「祐一〜、お夕飯だよ〜」
「おお」
 名雪の明るい呼び声に、祐一は足取りも軽くキッチンに向かう。テーブルの上には名雪お手製のハンバーグがジュウジュウと良い香りを立ち上らせており、そのとなりに並べられたピーマンの肉詰めと、まわりを囲むように配置されたニンジンやブロッコリーといった、色とりどりの温野菜がなんとも食欲を誘う。
「今日はハンバーグだよ」
「真琴のリクエストなのよぅ」
「ボクもお手伝いしたんだよ」
 そう言って三者三様に胸をはる。血のつながりはなくとも、仲の良い三姉妹の姿がそこにあった。この日は秋子が仕事で帰りが遅くなるため、名雪を中心にして三人で作ったものだ。これを食べたときに祐一がどんな反応をするのか、向かいの席の名雪と真琴、隣の席のあゆも、みんな興味津々と言う様子で瞳を輝かせていた。
「それでは、いただきましょう」
「「「いただきます」」」
 名雪の声に続き、三人の声が見事に唱和する。これはにぎやかな事が大好きな秋子がはじめたのだが、今ではすっかり食事の定番として水瀬家に定着していた。
「それでは、早速……」
 名雪特製のソースがかけられたハンバーグは表面がパリッと焼き上げられており、中身はふっくらふんわりと仕上がっている。お箸で二つに割ると中からジューシィーな肉汁がたっぷりあふれだし、一口食べれば幸せの味が口いっぱいに広がる。鉄分豊富な牛肉と、鉄分の吸収を助ける豚肉の相乗効果は、成長期の子供に優しく、鉄分の不足しがちな女性の強い味方だ。ちなみに水瀬家スペシャルのハンバーグはさらに鳥の挽き肉を加えて味にまろやかさを出しており、この味わいはそんじょそこらのレストランでは太刀打ちできないくらいの美味しさだ。
「美味いっ!」
「「やったぁっ!」」
 祐一の言葉に、席が隣同士の名雪と真琴がにこやかにハイタッチ。その仲間に入れずに、ただ一人うぐぅと呻くあゆ。
「それより真琴、お前のハンバーグはヒトデか?」
「お星様よぅっ!」
 祐一と名雪のハンバーグは綺麗な小判型をしているのだが、真琴のハンバーグはまわりに五つの突起が生えたいびつな形をしている。確かにそう言われてみるとお星様に見えなくもないが、微妙に中央が膨らんだその形はどう見てもヒトデだった。ちなみにあゆのハンバーグは何故か三角形だ。
「あゆも三角形だし……」
「うぐぅ……」
 おそらくは不器用な二人が一生懸命に作ったものなのだろう。まあ、形はともかくとしても、これは名雪が下ごしらえをしたものだから味は折り紙つきだ。
「あ、そうだ。ねぇねぇ、祐一〜」
「ん〜、なんだ? 真琴」
「牛さんと豚さんがデートしたらハンバーグになるの?」
「いきなりなにをいっとるんだ? お前は……」
 ここで話は少し前にさかのぼる。それはお昼過ぎにかかってきた一本の電話からはじまった。

「うん、わかったよ。それじゃあね、お母さん」
「秋子さん、なんだって?」
 軽く微笑んで受話器を置いた名雪に、あゆがおずおずとした様子で話しかけてくる。あの冬の出来事の後、水瀬家の厄介になる事になった彼女は、名雪を実の姉のように思っている。名雪のほうもあゆを妹のように思っており、血のつながりはなくても仲の良い姉妹関係がそこにあった。
「お母さん、今日は帰るのが遅くなるから、お夕飯は先に食べててって」
「そう」
「秋子さん、遅いの?」
 するとそこに、真琴が話しかけてきた。彼女もまた水瀬家のお世話になる事になったため、それまで二人きりで少し寂しかった家がかなりにぎやかになった。もっとも、真琴は人見知りの激しい部分があるため、こうした電話や急な来客を苦手にしてはいたが。
「うん、お夕飯はわたしが作るけど、真琴はなにが食べたい?」
「ん〜……?」
 そういわれて真琴は眉間にしわを寄せて考え込んだ。好物の肉まんはおやつに食べたばかりだし、それ以外で食べたいものとなると。
「真琴ね、はんばぁぐが食べたいっ!」
 こうして、夕食のメニューが決まった。

 キッチンに挽き肉、たまねぎ、ピーマンといった食材がずらりと並び、そこにエプロン姿の名雪、あゆ、真琴の姿がある。
「まずは材料の下ごしらえだよ。真琴はわたしと一緒にたまねぎを刻んで、あゆちゃんはピーマンをお願いね」
「うん、名雪さん」
「わかった〜」
 たまねぎの皮を丁寧にむき、軽く水で洗ってからみじん切り。そして、なるべく細かくなるように刻んでいく。
「あう〜……」
 危ない手つきで包丁を使う真琴の瞳に涙が光る。
「たまねぎ、しみちゃった?」
「あう」
 鼻水をグジュグジュさせながら、真琴は涙目で肯いた。
「これでいい? 名雪さん」
 あゆはというとピーマンを半分に割り、中の種を取って綺麗に水洗い。このあたりは普段からお手伝いをしているあゆと、していない真琴の差が如実に現れているところだ。
「上手だよ、あゆちゃん。それじゃピーマンは乾くまでちょっと待ってね。わたしは今のうちにたまねぎ炒めちゃうから」
 そう言って名雪はみじん切りにしたたまねぎの、おおよそ三分の一をフライパンで炒めはじめた。こうしてたまねぎを炒める事で辛さを飛ばし、甘みを引き出すのだが、そうする事でたまねぎの持つぱりぱりさくさくとした食感が失われてしまう。
 祐一は軽く火を通したぐらいの半生のたまねぎの食感が好きなのだが、あゆと真琴はこうして炒めたたまねぎの香りが好きだったりする。そこで名雪は使う全体の三分の一を炒め、残りをそのまま使う事でたまねぎの食感を損なわず、香りを引き出す事にしているのだ
「ふわぁ……」
 みじん切りにしたたまねぎをフライパンで炒めている名雪の見事な手つきを、わきから真琴が興味津々と言う風情で覗き込んだ。あめ色になるまで弱火でじっくりと炒められたたまねぎのいい香りが鼻腔をくすぐる。
「それじゃ、今度は生地を作るね。これはわたしがやるから、あゆちゃんは真琴とにんじんの皮をむいて拍子木に切ってくれる?」
「うん。真琴ちゃんはにんじんの皮をむいてね」
「わかった〜」
 あゆと真琴は皮むき器を使って丁寧ににんじんの皮をむいていき、一方名雪はボウルに次々と材料を入れていく。
 牛と豚の挽き肉に、鳥の挽き肉を加えるのが水瀬家特製ハンバーグ。つなぎのパン粉に卵とミルク、肉に下味塩胡椒、肉の臭みをとるナツメグに、たまねぎを加えて混ぜ合わせる。こればかりは名雪が自分の手でやらないと気がすまないのだ。
 一方あゆは真琴と一緒に皮をむいたにんじんを、太目の拍子木に切りそろえる。
「あう、拍子木?」
「こうやって四角くなるように切るんだよ。そうするとほら、出来上がりの形が拍子木みたいでしょ?」
「ホントだ〜」
 仲良く包丁を握る二人の微笑ましい姿に、思わず名雪も目を細めてしまう。自分がお母さんと一緒に料理しているとき、きっとお母さんもこんな気持ちだったのだろうと。
 にんじんの準備が整ったところで、名雪は混ぜ終わったハンバーグの生地をラップしておく。こうやってしばらく寝かせておくと、たまねぎの力で肉が柔らかくなるのだ。ちなみにこれは、かの有名なシャリアピンステーキと同じ手法だったりする。こういう細かな工夫が、出来上がりの味を決定的に変えてしまうのだ。
 生地を寝かせるその間、名雪はあゆたちが拍子木に切ったにんじんを鍋に入れ、ひたひたの水で煮込んでいく。にんじんが柔らかくなったあたりでバターと砂糖を加え、そのまま汁気を飛ばすように一煮込み。仕上げに塩と胡椒で味を調え、にんじんのグラッセが出来上がる。
「どうかな? お味は」
「うん、美味しいよ」
「美味しいっ!」
 にんじん嫌いの子供ににんじんを食べさせるため、こうしたハンバーグのときにすりおろしたにんじんを加えたりもするのだが、秋子はそんなごまかしが嫌いだった。そこで秋子はこうやって一緒に料理をする事により、自分で作ったにんじんの料理を食べさせるようにしたのだ。そのおかげで名雪も今ではすっかりにんじんが大好きになっている。
「次はピーマンの肉詰めだよ。肉を詰める前に、ピーマンの中に小麦粉を塗っておいてね」
 名雪の手つきを真似るようにして、あゆと真琴はピーマンの中に小麦粉を塗っていく。次に寝かせておいたハンバーグの生地を、小さじを使って一個ずつピーマンに黙々と丁寧に詰めていく。
 残った生地はハンバーグ。名雪は軽く両手でキャッチボールし、手際よく小判の形に丸めていく。
「うぐ、うぐ、うぐ……」
「あう、あう、あう……」
 シュタタタタ、という擬音が見事な名雪と違い、あゆと真琴は悪戦苦闘。上手く形がまとまらない。
「……おにぎりになっちゃった……」
 うぐぅと呻く、月宮あゆ。何故か形は三角形。器用なんだか不器用なんだかよくわからない。
「あう〜……」
 一生懸命丸めていくが、いびつな形の沢渡真琴。まわりに飛び出た五つの突起はお星様のようにも見える。
 そして、二人はじ〜っと名雪の手つきを見る。
「どうしたの? ふたりとも」
「……魔法の手……」
 感心したように、真琴がポソリと口にする。
「そんな事ないよ。あゆちゃんたちだって、練習すればこのくらいすぐできるようになるよ」
 笑顔で名雪はそう言うが、そこまでできるようになるのにどれくらいかかるのだろうか。あゆは真琴と顔を見合わせ、お互いに深いため息をつくのだった。

「それじゃあ、最後の仕上げに入るよ。わたしが焼いてる間に、あゆちゃんはブロッコリーをお願いね」
 下ごしらえは手伝ってもらったが、微妙な焼き加減はやはり名雪がやるしかない。秋子の腕前に比べるとまだまだであるが、少なくともあゆたちよりははるかに上だ。
 フライパンを軽く熱してバターをいれて、じわじわ融けはじめたあたりで満遍なく広げる。
「まずはピーマンの肉詰めからだよ。これはお肉をつめたほうから焼きはじめてね」
 短くアドバイスを加えながら、名雪は軽くパン粉をまぶしたピーマンの肉詰めをフライパンに並べていく。こうする事で肉汁を中に封じ込め、ジューシィーな味わいを楽しむのだ。
「最初は強火で焼いて、軽くこげ目がついたらひっくり返して、そのまま弱火でフタをするの」
 そういいつつも名雪はすばやい動作でピーマンをひっくり返すと、弱火に変えてふたを閉じる。中からじわじわじくじく音がして、香ばしいにおいが立ち上る。
「出来たかな♪ 出来たかな♪」
 名雪のわきから真琴が興味津々覗き込む。名雪の手際にあゆは自分だったら黒こげなんじゃないかと思案顔。
「まだまだ、もう少し……今っ!」
 じくじく言っていた音がジュワーに変わる瞬間を見計らい、名雪はすばやく火からおろす。
「次はハンバーグだよ。これも最初は強火で焼くんだよ」
 さっきの肉詰めと同じように、ハンバーグも表面に軽くパン粉をまぶし、強火で表面を焼き上げる。軽くこげ目がついたあたりでひっくり返し、裏も同じく焼いていく。両面が焼きあがったところで弱火にし、ふたを閉じてじっくり焼く。このときも微妙に音が変わるので要注意だ。
「ねえねえ。出来た? 出来た?」
「ちょっと待ってね、真琴。こうやって竹串で刺してみて……」
 そうすると透明な肉汁がジュワッとあふれ出る。
「こんな風に肉汁が透明になったら出来上がりだよ」
 フライパンに残った肉汁に名雪はケチャップとソースを加えて混ぜ合わせ、仕上げに塩と胡椒で味を調え一煮立ち。特製のハンバーグソースを作り出す。
 後はあゆが準備したお皿に盛り付けて、レンジでチンしたブロッコリーを加えて出来上がり。
「完成だよ〜」
「「やったぁっ!」」
 あゆと真琴は思わず二人でハイタッチ。
「祐一〜、お夕飯だよ〜」
「おお」
 そしてはじまる団欒の時間。料理に舌鼓を打つ音と、にぎやかな声がキッチンを満たした。

「ところで、さっきの牛と豚のデートってのはなんなんだ?」
 食事も終わり、リビングでくつろいでいた祐一は、先程の事をそばにいるあゆと真琴に聞いてみた。
「あのね、祐一くん。お買い物のときに、名雪さんが牛と豚の合い挽きを買ってきてって言ったんだよ」
「『アイビキ』って、デートの事でしょ?」
 隣のキッチンからは名雪が洗い物をしている音が響いてくる。今日も、水瀬家は平和だった。

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