○×は。
 おそらく数あるゲームの中でも、最も優しく、そして残酷なゲームだろう。

 運は必要なく、常に平等であり。
 極めた者同士の戦いは、完全な平和を生み出す。
 そこに勝者も敗者も生まれることはない。

 しかし、弱者に対しては恐ろしいまでの厳しさを見せる。
 弱者は極めた者には、決して勝利することは出来ない運命にある。
 惨めにも、僅かな勘違いやミス一つで敗れ去るのみである。


 最長でも、先後併せてたった9回の行動で終わる単調なゲームだが、それに秘められた想いはとかく熱いものなのだ。






 ……北川と祐一がノートの端で「最も優しく、そして残酷なゲーム」で遊んでいるのを見て、香里の頭に浮かんできた言葉がこれだった。
 疎むべきは彼女の頭の回転の早さなのか。
 それとも、端で始まった筈のゲームが、物凄い勢いでノート全体を埋め尽くしているという現状なのだろうか。
 とりあえず、彼女は今日も呟かずにいられない。


「平和ね……」

「ん? 香里も暇ならやるか?」

 ゲームに集中していた筈が、何時の間にか余裕が出来たのか。
 香里の小さな呟きに反応して祐一は顔をあげていた。

「構わないけど……北川君は?」

 ちょいちょいと祐一は北川を指さす。香里も視線を向ける。
 ……顔を伏せている少年が確認される。
 今度は香里を指差す。

「……挑戦者?」

 満足げに、不敵な笑みで頷く祐一。
 納得して、香里も椅子を動かしてから座る。
 その際に多少障害となった北川は、出来る限り、落とさない程度に机の端に寄せる。
 髪が当たってくすぐったいのは気にしない、どうせ休み時間は少ないんだし。香里はそう結論付けた。
 そして、準備は整う。

「んじゃ、行きますか……」
「お願いします、っと」

 一人は余裕を持って。
 もう一人は、まるで将棋やチェスの対局のように。
 静かに、熱い戦いは始まる。








 始めは、ノートはゆっくりと埋まっていく。
 まず慣れてない人、つまり『勝利の方程式』を知らない人は、ここで振り落とされる。
 とはいえ、高校生にもなってくると大抵は引き分けに持ち込む方法は理解出来ているのだが。

(……もういいか)

 3戦ほど終えた後。
 僅かに祐一が頷くと同時に、手の動きが速くなる。
 別にこんなルールなどないのだが、こうでもしないと勝負がつかないという問題がある。

 ただ、それを見た香里は僅かに眉を潜めた。


 ――決着が付かない事が○×の最大の特徴じゃないの?


 少なくとも彼女にとって、それは定義と等しかった。
 だからこそ、それを無視するかのような祐一の行動は香里の気に障った。

 とはいえ、それは彼女の戦術……と言っていい物か疑問ではあるが、それに影響することは全く無い。
 ただ淡々と、既に覚えてしまっている手順を繰り返すのみ。


 だんだんスピードは速くなる。
 それは驚異的なまでに。
 観戦者はいない。その候補の一人は眠り、一人は既に敗者として倒れ伏すのみ。


 いい加減に――そう言いたくなってくるが、ここまで来ると香里も止まらない。
 ノートの隙間を見つけ、瞬時に縦二本、横二本の線を引く。
 お互いのシャーペンを持つ手がぶつかろうとも。摩擦で少し赤くなろうとも。ノートで擦れて黒くなろうとも、気にしない。


 極めた者同士の戦いは、完全な平和を生み出す。そこに勝者も敗者も生まれることはない。
 ――それが逆に、新たな戦いを生みだしてしまうとは、流石の学年主席も考えが及ばなかった。
 むしろ参加していなければ、現状を「無駄」と軽く放置しそうなのが彼女なのだが。



 そして、脳内麻薬が程よく分泌された二人に、ようやく決着が訪れる。
 原因は、指の疲労による記入ミス。負けたのはニ連戦してる方。


 終わった瞬間の彼女の笑顔は、ここ数ヶ月で一番幸せそうだったかもしれない。







 後日。
 担任の石橋が、とある提出ノートを集めた時のこと。
 パラパラと香里のノートをめくった時に、端の端に小さな何かを見つけた。

「ん……?」

 目を凝らしてよく見てみる。
 そこにあったのは、縦横二つずつの線と、一つの○。

「……ふむ」

 彼も疲れていたのか、小さな悪戯のような『それ』に微笑ましさを感じ、笑みを浮かべた。
 中身を一通りチェックし終えた後、彼はいくつかの○と、小さな一つの×を付け、そのノートをぱたんと閉じた。


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