『百花屋』
それは、ある北の町にある一軒の喫茶店
その落ち着いた雰囲気や、味に定評のある甘味
あるいは、巷で有名なデートスポットとして
多くの客が、ここを訪れます
これは、その思い出話の一ページ
似た環境におりながら
何故か、全く正反対な性格
そんな二人の珍客のお話です
カラン
ベルの音が鳴る、
すぐにウェイトレスが、入って来た男女に近付き、
案内役を司る。
「いらっしゃいませ。二名様ですか」
「ええ、そうです」
「畏まりました、こちらのお席へどうぞ。
ご注文はいかがなさいますか?」
「僕はコーヒーを、倉田さんは何を?」
「じゃあ、アイスティーをお願いしますね」
「承りました。少々お待ちくださいませ」
手早く注文を取り、ウェイトレスは厨房へと向かう。
それを見送った後、男は眼鏡を軽く直し、目の前の女性を見つめた。
「こんな所で、また貴女に会うとは思わなかったよ」
「そうですね、佐祐理もびっくりしました」
「しかも、この僕をお茶に誘うなんてね。貴女は本当に理解し難い人だ」
「あはは〜」
男の瞳はまるで蛇のように感情が無く、冷え切っていた。
だが、対照的に、女性の方はそんな視線を向けられても、
全く気にしてないかの様に、ニコニコと朗らかな笑みを浮かべている。
「…川澄さんはお元気かい?」
「はい、今日も祐一さんとデートなんですよ」
「ふ〜ん」
男は眼鏡を外して軽く拭き、
再び掛けなおすと、それが取っ掛かりのように話を続けた。
「あれから…二年か。時が経つのは早い物だね」
「そうですね」
「聞いた話では、川澄さんと一緒の大学だとか」
「はい、学部は違いますけど」
「まぁ、そうだろうね」
「実は、舞は今、獣医さん目指して勉強中なんですよ」
「獣医?」
「動物さんが好きだからだそうです」
「それはまた、安直な…」
「あはは〜、祐一さんも似たような事言ってました」
男は『祐一』と言う名が出た途端、眉をしかめ、
腹立たしげに鼻を鳴らした。
「不愉快な偶然だね」
「あはは〜、でも、それだけじゃないんですよ。
舞は、怪我した動物さんを、自分の『力』で救えるかもしれない。
そう思って、獣医さんになろうとしてるんです」
「どうやら、動物には優しいようだ」
「はい、舞はとっても優しい子なんですよ。
例えば、こんな事もあったんです……」
男の皮肉も気にせず、
まるで自分が誉められているように、女性は嬉しそうに笑う。
男はそんな女性を、終始冷ややかな目線で見ていたが、
女性はそんな態度に気付いていないのか、話を続ける。
「…そこで舞は、野良犬さんに自分の手を噛ませて皆を守ったんですよ。
その後、佐祐利がお弁当を二人にあげて仲良くなったんです」
「………」
「はぇ、お気に召しませんでした? この話」
「ええ、全く」
「ふえぇぇ……」
カラン
いらっしゃいませー
女性が情けない声を上げた時、丁度新たな客が入ってきた。
「なかなか賑わってるみたいだね、この店は」
男は、これ幸いと話題を逸らす。
「え? あ、そうですね。ここに来るのは本当に久し振りです」
「以前は川澄さんと?」
「はい、舞は私の」
「親友だから、とでも言うつもりかい?」
「はい」
「フン、彼女のような人間と付き合うのは、正直どうかと思うけどね」
不意に、女性から笑みが消えた。
その顔は、仮面の様に冷え切り、
先程の穏やかさは微塵も感じられない。
「久瀬さん、舞を侮辱する事は許しませんよ」
「侮辱したつもりは無いよ。客観的に見ての評価さ」
「久瀬さん、よく知りもしないで、そんな風に人の事を言うのは間違っています」
「そうだね。だが、少なくともあの時の彼女を見れば、あながち間違いじゃないと思うよ」
その言葉で女性の目が叱責するように、厳しくなった。
男はそれをかわす様に、片手を上げる。
「こうなると思ったよ。だから、貴女には会いたくなかったんだ。
僕と貴女では余りにも違い過ぎる。会えば口論になる事なんて分かりきってた」
「久瀬さん…、佐祐理は、ただ祐一さんや舞と分かり合って欲しくて…」
「無理だよ。僕は彼らの様に幼稚で底の浅い人間や、
そんな人間と付き合ってる貴女の事なんて理解できないからね」
茶化したように、男は手の平を上にあげる。
それを見て、女性はキッと男に向き直った。
「久瀬さん。どうして、そうやって人を見下すんですか」
「心外だね。僕は誰にでもそんな事はしないよ」
「舞と祐一さんにはしています」
「それは、彼らがその程度の人間だからさ」
「……ッ、久瀬さ…」
「コーヒーとアイスティーお待たせいたしました」
女性が口を開く直前、図ったようにウェイトレスが現れた。
ウェイトレスが運んできたアイスティーを、
男はスッと女性の前に動かす。
「どうぞ」
「…どうも…ありがとう御座います」
「では、追加の注文ございましたら、またお声をかけてください」
男はゆっくりコーヒーの香りを嗅ぎ、
口をつぐんだ女性に白々しく尋ねる。
「怒るような事を言ったかな?」
「友達を侮辱されて怒らない人はいませんよ」
ツンとそっぽを向いた女性を見て、男はやれやれと首を振り、
興味深げにこっちを見ているウェイトレスを、手を振って追っ払うと、
「そう言えば、さっき、貴女は野良犬の話しをしたね」
突然に、話題を変えた男に、
女性は躊躇いながらも、頷いて、肯定の意を示す。
「あれも下らないね。自分の手をかじらせた、だって?
そんな事して、何になるっていうんだい」
「舞は皆を守ろうとしたんです」
「ふーん、それで、貴女達はその犬をどうしたのかな?」
「後で逃がしてあげました」
「逃がしただって?
人に噛み付くような犬は、即刻保健所に引き渡すべきだよ」
「そんな…、そんな酷いことは出来ません」
女性がそう言うと、
男の顔が、信じられない、とでも言う様に呆れ顔になった。
「貴女達は、本当にその場しのぎの事しかしないんだね。
もし、その犬がまた学校に来たら、今度はもっと大きな被害が出るかもしれないんだよ」
「でも、あの子はお腹が空いて、学校に来ただけなんですよ。
それなのに、保健所へ送ってしまえと言うんですか?」
「当然だね。人に危害を加えるような狂犬を野放しにしておく気かい?
罪を犯せば裁かれるのは当たり前の事だ」
「……そんな風に割り切ってしまっては、あの子があまりに可哀想です」
「そうだね。でも、最大多数の最大幸福。それが現実だよ。
余計な不穏の種は早めに摘むべきだと思わないかな?」
「違います、それは諦めて、自分の責任や考えを放棄してるだけです。
他の手だってあるかも知れないじゃないですか。
どうして、そうやって、すぐに排除してしまおうとするんです」
男の言葉に、女性が食って掛かる。
だが、男は下らないとばかりに、右手を上に向けた。
「その他の手と言うのが、他人を傷つけさせない代わりに自分が傷付く事かい?
底が浅くて幼稚な、子供の理屈だね」
「なら、久瀬さんの意見は大人の理屈だとでも言うんですか?
安定のために一部を切り捨てるなんて、
そんな事が本当に正しいと思っているんですか?」
男は軽く首を振り、コーヒーに口をつけた。
女性も、所在なさげに目の前のアイスティーをコクリと飲む。
少し氷が解けて水っぽくなっていたらしく、
女性はちょっと眉をしかめた。
「……やはり水掛け論だ。僕の考えを貴女は受け入れないだろうし、
あなたの考えも、僕は受け入れる気はない。
君と僕は決して分かり合えないよ」
「……佐祐理はそうは思いません。いつか、分かってくれると信じてます」
「…はぁ。貴女は全く、愚かしいというべきか…、頑固というべきか…」
男は、呆れたように顔を手で覆いながら、
ウェイトレスを呼び寄せる。
それを見て、女性は怪訝そうに、男に尋ねた。
「あの、まだ、頼むんですか?」
「ああ。正直さっさと話を切り上げるつもりだったけど、
今の貴女を見ていると、どうしても、あの事について一言言いたくなったからね」
「あの事…」
男は、わずかに苛立つような雰囲気を漂わせ、
女性を激しく、睨みつけた。
「二年前の貴女と彼女についてだよ。倉田さん」
「………」
男はしばらく女性の顔を見ていたが、ややあって口を開いた。
「どんな理由があろうと、彼女は学校の中で暴れた。
これは罪だ。
しかし、彼女はその罪を償おうともせず、今ものうのうと過ごしている」
「………」
「僕個人としては、彼女を弁護する気はなかった。当然だ。
だが、貴女が彼女を庇ったから、他の生徒会役員達も彼女を庇う側に回った。
僕から見れば、貴女も彼女の共犯だよ。
親友っ! いい言葉だね。だから、彼女が何をしても庇うか」
「それは、違います! 私は舞が間違った事をしたなら止めます。
舞は理由が無くそんなことはしません。だから、佐祐理は庇ったんです」
「ガラスを割ったことも、舞踏会で暴れたことも、間違っていないとでも?」
「…信じてもらえないかもしれませんが、舞にはちゃんとした理由があったんです。
舞踏会の件も、舞が動かなかったら、もっと被害が出ていました」
「つまり、彼女があんな事をしたのも、それだけの理由があった、と?」
「はい、ですから……」
パリィンッッ!!!
突如、男がコーヒーカップをテーブルに叩きつけた。
プレートが割れる甲高い音が店内に響き、女性が怯んだようにか細い声を上げる。
周囲は一瞬静まり返り、次に好奇の視線を二人に寄せてくる。
男はそんな中、凍るように冷たい口調で語り始めた。
「あの舞踏会でどれだけの人間が関わり、どれだけの人間が楽しみにしていたか、
そして、それを台無しにされた彼らの気持ちを、貴女は分かっているのかい?」
男の口調は、まるで怒りを蒼い焔として燃やす様に、
冷たさを増して、女性をなじり、威圧する。
「ある女生徒は、舞踏会が一人の生徒のせいで台無しになったと、泣きながら僕に訴えてきた。
その子は舞踏会の為に、ドレスを新調していたそうだよ」
「それは…、理由を聞けば納得します。何故話せなかったのかも」
「成る程。さぞ、ご大層な理由があったんだろうねぇ。
『理由がありました、だからあなた達が楽しみにした舞踏会を壊したのは悪くないんです』
と そんなセリフを吐けるんだから」
「…舞は、貴方が思う様な人間じゃありません。
それだけは信じてください」
薄ら笑う男に、女性は毅然と答えた。
しかし、男はそんな女性に蔑むような視線を向ける。
「どっちでも同じ事だよ。
結局、貴女達は一言の釈明も謝罪もしないままに卒業したんだから、
今になって訳を聞いた所で、僕や彼らにとっては、もう何も変わりはしないさ」
「………」
男はさっきの自分を静めるように、
コーヒーを一気に飲み干すと、大きく息を吐いた。
「…貴女達は、本当に目先の事しか考えないね。
例え、彼女にどんな理由があろうが、
周りに被害が及んだ時点で、それは川澄さん個人の問題を越えているんだよ。
それなのに、貴女達は自分達さえ良ければそれでいいと思っている。
だから、彼女を助ける事しか頭に無い」
「久瀬さん…」
「倉田さん。友人が他人に迷惑を掛けたからって、それを部外者である貴女が償うなんてのは、
ただの『自己欺瞞』だよ」
「……欺瞞、ですか?」
「あぁ。本当の友人なら、彼女が本当にそんな事をしたのか、何故そんな事をしたのか、
それを聞いて、謝罪を薦めるのが友人としての勤めと言う物だろう?
本当に貴女達が友人ならね」
「……本当の…友人なら」
カラン
新たな客が、また入り、ベルの甲高い音が二人の話を遮断する。
案内役のウェイトレスが、テーブルの前を通り過ぎる直前、こちらを一瞥するが、
男は無視した。
ウェイトレスが注文を受け取って、厨房の方へ引っ込むのを端目に捕らえてから、
男は再び口を開く。
「それで、貴女は一体、いつまで彼女といるつもりなんだい?」
「え…」
「貴女はさっきから川澄さんの事しか話してない。
そして、いつまで経っても彼女と一緒にいたがっている。
貴女は、まるで子離れ出来ない母親の様だよ」
男はそう言って空のコーヒーカップを、女性に突きつけた。
「…どういう事ですか?」
「貴女は川澄さんと親しくなって、それで満足して、
それ以上の世界を求めようとしていないんじゃないか」
女性は戸惑ったような表情になり、
抑揚の無い声で言い返す。
「そんな…、そんな事は、無い…です」
「そうかな…。貴女が自分の事を考えないで、必死に彼女を助けようとしたのも、
彼女の事を想って、と言うより、
彼女を失う事、自分が一人になる事を恐れて、
と言うほうが正しいんじゃないのかな?」
「久瀬さん、私は……」
「そう考えると、そこまで川澄さんに拘るのも納得がいく。
貴女の心の奥底では彼女は友達なんかじゃなく、
自己満足に浸る道具だったとすればね」
「それは違いますっ。だって、舞は親友ですから……」
女性は弱々しく応えるが、
男は聞く耳持たないとばかりに、女性の言葉を否定する。
「違うね。友情にしては、貴女の行動はあまりに常軌を逸している。
大怪我を負ってまで信じきり、自分の身さえ投げ出す。
そこまで貴女を動かす物が、ただの善意だけだったとは思えない」
「……なら、何だと言うんですか?」
微かに震える女性に、男は、さも馬鹿馬鹿しげに言い捨て、
「依存だよ。貴女は川澄さんに依存してるんだ。
だから、彼女を守り、いつまでも傍に置いている」
嘲笑った。
「寂しさを紛らわせる『玩具』としてね」
バアァァンッ!!!
「私は…、舞をそんな風に思ったことはありませんッ!!」
ザワザワザワ ヒソヒソヒソ
目の前で両手をテーブルに叩きつけた女性と、その対面に座る男に、
店内のあらゆる場所から、好奇の視線が寄せられる。
別れ話だとか、痴話喧嘩だとか言う言葉も聞こえてくるが、
男は一切動じた様子も見せず、
燃えるような眼で男をにらみ付けていた女性に、涼しげに言う。
「ま、貴女がどう思ってもいいけどね。貴女の好きにすればいい」
「……久瀬さんは 佐祐理達がそんな風に見えたんですか?」
「見えたから話したんだ」
「そうですか…」
女性はどこか虚ろな表情で、空になったグラスを両手で持ち、
フッと表情を緩め、席に着く。
男は腕組みをしながら、俯いたままの女性をしばらく見ていた。
しかし、そのまま数分経っても女性が俯いたままなので、
痺れを切らしたのか、席を立とうとした時。
「久瀬さん…。多分、久瀬さんの言った事は半分正解です…」
女性が、ポツリと呟いた。
男は、一寸動きを止め、女性の方を見返す。
その顔は、朗らかな笑みでも、相手を憎む表情でもなく、
何かを吹っ切るような、強い意志の篭る瞳で男を見つめ返してくる。
男は少し、考えるような素振りを見せたが、席に着きなおすと、
先を促すように、女性の前で手を組んだ。
女性は僅かに微笑む。
「多分…、佐祐理は…、舞と初めて会った時、
どこかで舞を一弥の代わりとして扱っていました」
「一弥?」
「私の…大事な弟です」
男は何か言いたそうに、口を開こうとしたが、
結局、女性の口上に任せるように口を閉じる。
「佐祐理には弟がいました……」
軽く会釈し、女性は静かに語り始めた。
カラン
女性が語り終えたと同時に、また新たな客が来る。
そちらを一瞥してから、女性は、大きな溜息をついた。
「佐祐理は…、舞を守る事で、一弥への贖罪としていたんですね…」
「………」
「佐祐理は…、祐一さんや久瀬さんみたいに強くないですから…」
男は、女性の手首をチラリと見た後、
顔をしかめながら眼を瞑り、
ただ一言だけ、答えた。
「馬鹿な事を…したね」
それから、しばらく、
二人は、ただ、ウェイトレスに片付けられた、
何もないテーブルの上を見ていた。
その光景は、この店に二人が最初に入った時と全く同じであり、
まるで、時が戻ったような感覚さえ思わせる。
「倉田さん」
男が、また先に話し掛ける。その視線は相変わらず厳しいが、
今の眼は、相手を値踏み、威嚇するような冷たい視線ではなく、
どこか気遣いさえ見せる、そんな眼だった。
「はい…」
女性が応える。その顔には、初めの朗らかな笑みではなく、
弱弱しい、だけど、
どこかスッキリとした自然な微笑みが、浮かんでいる。
「貴女の川澄さんへの想いは分かったよ、
だけど倉田さん。貴女も分かっているはずだ。
僕や貴女は、川澄さんや相沢君とは違う。
彼らのように自分で勝手に道を決める事は難しい」
「…そうですね」
「まして、貴女は倉田の一人娘だ。
結婚する人間までも決められる可能性さえある」
「………」
「いつまでも一緒にいる事は出来ないんだよ」
「わかっ…て、…います」
「分かっているなら……」
ポタッ…
雫が一つ、
こぼれ落ちた。
「いずれ…は、離れ…なきゃ、いけない…ん、ですよね。
舞とも、祐一さん、とも…」
「く、倉田さん…」
ポタッ、ポタッ…
雫が二つ、三つ、
「でも…、だから…、
今は、今だけ…は、一緒に…いた、くて…、
一人に戻る…のは、もう、嫌、だから…」
「倉田さん…、貴女は」
「馬鹿…ですよね、長引け…ば、それだけ…、後で、辛くなる、のに…」
「………」
「佐祐理は…、頭の、悪い…、女の子ですから…」
ポタッ、ポタタッ
溜まった想いがこぼれるように、
雫がテーブルに降り注ぐ、
男は、目の前の女性をただ見つめ続けていたが、
やがて、静かに口を開いた。
「…どんな相手でも、いずれ別れるのは当たり前だよ。
ずっと一緒にいるなんてのは、ただの甘えだ」
「………」
「でも貴女達は、離れてしまえば消えるような、その程度の関係だったのかい」
「…え?」
顔を上げた女性に、男はハンカチを渡し、
そして、目を逸らす様に横を向いた。
「貴女が、本当に彼らを自分の友人だと言うなら、常に一緒にいる必要はない。
離れても、会えなくなっても友人でいられるはずだろう」
「久瀬さん…」
男は顔を戻し、女性に目を向ける。
「それとも、彼らにそこまでの絆があるか、疑っているのかな?」
「佐祐理は…、佐祐理は舞達を信じてます」
皮肉な口調の男に、女性ははっきりと答えた。
男は軽く頷く。
「なら、貴女は一人じゃない」
「ッ!! 久瀬…、さん…」
重みのある声だった。
男は本心から答えてくれた。
それが分かり、女性は口を押さえ、震える手で顔を覆った。
「ありがとう……」
「もう、落ち着いたかな?」
「グスッ、はい…、すいません…」
女性は、ハンカチを目に当てたまま頷いた。
「まったく、あなたは本当に子供だ」
「あはは〜、年下の久瀬さんが言うセリフじゃないですよ」
女性はハンカチで、目元を拭いながら、言葉を返す。
ぎこちないながらも、その顔は笑顔だった。
「分からないね、一人でいる事がそんなに怖いかな?」
「久瀬さんは、淋しくなったりしませんか?」
男は一寸の沈黙の後、
「しないよ、僕はずっと一人だったからね」
「え?」
淡々と言い放った。
「僕は、一般的に友達と言うか、親しい人間は作らない」
「な、何故ですか?」
「簡単さ。親しい人間を作れば、どうしてもそこに贔屓が生まれる。
あなたが川澄さんを庇ったようにね。
常に合理的な判断を下す為には、ビジネスライクな関わりしか持たないほうがいい」
「だから…、一人で、いるんですか?」
「そうだよ」
女性は、哀しげに男を見て、かすかに首を振った。
「久瀬さん…。それは、間違っていますよ」
「…そうかな?」
「だって、友達の為に頑張るとか、家族の事を思いやるとか、
そう言った事は、一人じゃ決して分かりません。
人は一人じゃ生きていけません、回りに家族や、友達や、
…兄弟がいるから、生きていけるんじゃないですか」
「…僕は将来、合理的に判断できなければいけない。
その時、そう言った「情」は妨げになるんだ。
親しい人間がいると、そこが弱みになったりするしね」
「久瀬さんは、それで本当に満足なんですか」
「………」
「将来とか、判断とか、そんな事は関係なく、
久瀬さんの心は、本当にそれを望んでいるんですか」
男は眼を瞑り、上を見上げて深い溜息を一つ、吐いた。
「…昔は、望んでいたよ」
「え?」
「昔は、確かに一人が嫌だった。友達を欲しいと思った。
でも、結局、僕はずっと一人だった。
だから、僕は一人でも平気になった。強くなっていったんだよ」
「……久瀬さん」
哀しさも、淋しさも無い、何の感情も無い声。
女性は複雑そうな表情のまま、そんな男を見つめていた、
その目線に気付き、男はスッと女性を目で制す。
「そんな目で見ないで欲しいな。過程はどうあれ、これが僕の選んだ道なんだ。
それを哀れむのは、僕への侮辱だよ」
「は、はい。……すみません」
男は伝票を手に取って、立ち上がった。
「そろそろ、出ようか」
「…そうですね」
「ありがとうございました」
清算を済ませ、男は入り口へと向かう。
その、後姿に女性が声をかけた。
「久瀬さん、今日はどうもありがとう御座いました」
「なに、大した事じゃないさ」
「……久瀬さん。もう一つお願いしていいですか?」
男は怪訝そうに、女性の方を振り返った。
「何かな?」
「私とお友達になってくれませんか」
男は驚いたように、目を見開き、
そして、呆れたように首を振る。
「倉田さん。貴女は、人の話を聞いていたのかい?
僕は特定の友人は作らないと言っただろ」
「はい、佐祐理はそれは間違ってると思いますから。
それでは、いけませんか?」
男は言葉もなく、あんぐりと口を開ける。
それを見て、女性は微笑む。
「佐祐理は、久瀬さんが大事な事に気付かせてくれた事に感謝しています。
だから、久瀬さんが一人でいるのを放って置けません」
「…次は、僕を川澄さんの代わりにするつもりかい」
「違います。私は孤独でいたから、その辛さが分かるから、
だから、放って置けないんです」
目を細める男に対し、女性はハッキリと言い切る。
「僕は、別に辛くないよ。貴女と違ってね」
「そうでしょうか? 確かに、孤独を恐れないのは強い事だと思います。
でも、ずっと孤独でも平気なのは、心がからっぽで、麻痺してるだけです。
そんなのは、本当の強さじゃありません」
「……倉田さん」
「友達と一緒にいて得られる安心感や暖かさを…、
佐祐理は久瀬さんに知って欲しいんです」
「………」
女性は凛とした表情で訴えた。
男は黙ったまま、女性を見ていたが、
やがて、女性に背を向ける。
「倉田さん、僕の考えは変わらないよ」
「久瀬さん…」
「だけど…」
男は少し言いよどみ。
「貴女が、僕の事を友達だと思うなら、勝手に思えばいい」
「ッ……」
女性は僅かに驚いたように口を開き、そして微笑む。
「じゃあ、久瀬さんの事、名前で呼んでいいですか?」
「…何故だい?」
「お友達は、名前で呼びたいからです」
「………」
男は振り返る。
そして、いつもの様に朗らかで明るいその表情を見て、
男は困ったように
……笑った。
「……『佐祐理』さん。貴女は本当に理解し難いよ」
早く「大人」になる事を望まれた男と
どこか「子供」のままでいた女性
二人は出会い、ぶつかり合って離れ
そして今、また繋がり合う
喧嘩するほど仲がいい
その喧嘩とは元は口論の事を指したと言います
お互いの信念、考え、そして想いを語り合う事で、
互いの事が分かり、そして、自分の事が見える
そして、人は互いに成長していくのでしょう
心身を強く持った「人間」として
風変わりな二人のお話は、これでお終いです
はい、私の名前ですか?
私は『百花屋』と申します
お近くに御寄りの際は、是非一度お越しください
美味しいお茶と、甘い茶菓子
そして、ちょっとした思い出話を用意して
お待ちしております
感想
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