『なつへのとびら?』
ところで祐一さんは……
「遅いですっ! 遅いにも程がありますっ!」
祐一さんは、今日が二人にとってとても大事な日だって言うことを本当理解しているんですかっ!
それとも、この期に及んで怖じ気づいたのですかっ!
私がそう言うと
「さっきから何度同じ事言ってるのよ」
溜め息混じりにお姉ちゃんがそう言うので、私はこう言ってやります。
「さっきって何時のさっきですかっ! 私はそんなに何度も同じ事を言ったりしていないです」
そういったらこんな風に言うんですよ。
「あら、五分ほど前よ。そうじゃなければ、朝御飯の前からずっとね」
さっきって、既に五分も過ぎてるじゃないですかっ。
大体、こう言うときはもっと早くやってくる物です。そうじゃないですか?
「相沢君も災難よね……」
「何が災難なんですかっ! だいたい……」
大体、お姉ちゃんは分かっていませんっ!
こういう人生を左右するようなイベントでは、通常の三倍ほど早く来ても当然です。
そう、祐一さんは何時もそうです。約束の時間には当然三十分、少なくとも十分は早く来るのが常識という物なんです。特に、恋人……あっ自分で言うと結構恥ずかしいです……と待ち合わせするときにはその程度男性が配慮するのが礼儀だと思います。
そうやって私が言うと、
「彼がぼやくわけね」
「祐一さんがなんて言ってたんですか?」
「なんて言ってたと思う?」
「なんて言ったんですか。勿体ぶらないで教えてくださいっ!」
なにやら意味深な含み笑いを浮かべるので尋ねると、
「『"栞時間"に会わせるにはど○でもドアか加速装置が必要』だって」
"栞時間"て一体なんですかっ!
あとで祐一さん本人に問い詰めてみることにします。でもお姉ちゃんはまだ何か言いたげだったので問い詰めてみると、
「だからね、『もしかしてその程度なら例のポケットに入っていて、栞自身が使ってるんじゃないのか』っていうから、でも『栞は猫型や正義のサイボーグじゃないわよ?』って……」
祐一さんも祐一さんなら、お姉ちゃんもお姉ちゃんですっ!
私は今度声優さんが変わる、どう見ても狸にしか見えない猫型ですかっ!
それとも、私は黒い幽霊団に誘拐されてギ○モア博士に改造ちゃったサイボーグで、改心した博士の足抜けを手伝った成り行き上、八人の仲間達と共に正義のために海豚号で戦うんですかっ!
「どうせ乗って戦うなら、若い頃の高島○夫さんが出演している映画の轟天號の方がいいですっ」
ちなみに、自転車じゃないです。
「……案外マニアね」
「どこがマニアなんですかっ!」
あれは東宝特撮物を語るときの基本ですよっ、お姉ちゃん!
するとお姉ちゃんが
「普通はゴ○ラでしょ」
と言うので、そんなお姉ちゃんには、打倒○ー帝国に人生を捧げる○宮寺大佐の情熱を熱く語ってあげます。
ちなみに神○寺艦長は海軍なので正確には"だいさ"です。
すると
「それ相沢君の趣味でしょ」
にやにや笑っています。
そうなんですか、祐一さん?
そう言えば思い当たるフシがあります。
駅前にできたシネコンの広告を見て『昔の映画のリバイバルやってるぞ』っていうから一緒に見に行くと、同時上映をみて『おっ、○ジラ対沢○靖子だな』って、確かに盛り上がっていました。……祐一さんて特撮マニアだったんですね。
それは兎も角……
「何ソワソワしてるのよ」
「だって、時計見て下さい」
私にそう言われて壁掛け時計の針を見るお姉ちゃん。そんな物は私に言われる前に見て下さいっ!
『見て下さいっ』て言えば、私が子供の頃によく見ていたアニメにそんな定番予告がありましたっ、てそんなことを考えている場合じゃないですっ!
「……まだ一時間はあるわね」
微笑みます。
もうすぐ一時間前じゃないですかっ!
やっぱり、こんな時にはそれくらい早く来るぐらいの心遣いが必要なんです。祐一さんもお姉ちゃんもそこのところが全く分かっていません。私はいつも二時間も早く起きて準備しているんです。
私の様子を見て
「まあ分からなくもないわね……でも、」
ニヤッと笑ってこう言います。
「案外、すでに直ぐ近くに来てるかも知れないわよ」
近くじゃいけないんです。
「近くへ来てるだけならカッシーニやボイジャーにだって出来ますっ!」
「それじゃあ、栞。あなたは、相沢君が土星探査に出掛けたままスイングバイして宇宙の彼方に旅だってほしいのね?」
私はそんなことしてもらいたくて言ったんじゃないです。そんな……
「そんな人の揚げ足を取る事いうお姉ちゃん嫌いですっ!」
祐一さんにはどこにも行って欲しくないです。
……むしろ、こんな時だからこそ、祐一さんには私と一緒にいて欲しいんです。
わっ……なんだかドキドキしてきました。
もちろん、彼と一緒にいるときにもドキドキして胸がときめいていますけど、これは何時もとは大分違うみたいです。なんだか躰が火照ってどうしようもないです。一緒にいるときの方が落ち着いているように感じます。
お姉ちゃんが隣で何かっ言ってるみたいですけど、何を言っているのか全く理解できません。
私どうしちゃったんでしょう。
狭心症ですか? 心筋梗塞ですか?
えう〜、そんなのは嫌です。だって折角病気が治って祐一さんとずっと一緒にいられているのに……
「これからなのに……」
何でなんでしょう。涙がこぼれてきました。
まだまだこれからなのに、これから二人で喜びを感じるはずなんです。
「栞……ほら落ち着きなさいって」
ティッシュペーパーを二三枚重ねた物を私に手渡すとお姉ちゃんはこう言います。
「興奮しなくったって彼は逃げていったりしないわよ。それに……」
ティッシュで私の鼻をかませながら続けます。
「折角のおめかしが台無しね。そんなことじゃ、折角の倖せが逃げて行くわよ」
「うー。そんなことで幸せに逃げられたらたまりませんっ!」
「それなら泣くのは結婚前夜だけにしなさいね」
ポンポンと背中を叩いてお姉ちゃんは、そう言って優しく微笑みます。
ところで……
「お姉ちゃんっ!」
「何よ。吃驚するじゃないの」
急激な私の変化に少しばかり驚いたようでしたがそんなことはこの際お構いなしです。
「時間はどうなりましたっ!」
「えっ……」
慌てて時計を見るお姉ちゃんは
「まだ三分も立ってないわよ……」
と言って溜息を吐きました。
「もう三分も過ぎたんじゃないですかっ!」
私は涙で少し崩れたお化粧を直しに鏡に対向します。
「もう一刻の猶予もないですっ!」
「慌てても上手くいかないでしょ……。ほら! あたしがやって上げるから」
本当は自分で全部直したかったんですけど、時間もないので言うことを聞いてお姉ちゃんの方を向きます。
テキパキとメイクの仕直してくれるお姉ちゃん。流石に手慣れたものです。北川さんは、これまでこうやって騙されて来たんでしょうか。
私は……祐一さんが『栞はすっぴんのままが良い』って言うから、あんまりお化粧はしないんです。 もちろん、そのかわり秦野……いえ、肌のお手入れは欠かしたことはありません。"秦野"って言えば祐一さんが『なんで秦野や伊勢原が"湘南ナンバー"なんだろうな。厚木を差し置いて……』って言ってましたけど、今は秦野は関係ないとおもいます。
それは兎も角……
祐一さんは何故未だ来ないんですか。
祐一さんは私のことが大事じゃないんですか。
祐一さんは……
祐一さん……
祐一さん……
「ああっ、もう。『祐一さん』は分かったから少し黙もらえないかしら」
「えう〜。どうして私の考えてる事が分かったんですかっ!? 超能力者ですかっ、お姉ちゃん」
私は驚いて聞き返しました。
「……もしかして、あなたも名雪並に天然だったのかしら?」
「意味が分からないです」
はあ〜っとまた一つ溜息を吐いてこう言いました。
「全部口に出してるわよ」
「今……なんて言ったんですか」
一瞬日本語として理解が出来ませんでした。
「ぜんぶ口に出して言ってるわね」
冷静に訊いてようやく、意味が理解できました。そして理解できた私は、恐る恐る聞き返します。
「どの辺り……からですか」
「そうねえ、あたしが化粧が手慣れてるとか、潤がどうとかって……」
血の気がサーッと引いてきます。
「お姉ちゃん……すみません」
「いいわよ。別に気にしてないから。でも、栞がそんなこと考えてたなんてねえ」
そう言ってニヤりと笑います。恐いです。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
私は謝りました。もちろん必死です。
「……いいわよそんなに謝らなくても。あたしは別に何もしないから。名雪じゃないんだし」
「名雪さんなら……気にするんですか」
お姉ちゃんにそう訊ねると
「名雪を怒らせた時の制裁はきついわよ。何しろ相沢君が言うには……」
聞かされた内容は壮絶なものです。
『イチゴサンデー*○個(ケースによる)』とか、それを断ると『夕飯が全部生姜(飲み物は生姜汁)』とか、それがいやなら『秋子さん秘伝のぢゃむ(甘くない)』とか……
生姜はまだしも、『ぢゃむ(甘くない)』は……私も嫌です。何しろあれは(自主規制)ですっ!
なるほど……、
「祐一さんが『今月もきついんだ』って、何時も言う理由が分かりました。原因は名雪さんだったんですねっ!」
「何を今更……」
と苦笑いするお姉ちゃん。
「ほら、栞。できたわよ」
「え?」
不思議そうにする疑問符を付ける私に
「鏡を見てご覧なさい」
優しくそう諭されて鏡を見ると
「え? これ私ですかっ! 自分でやるより綺麗ですっ!」
鏡の中の私は、いつもの私じゃないみたいに綺麗に見えました。なんだか、最初のメイクが子供だましみたいに見えます。今日着ている余所行きの勝負服に負けていません。
「ありがとうお姉ちゃん」
「ふふ。これであとは、相沢君が来るだけね」
そう言ってウインクしてくれました。
「そうですよ。祐一さんは未だなんですかっ!」
時計は……
私が時刻を見ようとしたその時です。
プルルルルルン、プルルルルルン……
それは居間にある電話の音です。
居間の方から「はい、美坂ですけど……」とお母さんが電話に応対する声がきこえます。
電話を切る音がして、座敷であるこちらにお母さんはやって来ます。
「玄関で不信人物が二十分位行ったり来たりしてるって、電話でお向かいの天沢さんから。多分、相沢さんね。ふふ、まるで父さんの時みたい」
お母さんが笑っています。
「祐一さんですかっ!」
私は、矢も楯もたまらず走り出します。
「面白そうね」
「でしょ?」
とか言いながらお母さんとお姉ちゃんもついてきます。
玄関先の廊下でお父さんに鉢合います。
「おわっ!? なんだなんだ、栞」
「お父さんごめんなさいっ」
お父さんを引き離します。
「相沢君が来たのよ」
って言うお姉ちゃんの声がして、付いてくる足音が三人分に増えたような気がしますが気にしません。
ところで、玄関はそんなに遠くないのに、なんだか二百メートル程全力疾走したみたいです……
そして、目の前の玄関のたたきにあるつっかけに足を入れると『夏への扉』はすぐそこですっ!
今日は私の誕生日なので本当は真冬ですが、でもこのドアのその先は、私の夏へ続いているんです。
祐一さん、あなたは私のダニィですっ!
私は、あなたのリッキイ・ティツキイ・テイヴィーですっ!
さあ私をこの愛を受け止めて下さいっ! その胸にっ!
ピーンポ、ガチャッ!
ドアチャイムと同時にドアを開けるとそこには……
「お父さんっ! 栞さんを俺に下さい!」
「ゆっ……! 祐一さん……」
……
「それで聞いて下さいよ、あゆさん。玄関を開けていきなり言うんですよっ『栞さんをくださいっ!』って。大変だったんですよ。お姉ちゃんとお母さんは吹き出すし、私と祐一さんとお父さんは、気まずさから玄関先に五分ほどフリーズしてしまうし……」
水瀬家の居間。炬燵の中で三時のお茶を頂きながら、私は目の前のあゆさんに言いました。
「でも、そのお陰でその後上手くいったんだよね」
あゆさんはそう言って羨ましそうに微笑みます。たぶんこの人の笑顔を天使の微笑みって言うんだと思います。
「そうだ。あゆの言う通りだぞ。だからこれで良しとしよう」
次の蜜柑を手に取りながら祐一さんがそう言います。
確かにそうなんですけど……なんだか釈然としない物があります。
別に祐一さんが嫌いになった訳じゃないです。
あの日に正式に婚約してから、前よりもっと好きになりました。
でも少しだけ意地悪しちゃいます。
だから……
「何が良しとしようですかっ! そんな事する人嫌いです」
〜fin〜
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