『卒業証書授与』
次々と名前が読み上げられていく中で私はこの3年間のことをそっと思い返していたの。
最初入学して各生徒の名前をクラスの表が張り出された時私が最初に探したのは私の名前ではなかったの。
ずっと会わなかった一番のお友達、朋也くんの名前を見つけようとしたの。
中学に入った時は見つけられなかった名前は高校ではちゃんと見つけられたの。
同じクラスにはならなかったけれど、きっと朋也くんも私の名前を見つけてくれると思ってドキドキしながら待っていたの。
けれども一日が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、一年が過ぎても朋也くんは会いに来なかったの。
私は入学してからの日にちを数えるたびに少しずつ嘘を重ねていったの。
高校に入って朋也くんと喋ったのはたった一度だけだったの。
朋也くんが図書室に入ってきた時私は泣き出しそうになったの。
今まで恥ずかしがっていただけで朋也くんはちゃんと私のことを覚えていてくれていたのだと。
それから数週間は今まで以上にうきうきしながら待っていたの。
そうしているとクラスの子の話の中で偶然朋也くんの名前を聞いたの。
よかった、会いに来ないのはバスケットボールの練習をしていたからだと自分自身を納得させたの。
試合当日私はコートの脇で見ていたの。
見物していたクラスの子は学校行事にもあまり参加しない私がいることを怪訝な顔で見ていたの。
ルールは良くわからなかったけれど周りの子の話では互角の勝負らしかったの。
そして終了直前朋也くんのゴールで朋也くんが勝ったの。
そしたら先生が入ってきて体育館は騒然とした。
その時一人の女の子が倒れたのを朋也くんが近寄って助けてこう言ったの。
「俺、こいつの彼氏すっから」
違うの、これはその子を助けるために言ってる嘘なのだと。
そう考えているうちに私の目からぽとぽと涙がこぼれてきたの。
本当は自分自身でももっと前から気付いていたのかも知れない。
朋也くんはもう私のことを覚えていないんだって。
私の嘘はとうとう自分も騙せなくなってしまったの。
それから数日間学校中が学園祭に向けて動き出しても私の生活は変わらなかったの。
学校の近くでバスが事故を起こしたらしいがそれもどうでもよくなっていったの。
別に私の大切な人は乗っていないし私には何もすることができない。
変わらなかったというのは間違いかも知れないの。
ひょっとしたら無気力になるという悪い変化が起きていたかも知れないの。
私が学園祭に参加したのは3年生が初めてだったの。
参加と言えるほどではないかもしれないけれど、今までは学園祭の日もずっと本を読むだけだったのに今年はステージをずっと見ていたの。
朋也くんと一緒にいた女の子が演劇をすることを知ったから見てみたいと思ったの。
始まってしばらく経ってなんだか様子がおかしいことがわかったの。
私の心の中に嫌な考えが浮かんだの。
この子も誰も助けてくれないんだと。
けれどもその時思ったことは二度壊されたの。
一度目はその時その子のお父さんとお母さんが立ち上がって応援してくれたの。
それを聞くとその子は立ち直り最後まで舞台をちゃんと成功させたの。
私は誰も助けてくれないのは私だけなんだと思ったの。
けれども2日後の誕生日にもう一度考えは壊されたの。
おじさんがもう2度と見ることが出来ないと思っていた鞄を持って訪ねてきたの。
そして世界中を旅してきた私の誕生日プレゼントを手渡してくれたの。
私は愛されていた。そして今も愛されている。
私はようやくそのことに気付いたの。
私は朋也くんに会いに行こうと思ったの。
覚えていないと思うし、それにあの子がいるから好きだと伝えてもその言葉を受け取ってくれないこともわかっていたの。
それでも私は会いに行こうと思ったの。
「朋也くんはどこにいるか知らないの」
「岡崎かあいつは今部室に行ってるけど」
部屋に行ってみると朋也くんはいなかったの。
ちょっと怖そうな金髪の人に聞いてみると親切に教えてくれたの。
でもその後に、
「悪いけどしばらく岡崎そっとしといてくれ」
と言われたの。
どうしたのかな。
一週間が経ちもう一度朋也くんの教室にいってみると今度はちゃんといたの。
けれどもバスケットボールの時と違って悲しそうな元気のない顔になっていたの。
今度も金髪の人に聞いてみるとあの子…渚ちゃんが病気にかかったことを教えてくれたの。
ぼうっとしているうちに式は終わっていたの。
今日ここで卒業証書を受け取らない生徒はたった一人。
渚ちゃんは結局病気で卒業できなかったらしいの。
「もうそろそろ時間だな」
学園祭以降私はちょっとずつクラスに溶け込もうとしたの。
これから受験という大変な時期だったけれど少しだけお友達もできたの。
見送りに来てくれたのはおじさんだけだけれども悲しくはなかったの。
必ずまた会えると思っていたの。
「しかしこんな寂しい見送りでよかったのかい。こんな機会だから今まで話さなかった子と喋ってみてはどうかい?」
「…おじさん何かメモは持っていないの」
手渡された手帳に一体どっちを書けばいいのかなと一瞬迷ったけれど、正しいと思う住所を書き込んだの。
「これは?」
「おじさんお願いがあるの。私が帰ってくる時にその住所の家に住んでいる男の子と女の子を呼んで欲しいの」
「それで良かったのかい?それほど会いたいと考えているのなら今日来るよう直接頼めばよかったのではないか?」
ちょっと厳しい質問が来るの。
今日までのしばらく一瞬ごとに来てもらうかどうか迷うほど悩んでいたの。
「ごめんなさいなの、まだ二人ともに会いたいのかそれともどっちか一人だけに会いたいのかはっきりしないの?」
「またずいぶんと難しい答えだね」
自分でもそう思うの。
色々なテストよりも自分自身の気持ちをはっきりさせることの方がずっと難しいの。
もう一度朋也くんと会って友達になりたい気持ちがあるの。
でもまだちょっとどこかで恋人になれたらいいなって気持ちがあるの。
そしてそれとは別に渚ちゃんとも友達になりたい気持ちがあるの。
そんな色々な気持ちでぐらついていて上手く整理できないでいるの。
「今はまだ二人と会った時上手く自分の気持ちが伝えられる自信がないの。でも大丈夫。帰る頃にはきっとちゃんとできるようになっているの」
「…わかった。ことみ君なら大丈夫だ。それでは忘れ物はないかもう一度確認して。そういえばあのぬいぐるみは持っていかないのか少し意外だな」
「大丈夫。もう届けたの」
私の変な言葉におじさんは目をぱちくりさせている。
ホームステイ先にはもう荷物を届けてあるのに一体どこへ届けに行ったのか。
答えは渚ちゃんの家。
あの子の中には数え切れないほど多くの人の応援する気持ちが入っている。
その気持ちに助けられて私は外へ出る一歩を踏み出すことができたの。
だとしたらあの子は私の家の中でずっと待っているのでなく、誰かの側で応援している方がいいと思うの。
まだ友達になりたいのかどうかと言う気持ちは自分でも良くわからない。
だから心から思っている一言だけあの子にメッセージカード持たせてを置いてきたの。
『早く元気になってね』
「それでは行って来ますなの」
「キティー、気を付けてね。会いたがっていた人が見つかるといいね」
あさってで事故から10年、私は初めて事故の追悼セレモニーに行くの。
今年は最初の年以来の規模で開かれるらしいの。
お父さんとお母さんのことは事故の被害者の中でも特別知られていたから、毎年私は招かれていたらしいの。
でも私のトラウマが出ないようにおじさんが断っていてくれていたの。
でも今年は事故から10年の節目の年だからと私に判断を任せてくれたの。
どうしようかとすぐには決められなかったの。
私は事故の時の様子でマスコミの人が少し嫌いになってしまったから。
ひょっとしたらそのことで苦しむことになるかもしれないけれど、どうしても知りたいことがあったから私は決心した。
セレモニーはしめやかに行われたの。
いろいろな人が挨拶したけれどもお父さんとお母さんのことには誰も触れなかった。
それがお父さん達のことを特別扱いするのをやめたからなのか、それとももうお父さん達のことが忘れられたからなのかそれはわからないの。
少し寂しい気持ちはあるけれども、それでも少しプレッシャーが軽くなったの。
私は今日ここに来た遺族の一人。
もし特別扱いされていたら悲しみを共有できなかったも知れないの。
セレモニーそのものよりも私はその後行われた遺族の集会の方が心に響いたの。
親を亡くした人、子を亡くした人、子供と孫を一度に亡くした人。
ここにいる人はみんな同じように苦しんで、そしてそれを乗り越えた人達なの。
それだけではなく今もトラウマに苦しみ事故があったこの場所へ来ることができない人、そして自ら亡くなった人の側へ向かった人もいるの。
私は正直に今まで他の遺族のことをあまり考えていなかったことを言ったの。
そして私だけが一人ぼっちだと思ったことがあることも言ったの。
そうしたらすぐ側にいた人…20年一緒に過ごした旦那さんを亡くした人が、私を力強く抱きしめてくれたの。
「そう今までずいぶんとがんばっていたのね。けど無理しなくていいわ。家に帰ったらまたがんばらないといけないけれどここにいる間はいくら泣いても大丈夫よ」
「…ありがとうなの。でも天国のお父さんとお母さんのためにここでも笑っていたいの」
けれども後から周りの人に聞いてみると、笑っているようなそれでいて泣いているような変な顔だったみたいなの。
「ほう…いい人たちに知り合えたね」
「連絡先を教えてもらって、気が向いたら遊びに来てねと言われたの」
今年のセレモニーにはおじさんも来ているの。
今年行くと決めてから初めて教えてもらったけれども、今までは私のことが気になって事故の時期は日本を離れないでいてくれたの。
本当はおじさんもいろいろな人と会うつもりでいたみたいだけれども、私が考えていることを教えるとそっちを優先してくれたの。
「おじさんご苦労様でした」
「いやいや、簡単だったよ。その人が鞄の持ち主を探すためずいぶん色々とがんばってくれたらしいし。人に聞いたらすぐにわかったよ」
今年私がこの町へ来たもう一つの目的は鞄を見つけてくれた人を探すこと。
世界中を巡った鞄に触れた人全員に会うなんて、無理だと言われるかもしれない。
けれど最初の一人に会うことができたら、二人目、三人目にきっと会えると思うの。
少なくとも鞄を届けてくれた人が、私に会いに来るのをただ待津だけの日々を送るのはできないの
「多少流されたみたいでここから少し南に行った町に漂着していたらしい。それでは私はこれで帰るから」
「それじゃ、気をつけて。それとお墓参りありがとうなの」
町へ来て探している人のことを話すと大分驚かれたの。
おじさんが言っていた通りその人は有名になっていたらしい。
そして私も町の人の間でどんな子か気になることらしくて、少し恥ずかしかったの。
ピンポン
チャイムを押して数秒後出てきた人は私を見て不思議そうな人になったの。
見慣れない女の子、それもアジア系の女の子が突然訪ねて来たのだから仕方ないかも知れないけれど。
「どなたかしら?」
「一之瀬ことみ、呼ぶ時はキティー、鞄の女の子です」
最初出迎えてくれた人は見つけてくれた人の奥さん。
それと今遊びに出掛けている女の子と奥さんのお腹の中に一人と、3人か4人かちょっと難しい人数なの。
コーヒーとお菓子が出されて少し落ち着いたから話し始めようと思ったら、先に言葉を切り出したのはスティーブさんのほうなの。
「すみません…そしてありがとう」
その一言で頭の中が疑問符でいっぱいになってしまったの。
今日私はお礼を言うために会いに来たのに、謝られてお礼を言われたのは私の方。
「あのスティーブさん。どうしてなの?お礼を言わないといけないのは私の方なのに」
「ちゃんとキティーの所へ行くとは思っていなかった。なんせ俺のところに6年もいたのだから」
それから少しずつスティーブさんは自分の元へ鞄があった日のことを教えてくれたの。
事故から3日ほど経って海岸の側を歩いていると、何かが流れ着いていることに気付いて家へ持ち帰ったの。
けれども特にお金になりそうな物がなかったからずっとほったらかしにしていたらしいの。
それからしばらく経ってから幼なじみのメアリーさんと結婚したの。
幼なじみという言葉でほんの少しだけ胸が痛くなってしまったの。
そして子供、スージーちゃんが生まれて数年経ってスージーちゃんがひどい熱を出したの。
「ひどい熱で苦しんでいるスージーに何か欲しいものがないか聞いたら、ぬいぐるみが欲しいと言われた。夜遅くだったから店はもう閉まっているし悩んでいると急にあのぬいぐるみのことを思い出した。その時まですっかり忘れていたのに」
「スティーブがそれを持ってくるとニコッと笑ってくれたの。少しあきらめかけていたのに、あの顔を見たらきっと大丈夫だと信じられるようになった」
「医者には悪いが俺にはあのクマが守り神になったから助かったように思えた。あのクマはきっと天使がスージーを助けるために送ってくれたのだと思った。でも治ったスージーに言われたんだ、この子を女の子に返してって。俺が拾っていなければこんなに時間が経つこともなかったのにすまない」
「それは違うの。スティーブさんがあの子を6年も持っていたのじゃないの。あの子がスージーちゃんを助けるために6年間待っていただけなの。あの子は私もスージーちゃんも助けてくれたとっても偉い子なの」
私の言葉を聞くと二人は急に緊張が解けたような顔になった。
今まで何年も自分を責め続けていたのだろうか?
「ただいま」
大きな声と大きな足音が鳴り響いて元気な女の子が部屋に飛び込んできたの。
「はじめましてなの」
「挨拶しなさい、スージー。あなたがずっと会いたがっていたぬいぐるみのお姉ちゃんよ」
見ず知らずの私がお茶を飲んでいたことを最初は不思議そうに眺めていたが、メアリーさんの言葉を聞くと満面の笑みを浮かべたの。
「パパ、ママまだ私の部屋に連れて行ってないよね。お姉ちゃんこっちに来て」
引き摺られるように連れられてスージーちゃんの部屋を開けてみるとびっくりしてしまったの。
ぱっと見ただけではどれだかあるかわからないくらい、クマのぬいぐるみや置物が置いてあるの。
それらは決してただ数を集めているのではなく、どれも惜しみない愛情が感じられたの。
愛されていないとこれだけ多くのクマにリボンと名前は付けられないの。
「お友達がいっぱいいるのね」
「うん、ねえママのお友達が来たよ」
「あの子がママなのね」
「うん」
愛されている物は魂が宿るというの。
あの子は世界中を巡り多くの人に愛されてきたの。
でもこの子達はスージーちゃんからそれらに負けないくらいの愛情をもらっている。
この子達はそう作られたからでなく、愛されているからこんなにかわいい笑顔を見せているの。
昨日はもともとは日帰りで帰るつもりだったの。
でもスティーブさん達のお言葉に甘えて一晩泊めてもらったの。
お礼に作ったアップルパイは喜んでもらえたけれどもう一つしたいことがあるの。
「どれか好きなのを選んで」
見送りに行くというスティーブさん達に頼んで連れてきてもらったのはここおもちゃ屋。
スージーちゃんだけは内緒にしていたからとっても驚いているの。
ぐるっと店内を歩いていると一つのぬいぐるみの前から動かなくなってしまったの。
「おねえちゃん、これがいいな」
「はい、どうぞ」
「ねえ、この子はなんてお名前にするの?」
「えへへ、キティー」
店を出て嬉しそうに抱きかかえるスージーちゃんに尋ねてみると、もじもじしながら返ってきた答えを聞いてみて恥ずかしくなったの。
「あら、残念。キティーはこの子にしようと思っていたのに」
メアリーさんがお腹を指差して一言。
ますます恥ずかしくなってしまうの。
「キティー、お姉ちゃんに挨拶して」
渡されたキティーを見ているうちに、なんだかこの子の顔が私に似ているように見えてきたの。
名前が一緒だと似てくるのかな。不思議なの。
バス乗り場に行ってみるとそこには一人の人が待っていたの。
トラックの運転手さんでスティーブさんがこの近くの町では持ち主が見つからないと思ってから、この人に預けて探してもらったの。
そしてこの次に渡した人が今どこにいるのかも知っていて教えてくれたの。
探してくれたこと、次の人を教えてくれたことをありがとうと言いながら少し思ったの。
もう会えるかどうかなんて決して迷わないの。
きっとこの美しい世界で必ず会えるって。
6年間いろいろなことがあったの。
最初のうちは私はお父さんとお母さんの娘であることを意識しすぎていたの。
でも時が立つに連れてその考えは間違えであることに気付いたの。
大学には世界中から色々な人が学びに来ていたの。
その中には同じように家族が有名で意識し過ぎな人や、国や宗教の問題でけんかになる人たちもいたの。
でも教授を中心に話し合っていくうちにここでは一人ひとりの中身を大事にしていくようになったの。
そうして多くの友達ができたの。
喋っていくうちに鞄を渡された人を知っている子にも出会えたし、そのことがきっかけで国に帰ったら鞄について調べてみるとみんなが約束してくれたの。
大学だけではなく他の遺族の人や町のみんな、多くの人が鞄を届けてくれた人を探すのに協力してくれたの。
できればアメリカにいる間に全員に会いたかったけれどあまりわがままを言ってはダメなの。
私は日本へ帰るし、そのまま残る子やそれぞれの母国に帰ったりでこれから会うのは難しくなってしまうの。
それでもいつの日か全員に会えたのならみんなにありがとうって言いたいの。
休みになると鞄について調べたり、見つけた人に会いに行っていたから日本は6年ぶりなの。
出かける時におじさんに頼んだことについて聞いてみても内緒だと言うの。
本当はおじさんの口ぶりで朋也くんたちは必ず来てくれるとわかっていたけれどそれについては秘密。
エスカレーターを上がってみるとおじさん、高校のお友達、そして朋也くんと渚ちゃんが小さい子を連れて待っていたの。
女の子なのかなとってもかわいいの。
「初めましてなの。ことみ。ひらがなみっつでことみ。呼ぶ時はことみちゃん。もしよかったら、お友達になってくれると、うれしいです」
まだ朋也くんたちはどうして自分たちが呼ばれたのかわかっていないみたいなの。
それでも来てくれたのだからとっても嬉しいの。
そして今日は今度うちに来てくれるよう頼んで別れたの。
さあて、これからがんばるの。
旅に出ている間時々おじさんの奥さんがお掃除してくれていたから、家の中は楽チンだったけれども外はかなり大変だったの。
外も草は刈っていてくれていたけれども、毎日お水を与えるのはできないからお花とかは一つもなかったの。
おじさんはちゃんと業者に頼んだらどうかって聞いてきたけれども、このお庭はちょっとずつでも自分で作っていきたいお庭なの。
元通りにするのではなく今日から新しいスタートを切るの。
水曜に帰って朋也くん達が来るのは日曜だから大変だったの。
お庭だけでなく、荷物の片付け、お料理の準備、そしてお父さんとお母さんのお墓参りすぐ過ぎていったの。
ピンポン
「こんにちは」
「こんにちは、ことみちゃんあそびにきたよ」
「…」
「いらっしゃいませなの」
チャイムの音がして出てみるとひとり朋也くんだけは元気がなかったの。
頭に手を当てて険しい表情で何かを考えていたの。
今までわからなかったことをこの家に来て思い出したのかもしれない。
ひょっとしたら私のしたことはいけないことなのだろうか。
私はもう朋也くんがいなくても大丈夫だと思う。
それなのに朋也くんと会おうと思ったことは朋也くんを苦しめるだけだったのかな。
「朋也くん大丈夫?」
「なんだここは。えっと広い庭があって…それで白いテーブルがあって…」
それだけ言うと庭の方へ駆け出していったの。
私達も後を追うと朋也くんはそこでしゃがみこんでいたの。
「思い出した…あ、そっか、ずっと思い出すことから逃げてたんだな…」
「…ごめん」
朋也くんが落ち着くまでしばらくかかったの。
そして最初の言葉は謝罪の言葉だったの。
「あのそうじゃないの朋也くん。私は謝ってもらいたくて朋也くんと会おうと思ったんじゃないの。またお友達になりたくて会いたいと思ったの」
「許してくれるのはありがたいと思う。けどよ自分自身が許せないんだ。お前のことを忘れてのうのうと生きてことが」
顔を伏せてしまった朋也くんの体を渚…さんがそっと包み込む。
離れて遊んでいた汐ちゃんも朋也くんのことが気になってじっとこっちを見ているの。
「朋也くん本当に私のことずっと忘れていたの?」
「ああ」
「何かお詫びしたいと思うの?」
「ああ」
「じゃあキスしてくれたら許してあげるの」
「え」
「あ、あのわたし少しだけ目をつぶっていますから」
私のものすごいお願いに二人は慌ててしまうの。
どうしたらいいのか朋也くんの顔が目まぐるしく変わる。
でも覚悟を決めたのか私の肩を抱き寄せて少しずつ唇を近付けてくる。
だめなの朋也くん、お願い気付いて。
「あれ、パパことみちゃんにちゅうしてる。ダメだよ」
汐ちゃんの言葉で動きが止まってしばらく考え込むと私の肩から手を放した。
「渚もういいぞ」
そう言われて目を開けた渚さんに少し強引にキスをする。
大学で恋人同士でキスしているのを何度か見かけたことがあるけれども、こんなにすごいキスは始めて見るの。
息も絶え絶えになったところでキスをやめてこっちに向き直したの。
「大人になったら一番好きな人同士はキスをするの…だったっけ」
「…大丈夫なの。朋也くんは私のことを忘れていないの。ちゃんと私が一緒に遊んでいた子が成長して今の朋也くんになっているの」
「そっか…あ、もし今ことみにキスしてたらどうなってたんだ?」
「それはそれで嬉しいと思うの。やっぱり今からキスしてくれる」
「ダ、ダメです!」
とろーんとした状態から立ち直った渚さんが今度はキスをやめさせた。
ちょっと残念だけれども、私があんなキスされたら渚さんよりももっととろーんとなってしまいそうだし仕方ないの。
「ことみちゃんまたあそぼうね」
「はい、またいつでもいらっしゃいなの」
キス以外で何かできることはないかと言われてあの後みんなでお庭で頑張ったの。
一日では全部終わらなかったけれどもきれいになるまでいくらでも頑張るって言ってくれたの。
「早くお庭にお花が咲くといいですね」
「ああ、必ず元通りになるさ」
「…朋也くん。私が空港で初めましてって言ったの覚えている?」
「ああ、そう言ったような」
「あれは渚さんと汐ちゃんだけでなく、朋也くんにも言っていたの」
「どういうことですか?」
「私は高校でずっと朋也くんが思い出すのを待っていたの。過去の続きだけを考えていたの。だからその時の朋也くんが好きだった渚さんに勝てなかったと思うの」
渚さんの顔が赤くなってしまったの。
「でもね、今は違うの。あの頃は本当に幸せだったけれどもっと幸せな日が作っていけると思うの。続きでなく一からがんばりたいと思うから初めましてなの」
「わかった。前よりきれいな庭やってやるさ」
「ねえ、今クマのぬいぐるみはどうしてるの?」
「え、あの子はことみちゃんがプレゼントしてくれたものですか。あの子にはたくさん元気をもらいました。ありがとうございます」
「あれか。今汐が持っているけど」
少し腰を下げて汐ちゃんの目線に合わせてみる。
「汐ちゃん。クマのぬいぐるみは好き」
「だんごがすきだけれどあのクマもだいすき」
「お願いがあるの。もし誰か悲しそうにしていたり、困っている子がいたらあの子を渡してほしいの。あの子は元気をくれるヒーローなの」
「ヒーロー、かっこいい」
たしかにかっこいいかも知れない。
調べていくうちに知ったけれどもあの子に出会った人は、不思議と困っている人たちが多かったらしいの。
そしてさらに不思議なことにあの子に出会うとちょっとずつだけれども、困っていたことが良くなっていったの。
あの子が何年も世界を回ったのは、きっと私以外にも多くの人のために頑張りたかったからだと思うの。
「なあ、汐あのクマだったら問題簡単に解決してくれるかも知れないけれど、まずはお友達は汐ががんばって助けてやれよ」
「うん、しおがんばる」
こんな優しいお父さんとお母さんに育てられているのだから、汐ちゃんはきっと誰よりも優しい子になるの。
汐ちゃんなら一番あの子が必要な子がきっとわかるの。
「がんばってなの、汐ちゃん」
汐ちゃんから誰か、そしてその子からさらにまた別の誰かに。
優しいあの子はきっとこれからもがんばり続けるの。
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