『みずたまり 〜逢魔が時に〜 』


 
 
 家までの夕焼けの帰り路、舗装されていない砂利道を独り歩くと、昨日降った雨が未だに乾かずに自動車の轍に沿って無数のぬかるみを作る。
 おろし立ての長靴で跳ねた泥水が勢いよく跳ねて顔に当たった。
「冷たい!」
 足下に目をやると、珈琲牛乳色の水たまり。
 立ち止まって、覗き込むとアメンボか一匹、二匹何処から迷う混んだのかホバークラフトの様に水面を滑走していた。
 今まで感じることが出来なかった季節。
 道ばたに咲く紫陽花の花は赤や青の群を、誰に愛でられなくてもずっとそこに佇んでいる。
 しゃがんで水面を覗き込むと、乱れが収まった水面は、ボクの顔を映しだしている。
 珈琲牛乳色の水面は穏やかにゆっくりと流れ去る雲を映し、まるで雨が降る前からずっとそこにあったように路に敷かれた砂利と同じ高さの水を湛えている。

『それであゆちゃんはどうしたいの』
 ボクはどうしたいんだろう……。
 小学校の卒業証書は、病院のボクのベッドの枕元に枕元に置いてあったみたいだった。
 中学校のは?
 特別な計らいと言う言葉を、自分のこととして理解したのはそれが最初だった。多分これから何度も聞くことに鳴るんだと思う。
 でも……
 一日も通っていない学校の卒業証書なんか貰っても全然が実感が湧かなかったし、嬉しくもなんともなかった。本当は……
 みんなと一緒に学校に行ってね、みんなと一緒に運動してね、みんなと一緒にお弁当を食べるんだ。
 え? 勉強は……って?
 うぐぅ。……もちろん、するんだけど分からないところはきっと、友達に訊くんだけどちんぷんかんぷんで分からないんだよ。
 それでも分からなかったらね、名雪さんか祐一くんに聞いちゃうんだ。テストで悪い点を取ったってへっちゃらだけど、でもね祐一くんにだけは教えたくないようなきがするよ。
 だって、『あゆ、おまえは俺より悪いぞって』平気な顔していうからボクが泣き出して、祐一くん、先生と名雪さんに怒られちゃうから、そんなの見るの嫌だから教えてあげないんだ。
 あっ、そうか。……祐一くんは一緒の学校じゃなかったんだよね。
 でも、ボクも、名雪さんや祐一くんと一緒に学校に行きたかったな。

『ねえ、秋子さん』
 思い切って切り出したボクの言葉……

 泥水の跳ねた顔を水面に映すと、水滴が付いたボクがこちらの方を向いて笑っていた。
 キミも楽しいんだね。
 ボクも楽しいよ。
 祐一くんも名雪さんもボクの学校にはいないけど、新しい友達いるし。
 それに、二人にはうちに帰ればいつでも逢えるんだからそんなことは全然寂しくないんだ。
 そうそう、栞ちゃんて子とも友達になったよ。
 祐一くんと同じ学校に通うガールフレンドなんだって。
 最近までボクと同じ病院に入院していたんだよ。
 でもおかしな事を言うんだ。『雪の街であゆさんをよく見かけました』って
 きっと僕に似てる女の子にあったんだねって言ったら、『間違いなくあゆさんですよ』ってニッコリ笑うんだまるで、祐一くんがくれた天使のキーホルダーみたいに。
 嘘を付くような子には見えないんだけど、どうしてそんなことを言うんだろう。
 でも、ボクもなんだか前から知っているような気がして仕方がないんだ。
 どうして?
 ねえ。……キミはボクなんでしょ?
 そういえばボク、祐一くんに貰った天使のキーホルダー何処にやっちゃったんだろう……
 きっとキミなら知ってるんじゃないかな……
 
 ふと、風が吹いて水面が揺れると空も一緒に掻き消されてしまった。
「あーあ……」
 溜息を吐いて空を見上げると一塊の雲の晴れ間、その一つ一つからはまるで天国から天使が光臨してくるようかのような光の柱がそそり立っているように見えた。
「あゆ」
 え?
 前を見ると制服を履いた脚が見えた。
「誠に言い辛いんだがな」
 神妙な面もちで勿体ぶった間を与えた。そして……
「ぱんつ見えてるぞ」
 え? うそ!
 ボクは慌ててスカートの前を押さえた。
「祐一さん、あゆさんからかわないであげて下さい」 
「栞ちゃん?」
 憧れていた地元の高校の夏服をきた女の子は栞ちゃん。
「どういうこと?」
「まあ、そういうことだな」
 ニヤニヤしながらボクの方を見る祐一くんのことをさっきから栞ちゃんが睨んでいる。
「うぐぅ!」
 栞ちゃんに視線で問い掛けると、そうですと言うように頷いた。
「ボクを騙したんだね」
「いや、単にからかっただけなんだが」
「うぐ! 祐一くんの晩御飯は生姜に決定だよ」
 ボクはニヤっと笑ってそう言った
「まて、そりゃ名雪だろ」
「えうぅ〜、生姜は呪われた食物です」
 呪われたって……そこまでの物じゃないと思うよ。それに栞ちゃんが食べるんじゃないしね。
「それじゃあ、カイエンペッパーもつけてしまいましょう」
「……栞ちゃん名雪さんより極悪だよ」
 それから
「北川さんが嫌いな椎茸とシメジも入れちゃいます」
 それからエスカレートしてみんなが嫌いのものが祐一くんのお茶碗――もちろん空想上――には、練乳やら納豆やらとんでもない物がのっかって
「それじゃもう食べ物ですらないぞ」
 って祐一くんは溜息を吐くけど最後のトドメに
「秋子さんのジャムもついでに入れておくよ」
「そうですね。もちろん甘くないジャムです」
 だのから辞めてくれと、その極悪な食べ物を想像すらしたくない様子でそう言ったから
「たい焼き」
「バニラアイスです」
 と二人ともそれぞれが好きな物で手を打ったんだ。

「行くぞ、栞、あゆ」
 祐一さんはまるでさっきの奇妙な食べ物から少しでも遠ざかりたいように独り歩き出す。
「祐一さん、待って下さい! そんな事する人嫌いです」
「うぐぅ、祐一君待ってよ……」



 夕焼けの朱の中で、ボクは立ち去る前にもう一度だけその水たまりを覗き込んだんだ。
 乱れた水面にはもうボクの姿は映らなかったけれど、それでもボクはそこにいたもう一人のボクにさよならをいったんだよ。







『また会おうね、もう一人のボク』
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