『 Do you know the "Szuchuan food" ? 』
「というわけですから秋子さん、俺、土曜日の昼食と夕食は要りませんから」
「了承」
「・・・祐一、結論から言われてもわかんないよ」
それはごく普通の火曜日の夜、水瀬家の夕食時のワンシーン。
「どうした名雪? 秋子さんの『了承』も出たっていうのに?」
「・・・お母さんもわかんない」
「・・・ま、そんな名雪のためにも説明を入れてやるとするか」
***
その日の夕方。
放課後、いつものように俺は昇降口で栞と待ち合わせて帰宅部の活動にいそしんだ。
「祐一さん。昨日、お店でこんなものをもらったんですよ」
その道すがら、何かの話の続きに栞が言い出したんだ。
「福引の券です。ほら」
「うわ、何枚あるんだ? それにこれ補助券じゃなくて1枚で1回抽選できる本券じゃないか」
「12枚あります。いきつけの薬局でもらいました」
「本券を12枚ももらえるほど何を買ってんだよ?」
「うーっ・・・祐一さん酷いです・・・」
『そうだよ。祐一、酷いよ』
『こら名雪! 回想シーンに割り込むな!』
「だって、本券だろ? 俺なんか日曜に百花屋で2000円ちょっと使わされたけど、
10枚で1回抽選の補助券が4枚しかもらえなかったぞ」
『え? 祐一、日曜日そんなに何を食べたの?』
『だから回想シーンに割り込むなっつったろ! それに、そのうちの1760円は名雪の
腹の中に消えてるぞ』
『うー!!』
「私の日頃の行いが良いからです」
栞が照れ隠しの表情でにっこりと笑う。
「本券は確か5000円ごとに1枚のはずだ。それが12枚って事は・・・・・・6万円。
栞、美坂家の家計を圧迫する行為だけは慎め」
「えぅっ!」
「そういえば香里が言ってたぞ。『私、今すぐにでも薬剤師になれそうだわ』ってな」
「お・・・お姉ちゃんはそんなこと言いませんっ!」
「この前に栞の家に行った時におばさんが嘆いてたぞ。『薬局の薬だから高額医療費での
確定申告申請は無理かしらね』って」
「むー! そ・・・」
「『そんなこと言う人、嫌い』か?」
「・・・・・・」
「・・・悪い。ちょっと言いすぎたか」
ちょっといじめすぎたか。俺は謝りながら栞の頭をなでてやった。
「しかし12枚か・・・それだけあったら、全部の等の賞品をかっさらえるな」
「ポケットティッシュ12個かも知れませんね」
機嫌を直した栞がいたずらっぽく笑う。
「ふっ。福引荒らしとして各地の福引会場を阿鼻叫喚の地獄に変え続けた相沢祐一を知らないと
見えるな。さ、行くぞ。この街の福引会場もすぐに店じまいにしてやるぜ!」
「わ、待ってくださいよぉー」
***
カラカラ・・・ぽと。
「・・・」
「はい。7等、ポケットティッシュですね」
「・・・10個連続です。祐一さん、ポケットティッシュ1ダースだけは勘弁して下さい・・・」
「・・・俺が地獄の1丁目に立ってしまったな」
ふと見上げた特設テントの奥に並ぶ、○等と書かれた短冊の貼られた賞品の数々。
金色の折り紙の特等と銀色の折り紙の1等の賞品が目にまぶしい。
いや、その隣りに誇らしげに貼られた同じ色の折り紙が俺の闘志を掻き立ててくる。
伊藤様だの北村様だのといった名前の書かれた折り紙が。
本当ならばその横に「相沢様」と書かれた金色の折り紙が貼られるはずだが!
よし! 俺も男だ! こうなったらここ何年も使っていない究極奥義を繰り出すしかない!
「・・・・・・栞、ちょっとやってみるか?」
「祐一さん? 究極奥義って、私のことなんですか?」
「・・・ぐはっ! いきなり見破られたか・・・」
また声に出してましたよ、と栞が笑う。つられて福引の係のお姉さんも笑っていた。
なんか俺としては恥をかいてしまったような感じだが、場の変な空気もいくらか和んだようだ。
カラカラカラ・・・ぽと。
栞の手によって回転を与えられたマシンは、しばらくして今日の俺には出し得なかった色の珠を
吐き出した。・・・色は、緑色。
「・・・・・・」
「・・・・・・白じゃないですね」
カランカラン!!
ちょっとだけ控えめな威力の鈴の音が会場に響いた。
「はい、出ました! 2等賞でーーーすっ!!」
「2等!」
「わ、祐一さん、やったーですぅ!」
壁に貼られた賞品の表には、『2等、ディナークルーズ2名様ご招待。3本』とあった。
「おめでとうございます! 2等賞、珍健一さんのディナークルーズ、2名様ご招待でーす!
詳しくはこのパンフレットを見てくださいね。手続きはそこの○TBの支店でお願いしまーす」
***
「・・・・・・と言う訳だ」
「ふぅん。で、そのディナークルーズっていつなの?」
「さっき言ったじゃないか。今週の土曜だ。夕方の4時半に出航で、8時に戻ってくる予定。
その時間帯ならば大丈夫って事で、栞の家も許可してくれたんだ」
「手続きは済ませましたか? 祐一さん」
「はい。一度栞の家で話をした後、もう一度商店街に行って、土曜日の方を申し込みました」
「そうですか。思いっきり食べて来てくださいね」
パンフレットを読んでいた秋子さんの心配そうな表情が気になったが、ま、こっちも許可して
くれたようでよかったよかった。
「・・・祐一?」
「何だ?」
「うん。あと1回の抽選はどうしたのかな・・・って思ってね」
「・・・栞が3等を引いた。明日、栞の家に新潟県魚沼産コシヒカリの新米が10キロ届く」
「わ。すごい。最初から・・・」
「『栞に引かせておけば良かった』と言いたいんだろ? ・・・俺、当分福引はしない・・・」
今日、商店街の福引会場に新しい折り紙が下がった。緑色とオレンジ色の折り紙に『美坂様』と
書かれた折り紙が・・・
ちなみにポケットティッシュは俺と栞で5個づつ持って帰る事にした。
***
ピンポーン! ピンポー・・ピポピポピポピポピポーン!
・・・カチャ
「・・・栞、玄関ベルの連打は止めてくれ・・・ 来たって事は充分わかってるから」
「そんなこと言う人、嫌いです。さ、祐一さん、行きましょう」
土曜の昼過ぎ、はしゃいだ声とともに栞がやってきた。
これから駅前に出て、郊外バスに乗って港へ行く予定だ。港の待合室の中にディナークルーズの
受け付けがあると○TBがくれたクーポン券に書いてある。
「そうだな、受け付けが4時までだから早く行かないとな。ところで栞、昼はきちんと抜いて
来たか?」
「もちろんですー。お昼の私のおかずは全部お姉ちゃんのお皿に盛っておきましたから」
「おいおい・・・」
「もう行くんですか? 祐一さん」
玄関で靴ひもを結んでいる俺の背中に秋子さんの声がかかった。
「ええ、港まで時間かかりますしね」
「そうですね。・・・ところで、本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
「・・・そうですか。では、いっぱい食べてきてくださいね」
「・・・はい」
また秋子さんが暗い表情になった。一体何が「大丈夫」じゃないんだろうか?
***
駅前から郊外バスに揺られて30分、港に着いた。
まあまあ大きな船が接岸していた。どうやらこの船に乗るみたいだ。
てっきりクルーザーのちょっと大きい位の、食堂とロビーとトイレくらいしかない船かと
思っていたのだが、なかなかどうして、長距離フェリーみたいな立派な船だ。
「大きな船ですねー」
「ああ、それに結構人が集まってるみたいだぞ」
俺たちは早速待合室に入った。
待合室には既にざっと50人あまりの人がいた。キップ売場の隣りの案内所の前に長机を
並べた「カウンター」の前にも、10人ほどがぽつぽつと列を作っている。
そのカウンターの列のひとつに並ぶ。
「相沢と美坂ですが」
「はい、ようこそいらっしゃいませ」
旅行会社の名札をつけたお姉さんからキップとパンフレットをもらい、待合室の空いていた
椅子で栞と話しこんでいると放送があり、皆が立ち上がった。乗船だ。
***
パンフレットによれば200名収容というメインダイニングは満席だった。
もっとも、相席を避け、1卓に1組という配置にしているそうだから、実際にはその半分って
ところだろうが。
「本日は貸し切りクルーズ企画のため、メインダイニング以外の飲食設備は自動販売機に
至るまで全て休業および使用停止としております。みなさま、どうぞご存分に珍健一氏の
料理をお楽しみ下さい!」
パチパチパチ・・・
キップに指定されていたテーブルにつき、用意されていたオレンジジュース(他のテーブル
ではほとんどがシャンパンだった)を飲みながら、聞くとなしに司会者のトークを聞く。
なぜかTV局のアナウンサーが司会としてマイクを握っていた。
そして今日の料理の「総料理長」として、TVでもよく見かけた珍さんが紹介された。
俺たちはとりあえず、テーブルに置かれていたカードを見ていた。
「お、『本日のメニュー』か。
・酸辣湯
・紅油抄手
・口水鶏
・辣子鶏丁
・麻婆豆腐
・擔擔麺
・杏仁豆腐
うーん。・・・何が何だか判らん。栞、これ読めるか?」
「私に聞かないでください・・・ わざと難しい漢字使っているんですから」
***
「『酸辣湯』と『紅油抄手』でございます」
料理が運ばれてきた。小さく切った高野豆腐みたいなものと豆の入ったスープと、ラー油みた
いな油が少し浮いているスープにつかったワンタンだ。
「さ、食べるとするか。せっかくの食べ放題だ、厨房中の食材を食べ切って、払った金の元を
取ろうぜ」
「祐一さん、このクルーズは福引の賞品ですよ。それも私の抽選券の」
「・・・栞、料理が冷めるぞ」
「あ、はいっ! いただきますぅーっ!」
とりあえず栞は『酸辣湯』、俺は『紅油抄手』を選んだ。ひとりに一皿づつサーブしてくれて
いるので、別に同じのから初めても良かったんだけど。
***
その頃水瀬家では、香里と名雪が課題のレポート作りをしていた。
休憩ね、と言ってリビングでお茶をする2人。ふと、香里の目がマガジンラックに止まった。
「あら、このパンフレット。栞と相沢君が行ってるっていうディナークルーズね。
どれどれ・・・・・・ え!? ちょっと名雪! あの子達、これ知ってて行ってるの?」
「え? 『中華料理、楽しみですねー』って言ってたけど? どうしたの?」
「四川(しせん)料理ってね、中華料理の中でもぶっちぎりの辛さを誇る料理なのよ!」
***
ぱくっ。
・・・・・・・・・・・
しーーん・・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・ボッ!
「えぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーっ!!!!!」
栞の口が火を噴いた・・・様に見えた。
「えぅぅ・・・水! 水!! お水くださいーーっ!!!」
栞の手がテーブルのポットに伸び、そのふたを取った。
普段の栞からはとても想像できないようなペースで、ジョッキ・・いやポットの冷茶が栞の
口の中へ消えていく。
「・・・栞! 大丈夫・・・じゃ、なさそうだな・・・」
「・・・んくっ・・・んくっ・・・・・・はぁっ・・・・・・・・・・・・・
かっ・・・辛いですぅ! そして酸っぱいですぅっ! ちっ・・・中国の人たちは、みんな
そろって人類の敵ですうぅっ!!??」
ガタンッ!
「あっ! 栞っ! どこ行くんだっ!?」
***
ドタドタドタ・・・
俺と栞は、とにかく何か他の食べ物を探そうと、船内を上から下まで走り回った。
「栞! そっちの自動販売機はどうだ?」
「ダメですぅ・・・ ここも3台全部が販売中止になってます」
俺の脳裏に、さっき聞いた司会者のトークがよみがえる。
『・・・メインダイニング以外の飲食設備は、自動販売機に至るまで全て休業および使用
停止としております。・・・』
「何も冷凍レンジスナックやジュースの自販機まで止めなくても良いじゃないか」
「えぅ〜、アイスクリームの自販機も止まってました」
「仕方ない、テーブルに戻って何かスープとデザートだけでも食べよう」
「そうですね」
メインダイニングに戻ると、ウェイターが「船酔い、落ちつきましたか?」と声を掛けて
くれた。なるほど、飛び出してから30分あまりたっているから、船酔いを覚ましていたと
うまい具合に考えてくれたようだ。
「メインの料理をお出ししましょうか?」
さっきのウェイターが確認に来た。
「いえ、全部とばしてデザートをお願いします」
「かしこまりました」
メニューによれば、デザートに『杏仁豆腐』と書いてある。甘い物が苦手な俺でも、なぜ
か杏仁豆腐は大丈夫だ。キンキンに冷やしてくれていれば最高なんだが。
そして数分後、
「お待たせしました。杏仁豆腐です」
「わぁ」
「おっ」
ガラスの器に盛られたデザートからは、ほのかに白い湯気があがっている。湯気といっても
熱い方のじゃなくて、ドライアイスの煙のようなあの湯気だ。俺の好み通りにキンキンに
冷えているようだ。
「んまい」
甘味もきつくない。それにごちゃごちゃとしたフルーツポンチ状態でなく、豆腐メインで、
片隅に桃とパイナップルが一切れ添えてあるだけ。シンプルでうまい。
「ほぇ〜・・・」
栞も満足そうだ。
『・・・本船、あと30分ほどで着岸致します。どなたさまも・・・』
「お、もうすぐディナークルーズも終わりだな」
「ディナーなんて食べてないですよ、祐一さん」
「今日のディナーは杏仁豆腐、ってわけか」
「豪華なディナーでしたね」
***
予定の8時より少し早く船が着岸したので、予定していたのより1本早いバスに乗れた。
その港から駅前までのバスに乗っている時間がいやに長かったような気がする。
「栞、俺、家で夕食を作ってもらおうかと思ってるんだが、一緒に食べるか? 栞は帰って
も何もないんだろ?」
「そうですね、お邪魔します」
「・・・ただいま」
「・・・・・・えぅ〜、お腹すきました・・・」
ダイニングの方から夕食のおいしそうな匂いが漂ってきた。・・・ってこの匂い、どこかで
嗅いだ事のある・よ・う・な・・・?
「秋子さん、やっぱり俺達にも夕食をお願いし・・・」
食卓の上に並ぶ今日の水瀬家のおかずが・・・
「あら、祐一さん」
「お帰り、祐一」
「・・・・・・」
「えぅ〜〜〜っ!!! ・・・きゅぅ・・・」
「・・・し、栞! しっかりしろ!」
「あらあら・・・」
・・・同じく本格中華だとは思わなかった。聞かなくても匂いで判る、あの四川料理だ。
そしてテーブルの向こう側に座っている秋子さんがいつものように頬に手をあてて笑って
いる。
・・・秋子さん? 今日の夕食、狙いましたね?
fin
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