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 ――最初に感じたのは誰かの想い――

 いつ生まれたのか、此処はどこなのか、何も思い出せない。

  ――次に感じたのは、違う誰かの想い――

 思い出せることといえば、2つの言葉と2つの想い。

    ――だけど、どちらの想いも、同じ想い――

 だけど、自分の果たすべきことだけはわかっている。

      ――ある人を待ち続けているという、そんな想い――

 だって、ボクはその為だけに、生まれてきたのだから


resolution of soul




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 その日も雨が降っていた。すでに教室内には私以外の生徒の姿はない。

「もう少ししたら、帰りますか」

 昨日、出会った女生徒に、もう一度会って、話してみたい――

 私が、こんな時間まで、なにもせずに教室に残っている理由は、そんな自分でもよく分からない、不思議な感情だけだった。

 右肩をさすりながら、らしくない自分の行動に、すこし苦笑する。そんな時だった。

 ガラガラガラ――

 ドアの開く音がした。

「えっ? 」

 すでに教室内だけでなく、学校にもほとんど生徒は残っていないと思っていた私は、怪訝な声を出して、音のした教室のドアのほうに目をやった。

 はたして、ドアの前に居たのは、明らかにここの生徒とは違う淡い色の洋服に身を包んだ、年端もいかない少年だった。

「美汐」

「――えっ」

 少年はいきなり、私の名前を呼ぶと、一直線に私に向って走ってきて、まるで、あの失礼な物言いをする1年上の先輩と同じ家に住んでいる、今年、この学校に転入してきたばかりの、少女みたいに抱きついてきた。

「ただいま、美汐! 」

 かすかに記憶の琴線に触れた、その顔は本当に嬉しそうに私に抱きついている。私はそれを振り払うことも、抱きしめることもできずに、ただ両手は虚空を彷徨わせていた。

「真琴……? 」

 胸に飛び込んだ少年の感触がまるで同じに感じてしまったために、知らずに私はその少女の名前を口に出していた。

「真琴? 違うよ、美汐。忘れちゃったの僕のこと? 僕の名前は美汐がつけてくれたんだよ―――――」

 嬉しそうに、そして悲しそうに、目の前の少年は、自分の名前を口に出した。その少年の口から飛び出た言葉は、今はもう私しか知っているはずの無い、そして、私がずっと会いたかった『あの子』の名前。

「もしかして、本当に僕のコト、忘れ――」

「わっ、忘れるわけありません! 忘れたことなどあるわけ無いです! 」

 悲しそうに言葉を紡ぐ少年と、それを真っ向から否定した私の叫びが教室内に響き渡った。

「本当に……本当に、帰って来てくれたのですか? 」

 少年の顔は見れば見るほど、あの幸せな時を一緒に過ごした『あの子』そのものだ。

「えへへ……ただいまの後は」

 私が『あの子』に教えた、幸せの残光のひとつ。それを、また繰り返して……

「はい……お帰りなさい」

 私は、自分が泣いていることにも気付かず、一生懸命、目の前の少年を抱きしめた。



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 それから毎日、夕方の教室は、あの子と一緒に過ごす大切な空間となった。私は、また、ものみの丘に二人で行ってみたいと、言ってみた事もあった。

 しかしそのたびに

「ごめん、美汐のお願いでも、それは、できないんだよ」

 そう謝りながら、本当に申し訳なさそうな顔をする。その顔を、私はすでに数回は見ていた。

「いえ、私はあなたが元気なら、それで十分ですよ」

 最近、また出来るようになった笑顔で、答える。それは本心だったから、私以外と会いたくないと言われても、夕方の学校の教室でしか会うことが出来ないと言われた時も、夜になるとそのまま、私にも見送りもさせずに、どこかに行ってしまう事も。別に、その理由を知ろうとも思わなかったし、考えようともしなかった。

 だから専ら、この子とするのは、この子と別れてからの私の現在までの話を、過去から現在までを、日を追うごとに進めていったのだけれど、その物語もこの学校に入学してきて、冬に転校してきた1年上の先輩が私の前に登場してきたという所で、思いもかけない形で終わってしまった。

「相沢……祐一」

 私が、相沢さんの名前を出したとたんに、この子は、憎悪を宿した瞳で、話してもいない下の名前を、口から吐き出した。

「相沢さんを……知っているのですか!? 」

 この子と接点があるはずの無い名前。しかもそれを、蛇蝎のように言う。

「美汐……ごめん、大切な用事があるんだ……本当に大切なこと。だからもう、僕には会わないほうがいいと思うんだ」

 その状況を理解するまもなく、突然、一方的に告げられた、別れの言葉。

「なんでですかっ!? やっと会うことが出来たのに、なぜ、こんなにいきなり……」

「ごめん、美汐」

 問うことも忘れ、我も忘れ、それでも何があったのか訊こうとした、私の叫びも祈りも、最後まで言わせることなく、『あの子』は私の前から去っていった。



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 その日は雨が降っていた。生徒会書記となってしまった私は、その業務を、馬鹿丁寧に放課後に教室に残ってまでしていた。

「えっ、もうこんな時間ですか」

 そう、自分しかいない教室で、声をあげたときには、すでに辺りは夜に包まれていた。

「早く下校しないと、いらぬ心配をかけてしまいますね」

 後、あらぬ疑いも…と付け加え、脳裏で、私を冷やかしている1年上の男子生徒を睨み付けた。

 ガラガラガラ――

 私は教室のドアを閉め、そして、昇降口に向かおうと足を進め……ようとした。

「…………」

 自分が今どこに居るのか、一瞬理解できなかった。間違いなく背中には私の教室があり、ここは学校の廊下であるはず。

 なのに、顔を上げた先には――

 女の人が立っていた、一振の剣を携えて。

「 ぁ」

 発するべき言葉が見つからない。目の前の彼女は、この学校の制服を着ていた。リボンの色は紫で、現在それに該当する学年は1年生であるが、とても年下には見えない。

 しかし、そんなことよりも、目を引かれたのは、その瞳。

 その瞳が、なぜか自分と似ているような、そんな錯覚すら起こさせてしまう、そんな不思議な感覚。

「あ、あの……」

 自分から声をかけるという行動を起こすのは、何時以来だっただろうか。

「あの、すでに下校時間は過ぎているのですけど」

 自分のことを棚にあげて、何を言っているのだろう、と自分でも笑ってしまうような話題の振り。

「…………」

 反応は無い。というよりも、そもそも私を見ていない。

「雨の今なら小降りですし、早々に帰宅したほうがよいと思います」

 彼女はただじっと、私の背中のほうの一点を見つめ続けている。その目はやはり、一昔前の私を連想させてしまう。

「……待っていたら、その人は来るのですか? 」

「……え」

 自分でも何故こんなことを喋ったのだろうか。しかし、その疑問は確かに彼女を捕らえたようで、彼女が反応を示した。

「待っているだけで、会いたい人はこの場所に来るのですか? 」

 更に繋げる。それは彼女に言っているようで、でも自分に問いかけているような、そんな質問。

「……待つことだけしかできないから」

 彼女の出した答えは、あまりにも、私と同じ。つまり彼女も、誰かを待ち続けているのだろう、この場所で。そして私と同じように、彼女の待ち人も……

「…………会えるといいですね。お互いに」

 私は俯きながらそう言って、身を翻した。刹那、何か背中で光ったような気がした。

「くっ……!! 」

 彼女の、そんな声が聞こえた気がした。

 その後のことは覚えていない。気がついたときには、彼女はいなかった。ただ右肩に激しい痛みだけがあって、それが、今までのことが現実だった事を証明していた。



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 その日の夜、少し冷静さを取り戻した私は、部屋の机の前で、考えていた。『あの子』が教室を出て行った後、すでに癒えていたはずの、右肩の痛みが、唐突にやって来なければ、私は今でも、教室で泣いていただろう。

 もしかしたら、その痛みは唐突ではなくて、あの日からずっと痛かったのかもしれない。ただ、それを忘れさせてくれるほどの幸福感が、今まで私を包んでくれていただけだったのかもしれない。

 でも、それも終わり。夢だと気付いた夢は、覚めるしかないのだから。思えば、前兆はあったのかもしれない。

 誰かを待ち続けて、夜の校舎に今、この時もいるであろうあの女の人――川澄舞。生徒会の書類を少し調べてみたら、すぐに判明した、すでに卒業した2つ上の先輩。

 そして、夕方の校舎に現れて、夜になると何処かに帰ってしまう、『あの子』。そして知っているはずの無い相沢さんを知っていた……『あの子』。

 あとは。

 私は、ひとつの決断をして、リビングに降りてきて、受話器を手に取り、番号を、押していった。

 トゥルルルル――トゥルル……ガチャッ

 電話はコール2つほどで繋がり、そこから声が聞こえてきた。

「はい、もしもし。水瀬ですけれど、どちら様でしょうか」

「あの、夜分遅くにすみません。私、天野美汐と申しますが――」

 ――相沢さんはいらっしゃいますでしょうか――



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「美汐……やっぱり、来たんだ」

「はい」

 オレンジの教室。2人で過ごせるのは今日で最後。理由はないけど、それは確かだと理解していた。

「もう会わないで……って言ったのに、ひどいな、美汐は」

「はい」

 2人で過ごせる最後の時間。

「ほとんど……美汐の、考えているとおりだよ」

 悟ったような答え。

「……はい」

 昨日、相沢さんから聞いた、川澄先輩が学校で毎晩、何をしているか。それを訊いたとき既に、薄々わかっていた。尤も相沢さんは、その後のことは、夜、学校に行かなくなったから、これ以上は分からない、と、そう言っていたから、少しは私の中で着色した結果なのだけれど。

「僕は、美汐の想いに応えるためだけに、生まれてきたはずなんだ……でも、違った」

「……」

「僕が生まれてきた理由は、ある人を待ち続けるため。そんな、ちっぽけな理由が僕の存在」

「ちっぽけなんかじゃないです。少なくとも私にとっては、とても、とても大き……かったですから」

 目の前にいるのに、過去形で話さなければいけない、自分が悔しい。

「ありがとう。待っている人が来てくれた時の喜びとか、幸せとか、いっぱい知ることが出来て僕も、嬉しかった……」

 少し沈んだ声でそう告げて、それに自分で気付くと、無理に笑いながら

「夢は覚めてしまうから、夢って言うんだよね。だから、美汐――さよなら」



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「……嫌です」

「え? 」

「私は……諦めないですよ」

 今まで見たことも無かった美汐の確固たる拒否と意思。

「たとえ、今日別れても、私はあなたを探しだします」

「でも、僕は」

「『あの子』とは違う、とでも言うつもりですか? 」

 やっぱり美汐は分かっているんだ。僕が『違う』ということは。

「あなたから、貴女の想いが消えたら、残るのは『あの子』だけですよ」

「む、無茶苦茶だよ、美汐……その理論は」

 確かに、算数ではそういうことになる。

「無茶でも、何でもやってみないと、わからないですから。夢はかなえるから夢、なんですよ」

 今まで見た中でも、最高の笑顔。

「そうだね。じゃあ、言い直すね」

「勿論です」

 当然、という感じで言葉を促す美汐。

 ――美汐……また会う日まで、さよなら――

 そう言葉を残し、私の前から、『あの子』は消えた。




















「……何時まで、隠れているんですか、相沢さん? 」

 独りだけになった教室で、私は後方に向かって、声を投げかける。

「いや、悪い。聞くつもりはなかったんだけどな……偶然だ」

「そうですか、私が話し始める前から、隣の教室に隠れていたのを、相沢さんは、偶然、というのですね」

 ばれてたのか、というような顔で、声の主は顔を出す。

「では、今晩から、よろしくお願いしますね」

「へ? なにが」

 まずは、最初の一歩を踏む出すことにしましょう。

「待っている人がいるんですよ」

「誰が? 誰を? 」

 疑問符だらけの相沢さんを尻目に、私は歩き始めた。彼女に再び会うために――

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