アノホンノイミ





 友人である北川潤が入院したと聞いたのは、朝のHRの時の事だった。このニュースは流石の名雪でも半睡眠状態から一気に覚醒させる程にショッキングな出来事だった。そして香里の青褪めた顔と言ったら無かった。並大抵の事では揺らがぬ彼女でもダメージがでかかったらしい。良かったな、脈有りだぞ……とベッドで唸っているであろう北川に伝えてやりたい。午前中の俺の頭の中は、そんな微笑ましい感情と陰鬱な感情が綯交ぜになった様な状態だった。

 我等美坂チームは神の采配か、ただの偶然か……はたまた石橋の陰謀かは知らないが、三年に進級した今も同じクラスとなっていた。起こる筈の無かった奇跡は栞を病魔から救い、香里の心もまた回復に向かっている。後の心配は親友達の恋の行方ぐらいだった。実に平和だ。いや、だったか?

「にしてもアイツも何やってんだかな」

 昼休み、俺達は学食に来ていた。メンバーは俺と名雪、美坂姉妹。俺は誰に言うでも無く呟く様に言った。

「ほんっと馬鹿よね……階段から落ちて足骨折だなんて」

 心底呆れたわ、と大きく溜息を吐く香里。果たして、それだけ故の溜息では無い事に皆気付いていた。ニヤニヤと皆で香里に視線を向ける。

「なっ何よ? 言っとくけど別に心配なんじゃ無いんだからねっ!?」
「ふぉっふぉっふぉ、誰もそんな事は言うとりゃせんがの、香里君?」

 おちょくる様に爺言葉を使う俺。見る見る内に顔を朱に染める彼女は素直に可愛いと思う。そんな彼女に想われてるあのアホ毛に殺意が沸いたのは気の所為じゃあない。さっさとくっ付け、ともどかしい思いを叫びたい。

「ねえねえ、学校終わったらお見舞にいこうよ〜」

 名雪が言う。皆そのつもりだったのか頷いた。

「お花を買っていきましょう」
「そうだね〜」

 名雪と栞が楽しそうに話している中、香里だけはやはり表情に翳りがあった。実に不謹慎である事を重々承知で言わせてもらうと、本当に微笑ましい奴だなと想う。

「何よ、相沢君」

 香里がじと目で睨んで来た。俺はニヤニヤとしながら、別に〜とだけ返した。それを彼女はお気に召さなかったらしいが、別に追求もしてこなかった。それはつまり自分の感情を認めていると言う事に他ならない。いよいよ持ってこのチャンスを生かさない手は無いと俺は思った。

「ちょっとトイレに行って来るわね」

 鏡でも見に行くつもりなんだろう、香里は席を立つと早々に歩いていった。作戦会議をするにはもってこいのタイミングだ。

「さて栞、名雪……プロジェクトEDEN決行の刻がやって来たぞ」

 『とき』を『刻』と書くのがポイントだ。何となく新人類になった気がしないでも無い。

「そんな妖しいプロジェクトなんて計画してませんよ」
「しかもネーミングセンスださいし、祐一」

 じと目でそんな事を言ってくれる二人。名雪に至ってはさり気に毒を吐いている。

「冗談はさておきだ。香里のあの煮え切らん態度をどうにかするチャンスとは想わんか」
「北川さんですね。成程、面白そうです」

 栞がすぐさま俺の考えを理解してくれたらしく、小悪魔的な微笑を浮かべている。

「いい加減もどかしいんですよ、あの二人は全く」
「うーん……私は微笑ましくて好きだけどなあ、今の二人」
「名雪、その気持ちわからなくも無いが、あの二人は最早そんなレベル超えてるぞ」

 栞がうんうん、と頷く。

「まあ作戦って程のもんじゃないけどさ、病室で二人っきりにさせてやろうぜ?」

 結局下手に策を講じたとしても、失敗に終わりそうだった。

「ここは若い二人に全てを任せ、俺達は暖かく見守ろうじゃないか」
「それってただ遠巻きからニヤニヤと見物するって事ですよね、祐一さん?」

 俺の目論見は完全にバレバレだった。

「祐一、極悪人だよ……」
「酷い人ですね〜」
「お前等だってその顔は乗り気なんだろーが」

 栞と名雪は俺の事を酷くは言ってるものの、心底楽しみに微笑んでいた。と、そこへ香里が戻ってきた。

「? どうかしたの?」

 香里が尋ねるが、俺達の返答は曖昧な笑みを浮かるだけだった。それから昼食を再開し、北川の見舞いの打ち合わせをした。昼休みが終わり、教室に戻る時に栞がふと呟いた。

「そういえばお姉ちゃんは時々部屋からいなくなるんですよね……」

 俺はその言葉を聞いたが大した事は無いと思い、そのまま授業に出るのであった。





*






 放課後――商店街の花屋で見舞の花を買った俺達は、駅前の総合病院にやってきた。この街に住んでいる以上仕方ないのかも知れないが、やはり何かと縁がある病院だなと感慨深く感じた。

 正面の自動ドアから中に入ると、病院特有の消毒液の匂いが鼻についた。決して不快では無いのだが、好き好んで嗅いでいたいと思うような類の匂いじゃあない。そんな俺を余所に香里は受付で早速北川の病室を尋ねている様だった。

「すみません、北川潤君の病室は何処でしょうか」
「少々お待ち下さい。……西棟の402号室ですね。ここから真っ直ぐ言ってエレベータに乗って下さい」
「有難う御座いました」

 受付の女性の説明通り真っ直ぐ進んだ所でエレベータに乗り四階へ。四人もの人間が歩くとリノリウムの床はそれなりの音を響かせた。夕方に来た所為もあってか、廊下は窓から刺し込む夕日の色で染まっていた。

「402……北川潤様っと間違い無いな」

 北川の病室を見つけた俺は、そのままドアを三回ノックした。

「……返事がねえな」

 もう一度ノックしたが、やはり返事は無い。

「ただの屍の様だぞ」

 レトロなジョークをかましてみたが、皆良い顔をしなかった。むう、失言。仕方無いのでドアを開けて見た。割かし広めの個室でカーテンは締め切っていた所為か薄暗い。そして微かに聞こえて来る寝息……と言うよりいびき。見ると北川は気持ち良さそうに睡眠中である。右足に痛々しいギブスをはめている労わるべき存在の北川に、何故だか本日二度目の殺意が芽生えたのは気の所為だろうか。

「おい、起きろ北川」
「ん? ん〜……?」

 薄めで此方を見た北川。……がまたすぐに目を閉じ眠りの世界へと旅立とうとしている。

「おーきーれー!」

 今度は揺さぶり攻撃も加えて見た。肩でなく頭をシェイクだ。後ろで名雪に鬼畜だよ〜、とか言われてる気がするが無視だ。

「ぐっぐおっ! なっなんだぁ?」
「うっす、北川」

 北川は俺達の顔を見回してから15秒ほどたって、やっと状況を把握した様だった。

「おはよう……ふあぁ〜、見舞に来てくれたのか、サンキュ」

 目を擦り欠伸をしながら北川は言った。

「良いか、名雪。常人はこれで起きるんだ。お前もこれで起きれ」
「えー」
「なんだか昨日も会ったってのに酷く懐かしい光景に見えるぜ」

 名雪をからかう俺を見て、北川はそんな事を言った。微妙に皆のテンションが下がったのを感じたのか、北川は慌てて笑った。

「いやあ、ハハハ。間抜けなもんでさ、バイトに遅れそうになったから急いでてさぁ」
「それで歩道橋の階段から落ちたってのか? アホだな、お前」
「やかましい。アホ言うな、アホ」

 さっきの北川じゃないが、俺もコイツと同じ感覚を覚えていた。昨日も確かにこんな馬鹿みたいな応酬を北川とやっていたのだが、酷く懐かしく感じる。

「流石に五段飛ばしは無茶があったようだ」
「……五段って……ホントですか、それ」
「……本当の馬鹿ね」
「凄いねー、北川君」
「いやあ、ハハハハ」

 一人ずれた感想を抱いている様だが、北川はやはり馬鹿だったらしい。真剣に呆れた奴だった。北川は苦笑をしか出来ないのかってぐらいに苦笑を浮かべていた。

「まあ手術明日にやって、その後大体一週間ぐらいだから……まあ十日間ぐらいの入院になりそうだ」

 十日……つまり一週間以上コイツと学校で会う事は無いって事だ。自慢じゃあないが、俺ってば本当に男子の友人が少ない。クラスじゃ北川以外だと斉藤とあと三人ぐらいしかまともに話して無い気がする。孤立無援と言う訳じゃあ無いが、やはり北川がいないと張り合いがないなぁと思う。まあ俺が駄々こねた所で何が変わると言うわけではないのだが。

 しばらく世話話をしていた俺達だが、そろそろプロジェクトEDENを決行せねばなるまい。まごまごしていたら、あの微笑ましいお二人さんは一生微笑ましいままかもしれない。流石にそれは言い過ぎかもしれないが、いい加減にじれったい。愛し愛され合っている二人がすれ違う様子なんて余り見たいものではない。それが大切な親友達なら尚更だ。

「ああ、俺ら飲み物買って来るわ。行こうぜ、名雪、栞」
「あたしも行くわ」
「一人ぐらい話相手残しとかなきゃ、北川が可哀想だろ?」
「え……うん」

 そう言って俺は病室を出ていこうとした直前に、二つ用意していたトランシーバーの片方のスイッチを入れ入口付近に隠し置いて来た。そして廊下の隅に移動しもう片方のトランシーバーもスイッチを入れる。これで中の二人の会話はばっちりと言う寸法だ。

「ねっねえ祐一? なんでこんな物持ってるの?」
「スパイとしてこれぐらい持っていて当然だ」
「へぇ〜祐一ってスパイだったんだぁ」

 納得すんな、あんぽんたん。

「って言うか病院でこーいうの使っちゃ不味いんじゃないですか、祐一さん!?」
「ふふっ、この病棟は携帯の使用が許可されているからモウマンタイ」
「よ、良く調べてますね……」

 さも呆れたと言わんばかりに栞は納得してくれた様だ。先ほどの狼狽えた様子の二人だったが、俺の説明で納得してくれた様だった。

「まっ兎も角、静かにしてろ? あっちの出力音声最低限にしてあるが、下手したら聞こえるぞ」

 慌てて口を抑える二人の様子が可愛らしかった。これが萌えと言う奴だろう、とふとどーでもいい事思ってしまった。
 そして三人息を潜め、トランシーバーから漏れて来る二人の会話に耳を済ます。

『なんか……あいつ等に気を使わせちゃったみたいだなあ』
『そうかもね、あたし達の関係に気付いてたのね』

 ……? ちょっと待て、なんだこの会話は? あたし達の関係?

『寂しかったわ……潤♪』
『ハハハ、甘えんぼさんだなあ、香里は〜♪』

「……っ!?」

 慌てて声を上げそうになる栞。俺も焦った。だってコイツら学校じゃ『北川君』と『美坂』で呼び合ってんのに、ナンデスカコレハ?

『ね〜え、潤? キスしていい〜?』
『……バッカ、わざわざ聞かなくても良いぜ』

「……ブバッ! ふごっ!?」

 耐えれず吹き出す俺だったが、脇の二人が慌てて俺の口を抑える。

『? 何か聞こえなかった?』
『さあ?』
『まあいっか、久々に甘えて良いわよね』
『ああ……あいつ等来る間で散々甘えてくれっ!』




 無機質なプラスチック製のトランシーバーから漏れる情愛と肉欲の宴に俺達は眩暈を覚えた。俺はこの時心に誓った。



 北川いつか死なす――



 と、思っていると、隣で栞が震え上がった。

「あ、あの時見た本の内容はまさかそんなお姉ちゃんがあの理知的で賢いはずのお姉ちゃんがまるで獣のようにあわわわわわわわ……」


 ……いったい何を見たんだ、栞!?



 終



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