「時間移動は可能なの」
 そう言ったのは某国立大学の助教授にして世界的にも著名な物理学者が遺した一人娘、一ノ瀬ことみ、その人だった。高校卒業と共に単身アメリカへと渡り、四年の後に博士号を取得。研究室の助手と助教授の経験を経て一昨年から日本の大学に破格ともいえる高待遇で助教授として迎え入れられた彼女は、パパの同窓生にして友人でもなければ、一生涯出会う事が無かっただろう天上のお人である。
 しかし一ノ瀬助教授こと、ひらがな三つでことみちゃんは、その愛称からも分かるように気さくというには余りにも無防備過ぎる天然っぷりの為か、あまり遠い人のようには思えない。こんな風に気軽に彼女の家を訪問し、気軽に質問できるのがその証拠だった。
「でも、色々本を見て調べたんですけど、時間移動は科学的に不可能だって……。ウラシマ効果みたいに時間の経過速度を変える事は出来るかもしれないけど、それにしたって時間移動と呼べるような代物ではないですし」
「違うの汐ちゃん。時間移動は科学じゃないの。ロマンなの」
「ロマン?」
「そう、浪漫」
 ……なんで言い直したんだろう?
「そこにはあらゆる科学的事象、即ち客観的論理的思考に基づいた再現性のあるエネルギィの交換が必要ないの。必要なのは、愛と勇気と希望なの」
「それって科学者が言っちゃっていいのかなぁ?」
「例えば二大浪漫武装と呼ばれるドリル、パイルバンカーは、現実的にはそれ単体の効果は近代兵器に遥かに及ばないけれど、使う人を選べば―――熱い魂を煮えたぎらせて濃縮した物に根性とか友情とかをマイルドな感じにブレンドした漢(オトコ)なら、反応弾頭を搭載したICBMだって対空迎撃できるの」
「そういうもんなんですか?」
「そういうものなの」
 断言し、頷くことみちゃん。往々にして、ことみちゃんのこの手の断言は全く信用できないという事実が過去の経験から判明しているのだが、しかし今回は私にとって望ましい答えだったので信用しておくことにする。
「という事は、時間移動も可能なんですね?」
「メイヨウウェンディなの」
 ことみちゃんは北京語がお好きらしい。ちなみに、モーマンタイと同じ意味。
「こんな事もあろうかと、時間移動可能な装置を作っておいたの」
「こんな事もあろうかと、ですか……」
 いったいどうやったらこの状況を予測できるのか、などとは言わない。つまりこれも、ことみちゃんの言う浪漫なのだろうから。
 ともかく、私はことみちゃんに連れられて地下室へと降りた。ことみちゃんの家にはもう何度も来たことがあったが、地下室があったなんて初めて知った。っていうか、階段を下りた先に広がっている空間は、明らかに家の土地よりも大きいのだが、これって合法なのだろうか?
 そんな地下室にあったのは高さ五メートルほどの巨大な机だった。それも、家には無いけど、友達の家に遊びに行ったときに見たことのある、ごくごく一般的な形状をした勉強机だ。
「お父さんが開発して私が完成させた時空間転移装置『勉強机の引き出し Ver0.5』なの」 
「なんで引き出しっ!? いや、待って、それ以前にVer0.5って……β版じゃないですかっ!!? ぜんぜん完成してないよ!」
「起動準備開始なの。完了なの。赤くないのにとっても素早いの」
「ことみちゃん!? 聞いてますか、ことみちゃん!!」
 ガシャンという音をたてて入り口であるらしい引き出しが開く。可動式の階段を使ってその内側に引きずり込まれた私が見たのは、何もないだだっ広い空間と、その中央に浮かんでいる――と見せかけて実は下からリフトされている――ただの板だった。下手糞に塗られたペンキの隙間になんだか木目っぽい柄まで見えてしまって、不安が電磁投射砲のように一気に加速していく。
「あっ、そうだ! 私、お買い物に行かなきゃいけなかったんだ! 夕飯の食材と、それからパパのパンツ! パパったら三日くらい同じパンツ履いたままなんですよー。不潔ですよねー。洗濯する身にもなって欲しいっていうか、確かにパパの匂いって好きですし、一人の時なんかパパのシャツ抱きしめてゴロゴロしてたりするのは誰にも知られちゃいけない秘密なんですけど、でも三日も熟成されたパンツはちょっと強烈過ぎるって言うかクラクラしてくるっていうか、ってこれじゃあまるで自分から匂い嗅いだみたいに思われちゃうかも―――というわけなので、ことみちゃん! お願いですから、出してください!!」
「教則第11条の2項。ボタンを押すときは『ぽちっとな』と言うべし。なお、婦女子の場合は五回に一回の割合で自爆ボタンと間違えなければならない」
「自爆ぅっ!? いま自爆って言いやがりましたか、言いやがりましたね! しかも五回に一回って何気にビックリするほど高確率っ!?」
「カウントダウン開始なの。限定転移開始、一秒前。ゼロ―――ぽちっとな」
「こ・と・み・ちゃ〜〜〜〜〜〜んっ!!」
 一瞬にして、世界は真っ白に染まった。







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