小さな風の悪戯
 長い冬の訪れ
 明けない夜に縛られ
 少女は終わらない夢を見ていた

 でも

 ほんのささやかな想いによって明かりは灯された
 辺りに少し遅い春が来て
 朝日と共にまどろみは消えていった
 一組の恋人達に奇跡のかけらを残しながら……


リフレイン




(うぐぅ……格好良すぎだよ)
 脳裏に浮かんだ数日前の出来事を見ながら、あゆは心のなかでそう愚痴る。
 でも、軽口でも言わないとその小さな胸の奥にある心臓が爆発しそうだったからしかたない。
(なんでボクがこんな目にあわないといけないのかな……)
 あゆは本気でそう思う。
『俺は、あゆのこと好きだけど』
 今度は祐一に初めてあった時の思い出があゆの脳裏に浮かんできた。
(忘れたくないぐらい良い思い出だけど、恥ずかしいよーっ)
 これはもうここ数日で何度も見ている。
 病院で七年ぶりに目覚めて、それから常に祐一からの愛の台詞がとっかえひっかえ頭の中を駆けめぐり続けているのだ。
 理由はよく分からない。
 もしかしたら事故の後遺症などかもしれない。
 ただ、そんな事はどうでもよく、この心臓がはち切れんばかりのときめきと恥ずかしさも消える事が無い事が問題だった。
 いつもなら布団を被って、この恥ずかしさをやり過ごしているのでなんとか我慢出来ている。
 だが今の時間帯は残念ながらそれは出来なかった。
 何故なら、
「でさ……昨日も名雪の奴は……」
 肝心の本人があゆの目の前にいるからである。
 仮にも女の子であるあゆは好きな人の前でそんな醜態は見せられなかった。
 もっともその醜態を演じそうな原因を作ってるのは目の前の本人なのだが。
「……」
 少しだけ恨めしく思って、祐一をこっそりにらみつけるあゆ。
 その間にも彼女の頭の中には『俺は、ずっとここにいる』『あゆのすぐ側にいる』等と気を削ぐような台詞が飛び交っているのだが。
 その所為で顔も赤くなっているし、最早睨みつけるというより見つめると言う方がふさわしい。
 とてもじゃないが少女の心情は相手に伝わりそうにも無かった。
その証拠に

そっ

「……わひゃっ」
 気もそぞろになっていたあゆは祐一の不意打ちにも気づけず情けない声を上げてしまう。
「大丈夫か? また、風邪でもひいたんじゃないのか?」
 そんなあゆの様子を勘違いしているらしい祐一は本当に心配そうな顔で尋ねてくる。
「んっと、えっと」
 言葉に困るあゆ。
 まさか、見とれてました〜なんて素直に言えるわけがない。
 そんな事を考えると全身が熱くなる。
「祐一君の手冷たくて気持ち良いよ」
 その為か祐一の手がそんな風に感じて思わずそんな事を口走ってしまう。
 もはや、これ以上祐一になにかされたら心臓が止まってしまうんじゃないだろうか。
 そんな風に考えあゆは頭の中がぐるぐると回っているような錯覚におちいる。
 もっとも『…俺は、今でもお前のこと好きだぞ』て言葉が駆けめぐっているから、あゆはそう感じるのかもしれないが。
「ほら、あんまり無理するな。もう横になれ」
「うん……でも……」
(無理をさせてるのは祐一君なんだけど……)
  とは口が裂けても言えない。
  だが、ここ最近心臓を初めとしてあゆの全身の疲れを作り出してるのは間違いなく祐一なのだ。
「俺の手ぐらいなら当てておいてやるから、ほら」
「う、うん」
(うぐぅ……だから、それが……その優しさが辛いんだけど)
 今の祐一らしくないほどの優しい態度が、余計に頭の中を駆けめぐる台詞とマッチしてあゆの心をかき乱してくれるのだ。
 正直、あゆは目の前の祐一にずっと愛の告白をされているように感じてしまっている。
「ねぇ、祐一君。ボク、いつまでここにいる事になるのかな……」
 祐一の行動に抵抗する気力もなく最早なすがままになっているあゆは、思わずそんな言葉を漏らしてしまう。
(こんな生活一ヶ月も続いたら、絶対ボク生きてない……)
 恋する事は命がけというが、本気で命をかける事になるとは思ってなかったよ……と心の中であゆはため息をこぼす 。
「それなんだけどな、お前さえ良ければ一緒に暮らさないか?」
 あゆはその言葉に驚きのあまり跳ね起きる。
「といっても、居候させてもらってる秋子さんの家でだけどな」
 そんな事はあゆには関係ない。
 そうなったら、退院出来ても命がけの日々が続くだけだ。
 しかも今より辛い。
「で、でも。そんなの……」
 思わず「ボクに死ねっていうのーっ!」と言葉を続けとしたのだが、とうの祐一の口元に人差し指を当て遮られる。
「いいんだ。みんなそれを望んでいるんだから」
 凄く優しい表情でそう言われ。
 思わず言葉を失う。
 だけど、あゆの心の中では(ボクは望んでないんだよーっ)と叫ぶ声は途切れる事がない。
「だって……だって……」
 絶対耐えられそうもないよ、そんな生活……と言おうとする。
 だけどそんなときに限って頭の中では、記憶の中の祐一が『俺は、ずっとここにいる』や『あゆのすぐ側にいる』と追い打ちをかけてくる。
 もはや、うれしいやら恥ずかしいやら心臓が痛いやらで軽いパニック状態だった。
 そしてその瞬間に視界に入った祐一の真剣な眼差し。
「うん」
 それが駄目押しとなって、あゆの理性はぷっつりと糸が切れた。
 はしたないと言われようがなんだろうが、祐一を押し倒そうと祐一に突撃をはかる。
(うぐぅ〜。祐一君なんでこんなに固いの?)
 だが、非力なあゆでは押せども押せどもびくともしない。
 思わず涙目になってあゆは祐一を見上げてしまう。
 その瞬間ふんわりと温かい腕で包まれるあゆの体。
(まぁ、いっか)
 結局、なんだかそれなりに満足しまったあゆは、そのまま祐一が帰るまでその身を任せる事にしたのだった。


「なぁ、林檎食べるか?」
 また、別の日。
 唐突に祐一にそんな事を聞かれる。
「ううん、いいよ」
 祐一の好意からだというのはよく分かるのだが、今のあゆにはそれに甘える事は出来なかった。
(もし、同意したらあーんとか言われるかもしれないもん)
 そんな事をされたら、恥ずかしさできっと心臓が耐えられそうもない。
「やっぱり、食欲ないのか?」
「……う、うん」
(良かった、いいように勘違いしてくれた)
 心の中でほっと安堵する。
 そんな最中も頭の中では口についたあんこを取ってくれたときの祐一が揺さぶりをかけてきたりするのだが……
「でも、ちょっとでも食べないと体力もなかなかもどらないぞ」
「うん……」
 食べられないのは単純に悶え疲れて食べる気力が無いからなのだが、そんな事言えるわけがない。
 もし、言ったら祐一に
(祐一君、意地悪だから妄想娘とかむっつりすけべとかからかうに違いないもん)
 それはそれで恥ずかしすぎて耐えられそうもなかった。
 それにからかわれるのも嫌だったが、好きな人に変な風に思われるのがなによりも耐えられそうもない。
「心配するなって言ってやれればいいんだけどな」
「え? なにが?」
 あゆは思わず自分の世界に閉じこもってしまって祐一の話を聞いてなかった。
 だから、そう聞いたのだが、
「いや、なんでもない」
 と返される。
 不思議そうに祐一をみるあゆだが、答えが返ってくるわけは無かった。
 その代わり返ってきたのは
「なぁ、あゆ今日はちょっと外に出ないか?」
 なんて言葉だった。
「え?」
「医者の許可はもう貰ってるんだ。いつもこんな所に閉じこめられてちゃ気分も暗くなるだろ」
「そうかもしれないけど……」
 別に暗くなってるんじゃないんだけどと文句を言ってやりたい事だった。
(うぐぅ……でも、もしかしたら良い気分転換になるかも)
 そう気をとりなおした所で、祐一からとんでもない言葉がさらに放たれる。
「そうだな。なら、俺とデートしないか?」
「デ、デート!?」
「まぁ、言い変えただけだけどな」
(うぐぅ。なんでわざわざ言い変えるの……)
 思わず祐一を恨めしく思う。
 まぁ、無理もない。
 おかげであゆの心拍数は鰻登りに上がっているからだ。
「でも……ボクの体大丈夫かな……」
 デートなんてしたら心臓止まりそうなんだけど……とあゆは思ったのだが、
「大丈夫さ。医者の許可は出ているっていったろ? それに病気じゃないんだから心配ないさ」
 当然、祐一にはその意味は伝わっていない。
「うん……病気じゃないんだよね」
(まだ病気だったら治るぶんだけどんなに良いのかなぁ……)
 思わず俯いてため息を漏らしながら真剣にそう思う。
「さ、いくぞ」
 そんな風に祐一から気を逸らした瞬間、急にからだが宙に躍る。
「わ、わわっ」
 少し体のバランスを取ろうとして腕を振り回したところで、祐一に抱き上げられている事に気付く。
「ゆ、祐一君。車椅子とかは?」
 もしや、このまま行くのだろうかと嫌な予感があゆの頭を過ぎる。
「いいさ。お前軽いからこのままいこう」
(全然良くないよーっ)
 これからデートなんてただでさえきつそうな事に耐えなければならないのに、こんな状況なんて最早どれだけ辛いかわからない。
 もしかしたら、今日一日だけで一生分の心拍数を使ってしまうんじゃないだろうか? と考えぞっとする。
「病院の中庭に梅の花が咲いてるんだ。なかなか綺麗で見事だったぞ」
(それは楽しみだけど、見てる余裕なんてきっと無いよ〜)
 あゆはそう思ったが、口には出せない。
「あゆだって、それを見ればきっと元気が出てくるさ。お前が笑った時みたいな可愛い花だから」
「祐一君……」
 そういうクサい台詞はまた、頭のなかで繰り返されるから辛いんだけど……と心のなかでさめざめと泣く。
 例に、この間の『俺と一緒に暮らそう』なんて数日の間に一万回は聞いた気がする。
 その不満を祐一の服を嫌がらせで嫌がらせでぎゅっと引っ張る事で晴らそうとしたのだが、当の祐一は微笑んでるだけで意に介した様子はない。
 結局あゆは売られていく子牛のような気持ちで外へと連れ出されるのだった。  


「あゆ」
「……?」
 また別の日。
 最近のあゆはわりと平静でいられるようになっていた。
 といっても別に頭から祐一の愛のささやきが消えたわけでは無かったりする。
 単に状況に馴れただけだ。
(どんな事にも馴れる事が出来るなんて、人間って凄いよね……)
 あゆはしみじみとそんな事を思う。
(いつだって祐一君の声が聞けるんだもん。そう悪い事じゃないよね)
 愛の囁きに関してもそういう考えにいたり、いまは好きになっていた。
 そん中、来て早々祐一が真剣な表情でこちらを見ている事にあゆは首をかしげる。
 どうしたのかなぁ……と暢気に考えていたあゆは次の祐一の言葉に硬直してしまう
「お前の担当の医者から聞いた」
「!?」
(ま、まさか……)
「自分の体の後遺症が不安なんだって?」
(やっぱりーっ)
 数日前、あまりの辛さに担当のお医者様に相談したのだが、それが今頃こんな形で帰ってくるとは思ってなかったあゆはどう説明すればいいのか内心であわてふためく。
 まさか、今まで必死に取り繕ってきた醜態をそのまま伝える事なんて出来るわけがない。
 しかたなく
「……うん」
 と数日前の自分を怨みながらなんとか返事だけを返す。
「医者は特に異常は無いって言ってただろう?」
 まぁ、実際に検査とかはいくらしても異常はなかった。
 結局、この『祐一の愛のささやきがリフレインして聞こえちゃうよ』症状がなんなのかは分からないけど、もしかしたら奇跡の名残なのかもしれない。
 あゆ自身も、もう別に耐えられないわけでは無かったから治そうとも思っていなかった。
「うん、そうだね」
 だから、その事に関しての返事は自然に返す事ができた。
「隠してて、ごめんね」
「いや、いいさ」
 なんとか隠していた理由はごまかせそうだとほっとしながらあゆは言葉を続ける。
「確かに一時期は心配してたけど」
 心臓破裂するんじゃないかと思って……と心の中で続ける。
「もうボクは大丈夫」
「そうか」
 そしてあゆは笑顔で祐一にこう続ける。
「いつも祐一君がいてくれるから」
「……そうか」
 その言葉に真っ赤になった祐一を見て、あゆは自分がとんでもない事を口走った事に気付く。
(……うぐぅ。もしかしたら祐一君の台詞聞いてたせいでそういう事への抵抗がなくなってるのかも)
 あゆはそんな事を考え青くなる。
 もしかしたら、そのうち愛の言葉を口にし続けるなんてとても恥ずかしい人間になってしまうかもしれないのだ。
 そんな事を真剣に考えていたあゆにそっと新たな言葉がささやかれる。
「いるさ」
「え?」
「俺はなによりもお前が好きなんだ」
 どくんと心臓が跳ねる。
「誰よりもお前が可愛いし、どんなものよりもお前の笑顔で幸せを感じられるんだ」
「祐一君……」
 鼓動はばくばくと速さをましていく。
「だからさ。これからもずっと俺の傍で笑っていて欲しいんだ」
 最早、破裂しそうなほど心臓は活動していた。
(……うぐぅ。全然馴れてなかったみたい)
 どうやら馴れたのは今まで言われた台詞に関してだけだったらしい。
 あゆは火照る頬を感じながらそんな事を悟る。
「祐一君……恥ずかしい事言ってるね」
 でも、それ以上にその言葉を嬉しいと感じていた。
「いいさ」
 祐一はそんなあゆを見てそっぽを向いて
「多分、一生に一度の台詞だから」
 と恥ずかしそうに言う。
「一生に一度しか言ってくれないの?」
 思わずそう聞き返すあゆに
「なんども言う台詞じゃないからな」
 照れたように笑う祐一。
(でも祐一君……)
『俺はなによりもお前が好きなんだ』
(さっそく頭の中で今の台詞が繰り返されてるんだけど……)
 とあゆは一人心の中で苦笑する。
(でも、すっごく嬉しいからいいよねっ)
 結局そう結論づけると今だ恥ずかしそうにしている祐一を見ながらあゆは、リフレインされる台詞に心を委ねるのだった。


 退院の日。
 すっかり元気になったボクはいつものベンチで祐一君と待ち合わせをしていた。
 祐一君ってばいつも通り遅れてきたけど、でもそれは祐一君らしくて良いと思う。
 結局いつもどおりのボク達に戻っちゃったけど。
 それでも祐一君が言ってくれた言葉はボクの頭の中で今だに繰り返され続けている。
 ちょっと恥ずかしいときもあるけど、それは幸せな事だった。
「行くぞ、あゆっ」
「うんっ」
 そして、時折
「なぁ、あゆ」
「うぐ?」
「大好きだぞ」
 こんな風に今日もそこに新たな言葉が追加されていく。
「ずっと一緒にいような」
「うんっ」
 これからはずっとそんな風に幸せな毎日が繰り返されていくんだと思う。

 それはきっとリフレインのように
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