真夜中の墓地、というのは夏ならきっと心霊スポットとなり得たのだろうけど生憎と今は冬だった。
 12月23日深夜。岡崎朋也は先立った妻の墓の周りの雪を持ってきた水で溶かし終えると、彼女が苦手だったタバコに火をつけた。

 死者は何も語らない。無機質な四角い墓石の前で、今年もそれを実感していた。
 訪れはじめたころは、話しかけたりもしたが、数年で諦めた。心の中に返事が返ってくるとは思っていても、それは彼女の言葉ではない。朋也が自分で勝手に想像した言葉だ。
 それに年々、少しずつではあったけど、彼女の顔が、声が、ぼやけていく。彼女がなにを言ったか、そのときどんな顔をしていたかは鮮明に思い出せるのに、声と、顔が、今ではもうぼやけてしまっていて、まともに思い出せない。

 誰かが言った「誰も言わないけど、愛ってへっちゃうんだよ」という言葉。
 初めて聴いた時はそんなことあるわけがない、と断言できた。断言していた。
 でも今は違う。あの言葉は、本当だったんだと思う。なぜなら、今の自分がまさにそうだったから。
 渚のことは今でも愛してる。それは本当だった。だが、積み重ねられない年月は、止まってしまった時間は、少しずつ、少しずつ……風化していく。
 これが、愛が減るってことなんだろうなと感じながら、タバコの煙を吐いた。

 前日から降る雪はだいぶ小降りになったものの、それでもまだ降っていた。全ての音を吸収するように、全ての風景を飲み込むように白く、白い闇が世界を侵食してる。
 深々と降る雪に逆らうように、彼の吹かしたタバコの煙が空へと向かっては消えていく。朋也はそんな煙と、白い闇が降りてくる暗く重い夜空を見上げて、呟いた。

「ばーか……」


『ミ☆ ミ☆ ミ☆ 星の帰り道 ミ☆ ミ☆ ミ☆』


 一服終えて時計を見ると、もうすぐ日付が変わるころだった。
 安物のデジタル時計は家を出る前に時間を合わせたから狂いこそしてもそこまで大きく狂っているということはまずない。
 長く感じる一秒を、じっとして待った。
 もうすぐ、日付が変わる。

 5……

 4……

 3……

 2……

 1……

 ……変わった。

「ハッピー・バースデー、渚」

 今年も12月24日になったのを確かめて、朋也は小さく呟いた。
 毎年続けている自分だけの感傷。そして今でも大好きな彼女へ、誰よりも早く贈るハッピー・バースデーという言葉。
 それを言うためだけに、毎年彼はここへ来ていた。自己憐憫が過ぎる、と自分でも思ったがそれでも来ることをやめようとは思わなかった。

 ポケットの中をがさごそと探り、中から線香の束を出す。

 線香に火を点けた。

 手で振って火を消した。

 火が消えた。

 煙が昇った。

 墓前に添えた。

 立ち上る煙と、ほんのりとした明かりだけが残った。

 煙は、さっきのタバコの煙よりも力強く、でもどこまでもはかなく、空へと昇っていった。

 徐々に、徐々に減っていく線香と、代わりに空へと上っていく煙たち。
 形だけ軽く手を合わせた朋也は、また空を見上げる。低く、重い空が広がっていて、雪は少しずつ止んでいった。
 吸い込まれそうな空だった。いつまでも、眺めていたかった。

 でもそんな朋也の願いを裏切るように、空の雲たちは流されていく。
 地上に吹く風は突き刺すような冬独特の風だったが、きっとはるか上空では物凄い速さで吹き荒れているに違いない。
 雲の動いていくスピードに、朋也は驚いた。

 気がつくと、線香は燃え尽きていて、空からは雲がなくなっていた。代わりに満天の星空が降っていた。オリオン座もすぐにわかる。
 他の正座も探してみようと思って、やっぱりやめた。どれがどれだか解らなかったからだ。
 時間を確認すると随分長くいたらしい、夜が明けるにはまだ暫くかかるが、相当な時間が経過していた。

「じゃあ、また後で来るな」

 それだけ伝えると朋也は墓を後にした。
 降り積もった白い闇の上に足跡をつけながら……


 ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆


 ばふっ

「おっきろネボスケーーーーーーーっ!」

 二学期最後の日で返してもらって嬉しくもない通知表を渡され、でもまぁ明日から冬休みだからまぁいっかと気を取り直した汐は、明日から何しようかと考えてウキウキしていた。
 その前にやらなければいけないことがある。それを考えると少し切ない気持ちと、後に控えてるイベントを想像して楽しくなる。
 ところが学校の終業式が終わって家に帰ってきてみれば、父親はまだ布団の中。そんな父親を見て岡崎汐はあきれ果て、兎にも角にも起こさねばと起こしにかかった。このままでは昼食を食べる準備も出来ない。
 制服を着替えないまま父親の上に乗っかり思いっきりゆする。

「おーい」

 ゆさゆさ。

「おーいっ」

 ゆさゆさ。

 だが敵もさるもの、なかなか起きる様子がない。こうなれば女の意地に賭けてでもこの父親を起こさねばなるまいっ。
 ぐっ、両手を前で力強く握った汐は再び父親を起こしにかかる。

「起きろーっ!!」

 ゆさゆさ。

「起きろぉーーーっ!!!!」

 ゆさゆさゆさゆさっ。

「おーきーろーーーっ!!!!!!」

 ゆさゆさゆさゆさゆさゆさっ。

 ……起きない。

「をのれぇ……」

 と呟く汐。諦めてなるものか、ここで諦めたら女が廃ると自分を奮い立たせて、ゆすって起こす方法を捨てた。

「おきろー、起きろってばー、起きるときー、起きればー、起きたならー、沖田総司ー……三段突きーーーーーーっ!!!」

 ゲシゲシゲシッ!
 三段突きといいながら父親を踏んづけてみた。汐の理屈からすれば、母親の誕生日にこんな時間まで寝てる方が悪い。
 24日は母親の墓参りに行って、それから古河パンでクリスマスパーティーをするのが通年の恒例行事だった。
 パーティの準備だってあるんだから、あまりのんびりもしていられない。それなのにこの父親ときたら……
 そんなことを汐が考えていると、もぞもぞと布団が動いて、朋也は眠そうに目を開けて、言った。

「……いてぇ」
「ほーら、これ以上サンドバッグになりたくなったらさっさと起きる。このままじゃあお昼ご飯もまともに食べられないよ?」
「……朝飯はどーしたんだ?」
「誰かさんのおかげでテーブルが敷けなかったから、結局パンを齧って登校したよ。可愛い娘にそんな行儀の悪いことをこれ以上させるつもり?」

 呆れながら汐はまだ半分寝ぼけながら会話をしている父親の布団を強引にひっぺかす。
 布団を剥ぎ取られた朋也は身を小さくしてぷるっぷる震えながら、寒い……寒いよパトラッシュ……ボクもぉダメだよ……とか訳の解らない事を言っている。

「はぁ〜、もぉ解ったから。さっさとご飯食べてママのお墓参りに行くよ。それともわたし一人で行ってこようか?」
「ん……起きる」

 もそもそと起きて着替え始めた父親を見ると、汐は満足そうに頷いて昼ご飯の準備を始めた。

 墓参りは必ず二人で一緒に行く。これはいつの間にか出来た二人の間での約束事だった。
 これは月命日だろうがお盆時だろうがいつだろうが関係なく、いつ出来たのかというのとも関係なく、いつの間にやらできていたことだった。
 どちらから言い出したころでもない。ちゃんとした約束もしていない。でも、二人の間で確かに交わされている約束事。

 ただ、一年に一回だけ、朋也はこの約束を破っている。それも汐には秘密で。
 汐には悪く思っていたが、それでもアノ言葉だけは、どうしても誰よりも早く渚の前で言いたかった。
 渚一人にだけ言いたかった。汐と一緒だと、父親になってしまうから、夫婦として、彼女に言いたかったから。
 だから朋也は汐が眠りにつくのを確認してから家を出て、一人で渚に逢いに行った。

「どしたのパパ? ボーっとしちゃって。まだ寝てる? 何ならもういっちょ、今度は三沢のエメラルド・フロウジョンか武藤のシャイニングウィザードあたり、イっとく?」
「遠慮する」
「そう?」

 残念そうに何故かシャドウボクシングを始める汐を見て内心ため息をつく朋也。
 もう少しまともに育てたはずなんだがな、こんな娘に誰がした? と考えると、心当たりが有り過ぎた。
 彼女の祖父に当たる――自分には義父に当たる――秋生や保育園時代に園やそれ以外の場所でも面倒を見てくれていた杏、今汐が通っている学校で彼女が世話になっている智代etcetc...といった一般常識からかけ離れた知り合いが朋也には多すぎる。
 そういった逸材と日ごろから触れ合っていれば、大抵ぶっ飛んだ子供になるのだろう。まさしく汐がそれを体現している。
 ふと気がついて汐越しに台所を見ると、なにやら煙が怪しい色になっている。

「ああ、ああ、シャドウボクシングは解ったからな。台所、火ぃ使ってるんだろ、大丈夫か?」
「ああーっ、忘れてたっ!」
「……忘れるな」

 キャーキャー言いながら台所に戻って大慌てでフライパンを返している汐を見て、やれやれ、だな。と朋也は苦笑した。
 汐はふぅーとタメ息でもついたのだろう、肩が一段下がっている。

「大丈夫かぁ〜?」

 と朋也が近づいて声をかけると汐は

「だ、大丈夫だから大丈夫だから」と言って朋也を台所から遠ざけた。「パパはテーブルを敷いといて、ね? 私はその間にもう一品作るからっ」
「解った解った、もう一品の方を期待することにしよう」

 必死で笑いをこらえる朋也を見て汐は思いっきり膨れた。

「もぉ〜、パパってば、それ以上いうと酷いよ?」
「いや、悪い悪い。で、なに作るんだ?」
「う〜ん、すぐに作れるものの方がいいだろうから、きゅうりの浅漬けかな」
「それだったら焦がさないで済むしな」

 ほんのちょこっとからかうつもりでいったつもりの朋也だったが、汐の方はそうは受け取らなかったらしい。
 ボンッ、と言う音がしてから顔を真っ赤にした汐は目尻に涙を溜めて、冷蔵庫から取り出したてのきゅうりでぽこぽこと朋也を叩いた。

「うぅ〜、パパのばかぁ〜」
「お゛お゛っ、きゅうりで殴るなっつーの、食べ物は大事にしろな」
「それ以前に言うことがあるー」
「悪かった、悪かったって」
「思いがこもってないー」
「ああ、もぉっ」そういって朋也は汐を抱きしめて耳元で囁いた。「ゴメンな、汐」

 そのままぽんぽんと優しく頭を撫でた。
 あっという間に機嫌が直った汐はえへへ、と笑って朋也を抱きしめ返して満面の笑みで言った。

「うん、許してあげる」

 朋也から離て汐は再び台所に立って、今度は手際よくきゅうりの浅漬けを作った。
 その間に朋也はテーブルを出して皿の準備をする。
 昼ごはんは、焦げた餃子に冷凍チャーハン、それからきゅうりの浅漬けだった。
 きゅうりの浅漬けはきゅうりとからしを使って「パパのばーか」と並べられていた。
 これを見た朋也が

「汐……さん?」

 と汐を見ると、当の汐は

「さっきの仕返しですよー」

 といたずらっ子のような笑みを浮かべてアッカンベーをした。

「許すのと仕返しをするのは別腹なのか?」
「勿論♪」

 そういって自分の作った焦げた餃子を次々と口の中に頬張っては不味そうにして平らげていく。
 食べる、と言うよりは突っ込んでいるような勢いだった。

「そんなにすさまじい味がすんなら食わなきゃいいのに」

 と朋也が言うと

「いーえっ、自分の不始末は自分でちゃんとつけますわ、お父様」

 ニッコリと作り笑顔で返事をして、汐は餃子の盛られた皿を自分の前に置いた焦げ餃子を口に頬張っては不味そうに嚥下して、水を呑んだ。
 汐のコップに水を継ぎ足した朋也はそんな様子を見ながら

「ガンバレよ……」

 となんともいえない複雑な心境で応援するのだった。


 ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆


 食事がおわって片付けも済むと、ジャケットとジャンパーの重ね着、ニット帽、ネックウォーマーにグラサンの朋也と、制服の上にコートを羽織りマフラーと言ういでたちの汐の二人は昨日の内に買っておいた花束と線香を持って外に出た。
 彼女が好きだったパンや飲み物は秋生と早苗が持って行ってくれている。この辺も、いつの間にが、どちらから言うことなく決まっていたお互いの役割だった。

 夜にあった突き刺すような寒さはそこにはなくて、真上から照らす太陽の光が冬の寒さごと暖かく包み込んでいた。
 寒い日の、それでも普段よりは暖かいと感じる昼下がり、墓地までの道のりを、二人でゆっくりと歩いた。

「雪、だいぶ解けちゃったね」
「まぁ、まだ冬だからな。これからまた積もるだろ」
「今度積もったらさ、雪合戦しようね?」
「……もぉ〜ちょっと可愛げのあることいえないか? 雪だるま作るとかさ、雪ウサギ作るとかさ」
「あっはっはっはっは、なに言ってんだか。アッキーやれキョーセンセやれに育てられたわたしにそんなことを言う可愛さはないのですよ」
「そーですか……」
「そーでがす」

 ニッコリとした笑顔で答える汐をみて、がっくりと肩を落とす朋也。
 そんな朋也を意に介すことなく、汐は足取り軽くスキップをして、今年こそはアッキーのドタマに一発ぶち込むんだー、とか言っている。
 もう少し、女の子らしい発言をしような、と思いつつ、そういえば、俺もここ最近オッサンの顔面に雪球ぶち込んだ記憶がねぇなぁ、とか考えると、朋也も妙に燃えてきた。

「よしっ、今年はタッグを組んで、オッサンを沈めるかっ!?」
「いいねぇ」

 父親のニンマリとした表情を見て、娘も同じような表情をして答える。

「やっぱさぁ、あっきー相手だからさ、どさくさに紛らして雪玉に石か早苗さんのパン辺りを隠して入れておくべきだと思うんだよね」
「そうだな、近く早苗さんに固そうなパンを作るアイディアを吹き込んでおこう。後はできれば杏も仲間に取り込んでおきたいところだな」
「そうね、敵に回られて雪玉に混じって辞書とか飛んできたら敵わないもんね」

 去年も雪が積もったときに、雪合戦をした。そのとき杏も誘ったが、彼女は雪玉ではなく辞書を投げてきた。抗議の声が一切合財無視されたのは言うまでもない。
 ターゲットは朋也か智代だったが、アレが自分にも飛んでくると思うと汐はゾッとしない。
 朋也についてもそれらには全くの同意見らしく

「そーなんだよなぁ〜」と深くため息をついた。「ああ、でもそうなると智代の引きいれが難しくなりそうだなぁ、あの二人何気に仲わりぃし」

 と言って悩み始めた。智代は杏に対抗できる、そして同時に敵に回したくない人間その2だ。
 杏の辞書攻撃を朋也が必死になって避けているのをよそに、智代は意図も簡単にかわし、あまつさえ回りに被害が及びそうな時はダイレクトキャッチしていた。
 アレを見て智代にも戦慄をした汐だった。

 朋也は勘違いしているが、智代と杏は仲が悪いわけではない。二人が朋也に好意を寄せているという理由から、朋也を挟むとお互いがライバルになるだけだ。
 そのことに朋也が気付いた様子は、今のところ全くない。汐ですら二人の気持ちには気付いているのに、だ。
 ちなみに杏と智代は自分が朋也に思いを寄せていると言うことが、バレていないつもりでいる、らしい。
 知らぬは本人達ばかりとはこういうことなんだろうと思うと、汐はため息を一つついて思った。

(ニブチン……)

 勿論、本人達の前では決していえない台詞だ。さっきの辞書投げに有るとおり、敵に回すと厄介な人たちばかりなのだ、特に汐の周りの大人たちは。
 あっきーはあっきーだし、朋也はこの手のことになると年がら年中この調子だし、キョーセンセはパパでからかうとおっかないし、智代センセは同じくパパでからかうと面白いんだけど、その分下手に怒らすとキョーセンセよか性質が悪い。数年前に彼女に絡んだチンピラが、ケリのコンボを喰らってお星様になったことを汐は今でも鮮明に覚えている。あの光景は今でも忘れられない。
 でも汐にとっては大切な人たちばかりだ。この人たちのおかげで今の自分がこうして笑顔で居られる。
 今の状態がずっと続けばいいなと思う。ん? でもちょっと待てよ。と汐は考えた。

(もしかして、たとえばこのまま行って何かあったら、キョーセンセか智代センセがわたしの新しいママになるかもしれないって事ですかいっ?)

 ヲヲッ! と感動してから、むむむむむ……と汐は悩んだ。キョーセンセは大好きだ。智代センセも大好きだ。二人とも怒らすと怖いけど、普段はとっても優しい。
 ためしに2人が母親になった所を想像してみた。エプロンをつけて台所に立つ2人、自分と一緒に晩御飯を作っている。
 その日あったこととかを話したり、料理のコツなんかを話している情景があっさりと想像がついてしまった。嬉しくなってしまう。

 続いてパパとテーブルを囲んで3人で食事をさせてみる。キョーセンセの時と、智代センセの時。
 キョーセンセと囲むと、きっと物凄いにぎやかになるんだろうなぁ〜。
 パパが余計なこと言って、キョーセンセが辞書投げて、でもパパがちゃんとセンセの料理を褒めると、途端にテレテレしちゃって恥ずかしいのを紛らすのにわたしに話を振る。
 そんな情景が目に浮かぶ。むぅ、キョーセンセ、可愛いゾ? 意外とって言ったら怒られるけど、カワイイところあるんだよなぁ、キョーセンセってば。

 同じようにして今度は智代センセバージョンを想像してみた。
「今日もおいしくできた、自信があるぞ」って胸を張る智代センセ。ヲヲッ、物凄い普通だっ。
「うん、やっぱり智代の料理は上手いな」ってパパが言うと
「当たり前だ、二人のために愛情をたっぷりと注いだんだからなっ」って頬を染めて嬉しそうに言う智代センセ。
 二人のためにって言葉で、私もちゃんと入ってるんだってのが解って物凄くうれしい。
 うん、うん、それにしてもやっぱり智代センセも可愛いなぁ〜。きっとそんな情景を観たわたしは智代センセをからかってセンセの顔を茹蛸にしちゃうぞ。

 はぁ、いっそ2人揃ってママになってくれないかなぁ〜。そこまで考えて、汐は思った。自分にとっての母親像は、多分あの2人が理想なんだろうなと。
 渚という母親については朋也から色々と聴いていた。母親であることを誇りにして、それを貫き通した人。自分を生んでくれた、心から尊敬できる人。
 でも、汐には母親との思い出はない。朋也が話してくれたと言う、父親との思い出はあったが。
 ありもしない母親との時間と比べてしまうと、杏や智代と過ごした時間の方が、遥かに長い。比べることに意味がないと解っていても、どうしても比べてしまう。

 これは、親不孝なことなんだろうか? 考え始めると際限なく深みに填まって行った。 汐は考えて、考えて、考えて、考えた。
 結果……

「あぁっ、頭が、頭がアツいっ!!」

 知恵熱が出た。隣を見ると、父親も同じように頭を抱えてアツいアツいと唸っていた。
 大方雪合戦でどうやって秋生に泡を吹かせようと言う考えから、杏と智代をどうやって穏便に味方に引き入れるかを考えて知恵熱が出たんだろう。
 無駄なところで変に似た親子だ。お互いに目が合うと

「だい、大丈夫か?」と頭から湯気を出しながら聞いてくる朋也。
「そういう、パパこそ」同じように頭方湯気を出して答える汐。
「パパは大丈夫だぞ」
「わたしだって」

 お互いに説得力は皆無だった。

「へ、へへへへへへっ」
「ふふ、ふふふふふふふふふ……」

 しばし時間が流れると、やがてどちらからともなく笑い出し、引きつった笑いを浮かべて手を握り合った。
 無言の休戦協定が結ばれると、何事もなかったかのように雪合戦での作戦をあれやこれやと練りながら墓地へと向かう二人だった。

 ……………………

 だが、墓地に近づいていくにつれ、会話がまるで冗談みたいに無くなっていった。
 墓地につくころには、それは完全になくなって、住職の挨拶という必要最低限のこと意外で、二人は口を全く開かなくなった。
 渚の墓の前に水桶と蝋燭立てを持っていってからも変わらなかった。それは、黙々と過ぎる時間だった。朋也も、汐も、何も言わない。ただ黙々と作業をこなす。
 汐にとっては前の月命日以来の、朋也にとっては深夜ぶりの渚の墓を前にして、2人は花を活けて、線香を供え手を合わせた。
 無言の時間が過ぎる。墓にはすでに早苗と秋生が来た後らしく、二人が残して言ったお供え物が添えてあった。

「ねぇパパ」合掌を解いて汐はおもむろに朋也に訊ねた。「わたしって、親不孝者かな?」
「なんでだ?」
「だって、わたしを生んでくれたママよりも、キョーセンセとか智代センセの方がお母さんとしてイメージがはまっちゃうんだもん」
「それは仕方ないだろ。過ごした時間の長さが違うんだから」
「でも、ママはママだよっ、わたしにとっては一生変わらない、ママなんだよっ!?」

 それまで叫んでいた汐が、泣きそうな顔をしてうな垂れる。

「それなのにこんなのって……ママを裏切ってるみたい」

 吐き出すように呟く汐を朋也はゆっくりと抱き寄せた。
 華奢な体は、壊れてしまいそうなほどにはかなげで、それは助けを必要としている子供の心の現われのようだった。
 さっき抱きしめたときには感じなかった汐の細さを感じて朋也は思った。

(今はまだ、俺が守ってやらなければ。いや、それは親の身勝手か。助けになってやなくちゃな、少なくとも、今の汐を助けてやれるのは俺だけなんだから)
 でもそれと同時にこの問題は、こんな抱きしめた程度でどうにかできる問題でないことも朋也には解っていた。今娘が言ったことは、そのまま自分も年々に感じていることだったから。
 だが娘にこれだけ言わせておいて、自分が言わないわけにはいかないよな、と感じて、せめてもの助けになるようにと、朋也は思っていることを素直に口にした。

「実はな、パパも似たようなもんなんだ」
「パパも?」

 したから見上げる汐に、朋也は素直にうなずく。

「ああ、年々な、ママの声と、顔がぼやけてくんだ。写真を見れば顔は思い出せるし、何を言ったかも思い出せる。だけどどんな声で、どんなトーンで、その時どんな顔をしていったって言う表情は、どんどんぼやけていく。もうほとんど覚えてないって言ってもいいかな」
「そう、なの?」
「うん。ママは今でも愛してる。でも、前ほどじゃないんだ。少しずつ、風化してる」
「…………」
「愛ってさ、減っちゃうんだよ、本当はさ。誰も言わないんだけどさ。でもさ、それと同時に増やすことも出来るんだ、本当は。ただ、死んじゃった人間はそこで過去になっちゃうから、増やせないんだよな、だから減ってく。こればかりはどーしょーもなくってさ、時々、泣きたくなるよ」

 自分も言うだけ言うと、目頭が熱くなってきた。泣くことをこらえるように上を向く。
 抱きしめられた腕に、更に力がこもって汐は少し苦しかったけど、それを口に出しては言わなかった。
 代わりに自分も、父親を抱きしめる腕に力を込めた。

「パパ……」

 父親の弱さをみて、汐はそーゆーもんなんだ、と自然に受け入れてしまった。
 それは、諦めと似てはいたけど諦めではなくて、仕方ない、と言う感覚とも違うし、投げやりになるのとも違う。
 ただ、ああ、そーゆーものなんだ、と思って、素直に受け入れてしまった。なぜだろう、よくは解らない、けど、そーゆーことなんだ。と汐は思った。

 裏切るとかそーゆーんじゃないけれど、でも、そーゆーモノなんだ。説明は出来ないけれど解ってしまうと案外サッパリとした。
 力を抜いて、汐は優しく包み込むように、改めて朋也を抱きしめ返した。身長差が有ったから、包み込むことは出来なかったけど、それでも心では、包み込んでいた。

「きっと、そういうもんなんだろうね」

 といった汐のトーンに、朋也は驚いた。それはまるで、大人の女性が言うような台詞だったから。
 そして、驚いたけれど、汐の言っていることは間違っているとは思えなかった。
 彼女のいうことには説得力があったし、それをきいて自分もそういうもんなんだろうなと思えてしまったから。
 だから

「ああ、そういうもんなんだろうな」

 とだけ相づちを打って朋也も優しく抱きしめ返した。
 こうやって子供は大人の元を離れていくんだなと感じながら、朋也は思った。

 なんとく、なんとなくだけど思うんだ。多分ここに一人で来るのは、今年で最後だろうな。


 ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆


 一度着替えに戻ってから、古河パンへ行くと、

「おーいぇっ!! きーぽんろっきんっきーぽんろっきんっ!! めりーくりすまーーーーーすっ!!」
「おーいえっ、おーいえっ!! メリークリスマスクリスマスっ!! ツリーの上にあるヒトデは誰にも渡しませんっ!!」

 パパパパパパパパーンッ! とクラッカーを数発鳴らす音と、超ハイテンションなサンタクロースな格好をした秋生とトナカイの格好をした風子に出迎えられた。

「……オッサン、クリスマスにクラッカーを鳴らしたくなるのは解らんでもない。だが、それを全部俺に向けるたぁ、どーゆー了見だぁオイ?」

 こめかみをピクピクさせながら言う朋也。

「そんなん当たり前だろ、汐に向けたらアブねぇじゃねぇか、なぁ風子?」
「当たり前です、汐ちゃんにそんな危ないことはできませんっ」
「俺にもするな」

 握り拳のプルップル振るわせる朋也。怒りの四つ角の数もさっきより増えている。
 こりゃ早々に切れるなと予想した汐は、三人を置いておじゃましまぁっすとさっさと玄関を上がる。
 予想通り廊下を歩いていると後ろからウガァーッ!! と父親の絶叫ツッコミが聴こえてきた。
 思わず眼を瞑って肩をすくめた汐の横を次の瞬間、ブゥンッ! と凶悪な音を発して凄まじいスピードで何かが通り抜けていった。

(……キョーセンセの辞書だ)

 見ることは出来なかったが汐にはそれしか予想がつかなかった。冷や汗が頬を伝う。玄関先は一瞬で静けさを取り戻した。
 目を開けつつ後ろを振り返ってみるが、悲鳴が聞こえない。ということは誰にも当たらなかったらしい。とりあえずほっと胸をなでおろして辞書をブン投げた犯人に挨拶をする。

「うっさいわよあんたたちっ!」と杏。
「杏、落ち着たほうがいいぞ」そういって杏を宥める智代。
「キョーセンセ、智代センセ、メリークリスマス」
「メリークリスマス、汐ちゃん」
「メリークリスマス、汐」

 笑顔で返事をしてくれた二人。
 視線を少しずらすと、そこにはパーティグッズの三角帽子を被ったボタンが期待のまなざしを浴びせている。

「ゴフー、ゴフッ」
「ボタンも」

 ゴフーッ、と嬉しそうに言うボタンを撫でてから、台所に向かい、そこにいた二人を見つけて汐は言った。

「早苗さん、公子さん、メリークリスマスっ」
「汐、メリークリスマス」
「メリークリスマスです、汐ちゃん」

 相変わらず年を取ることを忘れたような二人は落ち着きのある笑顔で返事をしてくれた。

「汐ちゃん、ふぅちゃんと岡崎さんと秋生さんは……」
「そろそろ来ると思いますよ、もう辞書は勘弁被りたいでしょうから」
「そうですね」

 玄関の方を見て苦笑しながら公子が言った。
 公子に苦笑されてしまった杏は、恥ずかしさで顔を赤らめて

「あ、あたしの所為じゃないですよっ、あいつらが騒ぐから……」
「藤林先生、いつまでも若いです」

 と早苗が言うと、杏は毒気を抜かれたようにうにゃうにゃと小さくなっていく。
 そして羨ましそうに早苗を見て一人ゴチに呟いた。

「早苗さんの方がその言葉ははまってる気がするわ……」
「確かにな」

 杏の傍にいた智代も苦笑して賛同したが、そんな四人を見て汐は思った。
 あんたらみんな、まとめてはまってるよ、と。
 呆れ顔で汐が四人を眺めていると、玄関の方からドタドタと騒がしい音が聞こえてきた。朋也たちだ。
 さっきの静けさはどこへやら、今度は責任の擦り付けあいやらで、再び盛り上がっているらしい。

「だぁ〜かぁ〜らぁっ、はなっからオッサンと風子がわけわかんねぇことかまさなきゃ済んだころだろうがよっ」
「あぁんっ! じゃあてめぇは俺様と風子の華麗なるファイヤークラッカーを汐に向けろってのかっ! おぉんっ!?」
「岡崎さんてば最悪ですっ」
「それ以前に人様に向けるなっつってんだっ」

 至極まともなことを言っているはずの朋也だったが、そんなものこの二人に通用するはずもなく

「そんなつまらないこと、風子が許しませんっ」

 風子にあっさりとわけのわからない返しをされてしまった。

「誰がおまえの断りを必要としたよっ」
「ヒトデ神様です」
「流石だぜヒトデ神っ!」
「そうです最高ですっ!」
「あぁ……もぉ〜……勝手にしてくれ」

 ヒトデ、ボンバイエッとドンちゃん始めた秋生と風子をみて、朋也はガックリと肩を落とした。
 確かに、今の二人を見ていると、勝手にしてくれとしかいう言葉しかなくなる。パーティを前にして早くもアクセル全快な二人だった。
 そんな様子を傍でケラケラと笑いながら見ていた杏が、笑いをこらえて呆れながらに言う。

「バカねぇ、あの二人にまともに取り合うからそうなるのよ」
「うるせー」
「岡崎、水でも飲むか?」
「ああ、スマン」

 智代から差し出された水を一気に飲むと、朋也は気を取り直して早苗と公子に向き直って

「メリークリスマス、早苗さん、公子さん。……あれ? 芳野さんはどうしたんですか?」
「メリークリスマスです、朋也さん」
「メリークリスマス、岡崎さん。祐君なら今ケーキ作りを手伝ってますよ」
「あっ、ヤベっ、芳野君にまかせっきりだったぜ」
「するなまかせっきりに……」

 朋也が呆れながらに突っ込みを入れると、タイミングよく祐介が入ってきた。

「秋生さん、出来ましたよ、おう岡崎、来てたのか」
「チス」
「芳野さん、メリークリスマスです」
「ああ、メリークリスマス」

 いつものクールな笑顔を見せた後、汐ににっこりと笑う。
 普段仕事中では見せない表情を朋也に見られた芳野は照れ隠しのつもりか、ムスリとして秋生に向き直った。

「ケーキデコレーションして運びますから、運ぶの手伝ってください。岡崎、おまえもな」
「分かってますよ」心の中で苦笑して、朋也はうなずいた。
「オラ小僧、きりきり働けーっ」
「あんたもな」

 さっきまでサボっていたくせに仕切りながら先陣を切って奥に行く秋生に朋也はハイハイとツッコミを入れた。
 ガヤガヤ言いながら奥へ行く男手を見送って杏が言った。

「さて、こっちも料理を早いとこ仕上げちゃいますか」
「そうだな」と智代。
「はい」と早苗。
「がんばりましょう」と公子。
「おーっ!」

 と汐もそれに乗っかる。五人が顔を見合わせて頷くと、

「味見係なら風子に任せてくださいっ」

 風子が加勢することを五人揃って想像すると、五人は風子を見てから顔を合わせもう一回頷く。

「ふぅちゃんはあっちでツリーの飾りをしてようね?」
「ツリーを見事なヒトデ飾りにする仕事ですねっ、んんーっ! 最高ですっ!! 任せてくださいっ! 風子、クリスマスツリーとヒトデの華麗なるハーモニーをかなでますっ!! 行きましょう、汐ちゃんっ!」

 おぉ〜、流石公子さん、と汐が感心していると、公子にコントロールされた風子は息勇んで汐の手を引っ張ってリビングへと向う。

「ええっ? あ? ちょ、ちょっと? わたしもですかいっ!?」
「当たり前ですっ」
「ええっ!? 当たり前なのっ? ね、ねぇちょっと? 公子さん? 公子さんっ!?」

 慌てた汐は公子を見るが、公子は目が合うと手を合わせて申し訳なさそうに方目を瞑りつつボソッと言った。

「ふぅちゃんをよろしくお願いしますね」
「……わたしがお守りをする方ですかい」

 ずーりずーりと引き摺られながら、なるほど、そーゆーことか、と思いながら汐はボーゼンと一人空しく呟いた。


 ミ☆ ミ☆ ミ☆


 これから始まる戦いのために作られた大量のケーキ達は、スポンジケーキにクリームを塗るだけといういかにも簡素なものだった。
 作りも簡素なら見た目も簡素、食べ物は粗末にしちゃいけないが今日はクリスマス。これがサンタクロースからのプレゼントってことで一つ。とは秋生の弁だ。
 その代わりトコトン楽しむぞ。とも付け加えた時の晴れ晴れとした笑顔を見て汐も、わたしも楽しんでやるぞっ! って思った。
 そんな秋生がケーキを前にしていった。

「待たせたな野郎どもっ」
「ここにいる面子の半分以上は女性だぞ」
「気にするなっ」

 朋也のツッコミも、気にするわよっ、という杏の叫びもきれいに無視した秋生がニヤリと笑う。

「では早速……、喰らえ小僧っ!」
「ずをぉっ、あっぶねっ」べちょ。「だぁ〜れが喰らうかそんなヘボ球っ。……って、べちょ?」

 朋也が恐る恐る後ろを見ると、顔がケーキになった汐がいた。
 しばしの静寂が走ったかと思うと、汐はプルップルと震え始めた。
 心頭怒りゲージが爆発しつつあるらしい。怒りの四つ角が一つ、二つ、三つ……沢山と増えていく。

「汐? ……とりあえず、顔とか拭いとけ?」

 恐る恐る朋也が話しかけると、どうやら怒りゲージが臨界点に達したらしい汐が、怒りの四つ角を撒き散らしながらまっすぐ朋也に向かって突っ込んできた。

「ヲヲッ、汐ちゃんが人間魚雷ですっ」と風子が感心して言う。
「バカやろっ、わけのわかんねぇ感心してねぇで助けろやっ」
「汐ちゃーん、ガンバレぇー」と杏。
「誰が煽れと言ったかーっ」

 叫ぶ朋也の声もむなしく

「自業自得だな」と智代にいわれ、
「ふははははっ、小僧、俺様のホーミングミサイルを喰らうがいいっ」と秋生にいわれ、
「親子の愛を深めるんだな」と祐介にいわれ、
「朋也さん、がんばってくださいね」と早苗に応援され、
「汐ちゃんもファイトです」と公子には汐の応援をされてしまった。あげく、
「ゴフーッ、ゴフーッ」とボタン。
「なに言ってのんかわかんねぇよチクショーッ!」

 拾えるボケがあったので――ボタンはボケのつもりで言ったわけではないのだが――思わずツッコんでしまったが、それがいけなかった。
 余所見をした瞬間をまるで狙ったかのように汐の鋭いタックルを見事に後ろから喰らってしまった。
 悲しきかなツッコミ属性。近くに居た人物を巻き込みながら倒れていく朋也。

「お゛お゛あーーーーーーーーーーーーっ!!」
「きゃあっ?」

 バッターン……、という音はならなかった。代わりにチュッという何かと何かがくっつく音がした。
 何が起きたのかが解らなかった汐は、とりあえず己の顔を父親の服にぐりぐりと押し付けて拭いた。
 仕返しも出来たし、憂さも晴らせたし、これでスッキリ。とか思って周りを見ると、一堂は唖然としていた。

 秋生と智代と杏は憤怒の表情で顔を真っ赤にしてる。
 伊吹姉妹は揃って照れたような顔で頬を赤らめていて、キャーッ! という表情の風子はエッチですっ、とか言いながらボタンの目を隠している。
 その横にいる祐介はなにやらお顔がほんのりスカイブルー。

「おんやぁ? みんな揃いも揃って絶句しちゃってまぁ、どーしたの?」
「「「「「「…………」」」」」」

 疑問に思って訊ねてみたが誰も答える様子がない。
 すると、祐介が無言で指を指した。その方向を見てみる。それは即ち、自分の真上だった。
 そこで、汐が見たものは……

「…………」

 真っ白になった父、朋也と

「…………」

 ビックリした表情の祖母、古河早苗のチューシーンだった。
 しかも、ただのチューではない。唇と唇がくっつくというヤツ。

 即ち……マウス・トゥ・マウス。接吻だ。
 汐がタックルした時からしているわけだから、随分時間が経ってるんじゃないだろうか。

「ねぇねぇ、いつまでキスしてるつもり?」

 誰も何も言わないので、汐はとりあえずツッコんでみた。
 その途端にみなが我に返り、慌てたように朋也は早苗から離れた。

「朋也さんとキスしてしまいました」

 ほんのりと頬を赤らめて照れた言う早苗。
 そんな早苗の表情を見て、朋也もまんざらでもない顔をしてしまったもんだから、ぶちきれる面子が三人ほど

「こーぞぉー……、てんめぇーーーーーー……、人の嫁にぃいいいいいい……っ」地獄のそこから声を出す秋生。
「朋也ぁ、あんたってヤツはーーーーーーっ!!」ストレートに怒りを表す杏。
「おまえは、そう言うことをするヤツじゃないと思っていたのに……」どうやら怒りが一周しててしまったらしい智代は悲しそうな顔をしている。

 それぞれがそれぞれに朋也ににじり寄ってくる。

「いやっ、その、これは、違うんだってっ! 事故だって、事故。クリスマスによくある事故だってっ!! なっ? なっ!? 三人とも落ち着けな? 話せば分かるっ!」
「「「問答無用っ!!」」」
「イヤーーーーーーーッ」

 それから古河家は近年まれに見る大惨事になったらしい。
 辞書は飛ぶしケリは飛ぶ。ケーキ投げように作ったケーキも飛んだし、ヒトデも何故か飛んだらしい。
 挙句の果てにはボタンも飛んで、てんやわんやのクリスマスパーティになったそうだ。


 ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆ ミ☆


「なんつーか、今年も散々だったな」
「そう? 私は今年も楽しかったけどな」
「そか」

 深々と雪の降る夜空の下を二人、ポツリ、ポツリと会話しながら静かに歩いていた。汚れた衣服は古河家で洗ってもらい、代わりの服を貸してもらった。
 汐に当てられた服が渚のお古だと知ったときの朋也が、そっか、とだけ言って意外とサッパリとした顔をしているのが汐には印象的だった。
 本格的な片付けは明日からと言うことにして、とりあえず今日は料理に使った皿や、とっ散らかったケーキをある程度片付けるだけで終わった。
 片付けるといっても、それだけでも結構な量になったわけだが……

 黒い闇から降りる白い闇は、朋也にはなんともいえない不安のようなものしか感じさせたが、隣を歩いている汐はさっきまでの興奮を思い出しながら嬉しそうにニコニコと笑っている。

「ねぇ」と汐。「夜に降ってくる雪ってさ、なんかお星様みたいじゃない?」
「星ぃ? 雪は雪だろ」

 不意に飛んできた質問に、先ほどまで感じていた不安を隠すように、怪訝な顔をする。

「もぉ〜、パパはロマンがないなぁ。ほら、上見てみてよ」

 そういって雪の降る夜空を見上げる汐。朋也もそれに習って上を見上げる。

「なんかさ、夜空に星が瞬いてるように見えない?」
「言われてみれば、そうかもしれないな」
「それにさ、見てみてよ」

 朋也の手を握って汐は今まで歩いてきた道へと向き直った。

「そう考えるとさ、まるでお星様の上を歩いてるみたいじゃない?」
「……おまえの考え、おふぁんたじあ全快な」

 今まで思いつきもなかった考えに、朋也はなんと言って答えていいかわからずごまかすような返事をしたが、次に出てきた

「そう? 雪見ては不安そうな顔するよりかは、こっちの考えの方が全然いいと思うよ?」

 と言う台詞に、朋也は言葉を失った。何もいえずに苦虫を噛み潰したような朋也を見て汐はしたり顔で言う。

「へっへ〜ん、見てないとでも思った? わたし、これでもパパの娘だよ、その辺のところはちゃんと見てるつもり」
「ホントだな」
「雪……怖い?」
「そう……かもな」

 うつむいてあいまいに返事をすると、下に潜り込んできた汐が顔を見上げていった。

「わたしと一緒でも?」
「どーだろうな」
「むぅ〜、そこはおまえと一緒なら大丈夫さ、くらいのこと言ってよぉ」

 膨れっ面になった汐の頬を朋也は突っついてみた。ふにふにしてる。柔らか温もりがそこにあった。
 そのまま後ろから優しく汐を抱きしめた朋也は言った。

「ばーか、冗談に決まってるだろ」
「うん」朋也の手を取る汐。「解ってるよ」
「そうだよな。怖いなんて不安になってるよりも、星の道をたどって家に帰る方がずっと好いよな」
「でしょ?」

 それだけ言うと汐は朋也から離れた。そしてえへへ、っと母親の面影の残る笑顔を見せて、朋也に向かって手を伸ばし、言った。

「帰ろっ」
「ああ」

 汐の手を握って二人は家路を歩いていった。

 そこは、親子二人で足跡を残しながら歩いた


 星の帰り道 ミ☆ ミ☆ ミ☆




 ミ☆ ミ☆ ミ☆ おわり ミ☆ ミ☆ ミ☆

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