九月半ばの水瀬家では一人の男が唸っては荷物の中身を入れ替える。
「う〜ん、荷物はこんぐらいでいいか、いや、でもなぁ……」
顔を荷物から上げて周囲を見れば、部屋が見事なまでに散らかっている。
その中から雑誌が乱雑している所に手を伸ばして探り、ある雑誌をそこから取り出す。
その手に取ったのは、『メンソーレ沖縄へようこそ!』
ページをめくっては何度も首を捻ってブツブツと独り言をつぶやく。
「う〜ん、このコースだと北川の提案しているコースと被っちまうか」
はぁ、とため息が知らずに漏れる。
「相沢、準備できたか?」
「のわぁ!!」
突然背後から声をかけられて、驚きのあまり祐一は床から浮き上がるほどの勢いで飛びあがり、
振り返って声の主を確認すれば、そこにいたのは祐一の友、北川潤がニッコリと満面の笑みをみせている。
「おい北川、勝手に人の家に上がるなと子供の頃教わらなかったか? それができない子はお仕置きしないと…」
そう言い終えると押し入れに歩みより体勢は北川に向けたまま後ろ手で開け、木刀を掴んで素早く北川に差し向ける。
一連の動きに唖然としていたが木刀の先端が自分に向けられると顔の前で手を左右に勢いよく振って自己弁護をしだす。
「ま、待て、家に上がる許可はちゃんと水瀬の母さんが許可してくれたぞ。お前は俺が来た事に気づいてないからちょっと驚かしてやろうって、
茶目っ気出してみただけだ、だから木刀をさげろ」
北川はドアに向かって少しずつ後ずさり、それを祐一は笑みを浮かべながら後ずさった分だけ前に詰め、一定の間合いをつくり出す。
「いいか相沢、まず落ち着こうな、な、そんなの振り回したら俺が怪我してしまうだろ?」
「私は一向に構わん!!」
表情を変えずに言い放つ。
「少しは構えよ! ああ、待て待て、コラ振りかぶるな」
「これで沖縄に行く前にスイカ割りの練習ができる……」
「しみじみ言うなよ、俺なんかしたか?」
そこで祐一は笑みを顔から消して少しうつむいて軽く笑う。
何事かと北川が警戒を解いて祐一に近づいた瞬間、待ってましたという勢いで木刀を握っていない手で北川の胸倉を掴む。
「お前は俺の情けない声を聞いてしまった、それは万死に値する」
木刀をもう一度、高々と振り被り、狙いを頭部へと定める。
「へっ? もしかしてそれだけの理由?」
祐一は無言のまま大きくゆっくりと、一度だけ頷く。
「そんな理由のためだけかよ! 頼むから許してくれよ」
北川からしてみればそんな理由だけで生命の危機に晒されているかと思えばやりきれないだろう。
だが祐一はそう思わなかった。
目蓋を一度閉じて、ゆっくりと目蓋を開けば北川を睨み付ける。
そして北川の胸倉から手を離して振り被っている木刀を掴み、渾身の一撃を今まさに打ち下ろさんとする。
「チェェェェェストォォォッッ!!」
「く、くそ、美坂の秘部を一度も拝見しないで死ぬのか」
諦めてその一撃が来るのを待つ。
「祐一さん、北川君、お菓子持ってきましたよ」
あわや北川の頭部を打つかと思われた一撃は祐一が力任せに止め、すんでの所で回避された。
頭部にを食らうと思っていた北川はそれを止めた秋子を救いの女神が降臨したかのように目に涙を浮かべる。
「お二人とも元気ですね、でもあまり大きな声を出すのは近所の迷惑になりますから注意してくださいね」
「はい、解りました」
木刀を床において、満面の笑みお菓子の乗せられたトレイを受け取って部屋の中央にあるテーブルにそれを置く。
「さあ、北川君、それじゃあ修学旅行で回る場所を決めようか」
「そうだな相沢君、楽しい修学旅行をもっと盛り上げるためにも頑張ろうか」
ガシッと固く手を握り合う。
それを微笑ましく見ながら秋子は退出する、それと同時に北川は素早く後方に一歩引いて身構える。
だが祐一はなにもせず腰を下ろしてお菓子をついばみながら雑誌に目を通し始める。
飛び掛って来るかと身構えていた北川は呆気に取られたが誘い出すためのワナかと思い警戒心を解かない。
祐一は北川に気を向けることもなく意識を雑誌に集中している。
おい、どうした? と声を掛けようかと口を開いた時に祐一から声を掛けられる。
「なんで俺らの学校ってさ、三年の時に修学旅行があるんだ? 受験と被るから普通は二年の時だろ? おかしいよな」
「ん? ああ、うちの学校は昔から三年のときだぜ」
ふ〜ん、そうなのか、っと呟いて片手で雑誌を見ながらもう片方に持ったお菓子を口に運ぶ。
その様子を眺めながら北川は尋ねた、『なんで襲ってこないんだ?』 と、祐一は顔を持ち上げもせず雑誌を見ながら、
「興が醒めた」
ただそう言うだけであった。
襲ってこない、身の安全を確認した北川はホッと胸を撫で下ろして祐一の反対側にどかっ、と座る。
「そうだ、なんで俺たちと行動出来ないんだ? 一緒に沖縄をエンジョイトライしようぜ」
「たまには他の奴らと行動しようと思ってな、もしかしたらこれが最後かもしれん」
ふ〜んと頷きながら、さっきから祐一が熱心に読んでいる雑誌に興味が行く。
「で何見てんだ? ちょっと俺にも見せてくれよ」
祐一の開いているページを見ようと身を乗り出して覗き込もうとする、しかし、スッと雑誌を持ち上げて見せないようにする。
「……?」
今度は下から覗き込もうとする、すると今度は雑誌を下に下げる。
また上から見ようとすればまた持ち上げる、下から見ようとすればまた下げる、これを無言のまま何度も繰り返す。
数分して北川も飽きたのか近くにある雑誌を取ってお菓子を食べながら読む。
さらにそれから数十分過ぎた。
雑誌を見ながら祐一の様子を覗う、そう一瞬の隙が出来るのを。
それに気づきもせず、何気なく祐一が片手を雑誌からお菓子を取ろうと手を伸ばした瞬間、北川の目が光り輝く。
「もらったぁぁぁ!!」
はっ、と北川の目的に気づいた祐一はお菓子を取ろうと伸ばした手を雑誌に戻そうとしたが、
手が雑誌に戻ってくる前に北川の掌中に雑誌が渡ってしまう。
「おい、北川やめろ」
祐一が慌てて取り替えそうとするが、北川はそれをひらりとかわす。
「まったく、表紙を変えてエロ本でも熟読ですかそうですか、いや気にすんなって俺は結構エグイのもいけるクチだから」
気を使う必要はないぞ、そう付け加えて雑誌に目を落とす、そこにあったのは、
「完全チャート! デートスポットin沖縄! 沖縄旅行、彼女と行くならここだ? 」
次のページに目をやる。
「美味しく雰囲気もgoodなお店紹介? 南国の夜をあなたの大切な人と過ごそう?」
雑誌から祐一へと視線を向けるとバツの悪そうに下を向く。
それを見て北川の目が意地悪な目へと変え、口の端を持ち上げていやらしい笑みを浮かべる。
「ほほぉ〜、なるほどねぇ。最終日に俺たちと行動出来ない理由はこれだったんですか、いやなるほど」
ニタニタとした顔を雑誌と祐一を交互に見比べながら祐一に寄って行く。
徐々に祐一の顔から感情が徐々に消え腕がプルプルと震えているが、北川はそれに気付くことなく続ける。
「そういえばお前さん、この夏バイト尽くしでかなりお金溜まっているよな、全てはこの費用のためですかぁ。
で、お相手は誰だ? 古川さん? 藤森姉妹? 阪上さん? 市ノ瀬さん? もしかして美坂か? やっぱ大本命、水瀬さんかぁぁ!?」
バンバンと祐一の肩を叩きながら詰問して行き、水瀬という単語が耳に入った瞬間、祐一の腕の震えは止まった。
無言のまま北川の腕を払い、立ちあがって床に置いた木刀を拾って、ゆっくりと北川の方に振り返る。
振り返ったその顔は、口元に薄く笑みを浮かべている、ただ目は笑ってない。
事の重大さに今気付いた北川の顔は恐怖と戦慄が浮かび上がる、無傷では帰れない。 そう頭の中によぎった。
「ん、そうか、…そうだよな」
祐一は真剣ならば刃の部分にあたる所となにやら会話をしており、それが一層恐怖を引き立てる。
「くっくっく、今宵の虎徹は血に餓えておるわ!!」
「今宵ってまだ夕方にもなっちゃいねぇぞ、待て待て待て待て、頼む待ってくれ」
「覚悟ぉぉぉーーー」
「のわぁぁぁぁぁーー」
結果北川はベランダから外に飛び降り、玄関で靴を履いて逃走。
祐一は外に逃げたのを確認すると自分も外へと北川を追いかけていく。
一方その頃、美坂家では何やら会議をしている。
「……というわけだから予算から計算してこのお店はパス、こっちのお店がいいんじゃない?」
「ん〜、でもこのお店行ってみたいんだよ、香里」
テーブルを挟んで向かい合っている名雪に香里、雑誌で自分達の回る店について話し合いをしている。
トントン拍子で進んでいたが一つの店を巡っては互いに意見が割れた。
その店はずばり、デザートを取り扱っている店である。
名雪曰く、この店の方がイチゴを扱った料理が多いとの事、その執着心に香里も半分呆れている。
対して香里がいう店は沖縄テイストが強く値段もお手ごろ価格が多い。
「いい? 名雪、このお店のメニューは百花屋と隣町のsweet_sweetでも頼める物が多いでしょ?
それに比べてこっちのお店は沖縄でしか頼めない物が多いし、それに値段が、ねぇ」
香里は子供を諭す様な声で名雪を説得するが名雪は控えめながらも自分の意見を通そうとする。
「うー、でもでもだってこのお店の名前『踊る南国の子猫亭』っていうカワイイ名前だし」
はぁ、ため息が一つ香里の口から漏れる、意見を曲げないのは自分の執着しているものだから、その理由だけであった。
現に名雪は雑誌に載せれている『踊る南国の子猫亭』の店内の雰囲気にご満悦のご様子。
その店内には窓枠の所に戯れている子猫の置物、各テーブルにあるメニューを持っている猫の置物、所構わず猫がいる。
当店のマスコットです、と書かれた写真には猫がテーブルの上に座っているモノが写っており、
その写真をみてカワイイ、カワイイと名雪は連発する。
香里も写真を見るがあまり可愛いとは言えない。
だが名雪とっては猫ならなんでもいいらしい、きっと宇宙ネコでもカワイイと言うだろう。
そんな雑誌の猫を見てトリップしている名雪を眺めながら香里はなにかを思う。
「アンタってさ、好きなものに対する執着心って今更ながらすごいと思うわ」
「うん、私、好きなものに対してなら一生懸命に頑張る事が出来るよ」
「ならさ……」
「うん?」
顔を上げて向かいを見れば香里は真剣な表情をして名雪の顔を見ている。
「好きなものにそんなにアプローチを仕掛けられるならさ、好きな人にもそれくらいアプローチ仕掛ければ?
好きなんでしょ? 相沢君の事」
「っえ!?」
香里がなにを言ったのか、初めは理解できていなかったが、徐々に理解するにつれ頬を赤らめる。
「か、か、香里! ナニい、言ってるんだよ。 わ、私、好きな人なんてい、いないよ」
慌てて否定するが、顔を真っ赤にして所々どもっている様では好きな人がいますと認めているようなものだろう。
「はいはい解ったから、このお姉さんに相談しなさい、で好きな相手は? って聞かなくても解るけど」
「私、好きな人はいないって言ったよ」
「あ、そうやっぱり相沢君なんだ、まあ、言われなくてもみんな知ってるけどね」
「う〜、いないって言ってるでしょ、第一なんで祐一なんだよ」
「ふーん、あくまでも否定しますか」
香里はテーブルに置いている紅茶を一口飲んでそれならと
「じゃあ相沢君のことなんにもおもっていない訳ってことね」
「う、うん」
「相沢君が他の女の子とくっ付いても別にどうでもいい、と」
「そ、それは……」
はぁ、とまたため息を漏らす。
呆れた表情で名雪を見て、
「イヤ、なんでしょ」
変事の変わりにうん、っと力なく頷く。
「なら変な意地を通さない事、解った?」
「……うんわかった」
そういってしゅんとうつむく名雪を見て、世話が焼ける妹みたい、そう思ってクスリっと小さく笑う。
「なんならさこの『踊る南国の子猫亭』ってお店にさ相沢君と一緒に行きなさいよ」
えっ、とうつむいた顔を勢いよく上げる。
「あたしは他の友達と回るから」
「そんなだって香里、私はまだ……」
「こんなチャンスはこれが最後だと思いなさい、修学旅行が終わったら次に待っているのは戦争よ、当たって砕けなさい」
「でも」
いくら言っても名雪はうじうじとしたままで明確な返事をしない。
そんな名雪の隣に移動してぎゅっ、と名雪の手を取る。
「名雪、自分に持ちなさいよ、大丈夫相沢君はちゃんと受け止めてくれるはずだから、ね」
「うん」
一度目は弱く返事した。
「うんっ!」
二回目は力強く、満面の笑みで返事した。
「うんうん、それでこそ名雪よ、頑張りなさい」
「香里、私頑張るよ、精一杯自分の想いをぶつけてみる、断られるのは怖いけどきっと大丈夫だよ」
いつもの調子にもどった名雪に香里も満笑顔になる。
「よし、最終日は名雪は相沢君と行動するとして、他の日はどうする、相沢君と回る?」
「ううん、香里達と行動するよ」
「最終日にかける、って訳ね」
この後他の日はどこに行くか、なにをするかでまた相談をする。
夕日が窓から注ぎこむ時間まで話し合っていた。
そろそろ帰ろうと思った時に名雪ある事を思いだす、前に祐一が聞いてきたこと。
階段を降りて玄関を出ようとした時に香里に聞いてみた。
「ねぇ香里、少し聞きたいんだけど」
「ん、なに?」
「香里って妹いるの? 」
一瞬、香里の顔に影がかかったような気がしたがそれも刹那、すぐ笑顔で。
「ええ、いるわよ」
「どんな子なの?」
香里みたいな子なのかなぁ、名雪はそう思った。
香里は人差し指を軽く唇に当てて答える。
「ん〜とね、とても寝ぼすけでもう四六時中寝てるような印象で、それで特技といったら走るくらいで後はほとんどスローテンポなのよ。
まったく世話が焼けるけどカワイイ妹よ」
へぇ〜っといった感じで聞いていたがことごとく全部自分に当てはまり、少し不機嫌になる。
「それって私のことだよね」
「ええ、そうよ」
う〜、と不満の声を出す、どうやら少々ご立腹のようだ。
「ははっ、ほら怒らないで名雪、質問の答えなんだけど私には妹なんていないわ。
義妹なら目の前にいるけど」
ははって元気よく笑う、
「ところで、なんでそんな事聞いてきたの」
「え、うーんと、そうそう、香里の部屋に掛けてあったストール、あれ香里のじゃないでしょ。 だから妹でもいるのかな〜って思ったの」
実際あのストールは香里には似合わないような気がして、少し疑問に思っていたのだった。
「ああ、あれね。 あれは親戚の子があたしにくれたの、今年の冬にあたしの家に遊びに来たときにね、
誕生日祝いのお礼だって貰ったの。でもあたしには似合わないわよねストールって」
普通プレゼントで貰ったって思わない? そう付け加えられた。
言われてみれば確かに普通はそう思う、きっと祐一はその親戚の子と歩いてる所を見て妹がいると誤解したのだろうと名雪は納得した。
「他になにか質問でもある?」
「ううん、もう無いよ。じゃあまた明日」
「名雪明日は飛行場集合だから早いわよ、寝坊したらお終いだからね」
「うん、解ってるよ」
お互い手を振り合って解れた。
「でだ相沢、ここのソーキそば屋に行ってみたいんだが」
「そこかぁ、俺はこっちのほらこのブタの顔のヤツ、これ食べてみたいんだ」
野郎二人、リビングで話し合う、ここなら安心して話し合えると北川が提案したためだ。
その北川はなんと頭に包帯を巻いている、それは何故か?
あの後駅前で祐一に追いつかれた北川は、逃げ切れないと判断して、覚悟をして振り返って足を止める。
完全に追いついた祐一は木刀を振り被る。
「覚悟を決めたか北川、お前はいい友人だったがいらんことを知ってしまった。 その報いを受けよ」
今まさに振り下ろされんとする木刀その瞬間、北川はすごい勢いで土下座した。
ゴチンっとアスファルトに額を打ち付けてひたすら必死に謝る。
あまりの必死ぶりに流石に気の毒に思ったのか祐一は北川の事を許す。
そして頭を上げた北川の顔は額からの出血によって赤く染まっていた。
視界が赤くぼやけてるのに驚いた北川は顔に手を当ててその手を見てみる。
その手はには真っ赤な液体が付着していた。
「なんじゃこりゃああああぁぁぁぁぁーー!!」
「血だろ」
とんでもない驚き方をする北川に対して祐一は冷静に突っ込む。
「もう少しこう心配してくれる台詞を言ってくれよ」
ふむ、っと軽く頷いて、どこからかガチンコをだす。
「んじゃ、TAKE2行くぞ」
「お〜しいいぞ、ってもう一度やるんかい!」
ガチンッ!!
それが鳴ったと同時に北川はまた土下座の体勢になり、また繰り返す。
「なんじゃこりゃああああぁぁぁぁぁーー!!」
そういって後ろへと倒れる。
そこに今来たかの様に祐一が息を切らしながら走りよる。
「おい北川大丈夫か! クソ誰にやられたんだ」
北川を抱え上げる祐一、意識を確認するように何度も名前を呼ぶ。
「あ、相沢か……、俺とした事が、ドジ踏んじまった……ぜ」
「北川! 馬鹿野郎、俺とお前二人でやろうっていったじゃねぇか」
「死ぬ前に一度だけ、一度だけ美坂の秘部を秘部を見たかった」
すでに周りにはギャラリーが出来ているのにそんな発言をする北川にはある種の賞賛を捧げたい。
「クッ、安心しろ北川、お前の替わりに俺がちゃんと拝めるから、だから安らかに眠れ」
なにげなく祐一もすごい事を言っている。
「そうか…、頼ん……だぞ、相…沢ぁ、………なわけねーだろ!!」
くたばったかのように見えた北川はがばっと起き上がる。
「お前ドサクサにまぎれてトンでもねーこと言うな、美坂の秘部を拝める? 貴様にそんな事させるかこの変態!!」
「変態は最初に言ったお前だろーが、第一俺はそんな事は言っていない」
そんな事を続け、あきた頃にはかなりの時間が過ぎており、ようやく自分達のまわりにギャラリーが出来ている事に気付く。
そんなギャラリーの間を照れながら二人とも去って行く。
そのギャラリーからいろんな声が聞こえてくる。
「まったく最近の若者は」
と毒づく老人。
「なんか浩平みたいな男の子だね」
「いや、オレはあそこまではやらん」
「えっ?」
と話し合う大学生。
「どこかの演劇部かしら、劇を見てみたいわ」
と周囲と話し合う主婦達。
またたくさんのギャラリーを見て
「なるほど、あんな劇が最近の奴らには受けるのか、俺の人形劇と合わされば金銀小判がウッハウハ」
などなど様々な声が聞こえ、恥ずかしさのあまり、一気に走り出す。
その間も北川の額からは血が流れており、しかたなく祐一は家につれて行く。
そんな事があって今にいたる。
好きな人がどうたらこうたらという会話にはお互い触れ様ともせず、雑誌を見ながらどこの飯屋がうまいか、それについて話し合っている。
「う〜ん行った事無いからどこの店が美味いのか、まったく検討がつきませんな〜、北川さん」
「まったくですよ相沢さん、ここは無難にマックでもよろしいかと」
「だがそれでは沖縄に行った感じがしませんな」
「そうですなぁ〜」
お互い雑誌や観光ガイドと睨めっこを繰り返す事数十分、結論はでなかった。
「そういや二日目に沖縄本島から離島にいくじゃん、どんな民宿に泊まるんだろう」
おもむろに北川が祐一に尋ねる。
手を伸ばしてテーブルの上にあるしおりを手に取ってパラパラとめくってあるページで手を止める。
「え〜と、5組男子は『民宿 パラオ』 ってところだ、おっ、備考の欄がある。
なになに、ミミガー定食を作らせたら日本一、だってよ。 ……ミミガー定食ってなんだ?」
首を傾げて北川に尋ねるが北川も解らない、といったジェスチャーをする。
「まあ、何かの日本一というのは解った。メシは期待できる方だな、うん」
「しかし泡盛を買っちゃ駄目とは沖縄に行った意味が無いのに、なんで禁止にしたんだろ」
しおりの注意事項を見ながら祐一は誰に尋ねるでもなく口に出す。
「仕方ないんじゃねーか? 毎年毎年買っては飲んでるのがばれる奴がでてくるから。
まあ、禁止っていっても買う奴はいると思うぜ」
そりゃそうだ、っと納得した祐一はリビングに入ってきた秋子にお土産はなにがいいか聞く。
「そうですね、スターフルーツと出来ればドラゴンフルーツも買ってきてください」
解りました、という返事を聞いて秋子はリビングを出て行く。
その会話を聞いている時に北川は終始首を傾げる、なんで首を傾げているのか祐一も解った。
それは聞きなれないフルーツの名前だろう、スターフルーツはともかく、ドラゴンフルーツ。
この名前はなんなのか? おそらくそれで北川は首を傾げていると思う祐一であった。
「ん? あれもうこんな時間か、相沢、俺もう帰るわ」
壁に掛けている時計を見ると七時近くになっている。
いつの間にかそんなに時間が過ぎているとは両者とも思ってもいなかった。
外まで一緒にいってさよならの挨拶をする。
「じゃあな北川、明日また会おうぜ」
「おう」
軽く返事して颯爽と立ち去って行く。
そのまま自分の部屋に入って、荷物の確認をする。
「衣服類は送ったから、後は海パンとゴーグルとなんだ?」
手元のしおりを見て必要なものをつぎ込む。
後は、そう思った時に『メンソーレ沖縄へようこそ』 と書いてある表紙の雑誌が目に入った。
「ふぅー、結局どこに行くか決めてなかった、その前に最終日に名雪の奴をちゃんと誘えれるのか、俺は」
そう思うと誘える自信がない自分に気付き、雑誌の中のカップルが妬ましく思える。
こんな風にしたいけど出来ない、断られると後ろめたく思えば思うほど、その想像から抜け出せなくなってしまう。
おもむろにベランダに出て大きく夜空に叫ぶ。
「うが〜、どうすればいいんだ」
「祐一、なに叫んでるの」
突然の下からの声に下を見れば、そこには自分を悩ます種、名雪がいた。
と同時に地面も見てしまい、目が回るような感じがしてよろよろと後方に下がる。
「へぶっ!」
ふらついていたためか窓の枠にかかとを引っ掻け部屋に後頭部から勢いよく突っ込んでしまった。
「ゆ、祐一大丈夫、待ってて今行くから」
来なくていい、と言おうとした時には既にその場にいなく、下から玄関が開く音がした。
思い出したかのように祐一は痛みに顔をしかめながら雑誌に手を伸ばしてそれをベッドの下に向かって投げる。
こんな物見られた日には、もうお終いだ、そんな風に祐一は思っていた。
ベッドの下に雑誌が潜りこんだのと同時にドアが開け放たれる。
間一髪である。
以外にピンピンとしている祐一を見てほっ、と安堵する、祐一も雑誌を見られなくてすんだと胸を撫で下ろす。
「カエルがつぶれる時みたいな声出すから心配したよ〜」
「潰れた時の声、聞いた事あるのか?」
「ないよ」
名雪は喋りながら部屋を見渡すと置かれているバッグに目が行く。
「あ、準備してたんだ」
「ああ、名雪、お前はもう準備し終わったのか?」
「うん、もう昨日には準備できてたよ」
「早いな……」
「祐一が遅いだけだよ」
クスッと笑って答える。
「明日さ、何時くらいに出よっか」
「そうだな、今すぐ空港に行くか」
「……なんで?」
「お前がいくら寝ても良いように」
「バカにしてるでしょ」
名雪は小ばかにしている感じ祐一に少しむっとした顔になる。
祐一は少し笑みを浮かべて、
「まあ、少しだけ」
「私だってちゃんと起きれるよ、人をそんな寝ぼすけみたいに言わないでよ」
「いや、お前の場合は前歴があるから信用できん」
うんうん、と自分で言って自分で頷く。
いつも通りの会話をしながらその内心、祐一はどう誘うか、そればっか考えていた。
名雪も祐一と同じ事を考えており、一通り会話を終えると沈黙がその場を支配する。
時折聞こえてくる自動車の音以外はなにもない、二人だけの空間になっている。
端から見れば名雪も祐一もどこかおかしいが二人ともそんな事にまで神経が行かない。
――くそ、切り出すんだ、俺、今最大のチャンスだろ、ただ最終日一緒に歩こう、それだけでいいんだぞ。
しかし後一つというところで喉から声が出ない、また名雪も
――ほら、香里も頑張れって応援してくれたんだから、ふぁいと、だよ。
二人そろって後少しというところで声をかけられない。
断られることへの恐怖、二人とも同じ屋根の下で暮らしているからイヤがイヤでも顔を合わさなくれば行けない。
その気まずさの中どう接すればいいか解らない、それがどうしても臆病に駆り立てる。
場を支配している沈黙が時間をより一層長く引き立てる、本当は一分位しかっていないのだが、それが何十分何時間に感じる。
そんなついに決心して声を掛ける。
「ねえ」
「あのさ」
二人同時に声を掛け合ってしまう。
「なんだよ」
「祐一こそ、なにかあるの?」
また、沈黙してしまう。
「二人とも、夕食の準備が出来ましたよ」
一階から秋子の夕飯が出来たと二人を呼ぶ声が聞こえ、それが沈黙した場に音を作る。
「あ、晩御飯が出来たみたいだよ……」
「そうみたいだな」
まず最初に祐一が立ちあがってそれに続いて名雪も立ちあがる。
二人から後悔の念が感じられ、出発前夜で二人きりの空間、このチャンスを生かす事が出来なかったと、祐一は階段を降りながら頭を抱える。
対する名雪の方も決心しながら結局はなにも出来なかった自分にため息が何度も出る。
さっきの失敗のせいか、夕食の後に誘う気もしない程の落胆ぶりをする二人。
そんな状態でガチャっとダイニングのドアを開けてはいれば秋子が笑顔で料理を並べながら二人を迎え入れる。
「あら、どうしたの? 二人とも暗い顔して」
「「えっ!」」
二人ともはっとした様に同時に声をだしてお互いの顔を見る。
その様子を見てナニかを感じ取ったのか秋子さっと思案し、ある事を思いつく。
「二人とも、立ってないで早く椅子に座りなさい、料理が冷めちゃうわ」
促がされるままに二人とも各々の席について夕食を取り始める。
自分の分を置いて秋子も自分の席に座る。
いつもの夕食に比べてみんな口数が少ない、ただ黙々と目の前の食事を食べるだけである。
皿の上から料理が大体消えた時、秋子は立ち上がってリビングに向かう。
程なくして戻ってくるその手には沖縄観光のガイドがあった。
席に座ってそれをパラパラと見て、あるページで止める。
「二人にお願いがあるんだけど……」
申し訳なさそうに秋子が頼み込んでくる。
「なに? お母さん」
「あのお土産に頼んだこれなんですけど」
とテーブルに雑誌を置いて写真の一つを指差す。
「どれ」
名雪が身を乗り出して雑誌をのぞき込み、祐一もなにかと見る。
そこに写っていたのは先刻頼まれたドラゴンフルーツであった。
「ええっと確かドラゴンフルーツですよね、これがどうかしたんですか」
「はい、実はココの青果市場で売ってるんですけど、回りますか?」
写真に写っている場所の住所を確認すればそこは最終日に行く所であった。
「ああ、そこなら大丈夫です、最後の日にいくとこですから……」
そこではっとする祐一、千載一隅のチャンスが来た、と脳裏を駆け巡る。
「名雪、二人で同じ品物買ってもしょうが無いからさ、一緒に買いに行動しないか? 最終日」
名雪は驚く、自分も今、同じ事を考えて言おうとしたためだ。
「う、うんそうしようか」
「よし! 決定だな、忘れるなよ」
祐一が笑顔で言う。
「あ、そうだちょっと待ってて」
ダイニングから出て、自分の部屋にある雑誌を掴んで下りてくる。
自分の席に戻ると端を折っているページを開く。
「あのさ、だったらこのお店に行ってみたいんだけど、いいかな」
そのページに写っているのは、香里に行こう行こうと頼んでも駄目と言われた『踊る南国の子猫亭』 であった。
「また名雪の好きそうなとこだな、ここは別にいいけど猫には触るなよ」
「ええっ〜!! なんでこんなにもカワイイのに」
「可愛い、ねぇ……」
信じられないものを見る目で名雪を見てしまう祐一。
筋金入りの名雪に比べて祐一から見れば写っている猫は、体がやけに大きくて目つきが悪い、とてもじゃないが可愛くない。
「なんなんだよ、その目は、こんなにカワイイのに」
キッと剣幕を帯びるが実際は普段と変わらない。
さっきまでの暗さはとうに無く、二人とも笑顔で次はどの店を回ろうかと和気藹々と決めて行く。
ふふ、とやさしく笑ってそんな二人を見守る秋子。
さっきまで誘えないと悩んでいた事を二人とも忘れ、没頭している。
大体決まった後、まだ荷物を入れ終わってないと、席を立って自分の部屋に戻る。
残った荷物を入れながら自分の部屋にいた時はなにも言えず落胆していたのにさっきはあっさりと言えてしまった事に驚く。
――全部秋子さんのおかげだ、きっと言う機会を秋子さんがくれたんだろうな。
そう思うのも無理は無い、暗い顔にも気づいたしお土産を頼むからにはそこに行く事も知っていたはず。
なのに確認するように聞いてきて名雪を誘う機会をくれた。
そして名雪とどこに行くかを決めていた時に傍目で祐一が見た秋子の表情、それらがもの語っている。
秋子に感謝しながら思い出したように机の引出しにある、小さな箱を取って開く。
あるのはなんの飾りもないシンプルなリング。
夏の昼夜をとわないバイトで買ったリング、自分の想いとともに渡そう渡そうと思いながら渡せず、
結局沖縄旅行の時に渡そうと決心したものである。
「最後の日、こいつと一緒に自分を伝えてみよう、駄目だったら、悪いがコイツは質屋行き、その上俺も捨てられるのか」
はぁ、と暗い未来を予測するが、顔を叩いて気合を入れる。
「いや駄目だ駄目だ、暗い想像したらその通りになる。 あいつは受け取ってくれる、だから自信持って行こう」
箱を閉じて、それをバッグに入れる。
「良かったわね、名雪。 祐一さんに誘ってもらえて」
「うん!」
下では名雪と秋子がリビングでくつろいでいた。
「ふふ、さあ私も明日から仕事をもっと頑張らないとね」
秋子は立ち上がって自室へと向かう。
「早く寝ないと明日起きれないわよ、名雪」
「うん、でもなんで仕事、そんなに頑張るの?」
仕事は普通頑張るものだがこの娘は手を抜けと言っているのだろうか。
ドアに手を掛けたまま振り返る。
「秘密よ、でも後数年した時のためにね」
「ふ〜ん、そうなんだ、おやすみなさい、お母さん」
「はい、お休みなさい、名雪」
リビングに一人残された名雪の表情は幸せそうな笑顔であった。
初めはやっぱり駄目だったと諦めていたけど、祐一が誘ってくれた事がすごく嬉しかった。
後は最終日に回り終わった後に勇気を持って告白するだけ。
そう決心して自分も自室に戻る。
ルンルンとして階段を上る、嬉しくて嬉しくてしょうがないのだ。
いつも通りに電気を消してベッドに潜りこむ、明日から幸せな日々が続くと信じて。
数秒もしない内に名雪は可愛い寝息を立てて眠る。
かたや隣の部屋の祐一はというと、
「良し、これで全部詰めこんだ」
衣服は無いのにパンパンに張ったバッグが足元にある。
電気を消して、祐一もベッドに潜りこむ。
初めは不安だったが明日の修学旅行はきっと楽しいものになる、そう信じて祐一は目を瞑る。
傍らのラジオから明日の天気予報が流れる。
『明日から一週間は日本全国で快晴が続くでしょう。旅行をするには最適の一週間になります』
end
感想
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