0.現在


 春。ゴールデンウィーク間近。
 冬に比べ、だんだんと日も長くなってきたとはいえ、辺りはもう真っ暗になっていた。
 街の街頭には明かりがともり、何人もの生徒が学校から家へと帰っていく。
 その中で僕は一人その流れに逆い、全力で走って学校を目指していた。全力で走っている僕に、数人から好奇の目を向けられるが、気にも留めず、学校に向かう。

 こんなふうに全力で走ったのはいつくらいぶりか、とふと思う。学校まではまだ距離があり、体はもう、疲れを訴えていた。

 でも僕は行かなければいけない――いや、僕は学校に、行きたかった。
 まだ、手遅れじゃない、そう、信じたかったから。



道化――Buffon――





1.1年4月


『トンネルを抜けると、そこは雪国だった』
 これは僕、春原陽平でさえ知っているある小説の一説である。
 ――きっと、この物語の主人公はトンネルの向こうに希望を抱いたのだと思う。いや、実際に僕はその小説を読んだことはないし、それどころか、作者や、小説の名前すらしらないから、これは僕の予想でしかないんだけど雪国、という響きがなんとなく浪漫を感じさせるから、きっとこの予想は正しいんじゃないか、と思っている。


 町から遠く離れた学校からのサッカー部からの推薦入学の誘い。
 その話が出たとき、僕は返事二つで受け入れた。
 大げさかもしれないが、サッカーは、僕にとって人生そのものだった。
 中学でサッカーが上達するまでは、僕は、目立ちたがり屋で乱暴な駄目人間として有名だった。
 しっかりものの、妹の芽衣とくらべお前は駄目な兄貴だと言われたことは一度や二度じゃない。
 それが、原因で、妹がいじめられたこともある。
 本当に、駄目な兄貴だった。
 ――サッカーが上達してからは、妹がいじめられることもあまりなくなり、僕の人生も充実している、とそう思った。
 だから僕は3月の終わりに、新幹線に乗り込んで、別に小説にならったわけでもないだろうが――いくつかのトンネルをぬけて――、この街にたどり着いた。
 この時の、精神の高調は、今でも覚えている。



 僕は、信じていた。これからの明るい高校生活を。――トンネルの向こうにある明るい生活を。



 ――だが、その期待はすぐに裏切られることになった。
 もちろん、サッカー部の練習自体が厳しいのは覚悟していた。
 それくらい当然だと思っていたし、サッカーは好きだから、それはあまり苦にならなかった。
 しかし、問題はそれ以外のところにあった。

 昼休み、僕らは部室に大抵呼び出され、パシリをやらされる。
 パンや、おにぎりやお菓子――それらを買いにいかされる。もし従わなかったら、殴られ、部活中の怪我として処理される。
 もし反撃しようものなら、よくて停学、悪ければ退学になると先輩にいわれた。
 部活の顧問もこの状態を黙認しているようで、そういう伝統があるのだと聞いた。
 始めは嘘だと思ったが部活の顧問が、パシリにされている僕らをみて、にやにや笑っていたことがあった。だからおそらくおどしではないのだろう、となんとなく思ったし、実際に退学になるかもしれないのにやる勇気なんてなかった。

 それに加えて、理不尽に暴力を振るわれることもあった。
 なにか虫の居所が悪かったりすると、部室に正座させられたり、棒立ちにさせられたりしたまま、蹴られたり、殴られたりした。
 本当にこのサッカー部は腐っていた。
 やめたい、と思った。
 でも他の奴らはガリ勉野郎ばかりで、やめたって、どうにもならない、とおもった。


 ――トンネルを抜けても、そこに雪国はなかった、ただ、僕には、トンネルがあるだけだった。




2.1年5月




 
「おい、春原、もっと気合をいれて、応援しろよっ」
 今日は、交流試合で同じ街の高校に来ていた。相手は去年の県大会の優勝高。
 僕を含めて新入部員は補欠にすらはいっていない。単なる応援要員だった。

 応援だけした試合が終わる。
 結果は、4対0での大敗だった。
 自分達のチームがこんなにも大敗したのに、悔しい、という気持ちがわかなかった。ただ、ざまぁみろ、と思った。


「今日、負けたのは、お前らの応援に気合が入っていなかったからだ」
 試合が終わった後、呼び出され、いきなりそういわれた。――応援がないと勝てないのか、と心の中で毒づくが黙っておく。そんなことを実際にいったらろくなことにならないのはもう、わかりきっていた。
「そういうわけで今から罰をうけてもらう」
 そういって、殴られた。いつものように。


 気がつくと、周りに誰もいなかった。
 僕が一番反抗的な目をしていたのか、お前はいつも反抗的だな、なんていわれて僕が一番殴られた。
 そのおかげで気を失っていたらしい。
 僕は立ち上がり、服についた砂埃を払い、ため息をついた。
 本当にこのサッカー部は腐っている、と改めて思う。
 本当に退部しようか――そんなことを考えながら、対戦相手の高校を出た。



「なぁ、いいだろ、すこしくらい付き合ってくれたって」
「ちょっとくらい、僕らとつきあってくれたっていいじゃん」
 校門から出たところでそんな声が聞こえる。
 声をする方をふりむくと、水色の髪をした大人しそうな女の子が一人、何人ものやつらに囲まれていた。
 女の子は何も言わず、ただ、じっと耐えているだけだった。怖くて声も出せないのだろう。
 囲んでいる奴らをよくみると、今日対戦したサッカー部のやつらだった。この街のサッカー部の奴らはどこもこう変なやつばかりなのか?そう思い落胆する。

 その光景をなんともなしに眺めていると、ふと、芽衣が昔こんあ風にいじめられていたことを思い出した。
『おめーもあにきだかみたいにらんぼうなやつにならないようにきょういくしてやる』
 芽衣はこんな風にいわれていじめられていて、僕がそれを助けていた。今思えば本当に懐かしい、思い出だ。
 あの頃にもどりたい、と痛切にそう思った。



「おめー、何見てんだよ」
 ふと気づくと、一人が僕につっかかってきた。僕が見ていたのをめざとく見つけたらしい。
「そりゃ、もちろん、よってたかって一人の女の子をいじめている一人じゃ何もできない奴らさ」
 思わず挑発した口調を返してしまう。相手の顔が面白いくらいみるみる真っ赤になっていった。 
「手前っ」
 そういって、僕に殴りかかってくる。僕はそれをよけ、相手のボディにパンチをくらわせる。 久しぶりの喧嘩だが、腕は衰えていないみたいだ。
 相手は、たった一撃で、腹を押さえてうずくまった。口ほどにもないやつだ。
「て、てめぇ……」
 そういうがさっきまでの迫力はなく、情けなくうずくまっているだけだ。
「春原、何してんだよ」
 うずくまっている様子を眺めていると、そんな声が女の子がいるほうから聞こえてきた。
 なぜ、僕の名前を知っているのか――、そう思いながら女の子のいる方をみてみると、さっきは気づかなかったが、うちのサッカー部の連中も一緒に女の子を囲んでいたらしく、対戦したサッカー部の連中にまぎれて、うちの連中がいた。
 もう、あきれることもない。
 
 僕は、はぁ、とため息をついた。
 
 その様子が感にさわったのか、先輩の顔が怒りに満ちる。
「なに、ため息なんてついてるんだよ」
「別に」
 僕がそういうと、その先輩がこっちにくる、それと同時に女の子を囲んでいた連中の意識が女の子からそれたみたいだ。
「早く逃げて」
 そう、女の子に呼びかける。
 僕のその声をきいて、女の子は少し戸惑ったが、すぐに逃げ出した。
「はっ、正義の味方気取りってわけか」
「別に正義の味方を気取っているわけではないんですけどね」
「けっ」
 先輩はそういって殴りかかってくるが、それをよけた。
 先輩は少し驚いたような顔をしたあと、さっきまで女の子を囲んでいた連中をよびよせる。
 8対1。
 いくらなんでも分が悪すぎる。
 ああ、負けるだろうなぁ……と他人事のように思った。






 ……気がついた時には病院のベッドの上だった。
 体中が痛い、記憶にないが、あちこち殴られたらしい。
 ふと横をみると部活の顧問がいて、『他校の生徒相手に喧嘩をしたことで』退部処分を告げられた。
 詳しく話をきくと、『他校の生徒に喧嘩を売っていた僕をたまたまみかけたうちの部員がそれをとめた』という話になっていた。
 女の子をいじめていたとかそういう話は一切出てこない。
 顧問の目には侮蔑の目に混じってあざ笑うような目をしていた。
 おそらく真相は違っているのがわかっているのだろう、わかっていてそういうことにしているのだ、となんとなく思った。
 反論する気もおきず――それに退部になったと聞いて、どこかほっとして――僕はその話をじっと聞いていた。


 次の日。


 病院を退院した僕は学校の生徒指導室に呼び出され、正式に退部処分と、停学3日間を言い渡された。
 もう、なにもかもがどうでもよかった。このまま、自主退学して、あの場所に戻ろう、そう思った。
 そんなことを考えながら、廊下を歩く。
「いてて……」
 傷口がいたむ。
 まだ昨日の喧嘩の傷があちこちに残っていた。
 鏡をみたら、そりゃもう酷いものだった。顔のあちこちに擦り傷があり、絆創膏をたくさんはっていた。ここまで酷い怪我を負ったのは久しぶりだった。
 廊下を歩いていると、生活指導の幸村の姿が見えた。
 その隣には紫色の髪の毛をした、変なヤツがいた。大方こいつもなんらかの生活指導を受けていたのだろうな、となんとなく思いながら、そいつの横を通りすぎようとする。
「あははははははははは」
 突然、大笑いの声が聞こえてきた。
 さっきのヤツが笑っていた。何が可笑しいのか笑っている、なんだ、コイツ、そんなことを思いながらそいつの顔をよくみると涙まで流して笑っていた。
「ぎゃははははははははは、ははっはははは……ひぃひぃ、はは……」
 笑い声はまだ収まらない。
 なんで、コイツはこんなに笑っているんだ?――なんで、こんなに可笑しそうに笑っているんだ?その様子をみてみると、こっちまで可笑しくなってきて、笑いそうになる。
 なんとなく笑ったら負けのような気がした。

 でも、駄目だった。

「「ぎゃはははははは、ははっはははは……ひぃひぃ、あはは……」」
 二人して、笑った。わけもわからずに。はたからみればすげーおかしな奴らにうつるんだろうな、とふと思う。
 でも笑ってしまうんだからしょうがない。

 こんなに笑ったのは初めてだった。思い返せば、この学校にきてから、ほとんど笑っていないことをふと思い出した。

 すげー気持ちよかった。
 ただ、笑うことが。
 そのあと、幸村と、その変なヤツと一緒に職員室にいき茶を飲みながら色々話すことになった。
 そいつの名前岡崎朋也といった。
 僕と同じスポーツ推薦――僕と違ってバスケだが――で、この学校に来たのはいいが、腕の怪我が原因で部活ができなくなり、いつも遅刻とかして、生活指導を受けていた、と岡崎から聞いた。
 僕のほうも簡単に話す。他校の生徒相手に喧嘩をうって、退部処分になったと。
 ――退部処分について、詳しい話をする気はなかった。いっても無駄だと思ったし、する必要もないと思った。
 それからお互いの学校生活について話す。クラスの奴らのことやら、担任のことやら。

 話しているうち、こいつとは、気があうと思った。 こいつとなら、残りの高校生活を送れると思った。

 これが僕と――岡崎朋也の出会いだった。
 そして、この日から僕らはつるむようになった。




3.1年6月




 岡崎とつるむようになってから一ヶ月がたった。
 つるむようになってから、岡崎は僕の部屋に毎日のように出入りするようになっていた。なんでも腕を怪我した原因をつくったのが岡崎の親父だそうで、顔をあわせづらいらしく僕の部屋でよくだべるようになった。
 授業が終り、教室を出る。
 岡崎と帰るのは一緒ではなく、一人で帰るのが習慣だった。偶然会えば一緒に帰ることもあったが今日はそんなこともなく、一人で帰ろうとしたとき、サッカー部の一人とすれ違う。あの時、僕と喧嘩した相手だ。
「よう、春原、元気してたか、退部なんてざまぁねぇな」
「……いまさら何の用すか、もう、関係ないでしょ、あんたらとは」
「まぁまぁ。聞けって、面白い話、持ってきてやったんだからよ」
 話をきかず、無視して帰ろうとしたが肩をつかまれる。どうやら、聞くまで返す気はないようだ。
「この前、お前が助けたあの女の子、いただろ?お前が退部になってまで助けた」
「ああ、いましたね」
 そう、そっけなく答えるが、また、なにかしたのかと思いながらその先輩をにらみつける。
「おいおい、俺らは何もしちゃいないって、ただな……あいつ、修学旅行中に行方不明になったらしいぞ」
 その言葉に耳を疑う。
「ま、お前が助けたのは無駄だったってことだな、退部処分になったってのに、残念だったな、ま、貴様には正義の味方なんて似合いやしねーってこった」
 耳が聞くことを拒否していた。
 行方不明?
 修学旅行中に?
「捜索届けとかはだしていないんすかねぇ?」
「さぁ?そこまで詳しくはきいてねーけど、まぁだしてんじゃねーの、まぁどうせ行方不明ったって――」
 そいつはよりいっそう顔をゆがませてそしていった。
「もう、死んでんじゃねーの、てめーのやったことは無駄だったんだよ、はははっ」
 その言葉を発せられると同時にそいつを殴っていた。



 ……また、停学になった。
 担任はあきれた顔をしていた。僕は部屋で一人横になってただ、ぼーっとしていた。
『もう、死んでんじゃねーの、てめーのやったことは無駄だったんだよ、はははっ』
 その言葉が頭の中をリフレインする。何度も、何度も。
 僕が女の子を助けたのは無駄だった、というのか。
 ただぼーっとしていると美佐枝さんから妹から電話がかかってきたと知らせが入る。
 仕方なしに電話をとる。
『――おにいちゃん、また停学になったんだって、何してるのよ、もう……』
「ほっといてくれよ……」
 それだけをいって電話を切る。
 今の電話でふと芽衣のことを思い出す。芽衣は、昔いじめられていた。僕が原因で。
 僕さえいなかったら、芽衣はいじめられることはなかった。
 それに、あの女の子。
 他校の生徒相手に喧嘩を売った時、僕の気持ちの中に、退部してやれ、という気持ちがなかったといったら嘘になる。実際退部になって、どこかほっとしていた自分がいたから。
 でも、助けたかった、あの女の子を。でも、あの女の子は結局行方不明になってしまった。

 僕のやったことは何だったんだろう、僕は今まで何をしていたのだろう。
 全ては無駄だったというのか。――僕は道化にすぎなかったのか。
 いや、きっと道化なんだと思う。
 人から笑われることが仕事の道化。人から笑われるために存在している道化。
 笑ってしまう、本当に。
 心の底から。
 岡崎と初めてあったときとは違う笑い。
 それが本能でわかるがわらってしまうものはしょうがない。
 もう、なにも考えたくなかった。
 もう、ほっといて欲しかった。――誰からも。


 それから、岡崎との付き合いが変わった。
 岡崎は冗談が好きで、よく冗談をいう。その冗談にすぐのるようになった。
 岡崎は最初驚いていたものの、次第になれてきたようで、気にも留めなくなっていた。
 僕は岡崎の冗談にのりつづけた。
 道化として笑われ、笑うために。そういうのがお似合いだと、そう思ったから。――それに、こうすれば心が傷つくことがなかったから。自分が道化だと割り切れば、傷つくことない。――そう、思ったから。
 そして、僕は道化になり続けた。そしてそれが、いつしか日常になっていった。





4.3年4月23日




 気がつくと、眠っていた。
 夕飯を食べたあとそのまま眠ってしまったらしい。


 夢をみていた。


 二年前、ここにきてから今までの夢を。
 あれから二年になってからは岡崎が同じクラスになり、同じクラスになった杏も加わり、3人で過ごすことが多くなった。
 僕は相変わらず、岡崎に――いや、杏も加わり、遊ばれるようになった。
 現状に不満はなかった。
 道化なんだから不満を覚えることもない。――ないんだ。

 そこまで考えたときに腹が痛くなる。
 ……夕飯の何かが傷んでたか?
 そんなことを考えながらトイレに向かう。
 どうやら腹を壊したのは僕だけじゃないらしく、ラグビー部の連中も腹を壊したようで、個室をドンドン叩かれ、ついにはひきづりだされ、散々な目にあった。
 帰り際、岡崎とすれ違う、誰かと電話しているようで、僕が横切ったのも気づかないようだった。


 部屋に戻るといつもどおり岡崎が部屋に来た。
「よっ、女にかけてたのか?」
 いつもどおり軽口を叩きはなしをきくが、僕の妹と話をしていたと知って驚く。
「って、なんでおまえが僕の妹と話してるんだよっ!」
 詳しく聞くと、美佐枝さんから電話を任され、しかも週末来ることになったらしい。
 僕のことなんて、ほっといてほしいっていうのに。
 僕のことなんて、忘れてくれていいのに。
 そのために岡崎に何かいい方法はないかと聞くが、いつもどおり『岡崎が僕を殴って僕が平気そうな顔をする』とかろくな案をださない。
 自分で考えるしかないってことか。
 そんなことを考えていると、岡崎が漫画を読み出し、しばらくして部屋を出て行く。

 岡崎が帰ったあとも、どうすればいいのか考えていた。しかし、いい案なんてまったく出てこなかった。




5.3年4月25日



「最悪ですっ」
 バッコーーーーンッ!!!!
「軟骨がぁぁぁぁぁぁ」
 風子ちゃんに星型の物体で思いっきり殴られた。
 あれから、岡崎と一緒に色々相談した結果、偽彼女を作ることになった。
 始めはそんなのうまくいくわけはない、とおもったが、芽衣を安心させて、気にかけられずにいるよりも、芽衣があきれて、僕のことを放っておくことになればそれでいいじゃないか、と思い、のることにした。デートを失敗すれば流石にあきれるだろうし、さらに偽の彼女だとしられれば流石に芽衣もあきれはて、僕を放っておくようになるだろう、そう思ったからだ。
 相手は岡崎の紹介で伊吹風子ちゃんにきまった。
 色々やって、その結果がさっきのアレである。

「は、はははは……エヘ…………エヘヘヘヘ……」

 情けなさに笑いがこみ上げる。
 失敗、か。
 そう、思っていた――。
 でも。

「さっきも褒めていただいたように、わたしが若い子の隣に立っていても不自然でないと言ってくれるんでしたら……お手伝いしたいと……そう思ってます」
 あったこともない3年の古河のお姉さんという人が協力してくれることになった。





 家に帰ってもまだ、興奮が冷めなかった。
 あんなきれいな人に偽とはいえ彼女になってくれるなんて思っても見なかった。
 ……って何を考えているんだ、僕は。
 今回の目的は、デートを失敗して、芽衣にあきれさせることではなかったか。
 それを、忘れてはいけない。


 僕は心を落ち着ける。


 問題はどうやってあきれるようなデートをするか、である。
 その答えはすぐに見つかった。中学時代のデートの失敗をそのまま実行に移せばいいだけなのだから。
 岡崎にいうと冗談にしか受け取らないだろうが、僕にも中学時代つきあった女の子はいた。
 どう接したらいいのかわからず、デートを失敗しまくってすぐに別れてしまったけど。
 そのときの経験を生かせばいい。
 これで、計画の準備は整った、そう思った。
 明日からのことを考え、僕は眠りについた。




6.3年4月26日




「早苗さんの身のためにも、強く警告します……この話は、なかったことにしてください」
「そうですね……」
「え……え゛ぇぇぇぇぇぇっ!」
 次の日、早苗さんと再会したとき、岡崎の冗談でいきなり早苗さんがやめると言い出した。
 まぁ確かに僕が趣味で全裸で走りまわるといわれればそういう反応は当然……っていうか、それは岡崎のいつもの冗談なんですけどっ。どう取り繕うかと考えていると早苗さんは、
「……でも、平気です」
 そう、いってくれた。たとえ僕が、、趣味で全裸で走りまわる人であったとしても協力する、といってくれたのだ。その言葉が素直にうれしかった。

 ――この感情はいけない。

 我に返った。そうだ、何かに期待しそうになる、この感情は、いけない。
 僕は道化なんだから『期待』なんて、感情はもってはいけないのだ。
 あくまで、”ふり”に徹さなければいけない。
「ふふふ」
 あえて意図して――そう笑って岡崎の肩を叩く。
「ボディッ」
 そういって、岡崎に殴られる。――いつもどおり。
 そう、これでいい――。――これがいつもの日常なんだから。


 しばらくして、早苗さんが「少し練習しておかないと、彼女らしく振る舞える自信がありません最初は、予行演習などいかがでしょうか」といってくれた。早苗さんからいってくれて好都合だ。言われなかったらこっちからお願いしたかったくらいだから。
 そして早苗さんとのデートが始まる。
 早苗さんにいわれるまま、肩をよせあったり、手を握ったりする。
 それだけのことで、すごく照れた。


 岡崎と別れ、二人っきりになる。
「早苗さん、つきあってくれてありがとうございます」
 僕がそういうと、早苗さんはきょとんとした顔をした。
「いや、正式に礼をいってなかったと思って」
「いえ、別にお礼なんていいんですよ、私も好きでやっていることですから」
 顔には相変わらず笑みを浮かべていた。僕に、安らぎを与えてくれる笑顔。
 そして、まるで迷惑に思っていないかのように、その言葉をいった。
 ――デートを引き受けてくれたときからわかっていたが、なんていい人なんだろう、と思う。
「それにしてもすみません。実は私、デート自体も久しぶりで、上手くいくの、自信ないんです」
 その言葉に驚く。こんな可愛い人がいたら、周りの男がほっとかないと思うんだけど。――まぁフリーじゃなかったら、こんなこと、協力しないだろうから、この幸運に感謝しよう。
「こうして予行練習なんてさせてしまっていますし本当にすみませんね」
「かまわないすよ、もし早苗さんが言い出さなかったら僕のほうから言おうとおもっていたくらいですから」
 芽衣のことだ、デートについてくる、なんていいだすに違いない。
 もし断ったとしても隠れてついてくる。芽衣はそういうヤツだった。
「それによかったら本格的に予行練習するつもりですから」
「本格的に、といいますと?」
「デートいくのは明日一日だけでいいですから、明日行く場所と同じ場所にいこうと思っています。もし、早苗さんがよければですけど」
 流石に、断られるかなぁとおもった。でも早苗さんは「まあ、手が込んでいますね」といって了承してくれた。
 いい人だ、と改めて思った。



「それで、どこに行きましょうか?」
「ゲーセンに行きましょう」
 以前彼女にした女の子の一人とゲーセンにいき、一人用のゲームをやって振られたのだ。そのときの経験を生かすことにする。まぁ今日は二人で楽しめるようなゲームをするつもりだけど。明日は一人用のゲームをするつもりだ。
 そのことは早苗さんにはいわない。
「ゲームセンターですかっ、初めてです」
「え……マジですか?」
「マジです」
 今さら珍しいな、とふと思う。
「じゃ、じゃあ、いきましょうか、ゲームセンター」
「はい、いきましょう、あ……」
 そこで早苗さんが思い出したように言う。
「明日も『ゲームセンターですかっ、初めてです』っていったほうがいいでしょうか?」
「好きにしてください……」
 僕がそういうと、早苗さんはちょっと怒った顔をした。
「陽平くん、そんな邪険に彼女を扱ったら駄目ですよ」
「は、はい……」
「もう、しっかりしてくださいね♪」
 そういって、にこにこしながら、早苗さんは僕と一緒に歩き出した。



 そんなやり取りを経て、僕たちはゲームセンターにつく。
 早苗さんは、色々な場所に目をうつらせていた。
「ここがゲームセンターですか」
 感心したように早苗さんがつぶやく。
「UFOキャッチャーでもやりましょうか?」
「よくわかりませんから、陽平くんにお任せします」
 早苗さんにそういわれて、早苗さんをUFOキャッチャーのところにつれていく。
「あ、これ、テレビで見たことあります」
 そういって、早苗さんがにっこりと笑う。
「やってみます?」
「ええ……あ……」
 UFOキャッチャーの中をみていた早苗さんの目がとまる。 
 その目線の先には数年前はやっただんご大家族のぬいぐるみが置かれていた。一時期おもちゃ屋でみかけたことがあったが、まさかこんなところでみかけるとはな。
「懐かしいですね、そのぬいぐるみ」
 僕がそういうと、早苗さんがこういった。
「渚が、好きなんです」
「妹さんが?」
 僕がそういうと、早苗さんは不思議そうな顔をしてから「ええ」と答えた。
「じゃあ、頑張ってくださいね」
「でも、私に取れるでしょうか?」
 たしかに結構難易度は高そうだ。あの人形は結構大きいし、それに早苗さんは初心者だし。
「もし無理でも僕が取りますよ」
 自信はなかったが、なんとしても取ってあげたかった。
「じゃあ、その時はよろしくお願いしますねっ」
 そういって、早苗さんは500円玉をいれだんご大家族のぬいぐるみを狙う。
 しかし、やはり初めてなこともあり、それに難易度が高いこともあり、すべて、失敗してしまう。
「……やっぱり駄目でしたね」
「じゃあ、僕がやりますよ」
 そういてかっこつけるが、やはり自信がなかった。1回目、2回目、3回目と、失敗してしまう。掴みはするが、大きさのせいでバランスを上手くとることができずにすぐ落ちてしまうのだ。――やはり難易度が高い。しかし……
「あ……」
 4回目で見事だんご大家族のぬいぐるみをとることができた。



「ありがとうございますっ」
 そういって、早苗さんが喜びお礼をいい、頭を下げた。
「いえ、お礼なんていいですって、それよりも明日一日、よろしくお願いしますね」
「はいっ、わかってますよっ」
 それだけをいってその日は別れた。寮に戻ると、すでに芽衣が来ていた。
 汚かった僕の部屋がきちんと片付けてあった。
 本当によくできた妹だとおもった。
 ――だからこそ、本当に、僕のことなんて放っておいて欲しかった。





7.3年4月27日




「こんな、きれいな人なのに、おにいちゃんと……おにいちゃんと、おにいちゃんとっ……!う、ううう……、なんて不憫な……」
「どういう意味だよっ」
 わが妹ながらいうようになったものだ。まぁ妹にあきられるのが目的なんだからいい傾向かもしれないが、なんか腹がたつ。
「芽衣さん。お兄さんのこと、そんなふうに言ってはいけませんよ陽平くんにも、いいところはたくさんあります。妹さんなら、知っていますよね?」
 と思っていたら早苗さんがそういってくれた。本当にいい人だ、と思った。
「そりゃ、全然ないってわけじゃないですけど……」
「芽衣……」
 芽衣は早苗さんの言葉にうなづいた。
「そうですよね……岡崎さん」
「いや、まったくないです」
 でも岡崎は相変わらずだった。まぁ岡崎らしいといえば岡崎らしいが。
 そんなこんなでデートに出かけようとすると、岡崎に呼び止められる。
「なぁ、ここまででいいんじゃないか?」
「えっ、今からが本番だろ?」
 そう、これからが本番だ。そうしないと昨日何したのかわからない。
「ま、芽衣もついてきたそうにしてるしさ……もう一押ししといたほうがいいかと思って」
「やりすぎて、馬脚を露わさないといいけどな」
 実はそれが目的だが、もちろん、そんなこと岡崎に言えるわけがない。
 そんなやり取りを経て、最低のデートに出かける。――予定はこうだ。

 浪漫もへったくれもない定食屋に最初によって、ゲームセンターで一人用のゲームをする。
 しかもまったくかっこよくないプレイをする。

 そういう予定を組み立てていた。
 でも、早苗さんはにこにことして――まったくいやな顔一つせずについてきた。
 それどころか、定食屋にいこうとした僕に、栄養のバランスを考えないとダメですよ、といって、僕の部屋で料理をつくってくれた。
 晩御飯用のご飯もつくってくれた。
 ――信じられないくらい、この人は優しい人だった。――優しすぎる人だった。
「夜景でもみにいきましょうか」
 意地になってしまう。その笑顔を少しでも崩したくて。
「ダ、ダメっすか?」
 ダメです、といわれてよかった。でも
「ちょっとだけですよ」
 この人は受け入れてしまう。なんて、人だろう、ほんとに。
 何度思っても思い足りないくらい、この人はやさしい人だ。ほんとに。
 泣きそうになる、でも泣くわけには、いかない。
 そんなことを思いながら、ふと横をみると、男の子数人が、女の子一人を囲んではやし立てているのが見えた。
 男の子数人にかこまれた女の子は、何もできず、こわくて泣いていた。
 その光景が、昔の芽衣と重なる。――そして、あの女の子と。
 ――そして思い出したくなかったあの記憶がリフレインしそうになる。
「じゃっ、早苗さんいきましょーかっ」
 一刻もはやくこの場を離れるため、努めて明るい声を出す。でも、早苗さんはやはり気になるようだった。早苗さんの人格を考えればそれは当然のことといえた。
「あんなの放っとけばいいじゃないですか子どもは喧嘩して大きくなるっていいますしね」
 てきとーなことをいっていることはわかっていた。
 でも、はやくこの場所を離れたかった。イヤな思い出から逃げるために。
 でも、早苗さんはやっぱり早苗さんで――その子どもを助けた。
 芽衣や、岡崎も一緒に協力して。僕が「適当に警察にでも預ければいいんじゃない」とかいっても、それには耳もかさないで3人が協力してその女の子を助けた。早苗さんは最終的にはその女の子をちゃんと親の元に返してあげていた。
 ――こんなこと、早苗さん以外の誰が出来るだろうか?
「陽平くんもせっかくのデートなのにごめんなさい」
 それどころか、早苗さんは女の子について全く協力しなかった、駄目な僕へのフォローも忘れなかった。
「まぁ……別にいいですけどね」
「怒っていますか?」
 怒っているわけじゃない、怒っているわけはないんだ、ただ、なんか――。なんていうか――。
「陽平くんさえよければ、またデートしたいとおもっています」
 その言葉に耳を疑う。だって、今日で終わりでいい、そういう約束だったはずだ。
「マジっすか?」
「……はい」
 そういって早苗さんは僕の頭をなでてくれた。
「一緒にいる時間を、大切に思ってくれることはうれしいです、でも……そのときそのときでしか出来ないことも、あります。陽平くんはそれが出来る子だと信じています」
 その言葉が――胸にしみそうになる、僕はそんな人間じゃないのに、そう心の中でつぶやいた。




 その日の晩、早苗さんから電話がかかってきた。
「今日は、ありがとうございました」
 始めにお礼をあらためていう。
「いえいえ、そんな、あらたまることなんてないんですよ、わたしも久しぶりのデートで楽しめましたし、皆さんでお食事できましたしね。……そういえば今日つくった八宝菜、食べてくれました?」
「あ、はい、美味しかったです」
 昼間つくってくれたもう一品は八宝菜だった。レンジで温めて食べたら、本当に美味しかった。
「それはよかったです。――そういえば陽平くん、一つお聞きしてもいいですか?」
「え?いいですけど?」
 なんだろう、そう思いながら耳をかたむける。
「子どもが嫌いなんですか?」
 どうやら、あの子供のことがまだ引っかかっているらしい。
「いや、別にきらいってことはないですよ」
 これは本当だ。別に子供が嫌いなわけじゃない。ああいう光景をみたくなかっただけで。
「……そうですか」 
 早苗さんはそれだけをいうと「また、デートしましょうね」といって、電話を切った。



8.3年4月28日


 
 次の日、学校に行き、岡崎とあう。昨日のことを聞いてくるが、放っておいて欲しかったのでいつもどおり適当に対応すると岡崎はどこかにいってしまった。
 授業がおわり、しばらくして寮にもどったら芽衣がきた。
 もう、学校も始まっているはずなのに。
「芽衣、学校はどうしたんだよ、僕の様子をみるだけだったら、もう用事はすんだろ?さっさと帰れよ」
 わざときつめの口調でいった。
 ところが芽衣は帰りたくないようだった。
 だから僕は突き放すようにいってやった。僕のことなんて口実で、本当は、こっちの生活を体験してみたかったんだろ、って。
 でも、芽衣はうなづいた。そしていった。20代の会社員とあいたいって。しかも夜の遊びを実践したいと。
 すぐに、嘘だとわかった。芽衣はしっかりした妹だ、そんなヤツにだまされるわけは無い。
「おにいちゃんも早苗さんと大人の恋愛を楽しんでねっ」
 そういって出て行く芽衣に
「ノォォォォォォ」
 そう叫んで岡崎の前では騙されたふりをする。
 そして、早苗さんからの電話があるかもしれないから、なんて最低の理由で、僕は追わない、と宣言する。
 そうすれば岡崎のことだから追ってくれると思ったから。
 狙ったとおり岡崎が追っていく。
 きっと芽衣はそのまま落胆して、帰るだろう、それでいい、それでいいんだ――。

 ……あれ?

 気がつくと、泣いていた。なんでだろう、放っておいてくれて、それでいいはずなのに。
 その日の晩は眠れなかった。



9.4月29日




 朝、岡崎が来た。芽衣のことが気にならないのか、といわれるが、あくまで気にしていないフリをする。――大体芽衣はもう帰っているはずだし心配してもしょうがない。そしてあくまで早苗さんを気にしている僕を演じる。――もう、早苗さんから電話がかかってくることはないだろうに。あのときのアレは今思えば社交辞令だったんだろう。僕がそんなことを考えていると、岡崎はあきれたように部屋を出て行った。

「今日、暇ですか?」
 なんて思っていたら昼になって、いきなり早苗さんから電話がかかってきた。
 本当に電話がかかってくるとは思わなかった。
「暇ですよ」
 僕がそういうと、早苗さんは喜んで
「だったら、あの日の待ち合わせの公園にきてくれませんか」
 といった。


「おにいちゃん、がんばれー」
「おーっ」
 そういって、バッターボックスに入ったのはいいがおもいっきり三振する。
「もう、なんやってんだよ」
「せっかくのチャンスなのにぃ」
「はは……」
 苦笑いを浮かべるしかない。
「やっぱり、アッキーじゃないとなぁ」
「仕方ないよ、アッキー、怪我してんだから」
 そんな声を聞きながら、ベンチにもどる。
「惜しかったですね」
 そういって、早苗さんが出迎えてくれる。
 デートかとおもったら、欠員がでたから野球をやって欲しいっていうことだった。――僕だけ高校生でいいのか、と思ったがいいようだった。
 子どもの話を聞くと「アッキー」っていう人が怪我をしたらしい。なんだかんだで世話になったから僕は引き受けた。
「デートじゃなくて、ごめんなさいね」
「いえ、別にいいですよ、それにこれも見方をかえればデートですからねっ」
「まあ……」
 そんな僕の言葉に早苗さんは微笑んだ。
「それに芽衣ももう帰っちゃいましたし、デートする必要もありませんから」
 僕がそういうと早苗さんはちょっと驚いた顔をする。
「え?芽衣ちゃんならここにくる途中、みかけましたけど?」
「え?」
 ――まだ、あいつはここにいるのか?
 まぁ今日は休みだけど。
 ひょっとして、この様子もどこかでみられているのだろうか?そう思い周りをみまわすが、芽衣の姿は見当たらなかった。
 それにしても本当に芽衣はなんでまだここにいるんだ?
『おにいちゃんも早苗さんと大人の恋愛を楽しんでねっ』
 ふいによみがえる昨日の芽衣の言葉。
 まさか……本当に……。いやいや、考えすぎだろう、いくらなんでも。――芽衣はあれでしっかりした妹だから。
「陽平くん、どうしました?」
「え?いや、なんでもないですよ」
 頭の中に湧き上がった不安を振り払う。
 おそらく早苗さんの見間違いだろうし、深く考えるだけ損だろう。
 僕は早苗さんや子供と一緒に野球を楽しむことにした。




 日も暮れて試合が終わる。早苗さんの「明日もきてくれますか?」という言葉にうなづいて、僕は帰った。
 久しぶりに運動で体を動かした気がする。
 一番始めの打席で三振したものの、寝不足だったとはいえ子供相手だったのでそれからヒットを3本にホームランを1本うった。打率8割の大活躍だ。
 鼻歌交じりに寮に戻る。
 どの途中、暗闇で、一組のカップル姿がみかける。顔はよく見えないが、結構身長差のあるカップルのようで、女の子のほうがしゃがんでいる男の方のほっぺにキスしているところだった。
 こんなところで大胆だねぇ、そう思いながら横切ろうとする。
「あれ……?」
 よくみると、岡崎と芽衣、だった。余りのことに声が出ない。
「芽衣……はは……なにやってんだよ、お前、彼氏と出かけたんじゃないのか?」
 ようやく、出てきたのはそんな言葉だった。しばらくして、ようやく落ち着く。
「さっきなにやってたんだよっ」
「……おにいちゃんには関係ない」
「芽衣っ!」
「……」
 芽衣はなにもいわない。自然と矛先が岡崎に向く。
「岡崎、お前もだ、とぼけるなよっ」
 僕がそういうと、岡崎が鼻で笑うようにいった。
「お前も、鈍いヤツだな、芽衣ちゃんとなにをしていたのか、そんなのみればわかることだろ?」
 岡崎はそういったあと、芽衣が岡崎の家にずっと泊まっていたことを告げた。
 目の前が真っ暗になる。
「てめぇ……岡崎っ」
 殴りかかろうと思った。でも
「なに怒ってんだよ?お前は早苗さんとデートしてればいいだろ?」
 ……そうだった、これこそが僕が望んだことじゃなかったのか?
 芽衣にほっとかれる。僕のことなんて気にも留めなくなる。
 それに、僕なんかより岡崎と一緒にいたほうが芽衣にとってはいいだろうし……。岡崎なら芽衣を任せられるし。
 そうだ、これが僕が望んだ状況だったはずだ。
 でも――だとしたら……
「くそっくそっ」
 胸の奥から湧き上がるこの気持ちはなんなのだろう……。――もう、こんな感情なんて久しく忘れていたはずなのに。どうしてこんな感情がわいてくるのだろう。心の底からわきあがる、本気の怒り。そんな感情がどうしてわいてくるのだろう。
 それに答えるものはだれもいなくて――二人の姿はそのままみえなくなった。





10.5月1日





 今日も早苗さんと一緒に草野球をしていた。
 学校での出来事を思い出す。
 芽衣は僕がサッカー部にもどるためにがんばって、そのために、サッカー部の連中にいじめられているらしい。
 芽衣はまだ、僕を見捨てたわけじゃない、それを確認できたようでどこかほっとしている自分がいた。――そんな感情はとっくになくしたと思っていたのに。
 でも、それと同時にほっといてほしい、という気持ちも確かにある。なんなんだ、この矛盾した気持ちは。
「春原のにーちゃん、ちゃんとやってよ」
 初日こそよかったものの、草野球の成績は昨日から散々だった。全部三振で、守備ではエラーを連発する。
「はは……」
 苦笑いしか、浮かべられない。
 そして今日も、試合が終わる。

 何も考えず、帰ろうそう思っていたとき、早苗さんから声をかけられる。
「どうしたんですか?陽平くん?」
「え?」
「ずっと悩んでいるようにみえます」
「別に悩んでいるわけじゃないっすよ」
「悩んでます」
 珍しく、早苗さんがピシリ、と言い切る。
「悩みがあるなら、私にいってください、今は陽平くんの彼女なんですから」
 本当に包みこむような声で早苗さんは僕に話しかける。
 ――ああ、そうか、わかった。この人だ、僕に感情を思い出させたのは。思い出させてしまったのは。
 この人の優しさ、だったんだ。
 この人の優しさに、僕はやられたんだ。
 この人の優しさを感じたくて――僕はいつのまにか自分の中の道化の部分を捨てていったんだ。
 そんなことを考えていると、不意に抱きしめられた。
「早苗さんっ」
 流石に照れくさくて、叫んでしまう。
「甘えてください、私に――陽平くんは本当にいい子なんですから」
 今までも何度か早苗さんから聞いた言葉。それを早苗さんの胸の中できいて、心を打たれる。
 不思議と官能的な気分にはならなかった。早苗さんから感じていたのは――母性、だった。
「陽平くん、そんなにつよがったりすることないんですよ」
 その言葉で僕はないた。
 ――道化だった僕は人間へと戻った。

 そして僕は話しだした。ここ数日のことを。
 僕のことを放っておいて欲しい、そう思って、偽彼女をつくり、情けない姿をみせようとしたこと。
 でもいざ、妹が離れると寂しいと思っていること。
 そして妹が今、僕がサッカー部に戻れるよう頑張って、サッカー部の連中にいじめられていること。
 いろんな感情がごっちゃになって、もうどうしたらいいのかわからないこと。
 全て、話した。
 偽の彼女を作った理由で怒られるか、と思ったけどそういうことは全くなかった。
「どうして、ほっておいて欲しいって思うようになったんですか?」
 早苗さんにそう聞かれる。
 もう全て吐露したくなった。――もう本当に早苗さんに参っているんだな、と思った。
 僕は、話し出す。昔芽衣が僕のせいでいじめられていたこと――それを僕が助けていたこと。
 そして、この街にきたとき女の子を助けるために喧嘩をして退部処分にまでなったのに、その女の子が、行方不明になり、それが原因で僕の存在意義がわからなくなったこと。芽衣も自分がいなければいじめられなかった、そう思い絶望したこと。
 そのときの記憶がトラウマになり、3日前、あの女の子を助けなかったこと。
 早苗さんはじっと話をきいていた。
「少し、私の話をしましょうか」
 しばらくして早苗さんは話始めた。僕は黙ってその話を聞くことにする。
「昔、私は渚をほっといて、一人で夢に向かって好き勝手にやっていました。それが原因で渚が死にかけました。自分のことばっかりで、渚のことなんてまったくといっていいほど考えてなかったのです――そのせいで渚は死に掛けたんです。でもですね、陽平くん、酷い人間だと思うかもしれないですけど――余り、後悔してないんです」
「……」
 僕は相変わらずだまって早苗さんの話を聞いてた。なんていったらいいのかわからなかった。
「酷い、人間だと思いますか?――とりあえず話をつづけましょう。私は夢を追って好き勝手にやっている間、たくさんの人と知り合って、たくさんの経験を積むことが出来ました。本当に充実した日々をすごせました。だから、後悔、してないんです。なにより、ぎりぎりとはいえ、渚は助かったんですから。それでよかったんです、きっと。こんなことをいうと渚に怒られるかもしれませんけどね。陽平くん、陽平くんも同じですよ」
「え?」
「陽平くんは芽衣ちゃんがいじめられるたびに助けていたんですよね?それを、陽平くんはそれを好きでやっていた。芽衣ちゃんにとってはそれでよかったんだと思いますよ」
「でも、僕がいなければいじめられることはなかったんですよ?」
「それでも、です、では聞きますけど、芽衣ちゃんは一度でも、いじめられたことに対して文句をいいましたか?」
 そういわれ、思いだす、確かに一度も文句を言われたことはない。
「ない……です」
「だったら、それでいいんですよ、本当に」
 本当にそれでいいのだろうか?だって、理由をつくっているのは僕なのに。
「それでいいんです」
 僕の心情を察したのか、もう一度、早苗さんはそう言った。
「大切なのは自分を含めて――人がどう感じるか、なんだと私は思います。自分が満足できて、他人が満足できれば、それは、もうきっとすばらしいことなんだと思います。――陽平くんは難しく考えすぎなんです、人に価値がないなんてことはないんです、陽平くんが助けた女の子が行方不明になったのは残念ですけど、でも助けた瞬間にはきっと意味があることだったんです。それに行方不明なだけなんですからひょっとしたらもう、戻っているかもしれません。これは勝手な私の推測にしか過ぎませんけどどこかで元気にやっているかもしれません」
 そういえば、あれからどうなったのかは聞いていない。ひょっとしたら本当にどこかで元気にやっているかもしれない。


「陽平くん」
 しばらくしてから、早苗さんは告げた。
「偽彼女はもう、終わりですよ」
「……はい」
 僕はうなづいた。
「私のことなんて気にせず好きにやってください。今陽平くんがやりたいことはなんですか?」
 今、僕がやりたいことは――
「芽衣を助けたいです」
「……ようやく、答えを出せましたね」
 そういって早苗さんは満面の笑みを浮かべた。

 ――本当にこの人はすごい人だと思った。
 できることなら――そう、本当に出来ることなら、この人と本当に付き合いたいと思った。
 でも、それを告げるのは今じゃない。
 今一番やるべきことは――。
「早苗さん、本当にありがとうございましたっ」
 そういって、僕は学校に駆け出した。





11.エピローグ





「はぁはぁはぁ……」
 空を見上げた。かけねなしに真っ暗だ。
 今、僕が全力で走っても、あいつは、もう学校にはいないかもしれない。
 とっくにもう、どこかに行っているのかもしれない。
 もしくは僕がいなくても、解決してしまって、僕は邪魔なだけかもしれない。
 でも、僕は信じたい、まだ、手遅れじゃない、と。僕は邪魔な存在じゃない、と。
 その可能性に賭けたかった。だから僕は向かう、学校に。芽衣を助けたい、その一心で。
 ようやく学校に着く。
 芽衣はまだいた、そして、サッカー部の連中にいじめられていた。岡崎はただ、それを見ているだけだった。
 何してんだよ、岡崎……。そう思ったが――次の瞬間には僕は飛び膝蹴りをサッカー部の連中にくらわせ、叫んでいた。
「芽衣をいじめるなーーーーーーーーーーーーーーーーっ」
 いつの間にか岡崎も加わって思いっきり喧嘩していた。
 サッカー部との連中のことでおぼえているのはそれだけで、勝ったか、負けたかもわからず、グラウンドに横たわる。

 その後、岡崎とも思いっきり喧嘩した。「おにいちゃんなんだからしっかりしないと駄目だろ」そういわれ、岡崎は殴りかかってくる。そういわれればそのとおりだが、少しとはいえ、こいつに芽衣をまかせてもいいとおもったのに、こいつは芽衣を助けようとせずみていただけだったから、僕も岡崎を殴った。お互いにお互いを殴りまくった。岡崎とこんなに喧嘩したのは初めてだった。
「ひっひっ、う……喧嘩しないでください」
 芽衣の制止の声をきいてようやく喧嘩が終わる。
「おにいちゃんっ」
 そしてそういって、芽衣がだきついて来る。
 僕は芽衣を抱きしめた。
 久しぶりに抱きしめる芽衣の体。
 そうだ、僕はこれが欲しかったんだ、この妹としてのこいつのぬくもりを。
 ――いらないなんて嘘だったんだ。始めから素直になればよかったんだ。


 次の日、芽衣が家に帰った。
 満足そうにして帰っていった。
 これで、よかったんだよな、これが本当に僕が望んでいた結末だったんだな、とぼんやり思った。
 その日の晩、岡崎と久しぶりに過去の話をした。
 岡崎と出会ったときのこと。
 本当にこいつと友達でよかった、と思いながら話をした。







 そして、怪我も治った頃。
 僕は早苗さんに告白するため岡崎と一緒に古河パンに向かう。その途中、一組のカップルとすれ違う。
 一人は、大学生っぽい外見でもう一人は――
「ここが、すんでた、たまがすんでたまちだよ」
「ふーん、ここがたまちゃんのすんでた街か」
 あの、女の子だった。
 あれから二年たっているが、間違いないと思った。相手は僕に気づかない。それでもよかった。
 ただ、無事な姿をみられただけで――よかった。
「どうしたんだ?春原」
「いや、なんでもないよ」
「やっぱり緊張してきたのか」
 岡崎がからかう。いつもどおりのやり取りだった。
 そして、目的地にたどりつく。
 100パーセントに近い確率で振られると思った。
 でもそれでもよかった。僕と早苗さんはあまりにもつりあわなかったし、自分の気持ちに正直になりたいとそう思えたから。
 そのことを、早苗さんは教えてくれたから。
 僕が本当に早苗さんを好きだったことを伝えたかった。

















 このあと僕は衝撃の事実をしるわけだが――その辺の詳しい話は割愛させていただくことにする。
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