気が付いた時には、あたしはここにいた。
虚無という言葉が似つかわしい、色のない場所。
不思議な事に、あたしはここが何処なのだろうとは思わなかった。
「駅……なのよね。ここ」
そう、ここは駅だ。
周りを見てもそれと判る物があるわけでもないというのに、
あたしはここが駅である事を知っていた。
夢想列車の旅路
「…………」
ベンチと思しき物に座り、辺りを見回してみる。
まるで色という概念に見放されたかのような、そんな世界が視界に広がっている。
空を見上げると、抜けるような青い空がそこにあった。
こんな世界でも、空だけは青いのだな、と妙に感心してしまう自分がいた。
―― カタン、カタン……
音が聞こえた。
視線を傾けると、この世界と同じく、存在の希薄な列車が走ってくるのが見えた。
いくつかの車両が目の前を通り過ぎた後、少しづつ速度を落としてゆく。
ややあって列車は止まったけれど、あたしは乗ろうとは思わなかった。
これでいいんだと思い、過行く列車を見届けようと思ったその時だった。
「――――」
声が聞こえた気がした。言ってしまえばただそれだけの事。
別に乗らなくても良かった筈だ。元々乗る気も無かった筈だった。
それなのに、あたしの足は列車へ向かっていた。
何故か? と聞かれても答えは出せない。
強いて言うなれば、そうしなければ後悔するような気がしたのだ。
車内に入ると、どこか懐かしい木の匂いがした。
色彩に乏しい事に変わりは無いのに、妙な存在感がこの場所にはあった。
「自由に座って構わないのかしら……」
乗り口から一番近かったこの車両には誰もいなかった。
後から他の誰かが来る気配も無いから、あたしは車両の丁度真ん中に位置する席に腰掛けた。
「ご一緒してもよろしいですか?」
聞きなれた声にあたしは顔を上げる。
姿を確認するまでもなく、そこにいたのは栞だった。
「わざとらしく口調を変えても、あたしには判るのよ? 栞」
「あ、やっぱり?」
家族にしか使わない、砕けた口調に戻して栞が笑う。
「私を置いて先に行くから、ちょっといたずらしちゃおうって思って」
「栞を……置いて?」
栞の言っている事の意味が解らなかった。
あたしは栞と何か約束をしていただろうかと、記憶の糸を必死にたぐり寄せる。
が、どうしても思い出せなかった。
「もうっ。お姉ちゃん、忘れちゃったの?」
「ご、ごめん……」
「「たまには二人っきりで旅行に行きたいわね」ってお姉ちゃんが言ったんだよ? 」
えう〜。と栞特有の唸り声をあげる。
「二人で、旅行……。ああ……」
いつの頃だったかまでは思い出せないが、確かにそんな事を言った覚えがある。
「よくそんな事覚えていたわね」
「それが楽しみで手術を頑張ったんだから当然だよ」
栞の言葉を聞いて、どんどんと記憶が蘇ってくる。
そうだった。栞の病気が治った記念に二人で旅行に行こうとしていたんだ。
どうしてこんなに大事な事を忘れていたんだろう。
わからない。わからないけれど、栞の表情が目に見えて悲しそうなのを見て、思索を打ち切る。
「ごめん……。本当に、ごめんなさい。忘れてしまって……」
「あ、ううん。そうじゃないの。ただ、お姉ちゃんの事を……」
そこまで言って、何か気まずい表情をした後に、取り繕うような笑顔をする。
「お姉ちゃん、きっと疲れてるんだよ。少し眠った方がいいよ」
「そうかしら……、どうせなら栞と話したいのだけれど……」
そう言った途端、少し視界が揺らめいた。
栞の言う通り少し疲れているのか、なんだかとても眠かった。
「……やっぱり、少し寝かせてもらうわ。何かあったら起こしていいから」
「うん。……おやすみ、お姉ちゃん」
目を閉じるとすぐに眠りにつけた。
耳元で栞が何かを言った気がしたけれど、はっきりとは聞こえなかった。
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