昼下がりののどかな公園。噴水があるところのベンチに腰掛けながら、私、美坂栞はあの人を待つ。
大切な、あの人を――――――――。
栞のまるひ大作戦
「ごめん、栞。おまたせ〜。学校の掃除長引いちゃって・・・」
その人は、はぁはぁと息を切らしながら、一体どのくらい全力疾走したのだろうと思いたくなるほど、肩で
息をしていた。
「大丈夫ですよ、お姉ちゃん。時間ぴったりです」
「はぁ・・・はぁ・・・え?あら本当」
私の姉、御坂香里は息を整えると腕の袖をめくって時刻を確認した。
「栞・・・あんた、いつ頃からここに居たの?」
「えっと・・・」
質問しながら、お姉ちゃんは私の隣に座る。
私は少し考え、そして、意地悪な答えをしてみた。
「1年前かな」
「はいはい。で、本当は?」
――――祐一さん、この冗談は無視されました・・・・・。
私は気を取り直して正直に答えることにします。
「本当は・・・・・・30分前」
「そう、ごめんね。こんな寒い中待たせて・・・。けど、どうして公園の噴水で待ち合わせなのよ?同じ学校に通っている
んだから校門前で待ち合わせで良いじゃない。それだと名雪や相沢くんとだって一緒だし―」
「それです!」
「な、何よいきなりっ」
私は人差し指をお姉ちゃんに向け(ほんとは人を、しかも実の姉を指差しちゃいけないんだけど)、
力強く力説するように、自分の中にある疑問をお姉ちゃんにぶつけた。
「どうしてお姉ちゃんは祐一さんを名前で呼ばないんですか?」
「はっ?」
お姉ちゃんは口をぽかんと開けて素っ頓狂な返事をしました。
あ、お姉ちゃんのこんな顔初めて見たかも。
「私がお姉ちゃんとここで待ち合わせたのもそのことが聞きたかったからです! こんなこと、祐一さんや名雪さんの前
では聞けないですし。どうしてですか、お姉ちゃん?」
「ど、どうって言われても・・・そういう設定なんだし・・・」
「そんな身も蓋もない言い方では栞は納得しません!」
「きょ、今日の栞はなんだかいつもと違うような・・・じ、じゃあ逆に訊くけど、どうして栞は私に相沢くんを名前で呼ばせたいの?」
「え、だってお姉ちゃんだけじゃないですか。祐一さんを名前で呼んでいないのは」
「え、そ・・そうかしら?」
私の答えに、お姉ちゃんはより一層動揺をましてます。目が泳いで視線は最早虚空の彼方。
「名雪さんに真琴さんに秋子さんにあゆさんに倉田先輩や川澄先輩まで名前呼びですよ?名前で呼んでいない
のはお姉ちゃんと天野さんとあとおまけで北川さんだけですし」
「うううっ」
「お姉ちゃんだけシナリオ無いとか言ってないで、祐一さんを名前で呼んだらどうですか?」
「いきなり痛いとこ言うわね、栞」
「まぁまぁ♪」
「けど、いきなり相沢くんのことを名前で呼んだって・・・そんなの私のキャラじゃないわよ?」
「何言ってるんですか!ここでお姉ちゃんが祐一さんのことを名前で呼んで一気に祐一さんルートのフラグゲットですよ!!」
「フラグって・・・・大体、そんなシナリオ無いわよ?」
「だったら作ればいいんです」
「無茶言わないの。それに・・・その・・・・は、恥ずかしいじゃない」
顔を赤くして俯き、手をもじもじさせるお姉ちゃん。
「・・・・・・・・・・・・・・・わ、分かりました。では、一回、一回だけなら良いですよね?」
あまりにも恥ずかしがるお姉ちゃんが可愛くて
「分かったわよ。一回だけだからね」
そんな優しいお姉ちゃんが、本当に大好きで。
「約束ですよ、お姉ちゃん!」
「分かったわ、約束。じゃ、今日はもう帰りましょう。冷えてきたようだし、風邪曳いたら大変よ?」
「大丈夫ですよー。これぐら・・・・くしゅん!」
ベンチから立ち上がり、くるくるっと回ったところで私はくしゃみを一回。
「ほら、言わんこっちゃない」
「大丈夫ですよ。こう見えてもあれ以来体は丈夫なんですよーー」
「そう?けど、あまり無理はしちゃ駄目よ。早く帰って体あったかくして眠りましょう」
「―――うん!お姉ちゃん」
私とお姉ちゃんは手を繋ぐと、公園を後にして自分たちの家へと帰って行きました。
―そして、次の日。
私は見事に風邪を曳きました。
「じゃあお姉ちゃんは学校に行くけど、栞は薬飲んで、ちゃんと寝てなさいよ」
「うん・・・・・」
布団をいっぱいに被りながら、ベッドで寝ながら返事をする。
「お姉ちゃん・・・あの」
「分かってるわよ。相沢くんを・・・・名前で呼ぶ約束でしょう?」
「うん・・・でも、あの時私も無理矢理だったし・・・お姉ちゃんが恥ずかしいなら・・無理しなくてもいいよ?」
「栞」
お姉ちゃんは鞄を部屋の扉の前に置くと、ベッドの近くにしゃがんで私の目を見ながら言う。
「私はね、妹の栞との約束を守りたいの。今まで一度もあんたに姉らしいこと・・してこなかったし」
「お姉ちゃん・・・・・・・・」
「そういう事。だから今日栞の見舞いに相沢くん呼ぶことにしたから」
「ええ!?」
「と言うかもうさっき電話して学校終わったら来てくれるって。よかったわね、栞」
お姉ちゃんはそう言うと立ち上がり、鞄を持って私の部屋から出て行った。
「お、お姉ちゃ〜〜〜〜〜ん!」
部屋に響くは虚しい自分の声だけ。
「祐一さんが・・・・来てくれる」
お姉ちゃんには悪いけど、私はちょっとだけ嬉しい気持ちになりました。
―――けど、お薬なんて嫌いです――――!
「香里、栞の様子はどうだ?」
香里が学校に着き、席に座ると同時に相沢祐一が彼女に声を掛けた。
「おはよう相沢くん。栞なら大丈夫、薬飲んで寝かせているとこだから」
「そうか。それより、お見舞いの品とか何かいい?やっぱ手ぶらじゃまずいだろうし・・・・・」
そんな彼の様子に、香里は笑いながら
「そんな気遣いなんて要らないわよ。栞は相沢くんが来てくれるだけで嬉しいんだからっ」
「そうかな?」
「そうよ!それに、おっきい雪だるまを作るって約束したんでしょう?」
「40メートルくらいのやつな」
祐一は笑いながら言う。
「そうよ。ちゃんと約束は守りなさいよ」
「分かってるよ」
「―――――――じゃ、学校終わったら一緒に帰りましょう。あ、名雪は?」
「今日は部活が長引くらしいからお見舞いにはいけそうにないらしい。今も部長として、顧問の先生に呼ばれている」
「大変ね、名雪も」
「まあな」
二人はそれからこれと言った会話も無く、そのままHRが始まった。
ここは私、美坂栞の部屋です。特にこれと言った特徴の無い普通の部屋で、私はベッドに横になってます。
「暇です・・・」
時刻は現在お昼を過ぎた辺り。風邪なんか曳かなければ今頃は祐一さんやお姉ちゃんと一緒に食堂でお昼御飯食べているはずなのです。
うう・・・それなのに。
きっと祐一さんはいじわるですから私に「何か買ってこい」と言うに決まってます。
そんな祐一さんに突っ込むお姉ちゃん・・
「ふふっ」
そんな光景を想像して私は思わず吹き出してしまいます。
毎日がこんなにも楽しくて、
毎日がこんなにも嬉しくて、
こんな風にベッドに横になるのは慣れているはずなのに。
今はこんなにも退屈で、早くお姉ちゃんが帰ってこないかなと待っている自分がいて。
とても不思議な、そして幸せな気分でした。
放課後
ようやく授業が終わり、私は席を立つと相沢くんの傍まで行く。名雪は既に部活に行っている。
「大変ね、名雪も」
思わず朝言った言葉と同じ言葉が出た。
「まぁな。けど、そっちの方も大変なんじゃないか?」
余計な突っ込みなんてしないで普通に応対してくる相沢くん。私は彼の言葉に頷きながら言う。
「そうね。けど、今頃栞は布団の中で暇だ暇だって唸っているはずよ」
「よく分かるな」
彼の質問に私は微笑みひとつ。
「私は栞の姉よ?私にわからないことなんてないわ」
「ごもっとも」
相沢くんは席を立つと鞄を後にやって歩き出す。
「早く行こうぜ。栞が待ってる」
「ええ」
釣られるように歩き出し、私達は教室を後にした。
外に出ると季節は春なのだが、まだほんのすこしだけ寒さが感じられた。所々の草木に若干の雪が残り、多少肌寒い。
「もう4月だってのに、なんでここはこんなに寒いんだ・・・」
「”こんなに”・・?相沢くん、これくらいどうってことないじゃない。相沢くんだってここに越してきて大分経つんだからそろそろ慣れたらどうかしら?」
「それはそうなんだけどな・・・早く香里の家に行こうぜ。外は寒くてかなわん」
そう言うと相沢くんは歩くスピードを速めた。
「待ちなさいよ。曲がりなりにも女の子の部屋に行こうって言うのに何の抵抗もないわけ、あなた?」
と、いきなり彼は立ち止まり、くるっと体をこちらに向けて、一言。
「遠慮なんかしてたら見舞いの意味ないだろ」
そして再び前を向いて歩き出した。
私はその言葉に納得し、そして相沢くんの隣に並んで自分の家を目指した。
美坂家 午後4時23分
「そろそろお姉ちゃんが祐一さんを連れて帰ってくるころかな・・・」
私はベッドに横になりながらこの退屈な数時間を過ごした。寝ようにも寝付けなくてずっと天井や壁と睨めっこをしてしまった。
漫画を読んだりもしたがそれほど読む気にはなれず、流石にアイスは食べられないので本当に退屈で退屈で仕方がなかった。
「あの頃とは・・・違う」
確かに私は体が弱い方だ。それは今も変わらない。
お姉ちゃんに自分の命があとどれくらいなのか告げられても何も思わなくて・・思えなくて。
私が辛い顔してるとお姉ちゃん悲しむのかな・・・。そう思って、笑って、笑って。けどそれは逆にお姉ちゃんを苦しめてしまった。
「―――――今は」
祐一さんと出会ってから、私は変わった。変わることが出来た。
「あのときの・・・約束――――――」
ややうとうと仕掛けてまどろみの中に入りかけた時、玄関の扉が開く音が聞こえた。
「あ、お姉ちゃん帰ってきたんだ・・・」
トントントンと階段を昇る音。お姉ちゃんの足音じゃない音も混じっている。間違いない、祐一さんも一緒なんだ。
階段を昇る音が止まると今度は私の部屋に向かって歩いてくる足音が聴こえる。
その足音は私の部屋の前で止まり、コンコンとノックの音。
「栞、起きてるー?」
「うん、起きてるよ」
「一応相沢くんが見舞いに来てくれたから、入っていいわよね?」
「うん、どーぞー」
私は若干緊張した返事をしながらも、お姉ちゃんはドアのノブを回して祐一さんと一緒に部屋に入ってきた。
「栞、調子はどうだ?」
制服姿の祐一さんはベッドの方に私に向かい合うように座ると最初にそう訊いてきた。私は上布団を鼻のあたりまで被りながら
「えっと・・・まぁまぁです」
「栞、あんた何照れてるのよ」
お姉ちゃんの飽きれたような嬉しそうな微妙な反応。
「て、照れてなんかないですよ!ただ私の部屋に祐一さんが〜とか私のパジャマ姿が祐一さんに〜とか、思ってませんよ!?」
「なんか・・・勘違いされそうな日本語だな」
「そうね・・・」
はうう〜二人とも今度は飽きれてしまってます。
「けど、すっかり元気になってるみたいね。前なんか今のような風邪曳いたら3日は治らなかったのに」
「そうなのか。けど、これも恐らく栞が”生きたい”って思っているから・・だろうな」
「これも祐一さんのお陰です」
「俺は何もしてないよ。栞の強さだ」
私は黙って首を横に振り、
「いいえ、祐一さんと出逢ったから、祐一さんが居てくれたから、私とお姉ちゃんはすれ違ったままでいなくて済んだんです。
それに、雪だるまを作るって約束もありますから」
「そうだったな。来年の冬には絶対、でっかい雪だるまを作ろうな」
「100mくらいのを、作りたいです」
「おいおい、でかくなってるぞ!?」
私と祐一さんはくすくすと笑います。お姉ちゃんもつられるように笑って、いつしか部屋には笑いの花が咲き乱れてました。
って言い方も、ちょっと妙ですけど。
と、お姉ちゃんはすくっと立ち上がると祐一さんを手招きします。しかもどこか目線を泳がせて・・・こ、これはまさか。
「えっと・・あ、相沢くん。私ちょっと飲み物入れてくるから・・その」
「手伝えってか?いいぞそれくらい。と言うか、見舞いに来たのに手ぶらだからな。それくらいはさせてくれ」
「あ、ありがとう。・・・・・・・・・ゆうい・・・相沢くん」
「あ、ああ」
―――――――惜しい!!
激しく惜しいです、お姉ちゃん!
けど、私との約束、守ってくれようとしてるんだ・・。私はそれが、ちょっと嬉しくなりました。
「それじゃ栞、ちゃんと大人しくしてなさいよ」
「はぁーい」
そう言うと、お姉ちゃんは祐一さんをつれて一階へと降りて行きました。
「あと少し・・・かなぁ」
栞の部屋を後にして、私は少し大きな溜め息を吐(つ)いた。隣には何故か相沢くんがいるわけで・・・いや、というか
「なんで相沢くんまで来るのよ?」
なんて言ってしまったわけで。
「なんでって・・飲み物入れるから手伝って欲しいって言ったの・・・あ、俺か」
「そ、そうよ!私は手伝って欲しいなんて言ってないわ。ま、まぁどうしても手伝いたいなら止めないけど」
「相変わらずだな、香里は」
「フン」
髪を掻きあげると、私は相沢くんを無視して台所へと向かった。冷蔵庫を開け、オレンジジュースの入ったペットボトルを取り出す。
「相沢くん、コップ取ってくれる?」
「了解。これでいいか?」
相沢くんは棚から3つのグラスを取り出すと私に訊いてくる。
「OKよ。そこに置いといて」
彼は頷くと両手に持った3つのグラスをテーブルに置く。私はオレンジジュースをそれぞれのグラスに注ぐ。
「なぁ、香里」
「何?」
「いい加減俺のこと、名前で呼んでくれないか?」
「なっ!?」
一瞬ボトルを落としかけたがしかしそれをなんとか踏み止めながら、私は相沢くんが言ったことに改めて驚いた。
「ど、どうしていきなり・・」
「だってさ香里、お前さっき俺のこと、名前で言いかけただろ?」
うっ、結構耳聡いわね・・・。
相沢くんは3つのグラスをトレイに置きながら続ける。
「俺が名雪や香里、北川のいるクラスに転校した時、俺香里に『じゃ俺も祐一でいい』って言ったよな」
「そ、そんなこと言ったかしら?」
トレイを持って栞の居る部屋に向かって歩きだす。勿論、彼もついてくる。
「言ったさ。お前は遠慮したけどな」
「そ、そんなこともあったわね」
私の心臓は有り得ないほど脈打っていた。栞の部屋が近づく。言わなければいけない。私は、妹との約束を守るんだから。
「ま・・まぁい、一回くらいなら・・いいわよ?」
「一回じゃなく、ずっと、そう呼んでくれ。俺たち、友達じゃないか」
栞の部屋のドアの前で立ち止まり、私は呼吸を整えて、逸る気持ちを抑えながら、「ソレ」を口にした。
「―――――ゆ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・祐一・・・・・・くん」
聞こえるか聞こえないか、本当に呟く程度の大きさ。それでも彼は満足気に微笑むと栞の部屋の扉をノックする。
「栞、入るぞ」
『どーぞー♪』
栞の元気な、嬉しそうな返事が聞こえて来る。私と相沢くんは中に入った。
「作戦成功だ、栞!」
「流石です、祐一さん♪」
「え・・・」
私は一瞬唖然とした。作戦?ちょっとまって・・・まさか。
「ふ、二人して私を騙してたのね!?」
「違いますよ、私一人じゃお姉ちゃんに祐一さんを名前で呼ばせるのは無理だったから、祐一さんに手伝ってもらったんです。本当はわざと
風邪曳いてお姉ちゃんと祐一さんが見舞いに来て、祐一さんがお姉ちゃんに名前で呼んで欲しいと迫るはずだったのですけれど・・」
「本当に風邪曳いちゃったってわけね・・・。それにしても、相沢くんも人が悪いじゃない」
「悪い悪い、それより香里。また”相沢くん”に戻ってるじゃないか。さっきみたいに名前で呼んでくれ」
「断るわ。相沢くんまでグルになってたんじゃ、この話はなかったことに」
「「ええ〜〜〜そんな〜〜〜」」
二人して声をハモらせる。私はそんな二人の様子に、思わず吹き出してしまった。
「あ、お姉ちゃん笑ってる・・・」
「ぷっ・・くく・・ご、ごめんごめん。さあ、ジュース飲みましょう。ほら、ゆ、祐一くんも」
「お姉ちゃん♪」
本当は物凄く恥ずかしくて、物凄く照れくさいけど。
栞がこんなに喜ぶなら、この恥ずかしさも、私にとっては嬉しいものなのかも知れない。
けど、流石に名雪や北川君の前ではそんな恥ずかしいこと言えるはずもなく、彼を名前で呼ぶのは二人きりの時か、栞と一緒の時だけにしたのです。
そうそう、栞も熱が下がってすっかり元気になったのは良いけれど・・。
「栞、あんまアイス食べ過ぎると、また風邪曳くわよ?」
「今は暖かいから平気です」
かと言って・・・バニラアイス5個は食べ過ぎと思うわよ・・・栞。
おしまい。
感想
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