの上でどたばた暴れてみるが、
そんな事をしても、ほこりが舞い上がるだけだ。
それでも、暴れた事で多少は気分が落ち着いてきた。

「やっぱり…、また、会うしかないよな」

今の段階ではそれくらいしか思い浮かばない。
でも、栞ちゃんに会えたとしても、
それからは……

「……どうなるのかな」

会えるかどうかも分からない。
会っても、話してくれるか分からない。
話してくれても、オレにはどうにもならない問題かも分からない。

「……美坂」

学校で、授業中で、祭事で、
オレは自分の知ってる美坂の姿を思い浮かべていく。

一年ちょっとの付き合いだが、それでも、オレは、
美坂の事を……

オレはベッドから飛び起き、上着を手に取った。

「栞ちゃん、オレは決めたよ…」









その日の夜も、俺は墓場に向かう。
と言っても、今日は栞ちゃんに会う為だけじゃない。

墓場の前にいる男に俺は片手を上げて、挨拶をする。

「よう、相沢」
「あぁ、北川か。遅いぞ」

いつもは、静かな墓場に、今日だけは人だかりが出来ている。
『石橋クラス 肝試し大会』のメンバーだ。

「結構来てるな」
「あぁ。みんな暇なんだろ」
「お互い様だ。ところで水瀬は?」
「あいつなら、向こうだ」

相沢が指差した先には、眼をつぶって立っている水瀬がいた。
時々、首がガクリと落ちてる。

「相沢」
「ん?」
「水瀬、大丈夫なのか?」
「……」

無言で笑みを浮かべる悪友に対し、
オレは大きく溜息をついた。

辺りを見渡すと、墓地の入り口では、
最初の一組が既に待っている。

「……始まるな」

呟いたオレの言葉は、
肝試しの事か、それとも……、




「うおっ!」
「キャッ!」

時々聞こえる悲鳴に、耳を傾けながら、
オレは自分の持ってる釣り竿を軽く揺する。

先端に、蛍光塗料で髑髏を描いた厚紙が張ってあるもので、
コレを物陰から突き出して驚かすのだ。
安っぽい造りだが、結構、皆驚く。

「うわあぁぁ!!」
「キャアァァ!!」

……相沢だな。

先の方から聞こえてきた段違いの悲鳴に、オレはそう推測する。
人一倍、悪戯好きのあいつの事だ。
すさまじい仕掛けを用意してるに違いない。
オレにさえ「企業秘密だ」とか言って教えなかったからな。
敵に回すと恐ろしいヤツ。

「おっと、次、次」

新しく聞こえてきた足音に、オレは釣竿を構えなおす。

「ううぅ、なんか怖いね」
「そう? 私はそうでもないけど」

足音が段々と近付いてきた。
奇妙な昂揚感を覚えながら、オレはタイミングを図る

「あれ?」

バレたか?

その声に、一瞬、身体を緊張させるも、変化はない。
そっと、物陰から覗いてみると、
今来た2人の女子は、こちらに背を向けて何かに見入ってるようだった。

「あ、あれ、人魂?」
「へー、凝ってるわねぇ」
「ね、ねぇ、もう行こうよ」
「えー、まだ見たいのに」

女子達が行った後、そちらに目を向けると、
確かに遠くで灯りのような物が、フワフワと漂っているのが見える。
遠くで漂うその人魂は儚くて、それでもその存在を主張する蛍火の様にオレには見えた。




こうして、全員が墓地を回った後、
オレ達は再び寺の入り口に集まって、肝試しのネタ明かしや感想を言い合い、
自然と時間を潰す事になった。

「大成功だったな、北川」
「ん、そうだな」

相沢が声をかけてくる。
驚いたことに、相沢は道具らしき物は全く持っていない。

「結局、お前はどうやって驚かしたんだ」
「ヒ・ミ・ツ♪だ」
「止めろよ、気持ち悪い」

わざわざ裏声で言う相沢に、オレは軽くチョップした。
結構長い付き合いだが、コイツの考えだけはよく分からない。

「ねぇねぇ、2人ともちょっといい?」
「ん?」
「なんだ?」

オレ達に声をかけてきたのは、さっき、人魂を見つけた2人組みだった。
片方の子が頭を掻きながら、尋ねてくる。

「うーん、私は別にどうでもいいんだけど、この子がね、
 あの人魂のタネが分からないと怖いって言うのよ」

苦笑しながら、後ろに隠れてる女子を指差す。
確かにどんな物でも、仕組みさえ分かってしまえば何でもない。
この子も、そう思ってるんだろう。

「で、聞いて回ってるんだけど。
 後、相沢君と北川君だけなのよ。どっちかでしょ、あれ動かしてたの」
「オレは違うぞ」
「じゃ、相沢君?」

聞かれた相沢は、小首を傾げ、

「いや、知らん」


その言葉に、少し空気が緊張する。


「え…、でも、皆知らないって言ってるわよ」
「あー、あの人魂だろ、俺も見た。すごい仕組みだなって思ってたんだが」
「……どういう事?」

オレたちの話を聞いた何人かが、ザワザワと騒ぎ出した。

「あれ、人魂だったのか? 俺てっきり家の明かりかなんかだと」
「いや、あれ動き回ってたぞ」
「じゃ、なんなんだよ」

「ねぇ、懐中電灯が、ガラスかなんかに反射して映ったんじゃない?」
「ここ墓地よ、ガラスなんかないし、それに、アレははっきりとした火の玉だったわ」
「え、えーっと……」

騒ぎは広がり、やがて、クラスの誰かが内緒で脅かし役に混ざったとか、
第三者が参加してたとか、魔女裁判よろしく、憶測が広がっていく。

それに終止符を打ったのは、意外にも水瀬の寝惚け声だった。


「うにゅ…。人魂が空飛んでるおー」


そう、あの人魂は、数メートルもの高さをフワフワと飛んでいた。
しかも、墓が建ち並ぶ墓所を自由自在、縦横無尽に。


「ご、ごめん! 私帰る!」
「あ、ちょっと、待ってよ!」

今まで、友達の後ろに隠れた女子が、一目散に駆け出していった。
慌てて、その友達の子も後を追う。

「わ、悪い、俺も帰るわ…」
「わ、私も!」

それを機に、ある種の恐慌状態が始まり、
メンバーは蜘蛛の子を散らすが如く、バラバラになっていく。

何人かは残ったが、それでも、確かめに行こうとする者はいない。
やがて、そいつらも、今夜の不思議な体験を思い思いに噛みしめながら、
帰途についていった。

「まさか、こんな展開になるとはなぁ」

最後に残った相沢が、睡魔に完全敗北した水瀬を背負って、苦笑する。

「相沢は帰らないのか」
「そういうお前はどうなんだ?」

相沢は、黙ってオレを見返す。
暗に、何か心当りがあるんじゃないか、と聞いているのだろう。

「…今は、何も聞かずに帰ってくれないか」

オレの答えに、相沢は少し考え込むように目を瞑り、
一言だけ、オレに言った。

「後で、全部説明しろよ」
「すまん」

相沢は水瀬を背負いなおし、オレに背を向ける。

「じゃあな、なんか知らんが、頑張れよ」
「……ああ」

相沢は何も知らない。でも、何も言わずに励ましてくれた。
その言葉に背を押され、オレは歩き出す。





栞ちゃんは、初めから待ち合わせの約束でもしてたように、
あの小屋の前に立っていた。

「こんばんは、北川さん」
「あの人魂、やっぱり栞ちゃんか」
「はい、供えてあった蝋燭をお借りして、落ちてたライターで火を点けました」
「子供が火遊びしちゃダメだろ」
「私、高校生ですよ!」

怒る栞ちゃんに、オレは笑みを返す。
栞ちゃんは、ツイと顔を逸らし、小さく呟いた。

「……本当に、ドラマみたいですよね。
 妹と姉の友人が、偶然に出会うなんて」
「そうだな」
「何も聞かないんですか」
「オレは聞かないよ。オレは当事者じゃないから、
 オレから君と美坂の事を聞く資格はない。栞ちゃんが話してくれるまではね」
「…もし聞いて、聞かなければ良かった、と後悔するような話だったら、どうします?」
「関係無い」

オレは、真っ直ぐに栞ちゃんの目をみて言い放つ。

「オレは、栞ちゃんに最後まで付き合う。約束通りに」
「………」
「だから、オレは何も聞かない。…色々考えたけど、コレがオレの答えだ」

あえて冷たく、オレは言った。

「…ずるいです、そんな言い方」

栞ちゃんは、拗ねたように囁く。

「ずっと我慢してたのに、そんな事言われたら、私どうすればいんですか?」
「…栞ちゃんは、一人で頑張り過ぎだと思うぞ」
「北川さん…」

オレは、栞ちゃんの戸惑うような視線を受け止めて、頷く。
栞ちゃんは、ゆっくりとオレの胸に頭を乗せて、寄り掛かった。

「北川さん……私…、お姉ちゃんに会いたい…、でも、怖いんです」
「怖い?」
「もし、また拒絶されたらと思うと……、とても勇気が出ません」
「美坂は、そんな酷い奴じゃない」

オレの言葉に、栞ちゃんはピクリと身体を震わせる。
しかし、オレの上着を強く掴むと、叫んだ。

「でも…! もし、本当にお姉ちゃんが私の事を嫌ってたら、
 私はどうすればいいんですかッ!!」

そして、そのまま両手を顔に当てて泣き崩れる。

「もう嫌です…、拒絶されるのは嫌なんですよぅ…」

「……そうか」


オレは、ようやく栞ちゃんの心が分かった.

美坂に拒絶されて、頼って傷つけられる事の辛さを味わってしまった栞ちゃん。
その傷が、栞ちゃんの心を、誰かに頼りたい気持ちと、誰にも頼りたくない気持ちに分けてしまったんだろう。

だから、栞ちゃんはオレに身の上を話しつつも、
その一方で決して自分の名前を明かさなかった。

それが、姉のように傷つけられる事を恐れての、一種の線引きだったんだ。

でも、栞ちゃんも本当は気付いてたんだろう。
頼って傷つけられるよりも、ずっと一人でいる事の方が辛いって事に。





「…栞ちゃん。
 オレは、美坂が本心から、栞ちゃんを拒絶したとは思わない」
「で、でもっ!」

オレは落ち着かせるように、栞ちゃんの肩を掴み、ハッキリ言い放つ。

「オレは美坂を信じる」
「…北川さん」
「明日、必ず君を美坂に会わせる。だから、栞ちゃんも信じてくれ。
 オレと美坂のことを」

そう言って、オレは微笑んだ。










そして、今日も朝が来る。
いつも通り、何一つ変わらずに。

どんな形であったとしても、今日で全てが終わる。

オレは、ゆっくり目を開けて、自分の掌を見つめた。

「踏み込まなきゃ、近づけない。そうだよな…、栞ちゃん」

オレは目を瞑って、まぶたに彼女の姿を思い浮かべ、
腹に力を込めて飛び起きると、美坂の家へと向かった。






一人で来たオレに、美坂の母親は戸惑ったようだったが、
頭を下げて、ねばるオレを最後には招き入れてくれた。

小母さんに案内され、美坂の部屋の前まで来たオレは、
ドアを軽くノックする。

「美坂」

返事は無い。

「美坂」

やや強めにもう一度ノックするが、依然反応は無い。
オレは溜息を一つ吐いて、ポケットから携帯を取り出した。













いつから、この部屋はこんなに静かになったんだろう。

香里は、天井を見上げながらボンヤリと考える。
今の静けさが心に響くのは、過去の思い出が楽しかったから。
彼女は、あえてその理由を深くは考えないようにしていた。
知ってしまえば、もう全てが取り返せない事に気付いてしまうから。
だから香里は、何も見ず、何も考えず、ただ己を守るために閉じ篭る。

しかし、今日は邪魔が入った。
さっきから、鞄から携帯が鳴り響き、この静けさを乱している。

「…うるさいな」

香里は枕で頭を押さえ、雑音を遠ざけた。
しかし、携帯は鳴り止まない。
直に止めようと、そのままベッドから手を伸ばそうと思った時、
携帯が留守電に切り替わり、そこから、よく聞き慣れた声が流れてきた。

『…美坂。
 頼みがある。オレの一生一度のお願いだ。
 お前に会いたがってる人がいる。外で待ってるから、一緒に来て欲しい』

カウンセリングの先生?
それとも、精神科のお医者様かしら?

脳裏にそんな言葉が浮かぶ事に、香里は自分自身を冷めた眼で皮肉る。

「…もう、…どうでもいいわ」

香里は、携帯を手にとり、通話を切ろうとボタンに手を伸ばし。


『…美坂。オレは、お前の事を信じてる』

指がボタンを押す直前で止まった。

『オレは、お前が親友だと思ってる。
 だから、絶対に来てくれるって信じてる』

「やめてよ…」

『待ってるからな…美坂。

 …ピー、ゴゴ1ジ、42フン、デス』


そのセリフを最後に、
ドアの向こうで、足音が遠ざかっていった。
それを聞きながら、香里はベッドに倒れこむ。

「信じるなんていわないでよ…」

その目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。












オレはチラリと腕時計に目をやった。
時刻は既に、7時半過ぎ。
あれから、6時間も経ってる。

「やっぱ、押し掛けたのはまずかったかなぁ」

思わず、頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。
よく考えてみれば、急にあんなこと言われても、相手は困惑するだろう。
水瀬なら、快く了承してくれるかもしれないが、

「今日中でなきゃ、いけないってのに」

美坂の部屋を外から眺めてみるが、カーテンが引かれて中は見えない、
今、何してんだろうと、何気なく身体を揺らして、見る角度を変えてみる。






「…何してるの」

「うわああぁぁぁぁ!!!」



突然、後ろから声を掛けられて、俺は叫んだ。
なんか、前にもこんな事があったような、
て、そんな事はどうでもいい。

「み、美坂。良かった。来てくれたのか」
「違うわ」

オレの言葉に美坂は首を横に振り、


「…北川君。お願いだから、もう…、
 あたしに構わないで」

酷く悲しげな眼をして、美坂は俯く。


「嫌だ」

弱々しく言う彼女に、今度はオレが首を振った。

「美坂。もう止めろよ…、そんな風に自分を責めて、それでどうなるんだ」
「……」
「美坂は悪くない」
「……めて」
「妹が死んだ事に、美坂の責任はないんだ」
「止めてッ! 何も知らないのに、勝手な事言わないでッ!」

美坂はオレの言葉を遮るように叫んだ。
感情を剥き出しにした美坂に、オレはちょっと驚きつつも、静かに返す。


「知ってるよ。妹の栞ちゃんを拒絶したんだろ」

「え…」


美坂の顔が、まるで化け物でも見たかのように強張る。

「な…、何…で…」

顔面蒼白となって、美坂は後ずさった。
今にも逃げ出しそうな美坂に、オレは牽制の言葉を放つ。

「知りたいか。何でオレが知ってるのか」

戸惑う美坂の手を握り、オレは駆け出す。

「ちょ、北川君っ」
「美坂、その答えは本人に聞けよ」
「えっ?」
「栞ちゃんさ」

オレは唖然とする美坂を見ながら、ニヤッと笑った。











噴水がある公園。
ここは、この町で栞ちゃんが一番気に入った場所だ。
オレは、そこのベンチに腰を下ろす。

「…北川君、どういう事? 本人に聞くって、それに栞って…」

息切れしながら尋ねる美坂に、オレは逆に聞き返す。

「その前に一つ聞くけど、美坂は栞ちゃんをどう思ってたんだ?」
「……なんで、そんな事」
「嫌いだったか」
「…違う」
「煩わしかった?」
「違うっ!」
「だよな」

突然、穏やかになったオレの言葉に、美坂は戸惑ったような表情になる。

「ずっと考えてたんだ。
 美坂が栞ちゃんを拒絶したって聞いて、
 初めは、オレの知ってる美坂は外面だけだったのかと思った。
 でも、違うよな。
 だって、美坂はそんなに苦しんでるんだから」
「………」
「…嫌になって拒絶したんじゃない。
 本当はその逆で、病気で苦しんで、
 弱っていく栞ちゃんを見るのが辛かったからなんだろ、
 だって…」

胸に来る思いを、オレは一度溜めて、吐き出した。

「大好きな、妹だったから…」
「違う…」

夢遊病の様なふらつく足取りで、美坂はオレの襟を掴む。

「あたしは、逃げたのよ…。
 あたしはあの子を見捨てたの。
 次の誕生日まで生きられないって聞いても、それでも笑っていたあの子を、
 その存在すら忘れようとして…」

美坂は激情のまま、オレの襟を強く握り締める。

「あの子が助かるってずっと信じてたのに、そんな奇跡は起きなかった。
 あの子、楽しみにしてたのよ…、あたしと一緒に、あたしと同じ学校に通って…
 そして、一緒にお昼ご飯を食べる…、
 そんな、本当に些細なことを…あの子は、ずっと切望していたのに、
 どうして、あの子があんな目に会わないといけないの?

 あの子、一体何のために生まれてきたのよッ!!」

感情を剥き出しにした美坂。
オレは、初めて見るその姿に動揺しつつも、心の何処かで安堵した

「良かった。やっぱり、美坂はオレの知ってる美坂だったな」
「…え?」

オレは、満足げに笑い。

「な、言った通りだったろ」

美坂の頭越しに、噴水の前で俯いてる少女に声を掛けた。




「え…」


美坂がゆっくりと振り向く。そして、その眼が見開かれ、
涙がこぼれ落ちた。


「う…そ…」

美坂は動かない。
動いてしまえば、夢が覚めるように全て消えてしまう。
そう、思っているかのように。
だから、オレは、
少しだけ、後押しした。


「ほら、行ってあげな」


背中を押されて、前のめりに数歩よろめいた美坂が、
段々と自分の足で、栞ちゃんに向かっていく。


「し…おり、ほんとに…しおりなの…?」


ゆっくりと、まだ、夢うつつの状態で、
それでも、美坂は栞ちゃんの前まで行き。


「おね…えちゃん」
「しおり……、しおりいィィィ!!!」


泣き叫びながら、妹を抱き締めた。



「栞…ゴメン、ごめんなさい…」
「もう、いいよ。お姉ちゃんが、
 私の事を嫌ってた訳じゃないって、それが分かれば、もう…」

その美坂を優しく撫でながら、同じように涙を流す栞ちゃん。
夜の噴水をバックにした一枚の絵画の様なその光景を、
オレは、ベンチに腰掛け、いつまでもその光景を見守っていた。

「最後の最後で、約束、果たせたな」

思い出作りの協力から始まった、ここ数日の物語。
オレは、そのエンディングを見ながら、満足げに囁いた。


しかし、それは前触れなく終わりを告げた。
栞ちゃんの姿が、薄らと消え始めたのだ。

「な…、どうして!」
「あ、そうか、心残りなくなっちゃったから」
「そんな…行かないで! 栞」
「そうだ、まだ早過ぎる!」

慌てるオレ達に、栞ちゃんは嗜めるように優しく微笑んだ。

「お姉ちゃん、ありがとう。
 私、お姉ちゃんの妹で、本当によかったと思ってる」
「そんな…、そんな事言わないでよ…」
「だから、もう逃げちゃ駄目だよ。
 お姉ちゃんの周りには、いい人が一杯いるんだから、
 これからは、私の代わりにその人達を大切にしてあげて。
 逃げるお姉ちゃんなんて、嫌いだからね」
「……栞、分かったわ、だから、だから…、まだ行かないで…」
「そうだぞ、アイスをお腹一杯食べるとか、言ってたじゃないか!」

オレのセリフに、栞ちゃんは苦笑しながら、指を唇に当てて、

「んー、そうですね。
 じゃあ、アイスの代わりに、もっといいもの頂きます」

ふわりとオレのほうに飛んでくると、



そのまま、オレにキスをした。




「ぇ…」

「ありがとう、潤さん…」



オレは何も言えなかった。
突然キスされたせいもあるが、
それが、風に撫でられたような余りにも希薄な感触で、

そして、栞ちゃんが、ほとんど見えなくなっていて、
それでも、本当に嬉しそうに、彼女が笑っているのが分かったから。



……私


……幸せだったよ



……最高の思い出




……ありがとう





風に流れて、聞こえてきたその言葉を最後に。
美坂栞は姿を消した。




「そんな…、栞……」

美坂がその名を呼びながら、栞ちゃんのいた場所に座り込む。

「こんな、せっかく会えて…、話したい事も…謝りたい事も一杯あったのに…、
 これじゃあ…、これじゃあ何の意味もないじゃない!」

地面に、美坂は拳を叩きつける。何度も何度も、血が滲むまで。
オレは、そんな美坂を見ながら、昔彼女が言った言葉を諳んじた。

「そんなこと、ないさ」
「…え」
「奇跡が…、起きただろ」
「…奇跡?」
「美坂と栞ちゃんが、仲直りできた…」

美坂は驚いたように口元に手を当て、

「しお…リ…、あなた…、あなた、まさかその為に……
 その為…だけに………」

胸に溜め込んだ思いを、吐き出すかのように慟哭した。

「しお……り…、しおりいィィィィ!!!!」


美坂の叫びを聞きながらオレは見上げる。

夜空は何故かひどく滲んでいて、

星が見えなかった。










こうして、長かった夏休みも終わって、
オレは再び、日常に戻った。

いつも通りの日々、
いつも通りの生活、

「新学期早々、遅刻するトコだった…」
「う〜、ゴメン、休みボケかなぁ」
「お前はいつもボケてるだろ」
「酷いよ〜」
「そして、いつも通りの光景か」

ドドドドドと足音高らかに、
教室に飛びこんで来る友人を見ながら、オレは隣に声を掛けた。

「変わらないよな、美坂」
「え?」
「おい…」

声を掛けられた美坂は、チラリとオレ達の方を見て、

「そうね…、相変わらずだわ」

かすかに微笑む。

「お、おい、北川。今…」
「香里ー!」

何か言いかけた相沢を遮り、水瀬が美坂の首にかじりつく。

「香里、私達の方を見てくれたんだ…」
「大袈裟ね…」
「そんなことないよ。
 私、ずっとずっと心配だったんだから」

真剣な眼差しで、美坂を見つめる水瀬に、
美坂は軽く頭を下げた。

「そうね、ごめんね…、名雪」
「うぅん、もういいよ、もう…」

そんな2人をみていると、
不意に相沢がオレを肘で小突いてきた。

「北川よ、で、結局何をやったんだ」
「オレは、何もしてないさ」
「本当か?」
「ああ。オレは、……美坂を信じただけだ」

相沢は、興味深そうにオレを見ると、
ウムウムと感慨深げに頷いた。

「なるほど、愛の力か」
「あのな…」

言いかけて、オレはふと思った。


オレは、ただ美坂を信じきった。

それが、栞ちゃんの心を解きほぐし、
美坂を栞ちゃんに会わせ、

奇跡を呼び起こしたのならば、


それは、もしかしたら……


「…そうかもしれないな」
「ん?」
「い、いや、何でもない」

慌てて、オレは外の窓に目を逸らす。

「今日も、いい天気になりそうだな…」

外は、今日も暑い日ざしが降り注いでいた。

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