それは、私の最後の日になる筈だった、「あの日」の事でした。
コンビニでカッターナイフを買った帰り道。
最後だというのに、大好きだった並木道すらも私の心には何も響かなくて。
「ああ。私はもう駄目なんだな」と、気落ちに似た感情が沸き起こっていた。
その時でした。
突然、降り落ちてきた雪。
避ける間も無くそれを被り、呆然としている私に差し出された手。
それが、私達の出会いの瞬間。
不思議な風が流れてくるような感覚と同時に起きた心臓の鼓動。
乾いた心が大きく揺れたのを、確かに感じたんです。
はっきり言います。一目惚れでした。
……でも、それだけ。
この想いを恋にしてはいけない事を、誰よりも私は知っていたのだから。
Count Down Love
起きないから、奇跡と。そう言うんです。
それは、大病を患った私の持論であり、安易な希望に縋ろうとする自分を消し去る呪文だった。
それでも、その「安易な物」を許しそうになったのは、あの日、またあなたに会えたからです。
相沢祐一さん。
その存在を一言で表すなら、「大人な子供」
見た目の印象よりも機知に富んだ大人と、
見た目の印象よりも無邪気な子供が同居する、不思議な人。
そのふとした仕草や、もしかしたら本人すら気付いていない何気ない動作が、私の不器用な胸をちりちりと焦がしていたのを、あなたは知っていましたか?
大変だったんですよ? あなたに本当の気持ちを気付かれないよう、私が本当の気持ちを受け入れないよう、ずっとこの気持ちを隠していたんですから。
覚えていますか? あなたが私の病気の事を始めて聞いた時の事を。
あの時、「大した病気じゃない」と、あなたに嘘をつきました。
本当の事をさとられないよう、嘘という名の強がりを繰り返しました。
「仕方が無かった」なんて使い古された言い訳だけれど、本当に仕方が無かったんです。
本当の事を話したら、私の心の全てを見透かされてしまう気がしたんです。
それだけは駄目だと、心の中で呟き続けていました。
だって、そうなったら私は恋をしてしまうから。
私が、いつもより遅くあの場所に来た事がありましたよね。
実はあの日、少し熱が出たんです。
本当は、「今日は行けないかな」って、そう思っていたんです。
でも、もし私があの場所に行かなかったら、もう祐一さんが来なくなってしまうような気がして、終わってしまう事を思うだけで、無性に悲しくなって、気付いたら家を飛び出してました。
何も始まってすらいないのに、おかしな話ですよね。
祐一さん。
祐一さんは、運命って信じますか?
……私は、信じていませんでした。
信じたくなかった。って、言う方が正しいのかもしれませんけど。
誰だってそうですよね。若くして死ぬ未来が予め用意されているなんて、信じたくないですよ。
でも、一つだけ信じてもいいって思える運命が出来たんです。
あの日、夕暮れの学校で、祐一さんと出会った日の事。
祐一さんの姿を見た私には、どうして。とか、そんな感情は全く無くて。
ただ、「ああ、運命って本当にあるんだな」って、素直にそう思っている自分がいたんです。
祐一さんと出会う事が定まっていた事だったなら、なんて素晴らしい事だと、そう思ったんです。
でも、その「運命」が素晴らしい物である程、優しすぎる程、私の心は弱くなっていきました。
受け入れていたはずの死が恐くなって、独りで震えた事もありました。
心の扱いがどこまでも未熟な、幼い子供になった気がしました。
だから、祐一さんと会う前の私。
お姉ちゃんに拒絶されてから日常になった「いつもの日々」に戻らなくてはいけない。
来るべき未来に怯えて、誰かに迷惑をかけたくないから。
……そう、思っていたのに。
―― 栞の事が、好きだから。
ああ。どうしてあなたは、私の未練が残る事ばかり言うのでしょうか。
そんな事を言われたら、「私も……」って、言いたくなるじゃないですか。
肌が触れないように確かめていた距離を、縮めたくなるじゃないですか。
でも、それは駄目な事だと、感じた想いの全てを断ち切りました。
それまで感じた事が無い位の痛みを胸に感じながら、祐一さんに別れを告げるのは、辛かったです。
もう、祐一さんとは会わない。会ってはいけない。
ただそれだけを胸に刻みつけた。
もう一度だけでも会ったなら、私は祐一さんに恋をして、私のほうからキスをしてしまう。
だから、祐一さんとは、もう、会わない。
そう、決めた筈だった。
だけれど、それを決めるにはもう遅すぎた事を、私は思い知りました。
祐一さんに別れを告げた次の日の朝。
音も視界も不確かな夢に出ていたのは、祐一さんだったような気がしました。
二日後、音の無い夢の中。
闇が広がる無音の世界の先にいたのはやっぱり祐一さんで、私に何か語りかけている様でした。
そして、更にその次の日の夢。
そこは音も、視界も、感触すら感じられるもう一つの現実。
今までおぼろにも判らなかったそこは、あの日の公園だった。
紡がれる言葉、想い。
それは、あの日私が受け取らなかった、愛の言葉。
そして、去り行く私の後ろから聞こえた、最後の、言葉。
――ごめん。
……目が、覚めた。
咄嗟に頬に触れたけれど、どうやら涙は流れていないようでほっとした。
それでも、胸の痛みはあの日感じた物よりもずっと大きくて、苦しくて。
あいたい。アイタイ。会いたい。
涙と一緒にこぼれない様、胸にかけた鍵はあっけなく外れてしまった。
気付いた時にはもう外に飛び出していた。
何処でもない、あの公園へと足が向いていた。
何故だろうと思う隙すらなく着いた公園に、示し合わせたかのように祐一さんがいて、それがとても嬉しくて。
また、涙が出そうになりました。
静かに流れる時間。この短い時の中、私の心はどれだけ騒いだでしょうか?
祐一さんと出会った日の事を思い返しながら、あの日の再現をするように、初めてのキスをした時なんて、本当に色んな思いが混ざり合って、凄くドキドキして。
ああもう。
どうして、こんな素敵な恋を、死に近い私がしてしまったんだろう。
死ぬ事が恐くなってしまうのに。
もっと生きたいって、そう思ってしまうのに。
でも、もういいです。私は祐一さんが好きで、祐一さんに恋をしています。
だから……。
「祐一さんにお願いがあります」
私が生きている間、祐一さんの時間を、私に下さい。
感想
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