じりりりりりりん

 けたたましいベルの音。
 まどろむなか、強引に覚醒させられそうになる意識で文句を呟きつつ重いまぶたを開ける。
「知らない天井だ……」
見慣れない景色に思わず呟く。
 少しづつ働き始める頭と共に鼻孔には柔らかい甘い香り。
 結構、馴れた匂いだ。
「……あれ? 俺、昨日泊まったっけ?」
 起きあがり枕元の目覚まし時計を叩いて止めながら、辺りを見回す。
 間違いなく俺もわりと良く知る部屋。
 昨日の夜の事は良く思い出せないが、どうやらしっかりと外泊をしていたらしい。
 だが、部屋の主の姿は見えない。
「珍しいな……あいつが早起きなんて」
 ぼりぼりと頭を掻きながら、眠気でだるい体を引きずり部屋から出る。
 廊下をふらふらと歩いて、階段をだらだらと下りて、すぐそこにあるリビングへの扉を開ける。
「おはようございます」
 リビングには予想通りの笑顔と挨拶。
 だけど、あいつの姿は見あたらない 
「おはようございます。あれ? 一人ですか?」
「うん、そうだけど?」
 俺の質問に不思議そうな顔をされる。
 という事は、トイレにでも入っていて行き違いになったのかもしれない。
「どうしたの? お父さんかお母さんなら昨日もかえってないよ? 二人に用でもあった?」
「ええっと?」
 不思議な質問をされる。
 その二人が滅多に帰ってこない事は俺も良く知っている。
 その為、俺も一度か二度ぐらいしか会った事がない。
 そんなんで、用なんて出来るわけもないんだけど……。
「……?」
 向こうも俺の表情を見て不思議そうな顔で見返してくる。
 しばし、お互い疑問符を漂わせながら見つめ合う形になる。
「……もう。朝から変なふぅちゃん」
 結局、向こうが先に表情を崩して、苦笑する。
「それより、早く顔を洗ってきてください。おねぇちゃんその間に朝ご飯の用意をするからね」
「あ、はい」
 少し感じた違和感に疑問を感じつつ、促されるままリビングを出ると洗面所に向かう。
 ドアを開けようとして、アイツがなにかに使っている可能性にふと気付く。
 まぁ、こんこんこんっと一応ノックして、返事が無い事を確かめると、ドアを開ける。
 だれもいない。
 やっぱトイレか。
 そんな事を考えながら水道のコックを捻る。
 蛇口から勢いよく出る冷たい水に手を少しかじかませながらひとすくいすると、一気に顔に浴びせる。
「っぷはぁ」
 冬の冷水は刺激が強すぎるが、その分ばっちり目が覚める。
 きゅっと引き締まった意識を感じながら、タオルを手に取り顔を拭くと顔あげ鏡を見る。
 そこには鏡越しにこちらを見つめる女の子。
「なんだ、いるんなら声ぐらいかけろよ」
 そう言って振り向くが姿が見えない。
「……あれ?」
 左右を見渡しても、その姿は見えない。
 ……別に寝ぼけたってわけじゃないよな。
 そんな事を考えながら、鏡の方に向き直る。
 そこにはやっぱり鏡越しにこちらを見つめる女の子。
「うん? やっぱり寝ぼけてたのか」
 そう言いながら再び振り向こうとしてふと気付いてしまった。
 俺の姿が映っていない事に……。
「……いてっ」
 とりあえず、ほっぺたをつねってみるとあり得ないほどやわらかい割に痛かった。





どき☆どき すぱーきんぐぱっしょん







バァンッ

 壊しそうな勢いで俺の部屋の扉をぶち開ける。
 鏡を見てから俺は、速攻で風子の家を飛び出した。
 そして伊吹家のすぐ近くにある、現在俺が一人暮らしをしている安アパートへと駆け込む。
 狭い畳張りの室内に入ると、布団の上にはぐーすかと寝ている『俺』。
 いや、ぎゅーっと布団に抱きついているところからみてあいつに間違いない。
 寝るとき何かを抱きしめるのはあいつの癖だ。
「こら、暢気に寝てないで起きろっ!」
胸ぐらを掴むとがくがくと揺する。
 少々乱暴な気もするが、どうせ俺の体だ。
 流石に耐えきれなかったのだろう、うっすらと目を開ける。
 そして、俺の姿をみつめると、
「岡崎さん、おはようです……」
「風子っ! お前反応はそれだけか!? この異常事態にっ! ってまた寝るんじゃねぇーっ!」
 頭をがくんと後ろに倒し再び眠りの世界へ勝手に突入している俺……というか風子をもう一度揺り起こす。
 すると、なんとか意識が覚醒したらしい風子はゆっくりと起きあがった。
 そして、まぶたをこすりながら暢気に文句を言ってくる。
「朝から、そんなに揺すられると地震と間違えちゃいそうです」
「いや、そんな奴はいないだろ……ってそんな事はどうでも良いんだよっ!」
 こいつにはこのあからさまな異常事態に対する認識がないんだろうか?
 自分が目の前にいるってだけで普通ならわかりそうなもんだが……。
 風子の非常識さに少しくらくらしながら、溜息を一つ。
 そのおかげか多少落ち着いたおれはゆっくりと風子に問いかける。
「俺の姿を見てなにか疑問に思わないか?」
 俺の言葉で、じっとこちらを風子は眺め、口を開く。
「その格好でここまで来たんですか?」
 そう言われて、自分の体(いや、風子の体だけど)を見てみる。
 色々な海洋生物が書かれたパジャマ姿だった。
 そういや、着替えもせずにここまで来たっけ……。
「そんな姿ご近所に見られたら恥ずかしいです。他人の体だからといってももう少し気を使ってくださいっ。デリカシーに欠けています」
「あ、悪い……」
「大体、ご近所の噂になったらどするんですかっ。あの子はパジャマが私服なのよなんて言われたくないです」
「いや、流石にそれは無いだろ」
「そんな事無いです。きっと明日の朝にはご近所中のパジャマがポストに投函されてしまったりするに違いありませんっ」
「つーか、それ、どんな近所だよ……」
 ……あんまり伊吹家の近所の人間とは会った事は無いがそんな人達だったか?
「ってか、問題はそこじゃないだろうが! お前は他に変に思う場所は無いのか!?」
「……?」
 心底、不思議そうな顔をしてこちらを見てくる風子。
 もともと、ぶっとんでる奴だがここまでとは思わなかった。
 もう少し、常識と非常識の判断ぐらいつくと思っていたんだけどな……。
 俺はまた一つ諦めに似た溜息をつくと改めて風子に向き直り、現状を説明してやる。
「俺がお前でお前が俺だろうが」
「えっとナゾナゾですか? 風子、実は大得意ですっ。なぞなぞ博士とよんでください」
「いや、呼ばないからさ。ってか、そうじゃなくて、お前の目の前に俺じゃなくて風子がいるだろ?」
「風子は風子だけですっ。他にいないですよ。大体、目の前にいるのは岡崎さんです」
「確かにそうなんだが。もっとこう……見た目の話だ。自分と同じ姿が目の前にある事になんの疑問も感じないのか、お前は?」
「知らないんですか? 世界に似た人は三人もいるらしいです。こんな豊富な知識を持つ風子の事をものしり博士と呼んでも良いですよ」
「だから呼ばないって、というかさっきはなぞなぞ博士といってただろうが」
「大人の女はいくつもの顔を持つ物らしいです」
「いや、大人の女も流石になぞなぞ博士やものしり博士博士なんて顔はもってないと思うぞ」
「そうなんですか……大人の女というのは奥が深いです」
「まぁ、まだまだ子供なおまえには理解出来ないだろうさ」
「そんな事ありませんっ。風子、今でも十分大人ですっ」
「ってちがーーーーーーーーうっ!」
「違いませんっ。大体、岡崎さんだってその事は良く知っている筈です」
「いや、だからそうじゃなくて……あーくそっ、話が噛み合わない」
「全く……わけのわからない岡崎さんです」
「わけがわからんのはおまえだーっ!」
 普段は割と楽しいのだが、こういう非常時の風子への対応は精神的に疲れる……。
 というか頭痛くなってきた……。
 いったん、冷静になるために深呼吸をして頭を冷やす。
 そうして、どうすれば風子にこの異常事態を分からせてやれるのか考えてみる。
 ……そして、ふとおかしな事に気付く。
「なぁ、風子」
「なんでしょうか?」
 また、わけのわからない事を言い始めるよこの人という眼差しを向けてくる風子。
 なんで俺がそんな目で見られないとならないのだろうか……。
「今の俺は、風子の姿をしてる筈なのになんで俺って分かった?」
「……?」
 再び、心底不思議そうな顔で見つめられる。
「風子だって、今岡崎さんの姿をしていますから別におかしくないと思いますが?」
 そして、さも当然の事だといわんばかりに、偉そうに答える。
「そうじゃなくて、今まで寝ていたお前がなんでそれを理解してるのかって事だ」
 少なくとも昨日の夜はこんな状態じゃなかった筈だ。
 俺だって顔を洗うとき鏡を見てやっと気付いたぐらいだし。
 さっきまで爆睡していたこいつが理解しているなんてあり得ない筈なんだが……。
「……?」
 三度、不思議そうな顔。
 そして、
「自分でした事なのに、それを忘れるなんてしません。風子、まだぼけてないです」
 爆弾を落として炸裂させんばかりの発言をのたまってくれた。





「……とりあえず、詳しい話を聞こうか?」
 あれから、しばらく。
 なんとか平静を取り戻した俺は、部屋を片付けると(風子がお腹が空きました…とうるさかったので)朝ご飯を用意して風子と差し向かいに対峙していた。
 目玉焼きをうれしそうにつついていた風子は俺の言葉になんのことでしたっけ? という顔を向ける。
「なんで、こんな、状況を、起こしたか? って、事、だ!」
 自分でも顔が引きつるのが分かりながら、つとめて冷静に感情を押し殺して言葉を返す。
「ああ、その事ですが……」
 風子は一人納得するようにうんうん頷くと、あっけらかんと答える。
「風子、一度岡崎さんになってみたかったんです」
 それは、腹が立つくらい単純な理由。
「……で、実行したのか?」
「はい」
 そして、即答。
 つーか、実際今の状況がまさにそれだしな。
 そもそも、
「なりたかったからで、なんでそれを実行出来るんだよ……」
 思わず頭を抱える。
「夢は叶えるものらしいですから」
「叶えちゃだめな夢もあるだろ……」
 というか、こいつはホントになんでも自分にとって都合の良い言葉にかえちまうな……。
「大体おまえ、どうやって不可能を可能にしたんだ?」
「不可能って、なにがですか?」
「どうやって体と心を入れ替えたかって事だ」
「別に普通にちょちょいって感じにですよ?」
「……おい、ちょっと待て。……もう一度聞いてもいいか?」
「はい、どうぞ」
「どうやって体と心を入れ替えたんだ?」
「だから、普通にちょちょいっと入れ替えました」
「おいっ! お前はそんな簡単に他人と自分の体と心を入れ変えられるのかよっ!?」
「たまに、うっかり入れ替わっちゃう事もありますよ」
「ま、待て……。それはあまりに衝撃的すぎるぞ……。おまえはそんな簡単に他人と入れ替わったりするのか?」
「とりあえずは」
「とりあえずってそんな適当にすんのかよっ!? つーか、そんな人間がいるなんて初めて聞くぞ……。それじゃ、お前だけじゃなくて他に出来る奴がいたりするのか?」
「とりあえずは」
「っているのかよっ!? 俺は今までの人生でこんな経験は初めてだぞ……。お前の所為で非常識が常識になってしまいそうだ……。これは悪い夢とかじゃないんだよな……」
「とりあえずは」
「ああ、くそ……もうなんだかよく分からんがショックだ……」
 なんだか非常識な展開の上に非常識な奴という非常識の連続になにが正しいのか分からなくなってきそうだった。
 というかなんかもう全ての事に挫けそうだ……。
 そんな俺に風子は不思議そうに聞いてくる。
「そもそも、なんでそんな事を聞くんでしょうか?」
「いや、もうわけがわからんし、頼むから入れ替わる方法を教えてくれ」
 それさえ分かれば、こんな異常な状況からはさっさとおさらば出来る。
「はぁ、でもそこは特に重要な部分ではないと思うんですが」
「今の俺にとっては死ぬほど重要なんだよ……」
 もう、泣きそうになってくる……。
 一体、俺がなにをしたんだろうか?
「分かりました。教えてもいいですけど、その前にお願いがあるんですがいいですか?」
「ん? なんだ? とりあえずさっさと教えてくれるなら聞いてやるぞ」
 戻る為だし、まぁ、こいつのお願いってのもいつもの事だしな。
 俺の言葉に風子は少し照れたように、言葉を言いよどむ。
 ふだんなら風子の珍しい姿に、心がくすぐられたりするんだろうが……俺の姿というのが気色悪くて仕方がない。
 とりあえず、若干ブルーな気持ちになりながらさっさと言えと促す。
 それにより、風子は決心したようにしゃきっとした顔を作ると、それに似合わないようなおずおずとした声で小さく言った。
「あの……だっこさせてください」
「……はぁ!?」
 何を言い出すんだろうかと身構えていたのにあまりの言葉に思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「ずっと前から一度、岡崎さんの姿で、自分をだっこしてみたかったんです」
「えーっと、なんで?」
 思わず聞いてしまう。
 だが、風子は照れるばかりで答えようとはしない。
 そして、珍しいほど遠慮がちにもう一度聞いてくる。
「岡崎さん……駄目でしょうか?」
 こちらをじーと見つめてくる風子。
 きっと普段の状況なら上目遣いに違いない。
 現状では俺の方が小さい為、見下すような感じなのがアレだけどな。
 でも、まぁ、仕方がない、
「はぁ……まぁ、いいよ。別にたいしたことでもないしな」
 溜息を吐きながら許可を出す。
 最近、自分でも痛いほど自覚しているが、俺は風子に甘いからな……。
 そんな風に自分に言い訳をしておくとやるならさっさとやれと風子を促す。
「では、ふつつか者ですがお願いします」
 なにか誤解をしてそうな事を言いながら風子は俺に覆い被さるように手を回してくる。
 実際に自分よりでかい男が迫ってくるなんて初めての経験に思わず逃げ出しそうになる。
 ぶっちゃけ、凄まじい威圧感があって怖い。
 だが、許可を出した以上なんとか堪えて身を任せる。
 ぎゅーっと少し強く抱きしめられるのが微妙に痛くて思わず顔をしかめる。
 心臓は怖さのあまりばくばくなりっぱなしでさっさと解放して欲しい気持ちでいっぱいだった。
「岡崎さんドキドキしてますね……」
 耳元で低い声。
 風子が出している俺の声だと分かってるが、知らない男に言われているようで総毛立ちそうだった。
 というか、ドキドキなんてかわいいもんじゃないし。
「うーん」
 なんとか我慢し続けている俺の耳に、不満そうな声が届く。
「思ってた感じと違います。岡崎さんがドキドキしてますし、条件は満たしてる筈なのですが……」
 そう言いながら束縛から解放される。
 おれは、安堵のあまりその場にへたり込んでしまう。
 男に抱きしめられるなんて二度と経験したくないな……。
 そんな事を思いつつも、情けない姿を見せるのは癪なので、見栄を張って軽口を叩くように風子に疑問をぶつける。
「なにが違うんだ?」
「いえ、もっとふわふわで幸せな感じだと思ってたんですが……」
 なんだか抽象的で、いまいち分からない。
「なんか全体的に小さくてサイズが物足りないです」
「……自分の体に文句を言うなよ」
 相変わらずの風子らしい物言いにどこか安心して思わず笑ってしまう。
「で、まんぞくしたならさっさと元に戻してくれ」
「はい……」
 風子はなんだかひどく気落ちしていたが、俺はさっさとこの異常な状況から逃れたかった。
「じゃ、戻りましょうか」
「ああ、さっさとしてくれ」
「わかりました」
 そいうと、風子は俺の肩を掴んでくる。
 再び先程の恐怖が蘇り、思わず逃げ腰になるが座り込んでいるので逃げようがない。
「じゃ、いきますね」
 そういって、俺の顔をじっくりと見つめてくる風子。
「ま、まさか……」
 流石に、それは嫌だ。
 今の俺は風子の体に入っているし、向こうも俺の体だ。
 だから、傍目には異常には見えないだろうが、男相手にこれ以上なんて死んでも嫌だ。
「や、やめろっ!」
「暴れないでくださいっ」
 ふりほどこうと暴れる俺だったが、強い力でがっしりと固定されてしまう。
 力の差というものがこれほどあるとは思わなかった。
 抵抗を奪われた俺に、迫り来る顔。
 ゆっくりとゆっくりと……ってちょっとまてやけにはや……ゴンッ
 脳を揺さぶる感覚と共に思わず閉じたまぶたの裏に火花が散る。
 それと共に俺の意識は白くはじけ飛んでいった。





「ったく。なんであんな方法で人間が入れ替わるんだ?」
 まだ、ガンガン痛む頭に閉口しながら風子に尋ねる。
 今、俺たちは風子の頭突きでなんとか元の体に戻っていた。
 その所為で、頭が痛むのだが、まぁ、男に唇を奪われるって展開よりはマシだったと思うと特に腹が立ったりはしなかった。
「よく分かりませんが昔からそう言う例はいくつもありますが」
 そういって少し古めの漫画本を渡される。
 中を見てみると、男女が入れ替わってどたばたと言った感じのラブコメ漫画だった。
 こいつがさっき言ってた他にも入れ替われる人間がいるって言ってたのはこのことか……。
「いや、こんなの漫画の世界だけだろうが」
 といっても実際に俺は経験してしまったが。
「多分、人によって魂とか心とか抜けやすかったりするんだと思います」
「そんなほいほい魂とか心とか抜け落ちるわけないだろ……」
 本当にそんな風なら、世の中に生き霊とかでも出てくるとでも言うのだろうか?
 馬鹿馬鹿しい。
 俺が19年間生きてきた記憶の中にそんな人間と出会った記憶なんて存在し無いしな。
「で、抜け出やすい人間だと入れ替われるってか?」
「はい。完璧な理論です」
「どこがだ……」
 まぁ、風子がそう信じているならあえて否定する必要もないだろう。
 俺だってなんでかって説明が出来るわけないし
「ともかく、こんな漫画みたいな事を試してみたいからって巻き込まれるのは二度と御免だからな。頼むから他でやってくれ」
「いえ、漫画みたいな事がしたかったわけじゃないです……」
 意外な反応。
 少ししょんぼりした様子の風子。
「じゃ、なにがしたかったんだ?」
「岡崎さんは何時も幸せそうでずるいです……」
「……はぁ!?」
 全く要領を得ない。
「何時も風子をだっこするときとても幸せそうな顔をしてます。きっとほわほわな感じだと思ったんです。ですから一度ぐらい風子もその幸せを味わってみたかったんです」
「……俺、そんなに幸せそうな顔してるのか?」
「はい、すっごく」
 即答された。
 どうやら風子にはそう見えているらしい。
 ……というか、確かに風子を抱きしめているとき幸せを感じていないわけでもなかったりする。
「なんだか、岡崎さんばかりずるいです」
「いや、そんな事言われても」
「風子は何時も汗くさかったり、痛かったりして我慢してるのに不公平です」
「……いや、悪い」
 さっきの恐怖が頭をよぎる。
 確かに、俺ですらああだったのだ。
 風子からすれば、相当な苦痛だったに違いない。
「ですから、それにドキドキしてる風子は負けてる気がします……。なんで岡崎さんばっかり和んでるんですかっ!?」
「……えーと」
 ぽりぽりと熱くなった頬を掻く。
 つーか、我慢って苦痛だからって事じゃないのかよ。
 風子の感じ方に意外さを感じつつも、別にいやがられてはいない事に少々の安堵とうれしさを感じる。
「まぁ、別に俺だってドキドキしないわけじゃないさ」
「岡崎さん、さらっと嘘ついてます」
「いや、ホントだって」
 そう、別に風子を抱きしめるときドキドキしないわけではない。
「たださ、それ以上にお前を抱きしめるとなんか安心するんだよ」
 ただ、それは鼓動が早くなるようなものじゃなくて、ただただ心が高ぶるような感覚。
「わかるだろ? なんというかこうお前が何処でもないここと言う場所に確かに存在するって感じがしてさ」
 そういってそっと風子を抱きしめる。
 すっぽりと俺の腕の中に収まる、この小さくて柔らかくて……それでも確かにここにいるというしっかりとした、存在感。
 このドキドキとして安心して離したくなくて、そして何も他に求める物がなくなってしまう……この、かけがえのない感覚をなんていうのかは知らないが、ただ確かにここに存在する事をおれは何時も感じている。
 おずおずと手を回して、そしてがっしりと俺を抱き返す腕。
 きっと今、こいつだって感じてるに違いないと思う。
「……な? わかるだろ?」
 ぎゅーっと更に強く締められる。
 しばし、そのまま時が流れる。
 そして、どちらともなくゆっくりと離れる。
「やっぱり、分かんないです……」
 難しそうな顔をして風子はそう言う。
「そっか」
 俺は少し拍子抜けしたが、でも、まぁ、多分こういうのは言葉では一生伝えられないものだと思う。
「でも、何時もよりちょっとドキドキしました」
 だから、こいつも感じていると信じるだけ。
 多分、それだけで良いんだと思う。
「ヤドカリを拾ったつもりが中から巻き貝の本体が出てきたときよりドキドキしました」
「いや、その表現はどうかと思うぞ」
 思わず相変わらずな風子らしさに苦笑しながらも、もう一度そっと抱き寄せる。
 再びぎゅっとまわされる小さな腕。
「でも、一つだけわかりました」
「ん?」
「入れ替わるのはもうこりごりです」
 そういって、力一杯ぎゅーっと抱きしめられる。
「このどかっとした質感は風子が風子で岡崎さんが岡崎さんじゃないと味わえないですから」
「まあな」
「それに……」
 風子は少し、寂しそうに言葉をもらす。
「入れ替わってると、岡崎さんの姿が何処にも見あたらないです……」
 そして、もう一度ぎゅーっと抱きしめられる。
 このドキドキとして安心して離したくなくて、そして何も他に求める物がなくなってしまう感覚。
「なぁ、風子」
「なんでしょうか?」
 ……この、かけがえのない感覚をなんていうのかは知らない。
「お前、いま結構幸せだろ?」
「そうですね……ふわふわする感じはしませんけど」
 ただ確かにここに存在していて、
「結構、幸せです」
 俺は何時だってそれを感じている……。








「ところでヒトデの頭って何処なのでしょうか?」
「お前、実は全然懲りてないのな」
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