世の中にはメガネをかけている女の子が好き……という男がいることは俺も知っている。
 自分自身にはそういう特殊な属性を感じたことはなかったが、別に否定的だったわけでもない。
 男女問わずメガネをかけていればなんとなく知的に見えるし、真面目そうな印象を受ける事も多い。
 それがメガネをかけたことのない俺には、格好良く見えた事もある。
 でも、結局のところメガネは一時的に視力を向上させるための道具であり、決して装飾品ではない。
 ずっとそう思っていた。


 ……今日この日までは。


「うわぁ、祐一君見て! 最近のメガネって可愛いいのが多いね」

 デートの途中になにげなく立ち寄った商店街のメガネ屋。
 レディースコーナーのメガネのひとつを手に取り、あゆが興味深そうに眺める。
 正直興味はなかったが、あゆがうれしそうに微笑むのを見て俺も適当に話をあわせる。

「そうだな。最近はおしゃれでメガネを使い分けたりする奴もいるから、デザインも凝っているよな」
「おしゃれ用……そうなんだ」

 おしゃれという言葉に反応したのか、あゆはより一層興味深そうに展示されているメガネを眺め始める。
 昏睡状態から目を覚ましてから、早数ヶ月……あゆは年頃の女の子らしく、かなり服装等を気にするようになってきた。
 その理由のほとんどは……おそらく俺のため。
 この俺、相沢祐一に少しでも可愛く見てもらいたい、褒めて貰いたいという気持ちがあゆを動かしている。
 ひょっとしたら彼氏としての自惚れかもしれないが、たぶん間違じゃない。
 だから、メガネには特に興味もない俺であったが、一緒に必要も無い眼鏡を眺めてみたりする。

「これなんか、可愛いかもな」

 フチ無しの比較的小型のメガネをひとつ摘み上げ、あゆに手渡す。

「祐一君はこういうメガネが好きなんだ」
「いや、そういうわけでもないけど。なんとなくあゆに似合いそうだなって思って」
「そ、そうかな」

 あゆが、少し照れたように俺から視線を逸らす。
 その仕草があまりにも可愛らしくて、俺の悪戯心をくすぐったりする。

「試しにちょっとかけてみれば?」
「い、いいよ! ボクは別に視力は普通だもん」

 慌ててメガネを元の場所に戻そうとするあゆ。
 その手から強引にメガネを奪い取る俺。

「ちょっとだけだって度も入ってないし、ほら」
「うぐぅ、なんだか恥ずかしいよ」

 あゆはしぶしぶメガネを受け取る。

「メガネをかければあゆだって、ちょっとくらいは頭が良さそうにみえるかもよ?」
「うぐぅ、祐一君ひどいよ」

 頬をぷうっと膨らませて、くるりとこちらに背を向けるあゆ。
 どうやらメガネをかける瞬間は見られたくないらしい。
 俺にはよくわからないが、それも乙女心というやつなのかもな。
 あゆがメガネをかけたのを確認して俺はからかうように声をかける。

「恥ずかしがってないで、見せてくれよ。メガネっ娘あゆを」
「祐一君、絶対笑わないでよ」
「はいはい」

 おれが適当な返事を返すとあゆがゆっくりとこちらを振り向いた。

 この瞬間……ちょっと照れた上目遣いで俺を見つめるメガネっ娘あゆを見たその瞬間。

 俺、相沢祐一は新たな人生を歩みだした言っても過言ではない。

(キタァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!)

 なんとか口にこそ出さなかったが、俺の魂は凄まじい咆哮をあげた。
 もし、今の叫びが口から出ていたら俺の喉の寿命と引き換えに、店中のガラスというガラスが全て粉々になったであろう。
 背筋には感じたことがない電気ショックのような不思議な快感が走り。
 心臓はフルマラソンを走り終えたかのように限界ギリギリのスピードで鼓動している。
 正直、俺が人より心臓が弱かったりしたら、ショックで逝ってたと思う。
 いや、ほんとマジで。
 それほどまでにメガネを装備したあゆは可愛かった。

「ゆ、祐一君……どうしたの?」

 あまりの衝撃に思わず呆けていた俺を、心配そうにあゆが見つめている。
 慌てて現実世界に戻ってくる俺。

「うぐぅ、やっぱり似合ってないんだよね」
「そんなことはない!!!」

 俺の態度に勘違いしたあゆの言葉に、俺は首をブンブンと今まで経験したことのないスピードで振り回し全力で否定した。

「ちょ、ちょっと祐一君! そんな首がもげそうになるほど振り回したら怖いよ!」
「い、いや、本当に似合ってるよ。そのメガネ!」

 俺はメガネっ娘あゆの肩をガッと掴み、誤魔化すように微笑んだ。
 正直、首を振り回し過ぎてちょっと頭がクラクラするが、そんなことはどうでもいい。
 あゆが、”自分にはメガネが似合わない”などという誤解をしないようにすることのほうが百万倍重要である。

「そ、そんなに似合ってるかな」
「ああ、びっくりした。凄まじいことになってる」
「うぐぅ、凄まじいことって、あんまり褒められてる気がしないよ」

 あゆが複雑そうな表情を浮かべる。
 や、やばい……このままでは本当に誤解されてしまう!
 この北極の氷も溶かしかねない熱い気持ちを、何とかしてあゆに伝えなくては!

「いや、本当に似合ってるよ。俺を信じてくれ!!!」

 興奮した俺は思わずあゆの肩を掴む手に力を入れすぎてしまう。
 あゆが、小さく悲鳴をあげる。

「い、痛いよ、祐一君!」
「あ、ごめん」

 慌てて俺が手を離すと、あゆはその拍子にバランスを崩したのかフラフラと数歩だけ歩くと、そのままペタンと尻餅をついた。
 俺は自分の愚かさを呪いながら慌てて駆け寄る。

「うぐぅ……」
「大丈夫か?」

 半泣きになりながらあゆは自分のお尻をさすっていた。
 本当に痛そうだった。
 あまりに申し訳なくて俺は手を差し出すよりも先に、まず頭を下げた。

「本当にごめんな、あゆ。俺のせいで」
「祐一君が悪いんじゃないよ。ボクがドジなだけだから……えへへ」

 あゆが照れたように微笑んだその時であった。
 あゆのメガネがずるりと傾いた。

「うぐぅ……眼鏡までずれちゃった、本当にボクはドジだよね」
「!」

 俺は思わず絶句した。
 尻餅をつき半泣きで眼鏡を傾けさせて困っているあゆ。
 今のあゆは、ただのメガネっ娘あゆではない……こいつはそう”ドジっ娘メガネっ娘あゆ”だ。
 そんな彼女を見た瞬間、また俺の中に新たな感情が芽生えた。

(もう一発キタァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!)

 今度もなんとか口にこそ出さなかったが、俺の魂は先ほどをはるかに上回る凄まじい咆哮をあげた。
 もし、今の叫びが口から出ていたら俺の命と引き換えに出たであろう超音波がこの街を粉々に吹き飛ばしていたはずだ。
 体にはまるで落雷の直撃でも受けたかのように、すさまじい電撃が走り(肩こりがとれた)。
 心臓はフルマラソンをすべて全力疾走で走り終えたかのようにあきらかに限界以上のスピードで鼓動している。
 正直、俺は多分他の人より心臓が強い。
 そうでなければ今ので間違いなく逝っていたはずだ。
 いや、ほんとマジで。
 それほどまでに”ドジっ娘メガネっ娘あゆ”は可愛かった。
 ちょっと半泣きなところがさらに萌えだ。
 思わず両手で顔を押さえ、感動の涙を流してしまう俺。
 ありがとう! ありがとう! ありがとうメガネ!
 メガネを最初に考えた人、あなたは人類史上もっとも優れた発明家だよ。間違いない!

「祐一君……なんで泣いてるの?」

 男泣きする俺を見上げ、あゆが驚いたように尋ねてきた。
 この熱い気持ちを、包み隠さず全てあゆに告白しようかとも思ったが、日が暮れるまでに語り尽せるとは思えない。
 それに万が一にも理解を示さなかった場合が困る、二人の関係に亀裂が入りかねない。

「いや、なんでもないよ。ちょっと目にゴミがはいっただけさ」
「そうなんだ。ボクびっくりしちゃったよ……体中の水分が全部出るのかと心配しちゃうぐらい、ヤバイ勢いで涙が流れてたから」

 いくらなんでもそれは言いすぎだろ……
 いや、ひょっとして、いつの間にかTシャツがものすごく湿ってる気がするのはそのせいか?
 もしこれが原因で死んでいたら死因は何になるのだろう?萌死?

「……本当に大丈夫だから気にしないでくれ。それより立てるか?」

 あゆが安心したようにホッと息をつき、俺が差し出した手を取り立ち上がる。

「ごめんね、祐一君……ボクほんとにドジで」
「いや、全然気にしてないよ」

 むしろ、あなたが与えてくれた熱い感動に対して、お礼を言いたいくらいです。
 俺の言葉を聞いても少し困り顔だったあゆの頭を撫でてやると、あゆは照れたように微笑んだ。
 その直後だった。
 とんでもないことが起きた。

「とりあえずメガネはもういいよね」

 突然、あゆがかけていたメガネを、元の場所に戻したのだ。
 それは俺の”ドジっ娘メガネっ娘あゆ”が、ただのあゆになってしまったということだ。
 あ、いや……”ドジっ娘”は残るか……
 それはともかく、俺の体に衝撃が走る。
 いや、これはむしろ絶望という感覚かもしれない。

「……何をしている?」
「え? だって別に買うわけじゃないもん」

 震える声でたずねる俺に対して、さも当然とばかりに答えるあゆ。
 もっとも恐れていた答えが返ってきてしまった……か、買わないだと!
 再び、俺はあゆの肩をガッと掴み、必死に平常心を保ちながらゆっくり尋ねる。

「なんで買わない?」
「ボクは別に視力が悪いわけじゃないし、いらないでしょ?」
「視力がいいとか悪いとかはメガネと関係ないだろ!」
「かなり関係あるよ!メガネだよ!」

 くっ! あゆのくせに鋭いツッコミをいれやがる。
 しかし、あゆの言うことにも一理あるか……
 確かに視力が悪くもないのに、高い金出してメガネを買えとは言えない。
 仕方ない……

「……あゆ、そのメガネをおまえにプレゼントしたい」
「どうして?だからボクは別に視力に問題はないし……」
「度の入ってないやつ買うから大丈夫だ! 最初に説明しただろう。おしゃれ用だよおしゃれ用!」
「で、でもボク受け取れないよ。ほら値段もけっこうするから、祐一君お小遣いなくなっちゃうよ」
「ちょっとくらい高くてもいいんだ……そう、誕生日プレゼントだから!」
「何言ってるの? ボクは一月生まれだよ! 今夏でしょ!」

 やばい! このままでは負けてしまう。
 俺は自分の脳みそをフル回転させ必死にあゆを納得させる方法を考える。
 何か説得力のある説明はないだろうか。
 考えろ! 考えるのだ俺! メガネっ娘のために!

「……あゆ、実はこの店には、何十年も伝わるひとつの伝説があるんだ」
「伝説?」
「そう! この店で恋人にメガネを買ってもらった女の子は、その恋人と一生幸せに暮らせるという伝説だ!」

 なんだか、さっきから俺達のやりとりをチラチラ見ていた店員が、あからさまに”そんな伝説はねーよ”という顔をしている。
 よく見れば店のあちこちに”オープニングセール実施中”のポスター、どうやらこの店はまだオープンして間もないようだが、この際無視だ。
 自分でいうのもなんだが、かなり胡散臭い。
 しかし、相手はあゆだ、このまま勢いで貫き通す!

「祐一君! それは素敵だよ!」

 思いっきり目を輝かせる愛しのマイハニー。
 おっしゃ! ほら、引っ掛かった!
 レジカウンターの店員がなんだかものすごくツッコミたそうだがそれも無視だ。
 ふっ、天然をなめるなよ、メガネ屋店員め!

「なら、受け取ってくれるか、俺からのプレゼントを……」
「うん、ボクうれしいよ。デートの時には必ずつけて来るから!」
「ぜひともそうしてくれ。っていうか、むしろお願いします」

 俺は心の中でガッツポーズを取る。
 そして、確信した。
 今日から始まる萌えと愛に満ちた幸せの日々を。
 俺も今日からメガネっ娘マニアの仲間入りだ……
 だが、俺はきっと後悔はしない。
 この世にメガネがある限り……








 ……三日後

 その時のメガネは、あゆがうっかり踏み付けて大破した。
 その報告を聞いたとき、生まれて初めて本気で泣きました。



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