二月の中旬に入ったある日。
 三年生はもう卒業を数週間後に控え、自由登校期間に入っていた。
 そうなれば基本的に、三年生の生徒の姿を学校で見ることはない。
 だがそんな時期のある日の朝、三年生の生徒が発見された。
 大怪我をし、廊下で倒れていた状態で。
 すぐに病院に運ばれたが、意識不明の重体。
 それから二週間経った今も、その生徒の意識は回復していない。
 別に俺はそいつと仲が良かったわけではない。
 ただ夜の学校で不思議な出会いをして、何度か一緒に弁当を食べただけ。
 そして何度か彼女の言う「魔物退治」に付き合っただけの仲。
 そして魔物に固執した彼女の態度に付き合いきれないと思い、夜の学校に行くことをやめてからそれっきり会うことはなかった。
 しばらくしてからは、そんなことを考える余裕もなくなった。
 でも、今になって思う。
 あの時、無理にでも魔物退治なんてやめさせればよかったんじゃないかと。
 そのことを知っていたのは、おそらく俺だけだったのだから。
 そうしておけば、彼女は彼女を強く思っている親友と今も一緒に笑っていられたんじゃないかと。
 でも、現実として今彼女は眠り続けている。
「それは佐祐理さんを……そして自分自身を悲しめてまでやらなきゃいけなかった事だったのか……舞?」
 たった数日しか一緒にいなかった俺には、分かるはずもない事かもしれないけれど。



 舞の怪我の事を聞いた次の日の昼休み。
 俺は以前、舞と佐祐理さんと弁当を食べた踊り場へ行った。
 自分でも理由は分からず、ただなんとなくの事だった。
 でも、なんとなく予想していたのかもしれない。
 佐祐理さんはそこにいた。
 ビニールシートを敷いて、二人分の弁当を用意して。
 自分と似たような状況にある少女。
 その表情はとても沈んでいて、声をかけづらかった。
 そうしているうちに佐祐理さんが顔を上げ、俺と目が合った。
 その顔に笑顔が浮かぶ。
「あ、祐一さん。こんにちはです」
 そう笑顔で言う。
 まるで何もなかったかのように。
 だから俺も笑顔で答えた。
「佐祐理さんお久しぶりです」
「はい。祐一さんお昼ご飯は食べましたか?」
「いや、まだだけど」
 昼休みが終わったら、名雪たちの誘いを断ってすぐに来たから当然食べてない。
「よろしかったら佐祐理のお弁当を食べませんか?」
「いいんですか?」
「もちろんですよ。佐祐理のお弁当でよろしかったらですけど」
 それは本来、来ることのない舞の為に作られた弁当なのだろう。
「えっと……本当に俺が食べてしまってもいいんですか?」
「はい、どうせ余ってしまいますから」
「それじゃ、ありがたく頂くよ」
「はい、どうぞ座ってください」
 ビニールシートに座って、佐祐理さんと向かい合う格好になる。
 佐祐理さんが作った弁当は、ひと目みて手が込んでいると分かるものだった。
「遠慮なく食べてくださいね」
「……はい、頂きます」
 実際、本当に美味しかった。
 舞の弁当を食べている。
 そんなことをしてたら、間違いなく後頭部にチョップをしてくるであろう少女はここにいない。
 とても寂しいことだと思った。



「ごちそうさまでした」
「いえ、お粗末さまです」
「本当に美味しかったです」
「あはは〜。祐一さんにほめて頂いて佐祐理は嬉しいです。ありがとうございます」
 むしろお礼を言うのはこっちだと思う。
 本当にこの人はいい人だと思った。
 それから佐祐理さんと話しをした。
 本当に他愛もない、日常話すような内容だった。
 舞のことについてはまったく触れられなかった。
「あ、もう祐一さんはそろそろ戻らないといけませんね」
 もうそろそろ五時間目が始まる時間だった。
 佐祐理さんは授業がないけど、俺にはある。
 まだ佐祐理さんと話したかった。
「えっと、佐祐理さんまたここに来ます?」
「はい、卒業まで毎日来ますよ」
 ――恐らく舞を待つために。
 少しでも佐祐理さんの助けになれればいいと、そう思った。
「だったらまた来てもいいですか?」
 だから俺はそう聞いていた。
「もちろん佐祐理は大歓迎ですよ。だったら明日からは祐一さんのお弁当も作ってきますね」
「いや、俺は適当にパンとか買ってきますから」
 さすがにそこまでしてもらうわけにはいかないと思う。
「ふえ? 佐祐理のお弁当は美味しくなかったですか?」
「い、いや凄く美味しかったですよ」
「だったら遠慮しないでくださいね」
 笑顔でそう言われてしまったので断れなかった。



「あ、祐一さんこんにちはです」
「こんにちは佐祐理さん」
 あれから二週間が経った。
 卒業式を数日後に控えたある日の昼休み。
 佐祐理さんはいつもの様に三人分の弁当を持って待っていた。
「ちょっと待っててくださいね。すぐ準備しますから」
 笑顔でそういってビニールシートを床に敷く。
「俺も手伝うよ」
「あははー。佐祐理ひとりで大丈夫ですよ」
 ほどなくして弁当が目の前に置かれる。 
「これは舞のぶんですね」
 そういって佐祐理さんは誰もいない所に弁当を置く。
「今日も舞は来ませんでしたね……」
 そういって、とても悲しそうな表情を浮かべる。
 でも、舞の弁当を置く時以外にはいつも笑顔でいる。
 だけど、本当は誰も見てないところでは常にその表情は沈んだままなのではないか。
 そう思えてくる。
 痛々しい、舞を待ち続ける佐祐理さんの姿。
 見てて、とても心が痛んだ。
 少しでも、佐祐理さんの痛みを和らげることが出来ないかと、そう思ってきた。
 でもそんなものはたんなる自己満足で、実際は佐祐理さんの負担になっているだけじゃないかと思えてくる。
「祐一さん、どうかしましたか?」
「えっ、なんでもないですよ? どうしてですか?」
「いえ、どうも元気がないようでしたので。悩み事ですか? 佐祐理でよろしければお聞きしましょうか?」
 なにやってるんだろう、俺は。
 結局佐祐理さんに迷惑かけているだけじゃないか。
 ならこのまま考え続けているよりも、しっかり佐祐理さんに訊いてみるべきだと思った。
「佐祐理さん」
「はいっ、なんですか祐一さん?」
「……なんでこの場所で舞を待ち続けているんですか?」
 佐祐理さんの表情が固まる。
 お互い沈黙が続く。
 気まずい思いが胸に広がり、やっぱり訊くべきじゃなかったかもしれないと少し思えてくる。
「……楽しかったんです」
 しばらくして、佐祐理さんがいきなり呟いた。
「この場所でいつも舞が佐祐理の作った弁当を、一生懸命食べてくれるんです。他の人が見ても分からないかもしれませんが、佐祐理にはとても喜んで食べてくれいるんだと分かって、とても嬉しかったです」
 たどたどしく言葉を紡いでいく。
「ここで舞といろんなお話をしました。ほとんど佐祐理が話してばかりでしたけど、どんな話も一生懸命聞いてくれました。たまに舞のほうから話してくると、嬉しくなって一生懸命答えるんです」
 佐祐理さんから、舞との思い出が語られていく。
「寂しかった。病院に行っても舞には会えません。もしかしたらもう舞には会えないかもしれない。そう思ったらいてもたってもいられなくなりました」
 それは、佐祐理さんにとってとても残酷なこと。
「舞とこの高校で出会ってから、舞との時間を一番多く過ごした場所がここなんです。だからこの場所でお弁当を持って待っていれば……舞が来てくれるんじゃないかって……そう思ったんです……」
 悲しそうに、かすかに涙声になりながらも、そう答えてくれた。
「……ごめん。辛いこと聞いて」
「いえ、気にしないでください。もしかしたら佐祐理も誰かに聞いて欲しかったのかもしれません」
 少し赤い目をしながらも笑顔を向けてくれた。
「でもだめですね……佐祐理はとても弱いです。ここで弁当を作って待っていても舞は来ないのに。祐一さんに心配をかけてしまいました」
「迷惑なんかじゃないですよ。むしろ俺の方が迷惑をかけたと思います」
「そんなことないです。祐一さんが毎日来てくれて、佐祐理はとても救われました」
「いえ……俺はなにもしてないです」
 佐祐理さんにそう言われて少しだけ安堵すると共に、罪悪感も感じた。
「でもどうして佐祐理の心配をしてくれたんですか?」
 そう、俺の理由の半分くらいは利己的なものだったから。
「もちろん純粋に佐祐理さんが心配だったのもあります。でもそれ以外にも理由があるんです」
「他の理由ですか?」
「舞と……もうひとりある人に対する罪滅ぼしみたいなものです」
 あの時、無理やりにでも魔物退治をやめさせていれば舞も怪我せずに、佐祐理さんも悲しい思いを済んだかもしれない。
 そして――
「七年間も、俺を待っていてくれた好きな女の子に対しての」
 こんな、ずっと都合の悪いことを忘れてしまってた俺なんかを。
「祐一さんが好きな女の子なら、とても素敵な人なんでしょうね」
「いや、それがたい焼きに目がなくてですね。あまりに好きで食い逃げするような女の子なんだ」
「ふえ〜食い逃げですか」
「ああ、ほかにもすぐ転ぶ、料理が壊滅的に下手、食い逃げするくせに自分をいい子だと言い張るとんでもない奴だ……でも、俺なんかを好きでいてくれる、俺じゃ釣り合わないかもと思う……女の子です」
「大丈夫です。祐一さんはとても素敵な男性ですよ」
「お世辞でも嬉しいです」
「お世辞なんかじゃないです」
 笑顔で言ってくれる。
「今はいないけど……いなくなる寸前に俺とずっと一緒にいたいって言ってくれたんだ。その女の子――あゆが。そして俺はその願いを叶えるって約束してたんだ」
 佐祐理さんは今度は俺の話を聞いてくれている。
「それだけじゃない。俺はあゆが好きだから、一緒にいたいから。だからあゆが帰ってくるのを待っている」
「佐祐理もです。舞と一緒にいたいから。舞を幸せにするって決めましたから。だから舞は帰ってくると信じて待ち続けます」
 ふたりで、はっきりと言った。
「すいません佐祐理さん。変な話しちゃって」
「いえ、佐祐理の話を聞いてくれましたからおあいこです」
 少しだけ胸のつかえがとれた、そんな気がした。
 ふと、開いていた窓から風が入り込んできた。
 暖かい風だった。
「そういえばもうすぐ桜の季節ですね」
 窓の外の桜の木は大きなつぼみをつけていた。
 そんなことすっかり忘れていた。
「今度お花見に行きませんか? 佐祐理と祐一さんと――」
 一呼吸して、言葉を続ける。
「もちろん舞とあゆさんのみんなで」
 桜が咲くのは、きっともうすぐ。



 夢を見た。
 とても綺麗な桜吹雪の中にいた。
 そこにいるみんなが楽しそうに笑っていた。
「いてっ、舞なにするんだよっ」
「私が食べようと思っていたタコさんウインナー食べた……」
「あはは〜。舞、まだたくさんあるから大丈夫だよ。祐一さんも遠慮しないで食べてくださいね」
「はい、頂きます」
「祐一君っ、ボクが作ったのも食べて食べてっ」
「いや、やめておく。命が惜しいからな」
「うぐぅ、酷いよ祐一君っ!」
「冗談だ。どれ……ば、ばかなっ? うまいぞっ!」
「ちゃんと秋子さんに料理教わったんだもん」
「ああ、さすが秋子さんだな」
「うん。でもボクも頑張ったんだよ。祐一君に食べて欲しかったから」
「そうか……さっきは悪かった。ありがとな、あゆ」
 そう言うと、あゆはとても嬉しそうに笑ってくれた。



 夢を見ていた。
 窓から射す陽光が眩しかった。
「おはよう、祐一君」
 そういって俺の顔を覗き込む笑顔は、夢と同じ幸せそうな笑顔だった。
 俺も、笑顔でその少女に朝の挨拶を返す。
「おはよう、あゆ」

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