森の開けた場所の、その中心にある大きな切り株で。全ての時間が凍りついたあの場所で。




俺は







一人の少女に出会った……






◆兆し






 「卒業おめでとうございます、先輩」
 「あの……先輩の第2ボタンを貰えないでしょうか? 」
  晴天といえるほどの蒼の下、喧騒に包まれた校門前。艶やかな彩の中で今日、高校生という名前を卒業する生徒達と、それを見送る次の年の卒業生と、他多数。

 「はぁ」
  後輩の手厚い歓迎をすり抜けたあたしは、校門から少し離れた人ごみの少ないところまで移動するとため息をついた。
 「香里、お疲れ様」
  そんなあたしを待ってとばかりに後ろから声がかかる。
 「なんだ……名雪と北川君か」
 「なんだとはひどいよ〜」
 「よぉ、美坂も大変そうだな」
  振り返ったあたしを迎えたのは、あたしと同じく今日ここから巣立つ面々。あたしは名雪に顔で『ごめんね』を作る。

 「さすがに疲れたわ……」
 「香里は人気者だからね」
  あたしの愚痴に、陸上部部長だった名雪は自分もそれ相応の歓迎で疲れているはずなのに、それを見せることもなく元気に相槌を打つ。
 「ところで、気になったんだけど……」
  『いつものメンバー』の中に居る筈の一人の男子生徒の姿がないことに疑問を抱き、それとなく名雪に訊いて見た。
 「えっ、祐一? 祐一は卒業式が終わったらダッシュで外に出て行ったきりだよ」
 「そう」

  あたしはふーん、と適当に相槌をうった。
 「まじかよ!? 今日は卒業式と美坂の誕生パーティをする予定だったはずだろ? 」
 「あっ、それまでには戻ってくるって言ってたけど……」
  誕生パーティなんて、こんな歳になってするものでもないのだけれど、今年の卒業式の日程とあたしの誕生日が被っていたので、これ見逃しに相沢君が企画したというのが、本当の経緯である。
  当のあたしですら誕生パーティをしてもらうのではなく、名義上そうなっているだけと解釈している。だって、みんな卒業して浮かれているのにあたしだけ祝ってもらっているということ自体、変な話なのだから。
 「あっ!? もしかして相沢のやつ、プレゼントを買いに行ったのかも」
  北川君の発言に、ありえない話だと思ったのも、そう言う考えがあったからだ。
 「プレゼント……ね」
  その言葉に一年前の事を思い出してしまう。あの悲しくて、嬉しくて暖かかった、雪の降る日の……
 
 「あっ……雪  」
  あたしの邂逅を現実に呼び戻す名雪の声。
 「珍しいな……もう雪は終わっちまったって天気予報は言ってたんだけどな」
  天気予報は喋らないわよ……という皮肉めいたことすら出てこない。
 
 「……雪……」
  口から出た言葉はただ、その一言だけだった。





Birthday sonG requieM







◆朝影






  願いの叶う人形……。森を抜けたその先で、街が見渡せるその大きな切り株の上で、二人の思い出の場所で。
 『今日は、お別れを言いに来たんだよ……』
  その言葉から形を成していく、人形に残された最後の願い。どこまでも広がる夕焼けの中で、二人の学校で。
 「……祐一君……ボクのこと……ボクのこと、忘れてください……」
  悲痛な笑顔の少女が願った最後の約束。
 「…ボク…ホントは……もっと、祐一君といたいよ……」
  明けるはずの無い夜明けを待ち続けていた、涙混じりの安らかな笑顔の少女の最後の願い。

  そして――


  まるで、最初から何も存在していなかったように、その場所には初めから誰もいなかったように、俺の目の前から、少女は消えてしまった。
  ただ霧散してしまうことを知らないように、俺の心の奥にだけ、願いと約束と、そしてぬくもりがいつまでも、残っていた。




  どれほどの論理を用いても解けることのない答え、どれほどの時間を用いても溶けることのない想い。幸せな日を省みるのがだんだんと遠くなるように、ただ無常にも日は昇り沈み、またそれを繰り返していく。
 「…………」
  あれからどのくらい経ったんだろうか。一日か一ヶ月か、時間の感覚というものがすでに分からない。ただあのときに残っていたぬくもりは、もうこの手には残っていない、それだけだった。






◆夢の跡






  コンッ…コンッ、コンッ

  外界からの音、ドアの音。俺は、働かない脳中で、それをただ漠然と認識していた。
 「……祐一、入ってもいいかな? 」
  続いてその音の主であろう人の声。

  ガチャッ、ギィィ〜〜
 「……失礼します 」
  俺の返答は最初から計算に入っていなかったのか、それとも元々の性格上たる所以なのか、答えを待つべくドアは開かれ、声の主の顔が現れた。
 「男の部屋に断りもなく入ってくるなんて、名雪も成長したな……」
 「えっ、わ、わっ! ゆ、祐一、起きてたんだっ、その……お、おはようだよっ」
  シュッ、バンッ!

  慌てふためきながらドアを開けた名雪は、その開けたスピードの何倍ものスピードでドアを閉める。どうやら前者の方だったらしい。
 「いや、別にいいよ。で、なんか用なのか、名雪? 」
  俺は、覆っていた毛布を剥ぎながら上半身を起こした。どうやら、俺はベッドの上で寝ていたらしい。

  ガチャッ、、、ギィィィ〜
  初めよりも幾分緩めのスピードでドアが開かれる。そこから姿を現したのは制服姿の名雪だった。
 「そ、その……お、おはよう祐一、起きてたんだね」
  正直名雪に起こされるなどというのは、こっちに越してきてから初めてであり、名雪に起きてたんだね、と言われるのは少なからずショックというものだ。
 「まさか、名雪に起こされるとは思わなかったな。今何時だ? 」
 「朝はおはようだよ、祐一」
  俺の皮肉を難なくスルーしながら、いつものやり取り。

 「あ、あぁ、おはよう。で、今何時ぐらいなんだ? 」
  名雪が制服を着ているぐらいなのだから、普通なら遅刻へのデッドラインぎりぎりの時間のはずだが、名雪の様子を見る限り大丈夫のようだけど……
 「えっと、その……」
  なぜか、もじもじと、言いにくそうな仕草を見せる名雪。まさかすでにデッドラインを遥かに過ぎてしまっているとか!?

 「……15分」
  と、繋げた名雪。
 「なんだ、15分ならまだ走れば間に合う時間だな。じゃあ支度するから少し待っててくれ」
  あまり、学校に行こうとは思えないのだが、名雪を待たせるわけにもいかず、そう言う。
 「えっ!? 今から学校に行くの、祐一」
  名雪は俺の返答に、さもびっくりしたように相槌を打つ。
 「えっ、まだ15分なんだろ。なら急げば間に合うんじゃないのか? 」
 「えっと……その、4時、15分なんだよ……」
 「はっ!? 」
 「だから、もう4時なんだよ。ごめんね、祐一」
  4時? つまり、まだ学校の門すら開いてないと言う時間と言うことか!? ……あれ?
 「もう、4時? 」
  『もう』と言う言葉と、朝の4時に名雪が制服姿で『起きている』というありえない事実が、ひとつの答えを指し示していた。
 「今日の授業はさっき終わったんだよ」
 「ぐあっ。やっぱりか」
  ということは今朝起こしてくれなかったのは、多分秋子さんが気を使ってしてくれたんだろう。

 「って、じゃあさっきのはなんだ? 」
 「さっきのって? 」
 「朝はおはようだって、さっき言ってたじゃないか」
  だから、さっきの珍道中が起こったわけだ。
 「だって、朝はおはようだよ? 」
 「いや、朝じゃないだろ!? 」
  どう贔屓目に見ても、おやつの時間までしか通らない時間帯だ。
 「でもでも、起きたらおはようなんだよ、祐一」
 『うぐぅ、ひどいよ祐一くん』
  !?
 「? どうしたの、祐一」
 「ん、別になんでもないぞ」
  そういいながら俺は、布団をすり抜け起き上がった。
 「そう? ならいいんだけど」
 「悪いな名雪、ちょっと今から行くところがあるから、また後でな」
  そういいながら、外出用の服をクローゼットから出し始める。
 「え、あっ、うん、わかったよ。でも、もう夕方だよ? 」
  俺の意図に気付いたのか、そそくさと部屋から出ようとする名雪。
 「ああ、ちょっと行くところがあってな」
 「それってどこなの? 」
 「学校……」
  俺は、名雪に言うというより自分に言い聞かせるように、そう呟いた。






◆生まれたての風






  あれから半日。まだ雪で彩られた森を俺は歩いていた。ただ、もうあゆに会えることは無い、と、それだけは分かっていた。
  それでも俺はこの先に行こうとしている。あの二人の学校に。

 「はぁ、なにしてるんだろうな」
  今の自分にそう言い聞かせる。しかし、その言葉とは裏腹に、足だけは着々と目的地に向かって歩を進めていく。

 「なんでだろうな」
  もう行かないと決めたはずの、この学校に向かう自分に問いかける。その答えは、さっきの名雪とのやり取りに聞こえた、あゆの声。
  あれが幻聴だろう、ということは自分でも分かっている。だけど、『もしかしたら』と言う思いだけが、歩みを止めない。

 「……あと少しだな」
  もう少しで森の開ける場所に着く。そこで終着。そして俺のこの執着心も、きれいさっぱりと消せることが出来るんだろう。

  だけど――――
  森の開けたところにある大きな切り株。その切り株を目視できるところまでたどり着いたとき、俺の歩みはそこで一旦止まった。
 「誰かいる? 」
  切り株の上に人影が見える。どうも街の方を見ているようなので、顔は分からないが、あれは確かに人間のようだった。

  ザッザッザッ

  意識せずとも、俺は早足になり、そこから駆け足になるまで数秒とかからなかった。そして気がついたときには、俺は切り株の前で息を切らしていた。

 「あっ……」
  刹那、切り株の上から声が発せられる。息を切らして地面を見つめていた俺も、その声に反応して顔を上げた。
 「あの、祐一さん。ですよね? 」
  切り株の上に立っていた人間―少女―は俺を見ながら、怪訝そうにそう訊いてきた。
 「えっ? ああ、そうだけど」
  見覚えのある顔。聞き覚えのある声。
 「どうもお久しぶりです、祐一さん」
  その顔と声が、やさしく俺に挨拶をしてきた。その表情で俺は思い出した。あゆとの本当の再会のときに傍らにいたストールの少女。その次の日に学校の中庭で会ったきりの少女。名前は確か……
 「ああ、久しぶりだな。栞? 」
 「わっ、何で疑問系なんですか!? ひどいです」
  言葉の微妙なニュアンスに抗議を持ちかけてくる少女。名前はどうやら合っていたらしい。確か苗字の方は……なんだったかな?
 「いや、それは栞の聞き違いだろ」
 「むぅ〜、そんなこという人、嫌いです」
 
  森の開けた場所の、その中心にある大きな切り株で。全ての時間が凍りついたこの場所で。
 


 
俺は、一人の少女に出会った……






◆笑顔の向こう側に





 「で? 」
 「はい。なんでしょうか? 」
 「栞はなんでこんな所にいるんだ? 」
  街が見渡せる切り株の前で俺は至極当然な疑問を栞にぶつけていた。
 「えっと、ですね……」
  栞は人差し指を口元に当てながら少し思案するような表情をすると
 「実は人に会うために、こっそり出てきたんですよ」
  と、どこか記憶の中であったような答えを出してきた。
 「人に会いに……って、誰に会いに来たんだ? 」
  俺はその記憶の続きをなぞるように言葉を返した。まぁ事実こんな人気のない所で待っていないと会えない人に思い当たる節は……ないとは言えないか。
 「それは秘密です」
  栞は『それ』に気付いたのか小さく微笑みながらそう言った。
 「秘密といわれると余計気になるな」
 「そうですよね」
 「せめてヒントだけでも」
 「ヒントですか……? 」
  過去のやり取り。それはまだ幸せだったときの、あゆがこの街にいたときの記憶の断片。そんな懐かしい感傷に浸りながらも、同時にさっきまでの暗く重かった気持ちがうそのように氷解していくのが分かった。

 「実は……祐一さんを待っていたんです」
 「は? 俺をか? 」
 「そうですよ」
  栞は自信満々といった感じで、そう断言する。しかし……
 「もしかして栞は超能力とか、未来予測とかでもできるのか? 」
 「え、どういうことですか? 」
 「いや、いくらなんでも……」
  といいながら俺は木の生い茂った周りをぐるりと見回る。どう考えてもこんな場所で人を待っているという栞の行動に適当な理由が見つけられない。
 「いくらなんでも、それはないですよ」
  鸚鵡返しに近い答に、『そういうのがあればいいんですけどね』という残念そうな表情が返ってきた。

 「祐一さんは奇跡って信じますか? 」
 「え? 」
  不意に栞が口を開いた。その表情はさっきまでとは打って変わって真剣そのものだった。
 「……ああ、信じているよ」
  俺はそう答えた。少なくとも俺は昨日まで、その奇跡と言うもの揺り篭の中にいたのだから。
 「そうですよね。私もそう思います」
  俺の返答に満足したのか、栞は口元に指を当てたまま小さく微笑んだ。
 「それがどうかしたのか? 」
 「いえ、ちょっとした興味です」
  と、よく分からない答えで返してきた。

 「で、俺に何のようなんだ? 」
 「はい? 」
  俺の質問の意味が分からなかったらしく、栞は疑問符を浮かべる。

 「だから、俺を待っていたんだろ? 」
 「え……あっ。そうでしたね」
  完全に忘れていたのか、思い出したように何度も頷く栞。

 「実はですね……」
  と、真剣そうな顔でそう言葉を区切ると
 「祐一さんにお願いしたいことがあるんです」
  そう繋げた。

 


◆約束




 「おはよぉ〜」
 「おっす! 」
 「おはよう」

  次の日。土、日と昨日をあわせて3日ぶりに、俺は学校に来ていた。

 「よぉ相沢。もう体の具合は大丈夫なのか? 」
  と、教室に入るなり北川に声をかけられた。どうやら昨日の欠席はそう言うことになっていたらしい。
 「まぁな」
  少なくとも昨日の状態のままで、あゆのことを引きずっていたら今日も学校には来ていなかっただろう。
 「そうか、それはよかったな」
  いや〜昨日は暇だった、とつなげる北川。

 「そういえば香里はまだ来てないのか? 」
  もうすぐ本鈴がなるという時間である。なのに教室には香里の姿がない。
 「そうだな」
  と北川。その声には何かしら寂しさのような色が出ているように聞こえる。
 「香里も昨日休みだったんだよ」
  と後ろから名雪が会話に入ってきた。今まで無欠席だったのにな、と北川。

 「……そうなのか」
  香里が来ていないというのは予想していなかった。そして話を聞く限り今日も来ないかもしれないという色も見えてきている。
 「ん、何だ相沢? 美坂に用事でもあるのか? 」
  俺の様子を見て北川が質問をしてきた。
 「ん、ああ、まぁ多分な」
  と、かなり曖昧な返事をする。
 「? 」
  俺の答えが煮え切らないのか、北川も名雪も疑問符が顔中に出ていた。
  その疑問もチャイムと担任の音に遮られ、俺たちは席に着くこととなった。

 「さて、どうしたものかな」
  授業中、俺は黒板に集中することもなくそんなことを考えていた。
  昨日の栞のお願い。俺はその栞の願いというものを承諾した。それが今日学校に『来れた』大きな要因のひとつである。
  栞のお願いとは、香里のこと。詳しくは教えてくれなかったが、栞は香里を知っているらしい。そしてその香里の学校での様子を教えてほしい。

  それが栞の願いだった。しかしながら、調査対象の香里本人が学校に来ていないのではどうしようもない。

  なぜだろう?

  そしてもうひとつ、別ののことを考えていた。それは栞から語られたひとつの条件。

 『私のことは、おね……香里先輩には勿論、他の人には話さないでくれませんか』

  俺はそのときは別に深く考えずに約束してしまったが、考えれば考えるほどおかしい。誰も来ないような場所で待っていて、誰にも存在を明かしたくないということをほのめかしている栞という人物。
 「まるで不倫調査の探偵みたいだな」
  と、思っていたことをそのまま口に出してみると、なんとも違和感がないことに、苦笑してしまう。するとそんな栞に調査を依頼された香里の立場は――

  ガラガラガラッ

  いきなり聞こえたドアの開く音に思考を一旦中断してしまう。
 「遅刻してどうもすみません」
  と、ドアを開けきった人物は必要最低限の言葉を吐くなり教室内に入ってきた。
  その不意の訪問にクラス中が少しざわめきだした。しかしそれは仕方ないことだと、俺は思うことになる。

  なぜならその人物とは――

 「おい、相沢っ! 美坂の様子、ちょっとおかしくないか? 」
 「……あ、ああ」
  後ろから聞こえてきた北川の声に、そうつぶやくことしか出来なかった。そして同時に納得してしまうことにもなった。何故栞が香里の様子なんかを気にしていたのか……

  無言のまま誰にも、名雪にすら反応を見せないで自分の席に座った香里は――


  まるで死人のようだった





◆彼女たちの見解





 「……そうですか」
  少しだけ赤みを帯びた午後の日差しが街を満たしている。その街から少し離れたこの森の切り株の上で、栞悲しそうな表情を浮かべながらそう呟いた。
 「ああ」
  俺は今日学校で見た香里の様子を栞に話していた。

  死人のように何も写っていないような瞳。話しかけられても何も答えようとしないその心。そして何かを懺悔するかのような苦悶と後悔と、そして絶望にも似たような感情にうなされている様に見えたこと。

 「栞は何か知っているのか? 」
  栞の香里の様子に対する反応が気になったので、悪いとは思いつつも口はそう動いていた。単なる好奇心ではなく、クラスメイトとして、友達として。それに名雪の口から突いて出た言葉が気にかかる。
 『なんか香里、昨日の祐一みたい……』

 「…………」
 「………………」
  森がしばらく重い沈黙に支配される。

 「私の……せいなんです」
 「え? 」
 「私が苦しめているんです」
  予想していた答えとかけ離れすぎた答え。栞の言葉だけを訊けば栞が何か香里に良からぬことをしているように聞こえるが、その表情は後悔のそれに近い感じにしか見えなかった。 

 「で? 」
 「え? 」
 「栞は香里にどうなってほしいんだ? 」
  やさしい疑問を投げかける。栞はそんな俺の言葉を一つ一つかみ締めるようにゆっくりとなぞるように呟き、それらを飲み込むと一言だけ呟いた。
 「謝りたいです」
 「そっか……」

  その言葉の意味は俺には分からなかった。けど、その瞳には何かの決意をした人が持つ独特の色が見えた気がした。

 「なら今から謝りに行こうか」
  栞の言葉の意味を『そう』理解した俺は、そう続けた。しかし
 「今は……出来ないです」
  何かを悟ったような言葉と、何かに耐えているような苦しそうな声。
 「じゃあ、どうするんだよっ! 」
 「今は……無理なんです」
  語気を知らず荒くしてしまった俺の質問にも、ただ『今は……』を続ける栞。彼女がこのときどんな気持ちでこの言葉を吐いていたか俺は知らなかった。



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