新しい出会いと出来事で、毎日が楽しいのが春。
 その楽しいことが、いつまでも続く気になるのが夏。
 その楽しさが、段々と枯れ行くのが秋。
 そして、全てが枯れていく冬。
 何も、季節があるのは、気候だけじゃないんだ。





春夏秋冬









 こんなこと、昔どこかで聞いたっけな。誰かに聞いたものか、それとも、どこかで読んだものか、歌だったのか、そんなことは全く覚えてないが。最初知ったとき、いや、ほんの最近まではこんな事、全く意識などしていなかったのだからな。
 だけど、今は、この言葉が凄く身にしみるのだ。なんせ、今の俺とあゆの関係が、まさしく晩秋、つまり冬の一歩手前なのだから。いや、こう思っているのは俺だけかもしれないけど…。だけど、そのうちお互いに冬がやってくるだろう。そして、そのときが、おそらく二人の別れになるのは言うまでもない。 
「遅くなってゴメン、祐一君。」
 そんなことを考えていたら、いつのまにか俺の側にあゆがいた。俺は、とっさに思考を停止させた。毎週のようにデート、すでに言動に関して、無意識の領域だ。
「遅いぞ、あゆ。」
 昔なら、この後に「たいやきでも食っておなか壊したのか」とあゆをからかう下の句も付け加えているところだが、最近のあゆにはそういうことを言う気になれない。もう、彼女は、以前のような子供ではない。すでに、一人の女性なんだ。見た目だって、童顔と小さな体は変わらないが、服装や髪型が女性ファッション誌に載っているような、オシャレな格好をしている。少し前まで、オーバーオールとへんな形の帽子の格好をして、床屋さんで髪を切っていた奴とは思えない。
 七年の時を取り戻すため、こいつは相当な努力を重ねてきた。勉強にしても、流行にしても、運動にしても、人間関係にしても。そして、瞬く間に、変化を遂げていった。俺が入り込む余地もないくらいに。

「じゃあ、映画館に入るか。」
「そうだね。」
 会話もそこそこに、俺たちは映画館へ入った。俺としては、すでに会話を続けることが苦痛となっていたので、丁度良かった。別に会話をするのが嫌だというわけではなく、話が続かないという理由で。

「けっこう面白かったね、これ。」
 映画館から出て直ぐ、あゆは話しかけてきた。
「ああ、最後の展開が意外だったよな。」
「そうそう、あとは…。」
 二人とも映画好きだから、映画を見た後は、不思議と会話が続く。そのため、映画館はいつも最初に行くことにしているのだ。もっとも、二人で三千円の出費はちと痛いが。
「あとは、途中でお父さんが死ぬシーンとか、あそこで泣いたよ。」
 そういえば、あゆは母親が既にいなかったんだっけ。だから、あまりこの話は深入りしないほうがいいかな。

「でも、その後の貴志、かっこよかったよね。やっぱり役者の演技もいいしね。」
「まあ、たしかにうまいよな、演技が。俺でもそう思うぜ。」
 俺は、適当に話をあわした。こいつを、下手な事を言って傷つけたくなかったからだ。

 その後、俺たちは近くのファーストフードで食事をした。此処で何を話したかは、殆ど覚えていない。大概は、他愛もない事実確認だけだったから、覚えている必要もないが。

 そして、まだ日の高いうちに、俺たちは解散した。何の感動も、何の変化もないまま。
「おかえり〜。」
 家に帰ったら、名雪が出迎えてくれた。
「お前、まだパジャマだったのか?」
 さっきまで睡眠していたかのような表情と格好をした名雪に、俺はそう質問した。
「だって、目覚ましがならなかったんだよ。」
「日本列島中に響き渡りそうな轟音を出しておいて、何を言っているんだお前は。」
「えー、そんなことないよ。」
「全国から、苦情の手紙が来てるんだぞ。」
「え、本当?」
「ああ。でも大丈夫だ。全て俺が焼却処分しておいたからな。」
 そう言った時、名雪は既に目の前に居なかった。このとき、舞台に立つ芸人さんを尊敬した。すべるのって辛いな…。

 どうやら、名雪は着替えに行ったようだった。既にこの時間だから、むしろ着替えないままのほうがいいと思うのだが。
 しかし、将来一人暮らしをして、アパートでもこんなだったら、騒音で追い出されるどころか、各地でアパート移転反対運動が起こるぞ。この周辺の住民が文句を言わないのが不思議なくらいだ。ほんと、相変わらずだな、あいつは。

 相変わらずか…。変わりゆくあゆ、変わらない名雪。そして、俺は…。

 不意に、俺にある一つの漠然とした考えが浮かんだ。俺は、本当はどうするべきなのだ、そんなようなことを少しでも分かるための行為を。もっとも、このとき、この咄嗟に浮かんだ考えが正しいかどうかは判断できなかったが。

 夕食後、部屋に帰る前の名雪をつかまえて、尋ねてみた。
「なあ、名雪。来週の日曜あいてるか?」
「え、あいてるけど?」
「じゃあ、その日、一緒にものみタウンに行かないか?」
 説明しておくと、ものみタウンは、最近数駅先に出来た巨大なショッピングモールだ。中には、若者向けの店を中心に、映画館、ボーリング場、カラオケ屋、果ては観覧車など、なんでもある。
「うん、いいよ。」
 名雪はあっさり承諾した。これで、久々に日曜日をあゆ以外の人間と過ごすことになるのだ。しかも、同世代の異性と。これで、何かが見えるかもしれない。あくまで、「かも」だが、何もやらないよりは遥かにマシだろう。




 そして、日曜日。十時頃、二人揃って家を出た俺たちは、駅のほうへ向かっていった。そういえば、こうやって学校以外で名雪と一緒に歩くのって凄く久しぶりな気がするな。かなり新鮮であるため、歩き方でさえ困ってしまうほどだ。まあ、一、二分でそんな調子は、治ったわけだが。

 そして、俺たちは駅に着き、電車に揺られ、目的の場所へ到着した。かなりの人で賑わっていて、その大半が俺たちのようなカップルだった。いや、俺たちは正確に言うとカップルではないのだが。
「やっぱり、人気あるね〜。ものみタウンは。」
 とりあえず、俺たちは、近くのブディックへ入った。

「いらっしゃいませ〜。」
 名雪は、店員さんと色々と話を始めた。俺は、その二人の間で、ただ傍観していた。しかし、こういうときって退屈なんだよなぁ。あゆとも、最近になって服を一緒に見に行くことがあるが、暇そのものである。

 買い物を済ませた後は、俺たちはカラオケへ向かった。これも名雪の要望であり、俺は久しぶりのカラオケだった。
「はじめてだよね、祐一とやるの。」
 そういえば、名雪とカラオケに行くのは初めてだったっけ。
「名雪、最初に歌うか?」
「いいの?」
 とりあえず、お手並み拝見と行きますか。さあ、一体どんな歌をどんな声で歌うのやら。

「じゃあ、これ。」
 選曲は、ジュディマリか。普通だ。イントロが流れてきて、名雪はマイクを握り締める。そして、歌い出し…。

 ………数分後、俺は名雪の歌声にやられた。かなり上手い。思わず、ライブのように叫びたい気分だ。名雪がボーカルのライブか。俺なら金払って見に行くかな。
「っと。じゃあ、祐一歌う?」
 そして、俺は既に自信を失っていた。絶対に歌声に差がある。下手に俺が歌うと、空き地のガキ大将のリサイタル扱いになるかもしれないな。あだ名が「ホゲー」になったりして。って、何わけの分からないことを考えてるんだ、俺は。
 俺は、無難に歌唱力の問われないコミックソングばかりを選曲することにした。お陰で、名雪はかなり楽しんでくれたみたいだ。俺としては、イマイチ楽しめなかったけどな。そうして、二時間ほど俺らは歌っていた。

「次、どこ行くか?」
 カラオケ屋から出て行き、行き先を名雪に尋ねた。
「ん、べつにどこでもいいけど…、そうだね、観覧車とかどう?」
「OK。」
 俺は、言われるがままに観覧車方面へ行くことにした。

 観覧車は割合並んでいたが、すぐに乗ることが出来た。天気がよかったので、そこから見えるものは絶景であった。左手に山、右手に海、そして、その間に広がる街の風景。そして、それを包み込む、広大な空。俺が考えていた個人的な憂鬱なんて、全てちっぽけなものに見えた。
 そして、正面には名雪。いま、この中には、名雪と俺…。
 すこし、よこしまな考えが俺の中をよぎったが、直ぐに取り消した。俺たちは恋人同士ではない。そのことを忘れてはいけない筈だ。だけど、名雪と恋人になるのも、悪くはないな。このままだったら。

 そんなことを考えているうちに、あっという間に、観覧車は一周した。結局、会話も殆どしないままだった。伝えたいことは、全て、内に隠したまま、次の場所――遅めの昼食を取るための店――へ行くことになった。
 時間が時間な為、どこの店でも座るためのスペースなら、多少の余裕があった。そこで、俺たちは、香里が美味しいといっていたスパゲティ屋に入った。

「以上で注文はお済ですね。」
 二人とも、注文を済ました後、名雪が口を開いた。
「そうそう、今日なんでわたしを誘ったの?」
 どう答えるか、少し考えた。
 一番近い理由――あゆと俺の関係を確かめたい――なんていったら、いくら名雪でも怒るだろう。
「いや、たまには名雪と一緒に出かけたくてな。」
 とっさに出た、いい加減な返答をした。
「ふーん、そうなんだ。」
 名雪は納得したのか無関心なのか分からない表情でそう返答した。しばらく、二人の間に静寂が流れた。時々、どちらかの水を飲む音のみが、この周辺に流れていた。

 そして、名雪がこの一言で沈黙を打ち破った。
「祐一、あゆちゃんと上手く行ってないんでしょう?」
 俺は、動揺して、まだ口の中にある水でむせてしまった。
「だ、大丈夫?祐一。」
 運が悪かった。水さえ飲んでいなければ、誤魔化すことは出来たんだがな。仕方がないので、正直に認めることにした。
「ああ。どうも最近、あゆとどう接したらいいか分からなくてな。」
「そうなんだ、でも、祐一はどう思ってるの?あゆちゃんのこと。」
 どうなんだと言われてもなぁ。少し前なら、「ラブラブだ」と答えることが出来たのだが。
 しかし、今はどうなんだろうか。いくら、あゆとの関係を考えたい為とはいえ、他の人間とデートをしている現状。今、そんなことを言う程、俺は軽率ではない。
「ね、どうなの?」
「決して嫌いじゃないぞ。」
 俺は、これで以前知っていた先輩を思い浮かべてしまったが、そんなことはどうでもいい。
「つまり、『好き』なんだよね。」
 そう名雪は返してきた。
「ああ、そうなるかな。」
 俺は力なく返した。すると、名雪は、力強くこう返してきた。
「じゃあ、こんなことしている場合じゃないよ。」
 俺は少したじろいだ。このとき、名雪は、自分が彼女として認められなかったことに対して怒っているのだろう、そう咄嗟に思っていた。
「ねえ、祐一。今日、楽しかった?」
 俺が、名雪の怒りを静めようと、何を言うか考えていたら、名雪が先にこう話しかけてきた。
「まあ、楽しかったぞ。」
 俺は、当然こう返した。しかし、名雪は予想外のことを言ってきた。
「うそ。そんな感じじゃなかったよ。」
 何を言うんだ、こいつは。俺もなんだか、腹が立ってきた。何故、お前にそんなことが分かるんだと、その考えだけが頭の中を支配していた。
「そんなことはないぞ、なんでそんなこと言えるんだ!」
 俺は、表情を変えて、強い調子でこう言った。名雪は、さっきと全く同じ調子で、こう返した。
「じゃあ、聞くけど、今日何をしているときが一番楽しかった?」
「何もかもだ。」
「本当?正直に言ってよ。」
 正直に言ったぞ、一瞬そう反論しかけて、喉のあたりで止めた。冷静に考えてみる。観覧車は、確かに楽しかった。しかし、買い物やカラオケは、イマイチ退屈だったっけな。まあ、一緒に居ることに対しての楽しさはあったけどな。
「観覧車のときかな。」
「なるほど。」
 名雪は、そう返して、再び水に手を伸ばした。

 しばしの沈黙が流れた。そして、名雪はいつもの通りの、のんびりした口調で、話し始めた。
「あのね、こないだわたし、あゆちゃんと話したの。祐一ってどうなのって。あゆちゃんは、祐一は優しいけど、それで他人のことばっかり考えて、苦しいんじゃないかなって。」
 俺は黙って聞いていた。
「だから、なんか最近は楽しそうじゃないって心配してたよ。」
 違う、俺は、単に変わりゆくあいつに戸惑っているだけだ。賢くて、逞しくて、優しくなりつつあるあいつに。どこか、遠くへ行ってしまったような、そんな気がして…。
 俺は漸く気付いた。自分が、単に、状況に甘えていただけなんだ。
「それが、今日実際に一緒に遊んで、なるほどって思ったんだ。」
 それが、名雪によって、気付かされた。
「でも、昔はそんなじゃなかったよ。」
 そうだ、昔は、少し独善的と言われることはあったけれども、他人のことばっかり考えているなんて言われなかった筈だ。多分、あゆと付き合っていて、自分がそうだという自覚をするまでは。

 ふと、俺とあゆが語り合った話を思い出してみた。あいつが目覚めたときは、変わり行く季節、タイヤキのこと、そして、俺があいつを一方的にからかうことだった。それが、時を経て、この世界で挫折や苦悩を知ったあいつを俺が一方的に慰めたり、叱咤したり、励ましたりするようになった。さらに後になると、あゆは、物事をどう乗り越えるかということについてを、だんだんと理解するようになった。それに関しては、既に俺よりも上だったように思える。そしてそれは、今までの俺のような押し付けは必要がないということにも取れるのだ。
 そして、おそらく、そのころからだ。俺が名雪、いや、あゆのいう『他人のことばっかり考えている』人間になったのは。それが、どうやら今日の名雪でも、無意識に出てしまった。それを名雪は見過ごさなかったのだ。

「名雪、お前の言いたいことはよく分かった。つまり、もっとわがままになってもいいってことだろ?」
「そうだよ、片方が犠牲になる恋なんて、結局実らないと思うな。わたしなら、二人で幸せになりたいもん。」
 そして、結局、名雪も昔とは違うわけだ。ちょっと昔なら、自分で言うのも照れくさいが、俺があゆと親しくするのに対して嫉妬していたはずだ。例え、口では諦めたようなことを言っても。だから、こんな直接的に俺らの恋を応援なんてしてくれなかったはずだ。まあ、それほど俺に惹かれなくなっているという意味とも取れるから、ちょっと淋しくもあるが。
「でも、名雪。なんで分かったんだ?俺らがうまく行ってないこと。」
「行っていたら、わたしと出かけようだなんて言わないよ、普通は。」
 なるほど、確かにおれはあゆとばかり出かけていたし、誰だってわかるよな、そんなこと。
「だから、早く。あゆちゃんは今日も祐一と会いたがってるよ。」
 そうだ、俺とあゆは、恋人同士なんだ。もっと、お互いに楽しんだり、傷つけあったり、泣いたりしてもいいのだ。

 俺は昼食を食べた後、あゆを携帯で呼び出した。そして、一時間後にものみタウン近くの駅でお互いに会うことを約束した。
「名雪、有難うな。」
 俺は、名雪に礼を言ってから、待ち合わせ場所へ向かって歩いていった。こんなことを、一人考えながら――。


 冬を乗り越える術を俺は知った。
 冬を越えたら、また春が来る。
 そのとき、俺たちは、笑みや幸というものを、もっと知ることが出来るのだろう。
 そのときまで、いや、それ以降も、どうか宜しくな、あゆ。




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