「〜〜♪」
 あたしは歌を歌いながら道を歩いていた。
 お日さまが雲の陰から顔を覗かせていて、気温はちょっとだけ高め。だけど、風が強いせいでむき出しの耳はじんじんと冷たい。
 それでもあたしが上機嫌なのは――
「両手ーにーはっ、肉まーんーのっ、ふくーろーをー♪
 いつまーでーもっ、いつまーでーも、抱ーいーてー♪」
 ――コンビニ帰りだからだった。
 ほかほかの肉まんが入った袋はあったかくて、自然と笑顔になる。早く家に帰って、一緒に買ったマンガを読みながら肉まんを食べたいな――そう思いながらてくてく足を進めていると、横からくぐもった感じの声が聞こえた。
「あっ、真琴さん。こんにちは」
 あたしは声の方へ目を向けて、そして固まった。
「な……。あ、あんた誰よっ!」
 そこにいたのは、怪しい格好をした女だった。
 道端に立っていたその女は、もこもこの帽子を被り、サングラスで目を隠し、白いマスクで口を覆っている。淡いピンクのオーバーコートを着込んでポケットに手を突っ込んだ姿は、まさに完全装備と言えるかも。
「誰って……栞ですよ、栞」
 右手をポケットから抜き、女はサングラスをちょっとだけずらす。それでようやく、あたしも相手が栞だと確認できた。
「なんでそんな怪しい姿なのよぅ……」
 声までいつもと違う感じなのは、マスクをしているせいだろうか。あたしが尋ねると、栞は「あはは」と苦笑して、
「やっぱり怪しいですよね、この格好。実は私、花粉症になっちゃいまして」
 と答えた。
 そして直後、その言葉を裏づけるかのように「くちゅん」と小さくなしゃみをした。


ぽりのーしす・ぱにっく!




「……へぇ、それでそんな重装備してるんだ」
 あたしの言葉に、栞は頷いた。
「はい、できるだけ花粉を吸い込まないようにしないと。今日みたいに風の強い日は特に」
 確かに今日は強い風が吹いてる。天気が良いのも影響してたりするんだろうか。
「真琴にはよく分かんないけど、ソレって大変みたいね」
「そうなんですよ。鬱陶しいし、頭は痛くなるしで……。今年は花粉の量が多いという話ですから、今から憂鬱なんです」
 小さくため息をつく栞。でも、
「命に関るような病気に比べたら、どうってことないですけどね」
 と言い直して笑顔になった――気がする。サングラスとマスクで表情は分からないけど。
 あたし自身は元気が取り柄だからその辛さは分からないけれども、端から見ているだけで気の毒に思う。最近は保育所でも、食物アレルギーやらアトピーの子が増えてきているし。
 なんとかしてやれないものかなと思ったとき、不意にあたしは思い出した。
「……そう言えば、さっき買った雑誌に『花粉症対策特集』ってのが載ってるんだっけ」
「『対策』、ですか?」
「うん。今月号の別マに、ね」
 別冊マーマレード――またの名を別マ。さっきまでは特に興味もなかったんだけど、せっかくだから試してみたくなる。
「じゃあ、家に帰って実践してみなきゃ!」
「えっ? あ、あの……。私まだアイスクリームを買って……」
「そんなの後、後! 栞、行くわよっ」
「ひゃうっ」
 あたしは栞の腕を引っ張ると、雪の積もった遊歩道を家の方へ向けて走り出した。


「……さてと、一息ついたとこで、早速始めるわよ」
「はい」
 あたしと栞の二人は、水瀬家の二階にあるあたしの部屋にいた。とりあえず、せっかく買ってきた肉まんが冷めてしまうともったいないので、二人で分けっこして食べ終えたところだ。
 栞はサングラスとマスクも外して、いつもの格好に戻っている。正直、コートの下にストールを羽織っているというのはどうかと思うけど。鼻をぐずぐず言わせながら、ティッシュを取ってしきりに鼻をかんでいるのが大変そうだった。
「……って。そのティッシュどうしたのよ?」
 よく見ると、あたしの部屋のティッシュとは違う。
「あ、これはマイ・ティッシュですよ。いつもポケットに入れてあるんです」
 台詞だけ聞くと普通に思えるけど、問題はそれがポケットティッシュではなく箱入りのやつだってことだ。
「そんなの、いつも持ち歩いてるわけ?」
「花粉症の症状が出ている間は手放せません。スリムタイプの箱ですから、あんまりかさばらないですし」
 そういう問題じゃない――と言おうとして、やめる。多分、これは突っ込んじゃいけない話題だ。
 それはひとまず置いといて、あたしは別マの付録に付いてきた小冊子を手に取った。ここに花粉症の対策が書かれているらしい。
「いくつか書かれてるみたいね。えーっと、なになに……?」

『その1.本人が三回くしゃみをしたら、四回目を他人が代わりにする』

「……って、栞。なに突っ伏してんのよ」
「いえ、だって……。なんだか思いっきり当てにならない気がするんですけど」
 身を起こした栞は、疲れたような表情で肩を竦めた。
「やってみなきゃ分かんないでしょーが。とにかく、くしゃみをしてみて。三回連続で」
「ちょ、ちょっと待ってください。いきなり言われても……」
 さっきまでたくさんくしゃみをしていたのに、意識するとなかなか出てこないようだった。栞はティッシュで鼻をかんだり、深呼吸をしたりして、くしゃみの波が来るのをを待つ。
 やがて、栞が目を閉じて上向いた。
「……もうちょっとで来そうです。……来ちゃいます。
 あっ、来る……来る……ふぁ」
「なんか、それだけ聞いてるとえっちっぽいわね」
 思わず漏らした言葉に、栞が口を開けたまま固まる。
「……って、変なこと言うから止まっちゃったじゃないですかっ!」
「あぅ、ごめん」
 くしゃみが途中で止まっちゃうのって、微妙にいらいらする。悪いことをしたかも。
「大体これ、本当に意味あるんでしょうか? 花粉症と全然関係ないような気もしますし。そもそも代わりになっ……くちゅんっ」
 栞の言っていた文句が、自分自身のくしゃみで遮られた。そこからさらに二回、立て続けに続くくしゃみ――いよいよあたしの出番だ。
 あらかじめ準備してあったこより(ティッシュ製)で、鼻をくすぐった。
「むむ……」
 むずむずと、鼻の奥に刺激が伝わる。けれど、なかなかそれがくしゃみには繋がらない。
「むむむ……」
 あともう少し、と思ったところで隣から四つ目が聞こえた。
「……栞、あんたがくしゃみしちゃ意味ないでしょっ」
「真琴さん、時間かかり過ぎですよぉ。我慢できるぐらいならおまじない必要ないですし」
 あたしが突っ込むと、栞がティッシュで口元を押さえながらそう返してくる。
「あぅ……」
「それにですね、そのおまじないで仮に私のくしゃみが止まったとしても、それが真琴さんに移っちゃったりしません? それだと意味がないような……」
 あたしは冊子を改めて読んでみる――栞の言う通りだった。
「あはは……。えっと、次行ってみようか!」
 笑って誤魔化しながら、あたしは次の項目に移った。

『その2.妊娠する』

「……え?」
 きょとんとする栞に、あたしは繰り返した。
「だから、妊娠すると花粉症が出なくなる人もいるんだって」
「ええええええっ?」
 スットンキョーな声を上げて赤くなる栞。
「子供を産むと体質が変わっちゃうらしいわね。あと、妊娠中は免疫力が弱まるからとか書いてある」
 意味はイマイチよく分かんないけど。
「そそ、そんなの無理ですよっ!」
 慌てる栞に、あたしは同意した。
「確かに。これは真琴たちだけじゃ無理よね。祐一は部屋にいると思うから、ちょっと協力してもら……」
「わーっ、わーっ! 駄目ですっ」
 祐一を呼びに行こうとしたあたしを、栞が必死に押し止めた。
「どうしてよ? どっちみち付き合ってるんでしょ、あんたたち。早いか遅いかの違いだけじゃない」
「とにかく駄目! そんなのまだ早すぎですっ」
 栞の顔は真っ赤だ。
「それにですね、花粉症の病状を改善するために子供を産むなんて、愛がないですっ」
「……まあ、そうかもね」
 真琴がその子供だったとして、自分の生まれた理由を聞いたらがっかりするだろうし。とりあえず、この項目は保留にしておくべきかも。
「というわけで、次行きましょう、次!」
 栞に促されて、あたしは次の項目を読んだ。

『その3.花粉症に効く食べ物・飲み物を摂る』

「あ、今度のはまともですね」
 栞は少しホッとした様子だった。そのほっぺたにはまだ赤みが残っている。
「えっとね、ヨーグルトや甜茶、なつめ、ローヤルゼリーなんかがいいみたい」
「ヨーグルトは私も意識して食べるようにしてます。KW乳酸菌のとか」
 栞はあたしが挙げた品目にうんうんと頷いてそう答えた。
「家にも確かあったわね……カスピ海ヨーグルトとかってやつ。ちょっと台所に行ってみようか?」
「はい」
 あたしたちは連れ立って部屋を出て、一階にある台所へと移動した。そして、小冊子にあった『花粉症に効くもの』を探してみる。
「……結構揃ってますね」
「うん。名雪が猫アレルギーだから、そっち方面の食べ物には気を使ってるのかも」
 テーブルに並べられたのは、青汁・凍頂烏龍茶・ローヤルゼリー・フルーツ酢・エルダーフラワー・そしてカスピ海ヨーグルト。
「そして、これを全部混ぜるっ!」
「えっ? ちょ……やめた方が……」
 止めようとする栞に構わず、あたしはそこにあるものを片っ端からグラスに注ぎ込み、マドラーで掻き回した。
 そして、出来上がったのは緑がかったグレーのどろっとした液体。
「うん。美味しそうじゃない」
「あんまりそう思えないんですけど……」
「抹茶シェイクの色が少し濁った感じだと思えば大丈夫だって」
「……匂いもきついですし、ほんとにこれ飲めるんでしょうか?」
 気乗りしない様子の栞。まあ、匂いは確かに良くはない。しかも、どこかで嗅いだことのあるような風味だ。
 あたしはちょっと考えた後、棚から小さな茶色の瓶を取り出した。
「これを入れればきっと気にならなくなるわよ」
 そう言って、バニラエッセンスのキャップを外し、グラスの上で傾ける。ところが、ちょっとだけ入れるつもりだったのに、傾け方が悪かったのかドバッと中身を大量にぶちまけてしまった。
「……あ」
「えぅ……」
 バニラエッセンスは香りこそ甘いけど、その味はすっごく苦くて辛い。誰もいないときにこっそり舐めてみたから知っているのだ。こんなにたくさん入っちゃったら、いったいどんな味になってしまうのか。
「どうしましょう、これ?」
「どうしようか?」
 二人して顔を見合わせて困っていたとき、入り口の方から声が聞こえた。
「おっ。なんだ栞、来てたのか?」
「祐一さん。はい、お邪魔してます」
 のっそりと現れたのは祐一だった。水色のパジャマを着たままで、髪の毛もだいぶボサボサになってる。
「祐一、なんでこんな時間まで寝てるのよぅ。もうお昼過ぎだってのに」
 あたしが文句を付けると、祐一は、
「いいだろ、別に。まだ笑点の時間には早いんだから、俺にとっては早朝の部類だ」
 と訳の分からないことを言いながら大きくあくびをする。
「……ふああ。しっかし、なんか妙に甘ったるい匂いがするな。ケーキでも焼いてるのか?」
「え、えっとね……。今月号の別マに花粉症に効くものが載ってたから、その……」
 なんとなくしどろもどろで答えると、祐一は「ああ」と頷いた。
「栞は花粉症だもんな。それでここにいるわけか」
「は、はい、そうなんです。商店街で会ったときに誘われて……」
 栞が経緯を説明する。
 そのとき、あたしはピンとひらめいた。
「ね、祐一。これがその花粉症対策ドリンクなんだけど、祐一も飲んでみてよ」
「いや、別に俺は花粉症じゃないぞ」
「こーゆーのは『予防』にもなるんだから。別に怪しくはないわよ。雑誌の付録に書いてあった材料を使っただけだもん」
「……えっ?」
 びっくりする栞に向かって、あたしは祐一から見えないよう口元に人差し指を当てる。
 嘘はついてない――と思う。バニラエッセンスを除けば、全部小冊子に載っていた材料だから。『混ぜろ』とは書かれてなかったけど。
「色はあんまり美味そうじゃないな。匂いは……甘ったるいが悪くはなさそうだ」
 テーブルに近づくと、グラスを持って匂いを嗅ぐ祐一。
「そうそう。試してみなさいよ。きっと体にいいから」
 あたしが促すと、意を決してグラスに口を付け、あおった。そして……
「ブハッ!」
 直後に思いっきり吹き出した。
「うわっ。ちょっと、汚いじゃないっ」
 あたしや栞にかかることはなかったけど、液体はテーブルや床に飛び散ってしまっていた。
「っっっ、なんだこりゃっ。不味いなんてもんじゃないぞ!
 苦酸っぱ甘辛いというか、ありとあらゆる味覚が最悪の不協和音を奏でてるっていうか、舌の上にまったり広がってしつこ過ぎというか。
 とにかく、絶対に人間が口にしていい飲み物じゃねぇっ」
「そんなグルメマンガみたいな説明はどうでもいいわよぅ……」
 栞は新しいグラスを食器棚から取り出すと、水を汲んで祐一に差し出した。
「祐一さんっ、お水です!」
「さ、サンキュ」
 祐一はグラスを受け取ると、一気に飲み干した。そしてゼイゼイと肩で息をする。
「ぐぁ……まだ舌が痺れてるぞ……」
「やっぱり栞に飲ませなくて正解だったわね」
 その様子を見て呟いたあたしに、祐一が鋭い視線を向けてきた。
「ちょっと待て、今のは聞き捨てならん! お前、俺を毒見役にしただろっ」
「な、なんのこと? 真琴、分かんないも〜ん」
 視線を逸らすあたし。祐一はさらに追求してくる。
「とぼけるなっての。ちょっとその付録って奴を見せてみろ」
 まずい……。あたしは手にした冊子を取られないようにGジャンのポケットへ押し込むと、祐一の横をすり抜けて栞の手を取った。
「逃げるわよっ、栞!」
「あ、えっ? あの……すみません、祐一さんっ」
「待てコラ!」
 あたしと栞はそのまま玄関まで行き、慌てて靴を履いて外へ飛び出した。
 祐一はパジャマ姿だから外へは追いかけてこない――とは思うけど、相手はあの祐一だ。油断はできなかった。
 とにかく家から距離を取ろうと、あたしたちは雪道を走りに走った。


「はぁ、はぁ……。こ、ここまで来れば……大丈夫よね……」
 あたしは足を止めると、膝に手を突いた。
 ここは町外れの麦畑。勢い余ってこんなところまで来てしまったようだ。
「ふぅ、ふぅ……。なんだか……祐一さんに悪いこと……しちゃいました……」
 栞も息を切らしながらそう言った。慌てて出てきたので、サングラスやマスクは付けてない。
「でも……美味しくないってだけで、体に悪いもんじゃないんだから……祐一にはむしろ感謝して欲しいくらいよ……」
「そう、かもしれませんけど……」
 とにかくも、二人でゆっくりと呼吸を整えることにした。
 広い麦畑はすっかり雪に覆われている。けど、その下では秋に蒔かれた麦の芽が息づいているはずだ。植物ってほんとに強いと思う。
 ようやく落ち着いてきたところで、あたしはさっき感じた疑問を口にした。
「それにしても、さっきの花粉症ドリンクの匂い、どこかで嗅いだことがあるような気がするのよね……」
 もちろん、バニラエッセンスを入れる前の匂いのことだ。
「あ、私もです。なんだったのかは思い出せないんですけど」
 栞もそれに同意してくる。
 いったいなんの風味だったんだろうか。あたしは記憶の底を探り――そして思い当たった。それを自分が忘却の海へ沈めていたんだってことに。
 ――祐一が『人間の本能が警鐘を鳴らす』と表現した、オレンジ色の悪夢。
 栞も気付いたようで、その顔が青ざめている。
「た、ただの偶然かもしれないし……」
 あたしがそう言うと、栞がこくこくと頷いた。
「そ、そうですよねっ。それに、人類には決して足を踏み入れてはいけない領域があるんですっ」
「じゃあ、その話は終わりってことで。つ、次行くわよっ」
 早々に話題を打ち切ると、あたしはポケットから冊子を取り出して、次の項目を読んだ。

『その4.藁などで作った人形を悪い部位に当てた後、川に流す』

「……」
 栞が妙な表情になる。
「これは日本古来から伝わる病気の対処方法みたい。源氏物語にも書かれてるって」
 あたしは源氏物語ってのがなんだか知らないけど。
「う〜ん、気が進まないです」
「なに言ってるのよ。何事も試してみなきゃ分からないんだから。ちょうどいいところに、麦藁もあるし」
 気乗りしない様子の栞に、あたしはそう答える。
「それは、そうですけど……」
「真琴はこういうの保育所で作り慣れてるから、ちょっと待ってて」
 祐一はあたしのことを『不器用だ』とか言ってからかうけど、こう見えても子供たちからは工作の上手なお姉さんとして尊敬を集めているんだから。
 麦畑の傍らに置かれていた藁束から藁をちょっと拝借して、あたしは人形を作り始めた。
「あたしはっ……強いっ……んーんー・にーくまーん♪」
 自作の『肉まんの歌』を歌いながら、あたしは麦藁を人の形に束ねていく。栞は突っ込みたそうな表情だけど、突っ込まれてやらない。
「あーっ、心にぃっ、愛がなーけーればーっ♪
 っと、これで完成――うわ、恐っ!」
 あたしは出来上がったモノを見て、恐れおののいた。
「だから言ったじゃないですか……」
 栞が鼻声でそう呟いて、深いため息をつく。あたしが作ったのは、どう見ても呪いの藁人形だった。
「多分、根っこは同じ呪術なんだと思います。病魔退散も、復讐に使うのも」
「そっか。『身代わり』って意味なのよね、どっちも」
 あたしは感心して頷いた。
「でも、どうします、これ?」
 栞が藁人形を差して尋ねてくる。
「……やっぱり恐いから、やめとこうか?」
「は、はい。そうですよね」
 せっかく作ったのにもったいないけど、栞が呪われちゃったりしたら嫌だし。シロートが手を出さない方が良さそうだ。あたしは人形を解体して、もとの藁に戻した。
 それから、あたしはまた冊子を開いて読み上げる。
「次で最後ね。えっと……」

『その5.マイナスイオンで活性酸素を除去し、花粉症を軽減』

「マイナスイオン、ですか」
 栞がほっぺたに手を当てる。
「やっぱり科学の力よね、うん。呪術なんて非科学的なものに頼っちゃ駄目よ」
「……微妙に自己否定しているような気もしますけど。それに、マイナスイオンの効能って今ひとつ疑問視されてたような」
「まっさかぁ。今じゃエアコンとか掃除機、冷蔵庫にまで付いてたりするんだもの。メーカーの人が、ブームだからってよく分かんないものを電気製品に付けて売るなんて、そんな馬鹿なことをするはずないじゃない」
 あたしは断言する。
「そうとも言い切れないような……」
「とにかくっ、せっかく表に出てきたんだから、ここは自然の中にあるマイナスイオンを味わうべきよね。とゆーわけで、森林浴にGO!」
「えええっ? ちょっと……待ってくだ……」
 ぐずぐずしている栞を引っ張って、あたしは道をどんどん進む。やがて、あたしたちは山沿いの道路に辿り着いた。そこから脇道にそれて、林の中に足を踏み入れる。
「ん……。やっぱり街中よりも空気が奇麗な感じがするわよね」
 木々に太陽の光が遮られた林の中は、外よりも少し気温が低い。もっとも、風も入り込んでこないから、それほど寒いということもなかったけど。
 ざわざわ、ざわざわと枝鳴りの音が上から聞こえる。見上げたあたしは、あれっと思った。
「あの黄色いもやもやしたの、なんだろ?」
 隣から、くしゅんとくしゃみの音。栞はマイ・ティッシュで鼻を押さえていた。
「えっとですね。ここは杉林で……」
 そして、頭上を手で示す。
「そしてあのもやは……杉花粉なんですよ」
 そう説明した直後、栞は盛大にくしゃみをし始めた。
「わわっ。栞っ、大丈夫?」
「だ……大丈夫じゃないかも……。くしゅっ、はくしゅん」
「わーっ。し、しっかりして!」


 祐一はあたしを睨むと、小さくため息をついてから言った。
「まったく、お前は……。もうちょっと考えてから行動しろよ」
「あぅ……。ごめんなさい」
 あたしと栞は水瀬家に戻ってきていた。栞はとりあえず祐一のベッドに寝かされている。
「花粉さえ吸い込まなきゃいいんだから、変な民間療法はやめておけよな」
「うう……」
 小言を言う祐一とうなだれるあたしに、横から栞が声をかけた。
「その辺にしておいてください、祐一さん。私はもう大丈夫ですし」
 栞の鼻の頭はすっかり赤くなってしまっている。鼻のかみすぎのせいだ。
「しかし、な……」
「いいんです。確かに花粉症には効果がかなったみたいですけど、今日はとっても楽しかったんですから」
「……栞ぃ」
 結構酷い目に合わせちゃったというのに、栞はあたしに向かってにっこり笑った。栞はやっぱり、すごくいい子だ。
「よーし。それなら保留していた『その2』を実行するわよっ、栞!」
「えっ?」
 びっくりしたのか目を丸くする栞と、不審そうな目を向けてくる祐一。
「なんだよ。まだ続けるつもりなのか?」
「祐一っ。あんたも協力しなさいよね」
「ん? まあ別に、変なことじゃなければ協力してやるけど……」
 祐一の言葉に、栞の顔全体が火の付いたように真っ赤になった。
「ゆゆ、祐一さんっ。そんなこと言い出す人嫌いです!」
「なんだか知らんが怒られた……。真琴っ。お前、実はちっとも懲りてないだろ!」
「そんなことないわよ。あたしはちゃんと栞の力になってあげようと……クチュン」
 急に鼻がムズムズして、あたしはくしゃみをした。その瞬間、祐一がニヤリと嫌な笑みを浮かべる。
「な、なによ?」
「真琴。お前ももしかしたら花粉症になったんじゃないのか?」
「ち、違うわよっ。真琴はただ……」
「いやいや。花粉症ってのはいつ始まるから分からんからな。それに、こいつは『予防』にもなるんだろ?」
 そう言いながら祐一が懐から取り出したのはガラス瓶――さっきあたしが作った、『花粉症対策ドリンク』だった。
「ちょっ、ちょっと……それをどうするつもり?」
「そんなの、決まってるじゃないか」
 祐一が妙に爽やかな笑顔で告げた。
「わーっ。し、栞、助けてーっ!」
 ところが、栞は顔を真っ赤にしたまま戻ってこない。『ジゴウジトク』という言葉が頭に浮かぶ。
「なあに、大丈夫だって。これは体にいい飲み物なんだからな。ちょっとだけ舌が痺れて、一瞬あの世が見える程度だ」
 瓶のキャップを外し、祐一はジリジリと近づいてきた。
「ゆ、祐一……やめ……。
 ――!」
 そして、あたしの悲鳴はご町内百メートル四方へと響き渡った、のだった。

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