boyfriend
雨が降る日の帰り道、坂の途中で彼を見つけた。少し前まで、いつも私が追いかけていたその背中。高く構えた傘のせいで、高い背が一層高く感じる。
と同時に、あれ?と思った。どうして背中が1つだけなんだろう?
気付いたら、私は自分から声をかけていた。
傘がくるっと回るのと同時に彼は横顔で振り向いた。私の姿を確認して、退屈そうな顔がほっと緩む。
私はそれで嬉しくなる。私の存在を、彼はちょっとでも喜んでくれているから。
こんにちは。これから帰るところですか?当たり前のような会話だけど、こうやって交わしたのは久しぶりかもしれない。
せっかくの土曜の午後なのに、空には秋雨前線が停滞中。外を歩く気にもならない。どうせ今日もバカのところで時間を潰すだけだ…。
そうつまらなそうにぼやく彼。
…お姉ちゃんは?知らないフリして私は尋ねた。
口ごもる彼。
今朝の光景を思い出す。雨の日なのに、不思議なくらいにはしゃいでたお姉ちゃん。何も聞かなくても私には分かる。だって、いっつもそうだから。
デートの日の朝には、ね。
…急に委員会の仕事が入ったんだとよ。
大きく見えた彼の姿が、今度は急に小さくなる。
ぶっきらぼうにそう言うけど、落ち込んでるのはすぐわかる。全然隠し切れてない。
お姉ちゃんは幸せだな。こんなに好かれているなんて。
でも、その分彼は可哀想。愛されてるって罪なことだね、なんて。
その時、私はピンと閃いた。悪戯心が胸をくすぐる。
じゃあ、今日の午後は暇なんですか?
ああ、暇だよ。お前の姉貴のおかげでな。
それなら、私に付き合ってくれませんか?
2つの傘が並んで歩く。私の肩のすぐ横には、傘を握る彼の右手が。この距離感が懐かしい。
2つの傘だとくっつきそう、でも1つの傘には収まらない。それが2人の今の関係。
彼は文句を言ったけど、結局一緒に来てくれた。
…買いたいものがあるんです。一緒に見に来てくれません?
それってつまりはデートじゃないか?何で今更そんなこと。
だって、その方が楽しいでしょう?私がお姉ちゃんの代わりになってあげます!
見つかりゃお前の姉貴に殺される。そんな危険をなぜ侵さなくちゃならないんだ…。
それでも最後はわがままを聞いてくれる、そんな彼の優しさが好き。それは今でも変わらない。
彼は妙に緊張していた。たまに手と足が一緒に出る。周りもきょろきょろ気にしてる。おかしいな、前はこんなじゃ無かったよ。私が恋人だった頃は。今の私は友達なのに。私とデートが久しぶりだから?それともそんなにお姉ちゃんが怖い?
お姉ちゃんとはどうなんですか…?答えが分かっていても聞いてみる私。
まあ、うまくやってるよ。相変わらず口は悪いけど。毎日弁当作ってきてるんだぜ―。
照れと言い訳を繰り返しながら、彼はしばらく喋り続ける。彼女のことを喋るときは、彼はとっても幸せそう。雨の中でも輝いていた。それがちょっぴり羨ましい。
そして、最後にこう付け加えた。
…それも、お前のおかげだよ。
私の…おかげ?
そしてそのまま口ごもる。
ううん、それは違います。私は何も関係ない。ただ、背中を押しただけ。2人がお互い惹かれ合ったから、だから今の2人があるんだよ。
それとも、私に気を使ってるの?だったらそれも大間違い。あなたが守るのは私じゃない。私は泣かされたっていい。でもお姉ちゃんだけは泣かさないで。それがあなたの役目だから。もしもお姉ちゃんを泣かせたら、その時は私だって怒るんだから。
私はあなたが好きだったけど。今でもあなたを好きだけど。だからこそ、ちゃんと自分の幸せを貫いて。
…そう言いたかったけど、言わなかった。だって、いつかは自分で気付けるよね?1人じゃ無理でも、お姉ちゃんとなら気付けるよね?
…お前の方は、どうなんだ?
今度は私が聞かれる番。
私も、今は幸せです。
それだけ答えて私は笑った。もうすぐあなたも分かるはず。
いつもよく行くアクセサリー屋。彼と一緒に来た日もあった。プレゼントだって買って貰ったっけ。そんな思い出が私の頭の中を駆け巡る。彼も思い出しているのかな?
私がペンダントを選んでいる間、彼も隣でブローチやイヤリングを眺めていた。おかしいな、あの頃の彼は、私たちが宝石の前ではしゃいでるのをただ後ろから見てただけだったのに。
あ、そうか。彼も今は考えているんだ。どの宝石が彼女に似合うのか。
私のときは考えてくれなかったのに。それがちょっぴり悔しいかも。
朋也くん!
大きな声で名前を呼ぶ。びっくりして振り向く彼。私のことを忘れちゃダメだよ?今は私とデート中なんだから。
どれがいいと思いますか?ショーケースを指して、私は彼に聞いてみた。彼は困ったように頭を掻いている。仕方ないから、今度は順番に着けてみせる。それでも答えはなかなか返ってこない。
どれも似合ってるんじゃないか…。
しばらくして彼はそう言った。私は頬を膨らませる。そんな答えじゃダメですよ。ちゃんと選んで欲しいんです。私に似合う、たった1つを。
それに…それは私が買うんだから。2つも3つも買えないよ。
今のあなたは、私に贈ってはくれないでしょ?
悩んだ末に、彼は1つに選んで決めた。薄紫にキラリと輝く綺麗な石。
それを着けた鏡の中の私は、なぜかどこかで見覚えがあった。どうしてだろう。私は記憶を思い巡らす。
あっ、分かった。もう1人の私が着けてたんだ。これとよく似たペンダントを。
そうだよね、あなたが選んだものだもの。あなたが一番好きなのは、これを着けたもう1人の私。また、ちょっとだけ悔しくなる。
でも、お揃いってのも悪くないと思う。双子なんだし、お姉ちゃんに似合うならきっと私にも似合うよね。
ありがとうございます、と私は笑った。彼の顔が少し赤くなる。照れを隠そうとしても隠し切れない、そんな反応がちょっと可愛い。
包みますか、と聞かれて私は首を振る。今から着けていきますから。お金を払った後、もう一度彼に聞き直す。似合ってますか?
ああ、すごく似合ってるよ。今度は落ち着いてそう言う彼。でもごめんなさい、今私が着けたのは、あなたに見せるためじゃないんです。
駅の近くのゲームセンター。入りませんか?と私は誘う。
彼も何のことかはすぐ分かったようだった。
入り口横の占いマシーン。そこに2人は腰掛ける。
コインを入れると、戸惑うことなく慣れた手つきで名前を入れていく彼。私と付き合っていたときの名残。それがちゃんと残ってて、それが私は嬉しかった。
私も自分の名前や生年月日を入れる。ボタンを押して占い開始。最初の質問が出てくる。
あなたたちの関係は何ですか?
彼より先に、私がカーソルを動かしていた。
友達。
でしょ?あ、ああ。何か戸惑っている様子の彼。一体何を気にしてるの?
私とあなたは、友達。かつては違ったこともあったけど。でも、今の私はこの関係が好き。だからこうしてデートしている。そうでしょ?違う?
もしも、恋人、なんか選んでたら、その時はお姉ちゃんに言いつけちゃいますよ?
水晶の上に手を重ね、星々が舞う光景を見つめ続けて、最後に出てくる答えの文章。2人で画面を覗き込む。
今週のあなたたちは、よりお互いのことが見えてくるときです。いつもより一歩踏み込んでいけば、新しい側面と新しい関係を見つけることができるかも…。
あれ、ちょっと困ったな。こんな結果が出るなんて。隣の彼も苦笑い。新しい関係が見つけられるって。どうしよう。これってもう一度付き合えってこと?
でも、私が欲しかったのは、「友達」としての道しるべ。もう「恋人」なんて目指してないもの。だったら、これはすごくいい結果。もっと仲良くなれるって。ずっと友達でいられるって。
あの日、私は思いました。楽しいことも悲しいことも、たくさん2人で感じてきた。そんな素敵な思い出を、一緒に笑って思い返せる、そんな未来を私は願う。だから、どうかいつまでも、あなたと友達で居させて下さい。
…そんな想いが通じたのかな?
結果の紙を私は受け取る。これが綴じられるのは、他とは違うバインダー。まだちゃんととってある。最初の予定と違って全然埋まってないけど、今日こうやって1枚増えた。次はいつ増えるのかな。いつかは全部埋まるのかな。
駅前の広場で立ち止まる。雨はいつしか止んでいて、傘に姿が隠れることも無い。
眩しい陽射しに照らされていて、私も彼も、お互いすぐに気が付いた。
椋さん!
大好きな人から名前を呼ばれる。
ごめんなさい、待ちました?ううん、今来たばっかだよー。お決まりの台詞を交わす私たち。憧れていた光景が、今まさにここにある。
ん、と彼が私の後ろを見る。そこにいるのは、あっけにとられた表情の朋也くん。
その時、ようやく彼も気付いたようだった。私のちょっとした悪戯に。
朋也くん、この人が、私の彼氏です。
ごめんね、でも、私は見せたかったの。私の大切な友達に、今の私の幸せを。
もう、私を引きずらなくてもいいように。これからもずっと、友達でいられるように。
だから、お願いです、そんなに怒らないで下さい。
さっきのペンダントに金出さなくてほんと正解だった。そんな風にぶつぶつ呟かないで。
でも、これでちょうど良かったのかも。
彼が私にしたことを、私も真似てやってみせた。
だからこれでおあいこ、だよね?
これからは、お互い、もう気にしなくても大丈夫だよね?
椋。
別れ際に彼は言った。
頑張れよな。
彼の言葉はいつも短い。
でもそこには、いろんな想いが詰まってる。
私は確かにそれを受け取る。
はい。頑張ります。朋也くんも!
分かってるって。
そうして、友達同士は手を振りながら別れた。後に残ったのは恋人同士。
じゃあ、勝平さん、行きましょう。
そうだね。あれ、椋さん、今日は可愛いペンダントつけてるね。
きゃっ、もう気付いてくれた?
すっごく似合ってるよ。
ありがとう、勝平さん。
そして、ありがとう、朋也くん。
お姉ちゃん。
なに?
廊下から足音が聞こえてきたとき、私は自分の部屋からひょいと出て、短く笑顔でこう言った。
ごめんね。
えっ?
でも、よろしくね。
ちょっと、一体何のこと?
そして私はパタンとドアを閉める。
そのままドアにもたれかかる。外からはドンドンと叩く音。
ドアは開けない。いいの、そのうち分かるから。
ごめんね、彼を勝手に借りちゃって。
でも、よろしくね。私の大切な友達を。
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