「どうして僕らはこんなところにいるんだろうか」
「さぁな、神にでも聞いてくれ」
「あいにく僕は無神論者なんだけど……」
「……その辺は気合でどーにかしろ」

 太陽が容赦なく照りつける8月。
 皆様、いかがお過ごしでしょうか?
 わたくし、相沢祐一はこの暑さの中今にもとろけそうです。
 ってか、とろけてます。

「あーそろそろ来るな……」
「んだ。今日も一日がんばって耐えぬこうかの」
「早く家に帰って冷たい麦茶を」

『_no title』


 夏。
 学校。
 教室。

 夏休みだというのに教室には2人の男子学生が居た。
 名前は相沢祐一に北川潤。
 その顔に覇気は無く、哀愁だけが漂っていた。

「にしても暑すぎやっちゅうねん……」
「相沢よ、どうしてこの教室にはクーラーが効いていないのだ?」
「石橋がいってたろー、省エネとか何とかで今はクーラー切ってるって」
「ありえないな、生徒の虐待行為として教育委員会は動かないのか」
「おめぇや俺が言ったところで、一笑に付されるだけだぜ? 想像してみな」
「やだねー、融通利かない大人たちって」
「んだ」

 言っている本人たちは至ってまじめに討論しているつもりなんだろうが。
 ちなみに祐一は窓側、北川は廊下側を向いて机に突っ伏している。
 曰く、「このクソ暑いのに野郎の顔なんて見てられっか」とのこと。

 ガラガラガラ

 教室の扉が勢い良く開いた。
 そして、物凄く不機嫌な顔をした大人が現れた。

「おらー、ミソども。寝そべってないでしゃきっとしろい」

「何かすこぶる不機嫌っすね」
「彼女にでも振られたんですか?」

 火に油。
 元々赤かった顔が更に赤くなる。
 このままでは茹で上がってしまうのではないか?

「やかましい。それよりさっさと補修を始めんぞ」
「えーーーー」
「こっちが嘆きたいわ。今年の夏は避暑地でのんびりしようと思ったのに赤点食らいやがって」


 石橋が赤点について触れたところでようやく体を教卓に向けた。

「さっさと始めてさっさと終わらせたほうが、お前たちのためだ」

 石橋からプリントを手渡され、渋々筆箱から筆記用具を取り出す2人。
 赤点を取った科目はそれぞれ違うので見せ合うことはできない。
 赤点を何とか回避した科目でもギリギリなので教えあうなんてことはできないだろう。

「相沢は古文、北川は倫理。先生は準備室から扇風機を持ってきてからみっちり監督してやるからさっさと終わらすんだぞ」
「…………」

 最低だ。
 2人の脳内はこの教師に対する並々ならぬ殺意で埋め尽くされた。
 だが実行に移すほど根性も無いのでぐっとこらえ、プリントを見据えた。

「極々わかんねー」
「文字ばっか、やってられねぇ」

 赤点を取るのだ。
 その教科に対しても嫌悪感がある。
 今はそれに立ち向かうための補修なのだが。

「世間はオリンピックだというのに、俺たちは何やってんだろうな」
「家に帰って甲子園見ていたかったぜ」

 未練。
 普段冷房という文明の利器に頼っている彼らにとって、冷房の無い世界はどんなにきつい世界であろうか。
 その上担任教師が目の前で扇風機に当たっているのだ。

「北川よ、今日は妙に暑くないか?」
「だな。オレのトレードマークもすっかりしなびちまってる」
「先生、俺たちの方に風向けてくれませんか」
「嫌だ。元々自業自得なんだからそのくらい耐えろ」

 既に祐一と北川は相当量の汗をかいていた。
 とは言っても脱水で倒れるほどではないが……。
 一方教師石橋はというと、涼しげな顔でコ○ルト文庫を読んでいる。

「とっとと終わらせて、百花屋で涼んで帰ろうぜ」
「OK北川。フルスピードで終わらすぞ」

 もはやこの学習活動は戦いである。
 本来、海で、山で、里で謳歌しているはずの若者が学校でプリントと格闘しているのだ。
 プライドも許さないだろうが、そうも言ってられない。
 そうなりゃ早く終わらせてしまえと。

「名雪もこの暑い中でがんばっているんだ。俺だってプリントぐらいどうってことない!」
「水瀬は総体で涼しい山陰地方に行ってるだろーが」
「美坂は今頃予備校で必死に勉強しているんだろうな。久瀬と相変わらずトップ争いしてるし」
「妹さんと北海道に旅行で行くとか話を聞いたぞ。こっちよりはやっぱ涼しいんだろうな」

「……」

 身も蓋も無い。
 涼しげに口を挟みながら小説を読んでいる石橋。
 少年たちの夢は教師の何気ない一言で崩落してしまった。

 テンションはすっかり下がってしまった。
 しかし辛うじて手は動く。
 効率は物凄く悪いだろうが、終わらせてしまえば万事オッケー。



 一時間ぐらい後



「なぁ、北川。どのくらい終わったよ」
「2、3問分からんが大体おわったか。相沢は?」
「俺もそのくらいだ。レ点とかそのあたりはさっぱりだが」
「おいおい。まぁ、いいけどな」
「せんせーまだ帰っちゃだめ? もう終わったんだけど」

「んー……ってもう昼前か。帰っていいぞ」

 すっかり小説に没頭していた石橋。
 時が経つのも忘れてしまっていたらしい。
 その間に2冊ほど読み終えていたみたいだが。

「北川、帰るぞ」
「だな」

 背中は既に汗でびっしょりだった。
 とりあえず持ってきたペットボトルを一気に呷る。
 そして更に汗が吹き出る。
 普段なら「水も滴るいい男」とかふざけるところだが、水の正体が汗100%なので分が悪い。

 まっすぐと百花屋に向かった。
 容赦なく照りつける太陽のせいだろうか、口数は少ない。

「なぁ、この夏はなんかいい事あったか?」
「いんや。暑いし台風来るし散々だったな」

 百花屋につくなりいきなりネガティブに。
 確かに今年は暑いし台風は異様に元気だ。

「ま、晴れて最悪のイベントが終わったんだ。何かいい事があってもバチはあたんねぇよな」
「北川よ、何かネタ仕入れてたのか?」
「ああ、それほど大規模なものじゃないが」
「もったいぶらずに話せ」
「そのつもりだ。……と言いたい所だがあんまりおっぴろげにも出来ないんで耳を貸せ」

 北川の方に耳を向ける祐一。
 その耳に口を近づける北川。

「ふむ。貴様にしてはベリーグッドだ」
「だろ? 正しくは斉藤の奴が仕入れたネタなんだが」
「高校生活最後の夏のフィナーレを飾るには十分さ」
「じゃあ、夜にものみの丘に集合だな」
「メンツはなるべく多いほうがいいから適当に集めてこいな」
「ああ」

 何を発案したのだろうか。
 祐一は嬉々として百花屋を後にする。
 そして向かうは水瀬家。

「真琴ーいるかー」
「何よーーっ」

 家に入るなり、唯一家に残った真琴を呼ぶ。
 名雪と秋子さんは総体の方に行っているので不在だ。

「北川からいいネタ仕入れたんだが、今日の夜空いてるか?」
「んー、美汐に聞いてみないと分からない」
「聞け。ってか天野も誘え」
「一体何なのよーー」

 真琴は多少不満な様子だったが天野に電話するべく階下に降りていった。

「んー香里と栞ちゃんは北海道だし、先輩コンビはサークルが忙しいらしいからな……」

 そう言いながら祐一も階下に降りる。

「ゆういちー、美汐おっけーだって」
「ふむ」
「で、一体何をするの?」
「聞いて驚くな。別に驚いても一向に構わんが。ちょいと耳を貸せ」

 先ほどの北川みたく、真琴の耳に祐一は口を近づけた。

「わー、美汐も喜ぶね」
「天野の性格なら大丈夫だろ」

 祐一からネタを聞かされて真琴は物凄く喜んでいる。
 心躍らされるものがあるのだろう。

「で、こっちは何も用意しなくてもいいの?」
「ああ、久瀬が全部持ってくるって」
「楽しみだ〜」

 真琴の笑顔を見て、祐一もうれしくなった。
 やはりそっちの気があるのだろうか、はたまた……。


「じゃ、現地集合だから天野と合流して行こうぜ」
「うんっ」

 水瀬家を出て、美汐と合流して、一同は集合場所であるものみの丘に向かった。

「相沢さん、何か企んでいるんですか?」
「さぁな。元々俺の発案じゃないからはっきりは知らない」
「あんまり真琴をいじめないでくださいね」
「俺がいつ虐めたさ」
「悪戯しようものならその首、頂戴いたしますよ」
「…………」

 釘を刺された。

「まぁ、善処しておこうか。求められたら拒否は出来ないがな」
「……」
「何故殺意の眼差しをこっちに向けるー」
「ふたりともー何やってんのー? もう着くよ」

 真琴の声に我に返る祐一と美汐。
 丘には既にテントが建てられており、北川と斉藤と久瀬がなにやらやっている。

「よう、相沢。遅いじゃないか」
「悪い悪い。で、準備は出来たのか?」

 集まったメンバーは祐一、真琴、美汐、久瀬、斉藤、北川。
 ある意味異色なメンバーであるが、実は仲がよかったりする。

「で、久瀬よブツは?」
「抜かりなく全て用意してある」
「ああ、早速始めますか」


 夏の夜の祭りが始まった。
 斉藤が提案したといわれるネタとは、みんなで集まってがやがやするというだけの事だった。

「相沢、全員にロケット花火と線香花火と閃光花火を配れ」
「閃光かよ! まぁいいが」

 今年は残暑が厳しいし、昼間は補習と色々やっていられなかったが、楽しむときは楽しまなければならない。

「斉藤さん、まだその肉は焼けていませんっ!」
「天野さん、これぐらいなら焼けてるって言うんだって」

「1番から5番まで一斉発射なり。久瀬覚悟しろぃ」
「なんのっ、こっちは10連装だ」
「そんなに積んで暴発させるなよ」
「おわっ! あちぃ!」
「はははは、言わんこっちゃない」

 どんなに辛いときでも楽しいイベントがあれば大丈夫だ。
 ストレス発散してこの夏をのりきれば、涼しい季節がやってくるはずだ。


「今日は楽しかったですね」
「だな」

 家路。
 疲れて眠っている真琴を祐一が背負い、美汐と並んで歩く。
 美汐も年相応にかなり遊んだらしく顔が微妙に上気している。

「なぁ、天野。今日は突然誘って大丈夫だったか?」
「本当は真琴とゆっくりしたかったのですが、楽しかったので許します」

 まだ夏の終わりには日がある。
 残りの日数もこうして皆の騒ぐのだろう。
 そして思い出に変えるのだろう。
 その度に、祐一は皆の楽しそうにしている姿を見るのだろう。
 暑いからこそそれを吹っ飛ばすネタは必要なのだ。
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