『券売機と床の隙間に打ち捨てられた左利きのぬいぐるみが放つ夏の残り香を、俺たちは愛と呼ばない。』


















「相沢、意味がわからない」
「俺もだ」
 というわけで、このタイトルは没になった。









chapter 序 / 野菜(vegetables)とfruits(果物)





 教室のドアを開け放つと、クラス中の女子が秘所をまさぐっていた。
 野郎の姿もチラホラと見受けられたが、俺が睨むとそいつらは針金状になって天井裏に消えていった。シュンッと音が聞こえてきてもいいくらいの消えっぷりだった。一体なんなんだ?
 で、やっぱり女子が秘所をまさぐっていた。
「おい北川さっさと入「ぬおぉぉぉぉ!?」
 のけぞった拍子に後頭部が相沢の顔面に直撃して、「いーつぉうッ!」と意味不明な叫び声をあげて廊下の窓を突き破り、外へ放り出される音がした……っておい相沢ちょっと待て、それは飛びすぎだろう! 振り向いて追いかけて窓枠から身を乗り出して下を見ると、花壇に頭から突き刺さっている何者かがいた。左右の足がそれぞれ前衛的な角度に伸びているのが印象的だ。しかし、あれは相沢ではない。相沢はあんなにすね毛が多くない。すると、どこだ? 視線を廊下に戻すと、ギュルギュル横回転しながら隣のクラスに入っていく相沢の姿を確認した。じゃあ落ちたのは、俺と相沢と行動をともにしていた斉藤だろう。やつは確か植物が大好きだから花壇に刺さってもきっと大丈夫だと俺の中で結論を出して相沢を追うことにする。本当は自分から花壇に刺さりに行ったのかもしれないし。紛らわしいやつだ。こんど薬局でコンドームを買わせよう。
 目にも止まらぬ速度で回転しているくせにドアを普通に開けて入った相沢の姿は、生徒会長の席で発見した。いまだに回転しているせいで誰だかわからないのか、久瀬はメガネのふちに手をやり「なんだね君は?」と疑問を口にしたが、次の瞬間そのメガネは相沢の手に渡っていた。さすがいつもより多く回っているだけのことはある。っていうか俺の後頭部ってどんだけ強力なんだろう? 首を捻ってるうちに久瀬は、「うわああぁ、目が、目がぁぁぁぁ〜〜」とわめきながらベランダから飛び降りていった。あいつにとってのメガネは人間にとっての酸素のようなものだと中学時代に聞いた記憶がある。裸眼で生活することは溺れているに等しいのだよ、とポーズを決めながら言っていたが、主張していることは情けないことこの上ない。ともあれ、確かそっち側に花壇はなかったので、金輪際久瀬のことは考えないようにする。見かけよりはいいやつだった、うん。マック奢ってくれたし。

「北川、いいかげん止めてくれ」
「まかせろ」
 適当に両手を突き出してむんずと引っつかんでやると、驚くほどアッサリ回転は止まった。さあ仕切り直しだ。何事もなかったかのように、そういえばここどこだ? と相沢が教室中を見渡す。確かに面識のない連中しかいない。なんで俺たちはここにいるんだろう。「どうやら教室を間違えたようだぞ」「おかしなこともあるもんだ」「ハハハ」「ハハハハ」と頷き合って、ひらひら手を振りながら後にする。プレートを確認したら隣のクラスだった。なぜそんな場所にいたのか理由はすでに思い出せない。きっと何かよくないことでもあったんだろう。まだ石橋が来ていないことを祈りながら自分のクラスへ移動する。移動も何もすぐ隣なのでものの数歩で事はすむが、その数歩によってドアにへばりついている石橋の姿を確認してしまった。ドアの隙間から教室を覗き、前かがみになって息を乱している。あーあーあー。これで今年度のなりたくない大人ナンバーワンの座はかたい。
「何やってんだ石橋?」
「桃源郷という言葉を知っているか相沢」
「しらん」
「北川は」
「黙秘する」
「ふむ」
 満足したのか、視線を教室の中に戻すうんこ担任。何も知らない相沢にとっては、進路を塞ぐ障害物以外の何者でもない。
「とっとと入れよ」
「あ」
 つまり高確率でこうなるわけだ。
 ドアを開けて担任を中に蹴り込む相沢の襟を掴んで思いっきりこっちに引っ張る。なんとか中の様子は見られずにすんだと思う。首が変な角度に曲がっているような気がするが、そこはバナナでも買い与えて大目に見てもらうとしてだ。さて担任の末路はどうなるだろう。無事に済むことはないだろうけど…………ガラリ、ヒューッ、ぼと。前のドアが開いて、キスマークだらけの石橋がうつぶせのまま投げ出された。桃源郷へ行って帰ってきた人間はみなあんな清々しい表情をするのか。ん? おい、待て。とりあえず待とう。落ち着いて深呼吸をしてみればいい。いち、に、さん、すうはあすうはあすうはあ………………………うおおおおおおおおおお!? あの石橋が? よりにもよってキスマーク! ンキスマーック! ンツィスムァーック!
 心の中で喚き散らして落ち着いた。相沢もそうした。
「ムァーック……マック……マックは、なつかしいな」
「元読売巨人軍のマックじゃないぞ?」
「そんな馬鹿な」
「そもそもマックの話じゃないし」
「つーかマクドだろ」
「相沢って関西圏出身だっけ?」
「違うけど。いや、でもやっぱマクドだ」
「いっそドナルドでいいんじゃないか」
「あのマスコットキャラを考えたやつはどんなセンスしてるんだ?」
「すばらしいセンスじゃないか」
 変なところで相沢と対立してしまった。いや、だって、ミステリアスな雰囲気をかもし出してていいじゃないか。ドナルド。あの化粧のトンチンカンっぷりがたまらない。子どもどころか大人にまで手広くに恐怖心を与えることをコンセプトにしているとしか思えない出で立ちがとにかく好感触なのだ。
「石橋はどうしようか」
「なんかむかつくから斉藤の隣に落とすか」
「よし」
 と思ったが、すでに石橋の姿はなくなっていた。ちくしょう、目を離すんじゃなかった。
「おい、北川。なんだこれ。このクラス」
「あ」
 石橋を探しているうちに相沢が教室の痴態に気づいてしまった。ちくしょう、目を離すんじゃなかった。……って、くそ、こんな時にデジャヴか。ああほら、相沢も頭を抱えている。俺たちの平和はどこいった? 花壇の中か? 斉藤のばかたれ。
「ああっ、なんで俺はこんな日に限って……」
「なんだ携帯を忘れたとか?」
「いや、デジカメ持ってきた」
「ありえねええええええ」
 相沢大先生の手によってドアの隙間から手のひらサイズのデジタルカメラが差し入れられ、教室の内部をあらわに…………手を引っ込めるとカメラの姿はありませんでした。
 0.5秒で隣のクラスに逃げ込んだ。1秒たったら二人とも引きずり込まれていたに違いない。引きずり込まれれば良かったかもしれない。勝手に身体が反応してしまった。
「なんだね君たちは」
 メガネをつり上げながらつかつかと歩み寄ってくる男が一人。いや待て、さっき死んだはずじゃあ。
「メガネが助けてくれたよ」
「そのメガネは一体どんな性能なんだ?」
「この取扱説明書でも読むんだね」
 そう言って広辞苑並に分厚い書物を投げてよこす。俺はよけた。相沢は蹴り返した。俺の後頭部に直撃した。
「痛いぞ」
「すまん」
 頭にきたので久瀬を蹴飛ばす。久瀬はベランダからおっこちていった。

 28秒ものあいだ議論に議論を重ねた結果、正攻法をとることにした。
 俺たちはたったいま登校したばかりの罪のない男子生徒である。教室の中がどうなっているかなんて知らない。知らないから普通に入る。
「そういえば相沢、駅前に垣根ができたんだってな」
「へえ」
「わはは」
「ハハハハ」
 ごく自然な日常会話に花を咲かせながら自分の席までたどり着くことに成功した。やっぱり一人より二人だ。二人より三人、と言いたいところだけどなぜか俺と相沢を除いた男子生徒の姿はない。斉藤は花壇に突き刺さって地球の一部と化しているし、天井を突き破ってどっかいった奴も何名かいるが、他はどうしたんだろう。みんな石橋と同じ末路をたどったのだろうか。……いや、それにしてもいい眺め。椅子に座って足をすこし広げ、女子がみんなそこに手を入れて息を乱している! しかも、俺と相沢が居ないもののようにスルーされているわけではなく、教室に足を踏み入れた瞬間からみんなチラチラこっちを見ているのだ。でもやめない。いったい、これは、なんという状況なのでしょう? 俺の願望がそのまま現実になったような光景だ。
「んじゃ北川、例のものをさっそく」
「おお」
 席に着くまではいいが、空気が詰まりすぎて間がもちそうにない。相沢も同じなのか、さっそく本題に入ってきた。
 俺は果物、相沢は野菜。それぞれ好きなものをひとつ持ってきてその素晴らしさを主張する。勝敗判定は美坂と水瀬にしてもらう予定だったのだけれど、とてもじゃないが話しかけられる状態じゃない。
 俺は背負ってきたリュックからスイカを取り出して机に置いた。
 相沢は懐からマスクメロンを取り出して、同じように置いた。今日はやけに右乳だけ巨乳だなと思ってたら仕込んでいたのか。
「これはまた……」
「似たようなものを選択しやがって」
「相沢こそ」
 だがしかし、姿かたちが似ているからこそ勝負のしがいがあるというものだ。CDとDVDをぶつけ合ったらどちらが壊れるのか気になる人がたくさんいるように。あるいは、おすぎとピーコをリングで向かい合わせたらどうなるかでもいい。松崎しげると漂白剤でもいい。最後のはちょっと違うか。
 お互い燃え上がる心を抑えながらまさに口撃合戦が始まらんとするとき。ベランダから男が入ってきた。
 もういっぺん蹴り落とそうかと思ったが踏みとどまる。
「主審は僕がやろう」
「助かる」
 全校生徒に公平であるべき生徒会長が審判になり、戦闘はよりシビアなものになった。
「先攻後攻はどうしようか」
「コインで」
 久瀬にコインを要求する。
「持ってない」
「取説でいいから」
「それならある」
 先ほどの凶器を渡してもらう。って、うお、重い。5kgくらいあるぞこれは。
「俺が投げよう。相沢どうだ」
「裏だ」
「なら俺は表だ」
 渾身の力を込めて書物を放る。
 力加減がきかず、窓の外にかっとんでった。
「……」
「……」
 沈黙が重い。視線が痛い。そしてクラス中は喘ぎ声。
「……まあ、なんだ」
「そういう日もある」
 話のわかる友人でよかった。
「ところでひとつ訊きたいんだが」
「なんだ審判長」
「西瓜は野菜で、マスクメロンは果物だ」
「……」

 俺:野菜担当
相沢:果物担当

 俺が持ってきたもの:マスクメロン
相沢が持ってきたもの:スイカ


 目を見合わせる。
「メロンって野菜じゃなかったっけ」
「俺もスイカって果物だとばかり」
「君らはどうやってこの高校に来たんだ?」
「徒歩で」
「ごめん途中まで自転車」
「そういうことを言ってるんじゃない」
 だって野菜と果物とメロンとスイカの関連なんて中学校で習わなかったし。
 それにこれらは紛らわしすぎる。見た目も構造もほとんど同じじゃないか。トマトとメロンとスイカなんて兄弟みたいなものだろ?

 相沢が俺を見る。
 俺が相沢を見る。
 久瀬がクラスの状態にようやく気づく。

 相沢が久瀬を見る。
 俺が久瀬を見る。
 久瀬はクラスを見渡している。明らかに口もとがゆるんでいる。このエロメガネが。

 相沢がスイカを掲げる。
 俺がメロンを掲げる。
 久瀬がこっちに気づく。

「せーのっ」
「うりゃ」

 ゴシャッ









「……というわけなんだ」
 緑茶をすすりながら一部始終を語り終えると、久瀬はメガネのふちを持ち上げ、体を起こしてそれとわからないくらいのため息をついた。書類作業が一段落ついたようだ。
「夢オチだと思ってはいたが、ぜんぜんまったくオチてないな」
「いや、夢でもなんでもないんだけど」
「じゃあ何だ」
「今日一日かけて俺と相沢でしたためた作り話」
「……」
「特に数学と古典の授業はまるごと犠牲にしちまった。この犠牲は安くないぞ?」
 横から相沢も加勢する。
 そこで切れた。今日は早い方だ。
「それは授業を聞かないための体のいい口実だろう! なんで僕がお話の中で虐げられなくちゃならないんだ! だいたい僕のメガネは何者だ。取扱説明書ってなんだ。ベランダから何回落とせば気がすむんだ……」
「まあまあ、そうカッカしなさんな」
「隣まで響くぞ」
「くっ……」
 この学校には生徒会室の隣に生徒会準備室という同じ大きさの部屋があって、後輩に手綱を渡して隠居の身である久瀬はこちら側で作業することが多い。俺と相沢もちょくちょくやって来ては仕事の邪魔……もとい、作業手伝いをしている。
 文化祭が終わったばかりで色々立て込んでいると思い手伝いに来てみたはいいが、慣れてない人間はまったくの戦力外だということが判明したので、あきらめてからかうことに専念した。こちらは俺も相沢も大の得意分野だ。
「そもそも君たちは受験生だろう? 図書室かどこかで勉強するという選択肢はないのか」
「そんなものはない」「あるはずがない」
 二人ではもはもすると、久瀬は机に突っ伏してしまった。が、なにかを思い出してすぐ起き上がる。
「美坂くんと同じクラスで友人なんだろう? 彼女に教わったりしないのか。僕が三年間で一度も勝てなかったほどの人材だぞ」
「そういえば香里とは中学からのライバルなんだっけ? こないだ言ってたぞ。自分は勉強に集中できる十分な環境があるから勝ってるだけで、生徒会その他の雑務をこなしながら二位をキープしてるお前の方がずっとすごいって」
「それが本当だとしたら嬉しいけどね」
「というかなぜ疑う」
「相沢の言葉を鵜呑みにするのは愚の骨頂だと潤が言っていた」
 裏切り者が発生した。
「北川このやろう」
「まて相沢。なぜ久瀬のことは信じる」
「疑う要素がない」
 ごもっとも。
 おとなしくアイアンクローにかかり、その後丁寧に久瀬に同じ体験をさせてやる。抵抗したため取っ組み合いのような格好になり、腕をとって接近戦に持ち込んだところで相沢に割って入られた。
「体育会系の僕とまともに張り合うとは……」
「帰宅部部長および副部長を舐めてもらっちゃ困るぞ」
「予算を出さなかった恨み、ここで晴らす」
 私怨混じってる奴が一人いた。
 相沢が久瀬と親交を持つようになったきっかけが、この帰宅部予算騒動である。じつは提唱したのは俺で、相沢に焚き付けたのも俺だったりする。結果としてここでこうしていられるのだから、あと五年は黙っておくつもりだ。
「帰宅部に予算を出せなんて要求を普通に出してきただけで、いくらかあげてもいいという気にはなったけどね」
 久瀬はこれであんがいジョークに理解のある男だ。
「じゃあくれてもよかったじゃないか」
「正式な部として成り立っていなかったのが致命的だった」
「そこはぬかったな」
 制服の埃を払って、残った書類を鞄に詰め込みながら、久瀬が今日はじめて笑った。
「それじゃ行くか。どうせ予定もないんだろう?」
「ないけど、どこ行くんだ?」
 相沢が訊き返すと、久瀬のメガネが一瞬だけ雲って輝きを放った。久しぶりに見た。
「学校の勉強よりも人生の勉強が足りてないようだからね」
「う。否定はしない」
「というわけで、だ」
 長年の付き合いからいくつか絞り込めたので、俺も黙って支度する。
 ごくりと喉を鳴らす相沢に向かって、久瀬は言い放った。
「八百屋行くぞ」
 なんというチョイスをしやがるんだろうこの男は。

 下駄箱までの短い距離のなか、久瀬に挨拶をする女子生徒は軽く二桁に達した。
 奴の名誉のため付け加えておくと、同じくらい男子生徒もいた。
 そんでもって、あきらかに熱のこもった視線をぶつけてくるのがその中の一割ほど。ちなみに男女問わず。
「いいよな、老若男女よりどりみどりで」
「いや、相沢それは違うぞ」
 フォローするも時すでに遅し、靴を履き替えている久瀬の顔色が変わった。メガネも曇った。
「それは僕が羨ましいってことか?」
「いやぜんぜん」
「ぐっ」
 とても正直なやつだった。
 話がややこしくなる前に軌道修正をば。
「なあ、俺たちはともかく久瀬は勉強しなくていいのか」
「世の中には生徒会推薦ってシステムがあってね」
「きたこれ! この愚劣野郎!」
「残念ながらまっすぐすぎるくらいストレートな戦法なんだな、これが」
 そうなのである。この久瀬は秋口にきてすでに推薦で進路を決めてしまった受験生の敵なのである。
 三年間地道に結果を残した実績が評価されての事なのだから、遊んできた俺たちがとやかく言えることではない。特に文句なんて言えるはずもない……ないのだけれど、やっぱり理性と感情は別物だ。
「久瀬、お前に言いたいことがある」
「なんだ北潤」
「きたじゅんって言うな」
 間を置かず、意を決して俺は言った。
「二度とは言わない、一度でいいから俺のかわりに受験してくれ」
「拒否する」
「ちぇ」
 むしろ承諾されてもどうしたもんかになってしまう。ポーズだけ決めて悔しがる。
 石ころを蹴飛ばしながら校庭の横を通り過ぎると、色々なものが視界に入った。陸上部が、野球部が、サッカー部が、ソフトボール部が、つむじ風がグラウンド上を駆け巡っている。つむじ風はわからないけど生徒はみんな二年生以下だ。そういえば俺たちだって去年は二年生だった。
 相沢、久瀬、俺、と横に三人並んで歩く。学校の外までこの顔ぶれで出歩くのは初めてのことだ。
 この顔ぶれの場合、俺はなるべく聞き役に徹することにしている。
「久瀬って体育会系だったのか」
「よく言われるよ」
「メガネのくせにか」
「それもよく言われる」
 俺も何度か聞いた記憶がある。
「苗字が久瀬なのにか」
「それは言われたことがない」
 俺もそんな言い草は聞いた記憶がない。
 細身でメガネってだけで文科系の人間に見られがちな久瀬だが、これで剣道の有段者なのだ。
「八百屋ねえ。八年前には行ったかもしれないけど」
「もう何が売ってるのかすらわからないくらいだよな」
「いや、北川それはどうだろう」
「アンパンとか?」
「パンのたぐいは売ってないだろ」
「メガネとか?」
「野菜と果物だよ」
「テイクアウトできるのか?」
「その場で召し上がれるもんならやってみろ」
 せっかく続けているのにツッコミ担当の久瀬が一向に乗ってこない。不満だ。
「ってメールしてるし」
「うん」
 うんじゃないよ会長。
 腹いせに覗いてやると、返信画面にまいこだかまんこだかの文字列が見えた。
「なんだ、また女か」
「待て北川。またってなんだ」
「いやもう言葉の通りだぞ。こいつ、たらしだから」
「おい潤、虚実を述べるな」
「事実を如実に述べたまでだ」
 俺が確認しただけでも、高校入ってから5、6人はいた気がする。
 たぶんもっといる。
「で、一生懸命返信してるみたいだけど、なんだって? まんこさん」
「久瀬、お前は一体……」
「おい一文字違う! 馬鹿か! 馬鹿か! 馬鹿が!!」
 OK、点火した。
「一文字違う? ならちんこさん?」
「うんこさんじゃないか?」
「まんこだよ!! あ、いや違う。ま、まい、まいこだよ!! いいか、まんこじゃないからな、まんこじゃ!!」
「よく聞こえないなあ相沢?」
「だよな北川?」
「ま!ん!こ! じゃない! って言ったんだよ!!」
「あー! まんこじゃないか!! わかったわかった」
 げらげら笑いながら早足で校門を通り過ぎる。近くを歩いていた女子生徒が信じられないといった表情で久瀬を見た。それはそうだ、才色兼備のお兄さまが公衆の門前で放送禁止用語を大声でぶっぱなしているんだから。どうせもう半年足らずで卒業なんだから今さら風評もないだろう。ふはは、ざまあみろ。

「仕切り直し。まいこちゃんがなんだって?」
 やけに冴えない表情で文面をしたためていたので内容が気になった。こいつがこういう顔をするときは、大抵なにかしら面白い展開になっている。
「寂しいとか会いたいとか、神は死んだとか宇宙は膨張しているとか何とか」
「なんだそれは」
 今さらながら久瀬の女の趣味は理解しがたいものがある。
「まず訊くが、それ彼女か?」
「いい着眼点だぞ相沢」
「向こうから、彼女にしてほしい、みたいなことを言われた記憶はあるな」
「で、実際はどうなんだ」
「適当に頷いてるうちにそうなってたのかもしれない。このメールを見た限り」
「うわあ」
 それまで忘れていたってことか。相変わらず。
「放置してたらやばいんじゃないのか」
「うーん、正直顔もよく覚えてない」
「最低だコイツ」
「だって面接会場でナンパされたんだぞ? まずその神経を疑うね」
「そんな女とほいほい付き合うなよ、そもそも!」
「面接の会心の手応えに興奮してたから、手当たり次第に喜びをぶつけてしまったのかもしれない」
「お前バカだろ」
 相沢の評価は端的だが的確である。
 俺はもう何度も言っているので言わない。
「ママにもパパにもそんなこと言われたことないぞ」
 しかもこの年でママパパときた。
「なら俺が言ってやる。お前は頭がいいけどバカだ」
「まあそういうことにしておいてやろう」
「なんでそんな偉そうなんだ……」
「で、そういうことになってるらしいが、いま別れた」
「今かよ!」
「好きでもない相手と長引かせるのはどっちみちよくないさ」
「ならそもそも付き合うなって……」
「まあまあ。それより八百屋トークしよう」
 頃合とみて、そろそろげんなりしてきた相沢を諌める。一連のやり取りでいい気がしていないのはわかったが、相沢には相沢の正義があるように、久瀬にも久瀬なりの理由がある。どちらも知っているだけに、俺の役目は自然と仲裁になる。
「で、何のために八百屋に?」
「君らに野菜と果物の違いについて講義してやる」
「ああ、念のため言っておくけど」
「なんだ」
「あれ作り話だから。俺も相沢もそのくらい知ってる」
 久瀬の足が止まった。
「最後に言ったぞ。作り話って」
「なんだ久瀬、さっきの今でもう忘れたのか」
「一足先に受験が終わって脳みそどこかに落としてきたんじゃないか?」
「拾ったら九割よこせな」
 言いたい放題言ってると、俯いたままぼそぼそやっていた久瀬が急に顔を起こした。完全に目が据わってる。
「よしわかった」
「わかってくれたか」
 何をわかったのだろう。いや、これが常套句だと知ってるはいるけど、毎回疑問だ。
「カラオケ行くぞ。今日は色々と叫びたい気分だ」
「了解。相沢金あるか?」
「ない。奢れ」
「それくらい僕が奢るよ」
 こんな時はすなおに褒めたたえておく。


 失恋したらビジュアル系、別れたら中島みゆき、とは誰の格言だったかな。すくなくとも偉い人ではないだろうけど。
 メガネを飛ばして失恋ソングを絶叫する久瀬に相沢は終始圧倒されていた。昔からストレス発散について容赦がない久瀬の歌いっぷりは半端がない。こいつは良くも悪くも実直すぎて、本気の恋ではないとか自分から切り捨てたとか、そういうことはお構いなしに別れたという事実だけで心の中に黒いものを溜めていってしまうタイプだ。定期的にガス抜きする必要がある。
 コーラをちびりちびりやりながら、他の二人をぼんやりと眺める。相沢は久瀬についてもうちょっと理解を深める必要がある。たぶん、いや間違いなく、俺がいなかったらふとしたことで口論に発展する二人だ。それを仲裁することが面倒だとは思わない。二人が親睦を深めるまでベニヤ板のような存在でいることもやぶさかではない。なぜならそれが俺という役回りだから。
 けれど俺も疲れることがあるし、吐き出すこともある。
 ちょうど今、そうしたくなった。
「あーぁ「お前をォォーーーーーーーーーー愛ーーーーーーーーー愛アウアァーーーーーーーー!!!」
 ため息すらも愛だとかいう言葉に吹き飛ばされて、いよいよ俺の中の決意のようなものは形を帯びてくるのだった。






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