じりりりり、といつもの目覚ましで眠い意識を無理やり起こさせる。

「あー……うう」

 意味のないうめき声をあげながらあたしは音の発生源を止めた。そこでまた無意味な声をあげながらごろごろする。しかし、ずっとそうやっているわけにもいかない。誰にだって生活を守るための日常があるのだしそれはあたしにだって例外ではない。
 元来、あたしは寝起きは良くない方なのだ。だからこうやって早めに目覚ましをセットし朝は意識が少しずつはっきりするまでごろごろ。
 ある程度目が覚めてくると洗面所で顔を洗って、そのまま寝巻きを脱ぎ捨てて浴室でシャワーを浴びる。
 濡れた髪と顔を乾かしながら、朝のニュース番組に耳を傾けるどうせたいした内容ではないけれど朝食のパンを焼いたり、食べたりする間なら時間の有効活用でしょ。
 ヨーグルトで朝ごはんを締めて、いつものあたしになるために着替えと化粧をする。
 鏡で軽く笑顔を作って、今日も一日頑張ろうって自分にエールを送る。最近、肌がくすんでるなぁ、嫌になっちゃう。
 あー、今日は燃えるゴミの日だったっけ。
 仕事用のバッグ以外にゴミ袋を片手に戸締りの確認をして家を出た。

「あ、どうも」
 ゴミ捨て場ではスーツでびしっと決めている四十過ぎの男性が頭を下げてくる。
 近所に住んでいる山岡さんという人だ。今日も奥さんに言われてゴミ当番なのかな。
 そんなことを思いながらあたしも軽く会釈した。

「おはようございます」
 やっぱりゴミ捨てに来た近所の別の人に挨拶された。あたしも笑顔をつくって挨拶する。

「やっぱり美坂さんは美人ねぇ。スーツも決まっているししっかりした女の人って感じだわ」
 近所のおばさんはそのまま話を続けてきた。正直、嫌なんだけど。

「ありがとうございます。でも、そんなことはないですよ。毎日のように上司にしごかれてますよ」
 それじゃ仕事がありますから、とあたしはその場を離れた。





「うむ。美坂くんの作るレポートは完璧だな。私も鼻が高いよ。今日の会議では好評だった。次回も頼むぞ」
「ありがとうございます」
 係長と別れて自分のデスクに戻ろうとすると後輩の子が「せんぱ〜い」って甘い声を出してきた。これは経験からするとロクでもないことに違いない。そうは思うけど後輩の指導も仕事のひとつだ笑顔できいてやる。
 案の定、トラブルらしかった。

「しょうがないわね。この件は後であたしの方から相手の総務部長に話しておくから心配しなくていいわ。
 でも、次は同じミスはしないようにね。こういうときはどうしたらいいのかっていうのは――そうね」

 あたしはさっと自分のパソコン内のデータを開いて一部印刷して、それを手渡す。

「それ、読んでおきなさい。さっきのような用件の場合はそれである程度対応効くから」

「あ……ありがとうございます、美坂先輩。やっぱり先輩は頼りになります。美人で格好いいし仕事もきっちりだし――」

 聞きなれた言葉をいつもの微笑で流しながら仕事の続きに戻る。今日も明日も仕事は待ってくれないからだ。
 能力があれば仕事を早くこなせるから時間があるというものなのではない。できるからこそ仕事が多いのだ。
 まして、あたしのように負けず嫌いの影でこっそり努力をし続けているような人間ならば。




 いつものように働いて、疲れた身体を引きずって、あたしの城である1Kマンションに帰ってくる。
 部屋に上がってしまえばもう完璧な自分など作る必要はない。今日はもう家から出ないんだから。
 ストッキングを脱ぎ捨てて冷蔵庫から缶ビール取り出して景気良くごくごくっとノドを鳴らす、ぷは〜っとかCMみたいに美味そうに飲んでやる。

 仕事はうまくいっている。
 近所づきあいも良好だと思う。実家には毎月仕送りしてるし問題なんてないように思う。
 なのに、なんでかな。満たされない感じがするのは。

 どうして毎日のようにため息なんてついてしまうのだろう。


――夢はあるか?
――卒業してどうする?

 ふとそんな話をし合った高校の時の同級生の顔を思い出した。名雪とは連絡をときどきとっている。相沢くんと1ヵ月後に結婚式を控えているという状況であたしも招待状がきているしすでに休みの申請済みだ。
 もうひとり、そう記憶に残る少年の顔がある……いっしょにあの時間を駆け抜けた北川潤という少年を。

 あたしと名雪、相沢くんとそして北川くん。
 その四人グループで名雪と相沢くんが良くペアになるせいか彼とはよく時間を共にした気がする。
 懐かしい彼の顔が浮かぶような気がした。
 そういえば、彼とはもう何年も会っていないけれど元気にしているだろうか?
 名雪の結婚式のときにもしかしたら会えるかもしれないな。

――このときはそれくらいに考えていた。




 ○●○●○



 名雪の花嫁姿はとても綺麗だった。
 名雪の長い長い想いがやっと叶った瞬間だった。まぁ、学生の頃から時間の問題だとは思っていたけどねこの二人は。
 地元での結婚式ということで中にはやっぱり知った顔がいくつもあった。
 あたしも前日、実家に帰って両親や栞とも会ってきたし。

「花嫁が今からブーケを投げますよー」

 そんな声と共に女たちが「わーきゃー」言いながらぞろぞろ移動していく。
 あたしはその輪には混ざらない。
 別に結婚したいなんて思っていない、だから望んでいる子たちが手にする方が当然だと思う。
 だからあたしは幸せそうに「いくよ〜」ってブーケを投げる名雪を遠目に見ているだけで充分だった。

「なんだ。女性陣はみんな行ってるのに……美坂は行かないのか?」

 背後から、懐かしい声がした。

「あら。高校3年のときあたしが言った言葉覚えてないわけ?」

「それでもな。人は変わるものだから、美坂も心変わりしたかと思っただけさ」

 改めて振り返ると、結婚式用に召かしこんだ彼がいた。
 あの時と変わらない瞳と、大人になった彼を見ていると何故か頬が熱くなるのを感じた。なんでこんなに意識してるんだろう。

「これから抜け出して二人だけで食事でもどうだ?」

 うまい店知ってるからさ、って笑った。

「そうね。それはとても魅力的な提案ね」

 でも、相変わらずのあたしは本心は出来るだけ隠して平静そうに返すのだった。









 北川くんが連れて行ってくれたお店は学生のころじゃないあたしたちであることを感じさせるには充分すぎるほどムードにあふれていた。
 カップルだらけの店内、オシャレな内装とBGM、凝った照明とアルコールがたくさんそろってそうなバーカウンターも見える。
 正直言って、あたしはこういうところにはさっぱり慣れていない。
 会社のみんなで行くようなところは大丈夫なのだが若い男女が入るような店なんて入ったことがない。
 この年齢にもなって、あたしは異性と付き合ったことがないのだ。
 だから内心ははじめてのことにドキドキしている。北川くんは付き合ったりする女の人とはやっぱりこういう店に来るんだろうか。そして、そういう経験が豊富なんだろうか。
 どうにもあたしじゃ釣り合わない気がしてきた。

――って、何を釣り合うとか釣り合わないとか意識してるのよっ!

 北川くんといっしょに高校の頃の話をする。
 それはとても懐かしく楽しかった。あたしは北川くんと居る時間が好きだった。
 多分、彼のこと好きだったんだと思う。
 でも……

――夢はあるのか?
――卒業したらどうする?

 彼はあたしに自分の夢を語ってくれた。
 それはあたしにはないもので、やっぱり彼と対等じゃない気がして、結局、北川くんにあたしの思いを告げることはできなかった。

――普通のOLやお嫁さんとかじゃ嫌だと思った。
――漠然と人がやらないことをしたい。

 強がってそんなことを答えてしまった。
 あたしは子どもころからスキのない自分というものを演じてきた。今もそれは変わらない。
 ただ、唯一のそれを変えられるチャンスであたしは素直になれずに今、こうなっているのかもしれない。

――恋に生きてみるのもいいと思った。

 それを何故あのとき告げられなかったのか。
 結局、あたしはずっと変わらないままなのだ。
 名雪と相沢くんが家庭を持ち、こうやって北川くんがオシャレな店に慣れていったりしているのにあたしは変わってないのだ。

 北川くんはたくさん話題を振ってくれて、いろんな話をした。
 二人ともアルコールもそれなりに入っていたし、あたしもちょっと酔っていた。

 アルコールの力を借りて、あのときの想いを告白したら彼は受け止めてくれるだろうか?
 そんなバカな夢想をして、そんなわけがないと結局いつものように心に閉まった。




「ところでさ。最近、美坂疲れてない?」

 どきりとすることを言われた。
 まさに日々のあたしは何か満たされなくて磨耗されていくような感じを味わっていた。
 しかも、アルコールのせいだけじゃなく頬が熱かった夜も遅くなってきて、あたしは北川くんを間違いなく意識している。

「うーん。そうかもね」

 なんて言葉を濁す、彼の真意が計れない。

「彼氏とうまくいってないとか?」

「そ……そんなの、い……今はいない……わ」

 頭がぐるぐるする、沸騰しそう熱い熱い熱い――

「そんな美坂にいいものがあるんだけど――」

 と、彼が語りだしたのは――ちょっとした投資で楽してがっぽり大もうけなんていう迷惑メール並に胡散臭い話だった。
 うわーーっと、一気に酔いが冷めた――焦る、別の意味でどきどきだ。
 マルチ商法の人になってるし北川くんっ!

 彼はそれがどんなにすごいかを力をこめて延々と話すのだがあたしの耳には聞こえてない。
 ただ、自分の中で一つの恋が終わりを告げたんだなぁ、ってしみじみ思った。本当は泣き出したいくらいだ。
 でも、こっちが断る意思を見せても彼は熱心に主張して引こうとしない。
 あー、なんていうか。
 こうなったらあたしも狂った人を演じるしかないじゃない――

「そういう問題じゃなのよ、北川くん!
 これは業なの。人々の負の思念がこの世の輪廻転生のサイクルに悪しき影響を与えているの!
 この世の大なり小なりの悪い事象はすべてそれが原因なの!
 この間の小学生殺傷事件もそう。世界で起こっている戦争も。
 この世に渦巻く負の思念が、純粋な人々の魂を汚して社会悪を生んでいるの。
 汚された魂がまた負の思念を生んで、世界は無限ループで悪くなっているの!
 でもね、大丈夫! あたしの信頼している人がね、あ、会ったことは無いんだけど。
 その人がね、あと42年かけてその負の部分を浄化できるように祈りを捧げてくれているから!
 ただ、 その人はとても大きな力を持っているのだけど、その力だけじゃ足りないから志を同じくするあたし達仲間も協力してるのよあの方を支えるためならどんな苦労も苦にならないよだって世界が良くなるんだから、あたしのこれから生まれてくる子供や両親や友達皆がより良い世界で生きれるようになるためだからその活動を支えるためならあたしは何も惜しまないのお金なんか無くたって幸せな世界になればあたしも幸せになれるから今はその活動を支えるために全てを犠牲にするのが正しくて素晴らしいことなの!!」
 
 最後の方は息もつかず一気に、ただし目線は彼を透かして遠くを見ているような感じで喋りきる。宗教ネタは人を引かせるのには充分なはずだった。
 それきり彼は自分の夢や人の夢について言及しなった。あたしへの視線がなんだか痛ましいものを見るような感じになっちゃいましたけど。
 
 ただ北川くんの今の表情がそっくりそのまま先程までのあたしの表情だってことに気づいてくれたらせめてもの救いなんだけどなぁ。
 無理だろうな。



 そんなこんなであたしの長い初恋は幕を閉じた。
 なんていうか、時間は人を変えるっていうけど、本当にそれはないんじゃないかなって思った。
 はぁ、幸せってなんだろ。

 北川くん以前よりずっとかっこよくなってたのに、いい男そうに見えたのに彼は今はネズミ講の人だったなんてまさに諸行無常。

 あーあ。どっかにいい男いないかな。



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